12☆
「驚いたな、その怪我で何故生きている?」
「かすり傷です、問題ありません」
「何をしにきた? まさか、エマリーお嬢様を助けに??」
「はい、そのつもりです」
アーサーの言葉を聞いてケインは笑い出す。彼はゆっくりと誘拐屋達に近づいて命令した。
「その老人を殺してくれ」
「……殺しは、別料金だ」
「なら払おう、好きな額を言ってくれ」
溜息をついて立ち上がる誘拐屋達を遮るように、ハンクスはアーサーと対峙する。
「あの魔法を受けて死なないのか、お前」
「ええ、あの程度の魔法ならね」
「面白い」
ハンクスはアーサーに杖を向ける。
彼が構える杖は黒い木の棒のような造形をしており、杖には魔術的な紋章が刻まれている。恐らくその黒い杖は彼の手作りだ。魔法杖は専門知識と材料、そして技術さえあれば個人でも精製する事ができる。
魔法使いが自分の杖を自作するのは一昔前までは珍しい話ではなかった。
「お前はスコットよりも、俺を楽しませてくれそうだな」
「それは保証しかねますな……楽しむ前に、貴方を倒してしまうかもしれませんので」
ハンクスが杖に魔力を注ぎ、魔法を放たんとした瞬間 教会の正面入口が静かに開かれた。入り口から教会に足を踏み入れるのは、眼鏡をかけた謎の男。
「君の相手は僕がするよ、赤いコートの魔法使いくん」
ハンクスは入口からこちらに近づいてくる、眼鏡の男を見据えた。顔立ちはあどけなく、年齢はどう見積もっても20代に届くかどうか。頭頂部にアンテナのような特徴的な癖毛が生えたその男は、不敵な笑みを浮かべていた。
「旦那様、どうして此処に?」
「細かいことは良いじゃないか、僕はこの赤コートの相手をしよう」
「それでは、私の見せ場がなくなってしまうではありませんか」
二人は並び立ち、目の前の男達を睨みつける。ハンクスはその眼鏡の男の正体に気付き、目を大きく見開いた。彼の顔には自然と笑顔が浮かぶ。
「お前は……ウォルター・バートンだな?」
「いいや、僕はヘクターだよ。誰だい? そいつは」
「ああ、今日はなんて素敵な日だ。会えて光栄だよ、ウォルター」
「人の話を聞かないやつだ、まぁいいか」
ヘクター改め、ウォルターは静かに杖を構える。手にしている杖はお馴染みのエンフィールドⅢ拳銃型短杖。いざという時の護身用である為、手元にあるはこの一本のみ。
勿論、装填されている術包杖も対人用。ハンクスのような強力な魔法は放てない。
「仕方ありませんな、では私は彼らの相手を」
「じいさん、やめとけよ。唯でさえ痛々しいのによ」
「お気になさらず、このくらいが丁度いいハンデになりますので」
銃を持った誘拐屋達の相手を任されたアーサーに至っては素手。その上、血塗れの大怪我だ。人数的にも、装備的にもこちらが不利であると言わざるを得ない。
そんな不利な状況の中でも、二人の男は不敵に笑った。
ケインは目の前に現れた男達の雰囲気が変わった事に気づく。思わず腰が引け、彼は後ずさっていく。何故かはわからない。しかし、彼の体は無意識にその男達から離れようとしていた。
「はっ!」
そしてハンクスの杖から魔法が放たれる。それは青白い光弾となってウォルターに迫るが、彼は顔色を変えずにその魔法に向けて同じ色の光弾を放つ。放たれた魔法はぶつかり合い、小さな閃光と、何かが弾けたような音だけを残して消滅した。
「!? 何……ッ」
その音に誘拐屋の男達の気が逸れた瞬間、アーサーは一気に彼等との距離を詰める。突然目の前に現れた血濡れの執事に驚き、誘拐屋の一人は反応が鈍ってしまった
「失礼します」
アーサーは彼の右頬に素早く強烈な掌底打ちを放つ。彼の顔はその一撃で大きく左に曲がり、そのまま膝から崩れ落ちる。そしてアーサーは次の獲物に狙いを定め、大きく踏み込んだ。獲物となった長身の男は彼を迎え撃つように咄嗟にパンチを繰り出すも、アーサーはそれをかわし、パンチを放った右腕が伸びきったところでがら空きになった男の右脇腹目掛けて拳を叩き込む。
「ごぶぁっ!!」
「また失礼。早く終わらせたいもので」
男の右脇腹は拳大に陥没し、血を吐きながら崩れ落ちる。他の誘拐屋達は目を疑った。彼等の目の前にいるのは血塗れの老人。それが、今の一瞬で二人の仲間を倒してしまったのだ。
「お前……一体何者だ??」
「執事ですよ、唯の」
「お前みたいな執事がいるかよ! 畜生が!!」
一方、教会の外ではマリアとルナがあの二人を待っていた。
「男というのは何歳になっても、やんちゃ坊主のままなのですね」
「男がみんなそうという訳じゃないわ、マリア。あの二人がそうなだけ」
「そうなのですか、意外でしたわ」
「ふふふ、だから私はあの二人が好きなの」
先程のドラマチックなアーサーの突入、それはマリアの卓越したバイクテクニックがあってこそ成し得たものだ。走行中のバイクのスピードを落とさずに車体を傾けながらドリフトターンを決め、その勢いと遠心力を利用して半ば放り出されるような形でアーサーは座席から跳躍。彼は空中で美しいドロップキックの体勢を取り、教会正面の豪華な模様が施されたステンドグラスを無慈悲に突き破った。そのままバイクで正面入口から突入すれば良かったのではないかというツッコミは野暮であろう。
恐らく、今のはアーサーが考えた最高に格好良い登場の仕方であったに違いない。
後ろから見ていた警部達は唖然としていたし、ウォルターに至っては思わず笑ってしまったが教会内のケイン達を威嚇する効果も含め、アーサーとしては満足いくダイナミックな登場の仕方だったのだろう。
「ところで彼を手伝わなくていいの?」
「うふふふ、何のことでしょうか? 私にはさっぱり」
「ふふふっ」
エマリーは物陰に隠れ、アーサーと彼を助けに来た眼鏡の男性の戦いを見守っていた。
ハンクスは笑顔でウォルターに向けて魔法を放つ。だが彼の放つ魔法は、標的に着弾する前にウォルターに同じ魔法で打ち消される。その超人的な技術に、ハンクスは更に興奮した。
「凄いな! そんな芸当は初めて見た!!」
「ああ、君も真似してみるといい。同属魔法の【対消滅】……とても役に立つテクニックだよ」
「はははははははっ!」
「ははっ、気に入らない笑い方だ。癇に障る」
ハンクスは歓喜の声を上げる。赤いコートの効果は、それを身に纏う彼自身にも影響を及ぼす。
彼は既に、自分の顔を覚えていない。どの様な経緯でそのコートを手に入れたのかは不明だが、彼が戦闘狂になった理由はこれを手にした事で自分も含めた近しい者達がその顔を忘れてしまい、正気ではいられなくなった所為かもしれない。
二人から少し離れた場所からは銃声が聞こえる。誘拐屋達は手にした銃をアーサーに向けて撃つが、彼には当たらない。まるで獣のような俊敏な動きと、射線を瞬時に読み取る異常な動体視力で弾丸を回避しつつ、距離を詰めては素手で誘拐屋の男を一人ずつ倒していった。
「くそっ! 何で当たらない!?」
「さあ、当てる気がないのではありませんかな?」
「ばけもっ……ぐああっ!!」
「失礼ですな、私は正真正銘の人間ですよ」
男の胸に、老執事の拳が深々とめり込む。堪らず血を吐いて倒れる彼を冷たい眼差しで見据え、アーサーは残る3人の誘拐屋に視線を向けた。男達は後悔した、ケインの提示した報酬に目が眩んだとはいえこんな目に遭うとは思っていなかったからだ。
「くそっ……!!」
「心中お察し申し上げます。お互い、碌でもない御主人様を持って大変ですな」
「何をしている! 早くそいつを殺せ!!」
「軽く言いやがって……ッ」
「お前たちは金さえ積めば何でもするんだろ!? だったらいくらでも金をやる!! その男を殺せ、今すぐに!!!」
ケインは物陰に隠れながら男達に指示する。彼は取り乱し、既に冷静さを欠いていた。ハンクスと戦いながら、ウォルターはケインを見て呆れた表情を浮かべる。
「つくづく気に入らない男だな、彼は」
「ははっ! 余所見をしていいのか!? ウォルター・バートン!!」
ウォルターの視線が自分から逸れた瞬間を見逃さず、ハンクスは彼の足元に向けて爆発する光弾を放つ。
「!」
先程のように同じ魔法で対消滅を狙おうとしたが、ハンクスと異なって彼の杖では爆発する光弾は放てない。
(短杖で爆発魔法だって? そんな無茶な芸当が……あっ!)
ウォルターはあの黒い杖に刻まれていた紋章を思い出す。ハンクスの杖に施された魔術的な紋章は【魔法術式】と呼ばれる魔法を発動させる為に必要な特殊な文字……つまり魔法の呪文だ。技術の発達した現代では魔法術式は杖や術包杖に直接内包されており、魔法使いであれば杖を装備するだけで魔法が扱える。
逆に言えば、現代の魔法使いは杖に内包された術式の魔法しか使えないのだ。だがハンクスは自作した杖の表面に強力な爆発魔法の術式を直接刻むという荒業で、短杖としては破格の威力の魔法の使用を可能にしていた。
長杖でようやく扱える魔法を違法な改造で無理矢理使えるように調整している為、本来の威力は引き出せていない上に杖の消耗も激しい。しかし一対一の短期決戦に限定するならそれも目立ったデメリットにはならない。
(……何だ、若造のくせに随分と工夫を凝らしているじゃないか。見直したよ)
その事に気付いたウォルターは心の中でハンクスを称賛しつつ反射的に大きく飛んで回避する。だが光弾は地面に着弾して爆発し、爆風は未だ着地できずに空中にあった彼の体を更に上に押し上げてそのまま廃教会の天井に向けて吹き飛ばした
「ははははっ! 油断したな!!」
吹き飛んでいくウォルターに狙いをつけ、杖から魔法を放とうとするハンクス。
(ああ、でもこいつはまだまだだな)
しかしウォルターは吹き飛ばされながらも不敵に笑い、今まさに天井に叩きつけられようとした瞬間に空中で体勢を変え、迫り来る宗教画に杖先を向ける。そして
「僕が油断? いやいや……」
天井に向けて魔法を放つ────それは、虚魔の転還陣。与えられた衝撃を跳ね返すその魔法はウォルターを天井から凄まじい勢いで弾き返す。ハンクスはウォルターへの追討ちとして、数発の魔法を放っていたが彼は迫り来る光弾の間をすり抜け、まるで弓から放たれた矢の如き勢いでハンクスに突撃する。顔面の数ミリ先を魔法が掠めても、その眼鏡の男は眉一つ動かさなかった。
「なっ────!?」
およそ常人には考えが及ばない、変態的かつ奇天烈な回避術を前に、ハンクスは目を見開いたまま硬直した。そして天井に弾かれた勢いと、ウォルターの全体重を乗せた強烈な飛び蹴りを真面に受け、ハンクスの体は突撃してきた畜生眼鏡ごと軽く後ろに飛んだ。
その体が地面に着くまでの一瞬、血を吐き仰向けになった彼に着地したウォルターはその胴体に杖先を当て、自信に満ちた声で言った。
「油断したのは、君の方だよ」
ウォルターは満面の笑みで、零距離から【虚魔の衝撃砲】を放つ。それは道を塞ぐ障害物や瓦礫を吹き飛ばす為の非殺傷魔法で、その魔法単体では人を殺すだけの威力はない……
ただし、瓦礫を容易く吹き飛ばす衝撃波をまともに受けた人間が無事でいられる保証はない。
「がっ……!!」
ハンクスは全身に受けて体が文字通り弾け飛び、天高く打ち上げられた。ウォルターも余波で飛ばされるが、空中で一回転して華麗に着地する……つもりだったが着地と同時にふらついて派手に尻餅をついた。
「ははははっ……!! はーっはっはっ!!!」
打ち上げられながらもハンクスは笑い続け、空中にて美しい放物線を描きながらそのまま教会の後陣にまで吹き飛んだ。
自分の真上を笑いながら飛んでいくハンクスを見て、ケインは唖然としていた。当然、誘拐屋達も何が起きたのかわからず硬直する。流石に空気を読んでいるのか、隙だらけの彼等を前にしてもアーサーは動かない。
「なんだ……? あの男は……ッ」
「ご存知ないのですか? あの男がウォルター・バートン。この街で、一番質が悪い魔法使いですよ。赤いコートのお方には少々荷が重い相手だったでしょうな」
アーサーは目の前で自分に銃を向ける誘拐屋達に穏やかな表情で言う。
「立ち去るのなら、どうぞご自由に」
「!?」
「倒したお仲間さんも死んではいません。すぐにでも病院に担ぎ込めば助かるでしょう」
誘拐屋達は互いの顔を見合わせた。このまま戦っても勝ち目はないし、男達はもう雇い主であるケインにも心底うんざりしていた。誘拐屋は倒れる仲間を起き上がらせ、その場を立ち去ろうとするがケインは慌てて制止する。
「おい、何処に行く!? お前たちは
「金なんていらねえよ」
「何!? 待てっ……!!」
「じゃあな、クソ御主人様。腕輪はこのままクソッタレな報酬として貰っていく」
「いいのか!? その腕輪は二度と外せないぞ、その気になればいつでもお前たちを……おい!! 聞いているのか!!!」
誘拐屋達はケインに一瞥もくれずに教会を後にする。
ウォルターはにこやかな笑みを浮かべながら去っていく男達の背中を見送る。御主人様の意思で自由に腕輪の仕掛けを作動させられるというのは唯の出任せだ。例えその言葉どおりに男達を爆弾に変えられたとしても、もはやどうにもならない。
そんなもので、この二人を倒す事など到底無理なのだから。




