プロローグ☆
紅茶を飲みながら徹夜明けテンションで書きました。冷たい飲み物と一緒にお楽しみ頂けたら光栄です。
最後に寝たのはいつでしょうか。
疲れを知らない私の体は、眠る必要がございませんの。
そういえば、吸血鬼は夜が明ければ日が沈むまでずっと棺桶の中で寝ているという話が有名ですわね。ベッドじゃなくて棺桶というのがシュールですわ。
でも私は眠る必要がないみたいですの。どうしてかしらね、日光も嫌いなだけで浴びれば死ぬという程でもありません。長い間浴びれば、死んでしまうかもしれませんが……。
ああ、私はもう死んでいましたわ。うふふふ、変な話ですわね。
「今日もいい夜ですわねぇ、雲ひとつなくて」
ふと窓から夜空を見上げてみますと、そこには大きなお月様が覗いておりました。とても綺麗で、私は見とれてしまいましたわ……。
眠る必要のない私にとって、夜というのはとても長く感じられますの。
吸血鬼にとって、夜は至福の時間。好きなだけお外で遊び回れますのよ、夜の道を歩く人を驚かせたりちょっと悪戯をして怖がらせたりね……怖がる人の顔を見るのは好きですわ。
それでも、夜はとても長く感じられますの……どうしてでしょうね。
そういえば吸血鬼は生き物の血液しか口にできないと思われているようですわね。
実は普通の食事でもある程度は誤魔化せますのよ?
確かに、血というものはとても美味しいものです。一口飲めば体中に力が漲り、あとは何も口にしなくても大丈夫……特に可愛い子の血の味は極上ですわ。
でもね、私は気に入りませんの。血だけを飲んで暮らすなんて心から願い下げですわね。
やっぱり人の作る料理が良いですし、血だけでは寂しいですもの。最も、誤魔化せるだけで結局は血を飲まなければ、生きていけない事には変わりありませんが……
ああ、私はもう死んでいるんでしたわ。うふふふふ、ごめんなさい。
「あら……、あの部屋は」
ある部屋にまだ明かりが点いている事に気がつきました。時間は深夜の3時頃、旦那様達はぐっすりと眠っているお時間ですし、あの部屋は彼しか使いませんわ。
それは、この屋敷に三つ程ある書斎の一部屋。元々は旦那様のお部屋だったのですけど、今では彼だけが使っていますの。彼が誰かって? アーサー君ですわよ。あの皺だらけでいけ好かない仏頂面が憎たらしい……失礼致しました。いけませんわね、このような言葉遣いは。でも、やっぱり憎たらしいですわ。
そっと部屋を覗き込むと、なんという事でしょう。彼が机で寝ているではありませんか。
なんて情けないのかしら……その机はお高いのですよ。貴方のような人間が枕がわりにしていいものではありませんわ。さっさと叩き起こして机さんを救ってあげないと。
「……いびき一つ立てないなんて、可愛げもないですわね」
彼は静かに、本当に静かな寝息を立てています。ああ、このまま椅子を引けば面白い事になりそうですわ。思い立った私は、彼の座る椅子を思いっきり引いてみました。
彼は無様にお尻から倒れ、夢の国から無慈悲にも現実の世界に引き戻され────
ませんでした。どういうことでしょう、椅子がないのに彼は座ったままの姿勢で寝ています。70をとっくに過ぎた癖に、どんな足腰をしているのかしらこの小僧は。
「つまらないですわね……」
私はそっと椅子を戻します。ああ、本当に気に入らない男ですわ。
「どんな夢を見ているのかしらねぇ、アーサー君?」
私は寝ている彼の背中をそっと指で撫でてみます。そしてするすると指を滑らせて、ちょうど心臓の裏側あたりで止めます……このまま指を突き入れれば、彼はあっという間に死んでしまうでしょう。
私は、この男が嫌いです。
だから、このようにいつでも殺せる姿を見せられるのは、とても不愉快なものに感じられます。何故かと言われますと、寝ながら死ぬというのは幸せなものでしょう? どうせなら、起きている彼の苦しみぬいて死んでしまう姿が見たいものなのです。
「いつになったら、私の前で死んでくれるのかしら?」
私は彼にその言葉を残すと、部屋を後にしました。
少し体を洗いたい気分になりましたので、浴室に向かいます。伝承では吸血鬼は流水が苦手と聞きますが、実際にはシャワーやお風呂のお湯程度なら問題ありませんのよ? 真夜中のプールではしゃいでいる吸血鬼の姿もよく見られますしね。
◇◇◇◇
「……これ以上大きくならないのは、いいことですけど」
脱衣所を兼ねた洗面所にて、私は服を脱ぎます。
そして自分の体を見つめるのですが、やはり気になるのはこの無駄に大きく膨らんだ胸です。歩くだけでも邪魔になりますし、無為に走りでもしたらそれはもう……クロ様に分けてさしあげたいですわ。
私は忌々しげに自分の胸を持ち上げてみますが、やっぱり重いですこの胸。
持ち上げた手を離すと二つの不愉快な脂肪の塊は暫く揺れた後、胸部に鈍い重みを残しながら徐々に大人しくなりました。バストだけでなく、ヒップも少々悩みの種ですわ。いっそのこと少し削いでみるべきでしょうか。ああ、でも怪我をしてもすぐに治ってしまうんでしたわ……この体、クロ様程丈夫ではありませんが、回復力だけは圧倒的に勝っていますの。
そうそう、吸血鬼は鏡に姿が映りませんの。ですから髪や服装を整えるのも一苦労なのですのよ。どうして映らないのかはわかりませんが……呪いの一種なのでしょうかね。
呪われるような事をした覚えも謂れもありませんけどね。
浴室に入ると、月明かりが窓から差し込み ぼんやりと中が照らされていました。
湯槽の水が月の光を浴びてきらきらと輝き、磨かれた大理石の床は鏡のように室内のものを映し出します。ただ、そこにもやはり私の姿はありません。背中を水で流し、静かに私は湯槽に浸かります。あれだけ重かった胸も、水の中では浮いてとても楽になりますわ。
そして私は、窓から見える月を暫く見つめていました。
湯槽の水は冷え切っているのでしょうが、私には丁度良く感じられました。この肌はもう暖かみや冷たさというものは感じられませんが、しっとりとした水の肌触りだけはしっかりと感じる事ができます。
「……ロンドン橋落ちた、落ちた、落ちた」
こうして静かに流れていく時間に、その身を委ねるのが好きです。
「……可愛い、お嬢さん。ふふふっ」
旦那様達が起きていらっしゃる間は賑やかになってしまいますので、このように水の音や外から微かに聞こえる風の音だけが私を包み込んでくれる……そんな寂しくも優しいひと時が、私にとっての癒しとなっているのですよ。
昔と違って、今では好きなだけ水を使っていいのも素晴らしいですわね。
湯浴み……というよりは水浴びを終えて浴室を出ます。とてもスッキリとした気分になりましたわ、今日もいい一日となるでしょう。体を拭きながら、鼻歌交じりに今日の紅茶のレシピを考えていたところでした。
「……おや」
「……あら」
不意に開いた洗面所のドア。そこから顔を出したのは、寝起きのアーサー君でしたわ。
「あらあらあらあら?」
「これは失礼、どうぞごゆっくり」
彼は顔色一つ変えずにドアを閉めました。
彼に裸を見られるのは珍しい事ではありません……というか三日に一度の割合で見られます。湯浴みの時間を変えたり、日付を調整したりしてもどういうわけか彼に裸を見られてしまいますの。どういう事なのかしら。
見たいのかしら? あの歳になってもまだ??
「折角のいい気分が台無しよ、どうしてくれましょうか」
自然と顔に笑みが浮かびます。どうしてかはわかりませんが、彼絡みで不機嫌になると笑顔になってしまいますの。これも呪いか何かでしょうか?
そういえば私はもう死んでいるとお話しましたが、吸血鬼は【人型D属】という特殊なカテゴリーに属する異人種なのだそうです。私の心臓は動いていませんし、体温も低く、肌色も薄くなっています。これはD(Deadman)属の異人種特有の身体的特徴らしいのですが……、そもそも死体なのに人権が認められているのも妙なお話ですわね。
こんな体になった当初はとても困りましたが、今となってはもう深く考える事もやめてしまいましたわ。いつまでも綺麗なままというのは、悪い気分でも御座いませんしね。
◇◇◇◇
夜もすっかり明けて、時間は朝の7時前。朝の軽いお掃除を終えた私は、同じくひと仕事を終えたアーサー君に声をかけます。そろそろ、旦那様達を起こしてもらうお時間ですので。
「時間ですわよ」
「そのようですな、では朝食の飾り付けの方をよろしくお願いいたします」
「アーサー君には、飾りつけのセンスが致命的にありませんものね。うふふふ、お任せくださいな」
「はっはっはっ、それではお願いします。マリアおばさん先輩」
毎回思うのですが、おばさんは余計ですわ。歳をとっていないのですから、ずっとお姉さんのままなのです。アーサー君ったら見た目が私よりずうっと歳上になってしまったことを気にしているのかしら。情けないですわぁー、もう立派にしわっしわのお爺ちゃん。
若い頃も老け顔でしたけどね。
「ああ、今日はいやな天気ですね……」
お天気は雲一つない快晴……一番嫌いなお天気ですわ。お日様を浴びても倒れる事はありませんが、気分は悪くなりますの。だからせめて曇っていただければ……。
朝食の飾り付けを終えた私は、テレビのスイッチを入れます。この街では毎日楽しい事が起きるので、朝のニュースはその話でてんてこ舞い。ただニュースを流し見しているだけでも面白いのですよ、今日はどんな事が起きているのかしら。
「先日未明に起きました、集団記憶喪失事件の続報が入りました。この事件も恐らく、例の記憶泥棒によるものと見られ……」
灰色の肌をした大柄のニュースキャスターが淡々とお話をしています。この人、見た目は怖いですが目がとっても綺麗でキュートですの。よく見ると、愛嬌のあるお顔をしていますしね。
そう思っていたところに、アーサー君が戻ってきました。旦那様はどうしたのかしら。
「あら、おかえりなさいアーサー君。旦那様達は?」
「もうすぐ降りてこられるでしょうな、あと5分といったところでしょう」
「5分で降りてくるかしら? うふふふふ」
私は彼と軽く会話を交わし、旦那様達が降りてこられるのを待ちました。
旦那様達にはかなり長い間雇って頂いています。それこそ数十年程でしょうか……旦那様はお金には困ってらっしゃらないようで、お給料にも何の不満も御座いませんわ。
ふふふ、お恥ずかしい話ですが旦那様とも、色々と楽しい事があったのですよ。
アーサー君が来るまでは、殆ど私一人にお屋敷を任されていましたしね。
でも……楽しい事を思い出しても、付き纏うのは辛い過去の記憶。
もしも過去を忘れられるなら 私はどんな事でもしてしまうかもしれません。
それ程までに、私にとっては忌々しいものなのですから。
あなた達なら、どうしますか? 自分を縛る、過去の記憶を消し去る事ができるなら────
chapter.5 「Tomorrow is another day」 begins....
ちなみに私はメイド喫茶にも行ったことがありません




