13☆
紅茶を飲みながらしんみりしたお話を書きたくなったもので
「さて……少し、お話をしましょうか」
「ひっ!」
アーサーは静かにケインに言い放つ。老執事の表情は穏やかではあったが、その胸中はケインに対する嫌悪感、失望感、殺意、そして凄まじい怒りが巡っていた。
「待てっ……! 私は……」
「はい、何か言いたいことがあるならどうぞ仰ってください」
「私は、魔法の力が欲しかっただけだ! その力があれば!!」
「そうですか、それはそれは立派な目標ですな」
「だがその為には魔導協会が
「そうですね、彼らが許さないでしょう……ですが」
「それが、何か?」
目の前の男に、アーサーは冷たく言い放った。彼にどんな目的があろうと、どんな思惑を巡らせようとそんな事は最初からどうでもよかった。
「貴方は、エマリーお嬢様の気持ちを踏み躙った。それだけで貴方が地獄に落ちる理由は十分です……これ以上の理由が必要ですか?」
ケインはその執事の顔を見て硬直した。もう身動き一つ取れないだろう……それ程までに老執事が自分に向ける表情は、怒りに満ちた凄まじいものだった。だが
「まっ、待って! アーサー!!」
そこにエマリーがやって来て、彼女はケインを庇うように立ち塞がる。
「お嬢様、お退きください」
「ケインを……どうするの!?」
「少しお仕置きをするだけです」
「待って!」
彼女はケインが自分に何をしたのかわかっているのだろうか。いや、わかっているのだろうがそれでも彼を庇った。彼女にとってケインと過ごした時間は、それ程まで大切なものだった。
「エマリー……お嬢様……?」
「ケイン、貴方は最低な男よ」
「……」
「でも……、でも……ッ!」
「もう、いいのです。私は……」
「ケイン、貴方は……私の……ッ!!」
エマリーは自分が何を言いたいのか、わかっているのに言い出せない。
その言葉を聞いたところで、彼が改心するとは思えなかったからだ。だが、そんなエマリーの背後にケインは懐に忍ばせていた銃を抜いて近づき、彼女を捕らえた。彼の表情は冷たいものだったが、その瞳からは何故か涙が溢れていた。
どうして涙が溢れるのか……ケインにはもうわからなかった。
「……」
「動くな、俺から離れろ!!」
「ケイン……ッ!!!」
ウォルターはその光景を少し離れた所から見ている。助けようと思えば助けられるのだが、何故か動こうとしない。そんな彼の視線は、時折教会の天井に向いた。
「何で、邪魔をするんだ? お前たちには関係ないじゃないか……この娘がどうなろうと! 俺が何を望もうとも!!」
「そうですな」
「なら何故だ!!」
「貴方に、それを知る資格があるとでも?」
ケインの真上、豪華な装飾が施されたシャンデリアが吊るされる天井には大きな亀裂が走っていた。
ウォルターが放った衝撃の魔法は、朽ちかけた教会の天井には大きすぎる負担だったのだ。その一箇所から広がるようにして天井を亀裂が駆け巡り、そのシャンデリアを吊るす場所にまで届いてしまっていた。その部分はシャンデリア自体の重さもあり、今にも崩れ落ちそうになっている。アーサーもそれに気づき、足に少しずつ力を込める……。
「俺は、魔法があれば……魔法の力さえあれば!」
「いいえ、ケイン。魔法の力があっても、お母様は貴方に振り向かなかったわ」
「!?」
エマリーは静かに言う。その顔は悲しげだったが、もう彼女の瞳に涙は浮かばなかった。
カイザル氏の娘であるエマリーには、ケインの心は救えない。彼を救える者がいるとすれば、それは恐らく今は亡き彼女の母親だけだろう。彼女の脳裏を過るのは、彼と過ごした日々、優しかった彼の顔、そして微かに覚えている亡き母親の姿。
彼女、エマリー・ローゼンシュタールは再び溢れそうになる涙を堪え、絞り出すように言い放つ。
「貴方は、お母様はお父様のものだと言ったわ。でも違うの、きっとお父様と結ばれても、お母様の気持ちは貴方にも向けられていた」
「何を言い出すんだ……?」
「お母様はきっと、貴方も好きだったはずよ。だって昔から一緒に居たのは貴方なんでしょう?」
「それが……、それがどうしたというんだ! 彼女は!!」
「貴方は、踏み出せなかった。一歩踏み出せばお母様の手を取れたはずなのに……そして最後までお母様の気持ちをわかろうともしなかった」
「彼女は……、俺を!!」
「可哀想なケイン……、魔法の力なんて無くても お母様はずっと貴方の傍に居たのに」
エマリーがか細い声で発したその言葉は、ケインの心を撃ち抜いた。そして崩れ出す天井……崩れた天井の破片と共にシャンデリアは彼らに向かって落ち、アーサーは勢いよく駆け出した。
「く、来るなぁ……っ!!」
ケインは迫り来るアーサーを手にした銃で撃とうとするも、アーサーは引き金を引くよりも速く彼の懐に潜り込む。そして瞬く間にエマリーを捕まえている左腕と、銃を撃とうとした右手首をへし折り、アーサーは静かに彼女を抱き寄せた。
老執事は、自ら幸せを手放した哀れな男に一言呟く。
「自分の気持ちは、正直に告げなければいけませんよ?」
「お……ッ! 俺は……!!!」
ふと見上げれば、自分に落ちてくる美しいシャンデリアが見えた。
逃れられない自らの最期に直面した時、ケインの頭の中にはいくつもの幸せだった頃の光景が駆け巡った。それは彼女と過ごした記憶、彼と過ごした記憶……そして今、自分から離れていく彼らの子供と過ごした記憶。時間は驚く程にゆっくりと感じられ、その間に彼は何度後悔しただろう。
もしもあの時、去りゆく彼女の手を取っていたなら……
彼女の死を受け止め、こんな自分の事を最後まで想ってくれたエマリーの気持ちに応えられていたなら……
アーサーが後ろに飛んだ直後に、ケインは嫌な音と言葉にならない叫びをあげながら落下する破片とシャンデリアに潰された。その最期の姿を、エマリーは見なかった。
「貴方は最初から、全てが手に入っていたではありませんか」
教会の床を、彼の血が流れていく。下半身を潰された男は即死し、その死に顔は後悔の涙に塗りつぶされた悲しい笑顔だった。
「全員、動くな! 魔導協会だ! これからこの場に居る……ッ!?」
その直後に教会に駆け込んでくる、魔導協会から送り出されてきた魔法使い達。
「これは……?」
「やぁ、遅かったね。もう終わったよ」
「えっ、あっ! アンタはウォルt
「ヘクターだよ、目の色が違うだろ? よく見ろよ新人君」
ロイドを含めた【エマリー嬢救出部隊】は、狐につままれた気分だった。
この場所は、自分達しか掴んでいないはずだが何故か既にウォルター達が先回りして、しかも事件を解決している。協会の面目丸潰れにも程がある。
「迎えが来たようです。では、お嬢様」
「……」
「美しい顔も、折角のお洋服も汚れてしまいます。申し訳ございませんが、少しお離れください……お嬢様?」
エマリーはアーサーに抱きついたまま動かない。
「アーサー……」
彼女は顔を血で汚れた彼の服にうずめたまま、彼に自分の気持ちを伝える。
「はい、お嬢様」
「貴方は、この街を出たいと思ったことはないの……?」
彼女が何を言いたいのか、アーサーは何となく察した。彼の困った顔を近くで見つめるウォルターは満面の笑みを浮かべ、老執事を煽るように口笛を吹く。そんな彼らを取り囲む魔法使い達はどうすればいいのかわからず、とりあえず空気を読んで沈黙していた。
「お嬢様、それは」
「使用人の席が一人分、開いたの。それにお父様は多忙で……自分を補佐してくれる優秀な人材が必要だと思うの」
「そうでしょうな、ローゼンシュタール家と言えば
「この街ほどじゃないかもしれないけど……私の住んでいるところもいい場所よ。空気は綺麗で、自然も多くて……」
「それは、素晴らしいですな」
「それで……ッ!」
アーサーは彼女の頭を優しく撫でる。エマリーは顔を上げ、その瞳に彼の困った顔を映す。
「ですがお嬢様、どうやら私はこの街に長く居すぎたようです」
「……」
「この街を離れるにも、名残惜しさと申しましょうか……」
「アーサーも、酷い男ね」
エマリーは残念そうに笑うと、また彼に抱きついた。その肩は小さく震え、恐らくは泣いてしまっている事を伝えていたが彼女は声を押し殺して耐えている。
「申し訳ございません……」
「……許さないわ、アーサー」
「いやはや……困りましたな」
「失礼を働いた使用人には、罰を与えないとね。跪き、目を閉じなさい」
アーサーから少し離れるエマリー。老執事は彼女の前で跪き、目を閉じた。
この一日は、彼女にとって生涯忘れられない日となるだろう。それ程までに、一日で様々な事を体験しすぎた。それは楽しい事や、悲しい事、辛い事、文字通り色んな出来事が入り混じった夢のような体験だった。
エマリーは静かな歩調で老執事に近づき、目を瞑る彼の額にキスをした。
夢のような一日に、そして目の前の愛しい老執事に自分なりの別れを告げる為に、言葉にできない精一杯の気持ちを込めて────
(ありがとう、そして さようなら……私のアーサー)
彼女は心の中で呟いた。
戦闘不能に陥っていたハンクスは、協会所属の魔法使い達に連行されていく。そんな自分に近づいてくるウォルターに気が付き、彼に問い詰めた。
「何故、殺さない?」
「さぁ?」
「殺さないと、後悔するぞ……? 俺は、お前の顔を覚えた。中途半端な情は
「君、何か勘違いしていないか?」
ハンクスの問いに首を傾げながら、ウォルターは言う。彼の表情は笑顔だったが
「いつでも殺せる相手を、今殺す理由が何処にある?」
「……ッ」
「僕は君の生死について何の興味ないし、君のことをこれからも覚えておくつもりもない」
「俺は……
「君を殺さなかったのも唯の気紛れだ……それ以上の理由が必要かね? 小僧??」
その目は冷たく、自分の事など相手にしていない事を暗に告げていた。
「……ははっ、はっはっはっ……!」
ハンクスは乾いた笑いをあげながら、協会の魔法使い達に何処かへと運ばれる。
廃教会の周囲は魔導協会の所有するヘリや車、そして警察の増援が囲んでいる。誘拐屋の男達も拘束されてしまったが、彼等は皆、ようやく肩の重荷を降ろせたかのように疲れた笑みを浮かべ、大人しく連行されて行った。恐らく彼らの腕輪は協会の技術班によって解除されただろう。その後、誘拐屋達がどうなったかは知る由もないが。
「いつの間にか賑やかになりましたわね」
「そうね……ところで聞きたいのだけど、アルマはどうしたの??」
「お留守番ですわ」
時刻は午後5時前、エマリー嬢誘拐事件はヘクターを名乗る謎の魔法使いと、血まみれの老執事によって鮮やかに解決された。その老執事に手を取られ、教会の外に出たエマリーは空を見た。
この街から見上げる空も、自分の住むお屋敷から見た空と同じ色をしていたが 一つだけ決定的に違うものがあった。
「ねぇ、アーサー」
「はい、お嬢様」
「この街は、素敵な所ね」
「ええ、私もそう思います」
日が暮れかかった空を泳ぐ、虹色に輝く美しい白鯨の群れ。
後に【ゴストム・ファラエールの大遊泳】と呼ばれる事になるこの光景は、忽ち街中の人々の視線を独占し、ちょっとした騒ぎとなった。彼らが何故このような群れを成して空を泳ぎ回ったのか、それは今尚不明である。
空を泳ぐ大勢の空鯨達が、一斉に歌声を上げる。奇しくも鯨の群れはその教会の上空を大きな円を描くように泳いでおり、既にヘルメットを脱いでいたマリアも思わずその光景に釘付けとなった。
彼女がふと視線をアーサーに向けると、エマリーの手を引く彼もまた自分を見ているのに気が付いた。
二人は小さく笑い、静かに言葉を交わす……
「私からはそう簡単に、逃げられませんわよ。アーサー君?」
「ええ、逃げませんとも。貴女を彼女の元に送り届けるまでは」
この教会で、二人の間に何があったのか。それは彼らにしかわからない。
それでもバッドエンドにはしません