11☆
魔導協会総本部 賢者室にて
「大賢者様! エマリー嬢の足取りが掴めました!!」
額を汗で濡らした事務員の人が賢者室に駆け込んでくる。どうやら、情報部が彼女に関する新しい情報を掴めたようだ。
「ノックはしなさい? それで、彼女は今何処に?」
「はい、実はこの一件の首謀者は……」
この事件の黒幕であるケインは三つ、見落としている事がある。
一つ目、協会には自分が行方不明者扱いになっている事。
死体がない以上、彼の捜索も行うのは当然だ。それを予期して彼は姿を隠していたのだが、エマリー嬢が逃げた焦りから潜伏先から抜け出し、自分で探し始めてしまった。彼の姿は街を巡回していた警官や協会の職員に見られていたのだ。
二つ目、【主従の契約】を購入してしまった事。
この異界道具は魔導協会が一斉摘発してまで徹底的に処分しようとしているものである。今尚それを扱う裏商人や、彼等から異界道具を購入するクライアントの炙り出しを継続している。懇意にする情報屋の協力によりこの道具を扱っていた闇商人が見つかり、そしてそれを最近大量購入したお客様の情報も割り出されてしまった。
三つ目、魔導協会を舐めていた事。
この街は彼らの領域である。設立されてから長きに渡り、門から現れる異界の怪物や、向こう側の技術を悪用する不届き者共を相手に戦い続けてきた彼らはリンボ・シティの地理を熟知している。街中で協会の調査班所属の私服職員達が巡回して独自の捜査を続け、情報部はこの街のあらゆる情報を常に監視している。相手が同じようにこの街を熟知している辺獄の住人となれば話は別だが、十分な時間さえあればこの街の仕組みや勝手がわかっていない余所者達の足取りを掴むのは容易い事なのだ。
「なる程ね……気に入らないわ」
「5番街の大型服飾店に、彼女は例の老人と訪れていたようです。店員達から報告がありました。彼らは店を出て、暫くしてからまた店の前に車で戻って
「それが5番街の爆発事故ね。その人は無事なのかしら……」
「その場にいた私服職員が、ケイン氏と見られる男性と彼の車に乗せられるエマリー嬢の姿を捉えました。そして例の赤いコートの男も視認したようですが……見失ってしまったそうで
「そう……ところで、彼女は今、何処に?」
◆◆◆◆
エマリーを追ってバイクを走らせるマリア達と、その後を必死に追いかける警部のパトカー。警部の運転するパトカーはサイレンを鳴らしていない……ウォルターが鳴らさないよう彼を脅しているからだ。
「おや、止まりましたな。どうやら潜伏場所に着いたようです」
「その場所は!?」
「6番街の……はは、なんと奇遇な」
「何ですの!?」
「あの教会ですよ。お忘れですか? 今やすっかり荒れ果てているでしょうが」
「……ふふふっ」
「……はははっ」
ケイン達が向かった場所を知った途端、マリアとアーサーは笑い出す。彼らにとって何らかの意味がある場所のようだ。マリアは更にスピードを上げて疾走する。
「おい、スピード違反ってレベルじゃねーぞ」
「良いじゃないか、こっちも飛ばしたまえ」
「これ終わったらあいつら逮捕するけどいい? お前も連帯責任だよ??」
「構わないよ、喜んで逮捕されよう。その代わり次からの助っ人は僕以外に頼んでくれよ?」
警部は憎々しげに歯軋りしながらアクセルを目一杯踏み込んだ。
6番街 とある廃教会にて
この地区は未だ改装や修復が終わっていない建物が多く【廃墟街】と呼ばれている。
人通りも少なく、夜には正体不明の怪物がよく出没する事からリンボシティでも指折りの危険地帯として有名だ。この初期イギリス式ゴシック建築に酷似した様式の教会も、そんな廃墟の街に埋もれるようにひっそりと佇んでいた。正面には教会内に光を取り込む為の一際大きく、美しい模様が描かれたステンドグラスが取り付けられており、かつてこの教会は街の人々や教徒達にとって特別な場所として利用されていたのだろう。
しかしその立派な教会の内部は、荒れに荒れていた。
明り取り用のステンドグラスの窓は殆どの物が割れ、壮大な宗教画が一面に描かれた天井も一部が崩れ落ちてしまっている。崩れた天井からは青い空が覗き、そこから注ぐ太陽の光が朽ちかけた身廊を照らす……教会には既に誘拐屋のメンバー全員が到着しており、ハンクスの姿もあった。
誘拐屋の数は8人、全員銃で武装している。
「……今、御主人様も着いたとさ」
「全く、とんでもねえのに雇われちまったよな」
朽ちた会衆席に腰掛け、誘拐屋の一人がボヤく。
結局、彼らがした仕事らしい仕事はエマリー嬢を誘拐した事くらいだが、普通の人間にこの街でそれ以上の事をしろというのは酷だろう。そもそも彼らは例の腕輪の実験台兼捨て駒や、単なる数合わせとして雇われた者達だ……誘拐屋としては優秀だったが、それも街の外での話である。
「待たせてすまない」
放心状態のエマリーの手を引き、ケインは教会に足を踏み入れた。エマリーの目は虚ろで、その足元もふらついている。そんな状態の彼女の手を強引に引くケインの姿に誘拐屋達も不快感を募らせた。
「で、どうするんだそのガキ」
「ああ、君たちと同じものを付けてもらう」
「……本気か?」
「本気だよ、最初から彼女にも付けるつもりだった」
ケインは軽く言い放った。その目には何の感情も映し出されていない。戦闘以外に興味のないハンクスも、彼の悪趣味さには流石に嫌気がさしていた。
「なら、俺たちはもういいんだな」
「もう少し手伝ってくれないか? まだ仕事は残ってるんだ」
「……」
「奴隷は、御主人様の言うことを聞かないとな? では例の腕輪を取ってくれ」
誘拐屋の男達はケインに対して明確な殺意を抱いた。だが今の彼らには目の前の雇い主に従う以外の選択肢がなかった。その腕に取り付けられた腕輪の仕掛けは例えケインに関する情報を口にしなくとも、御主人様に設定されている彼が望めばいつでも作動させることが出来ると脅されているからだ。
言葉の真偽についてどうであれ、その腕輪のおかげで3人の仲間の命が奪われている。腕輪の持つ悪趣味な仕掛けは、金も命も惜しい男達を黙らせるには十分すぎる効果だった……。
「腕輪を、取ってくれないかな?」
「……ああ、わかったよ」
誘拐屋の一人がアルミ製の大きなアタッシュケースから腕輪を取り出す。それを腕に付けられた時、エマリー嬢は生きた爆弾となる。設定されている起爆剤はこの事件の黒幕であるケインの事、そしてその潜伏場所、目的である。
そのどれか一つでも言おうとした瞬間……彼女の身体は破裂する。
「だがこのガキを見ろよ、とても喋れる状態じゃないぞ」
「今は、喋れなくてもいいさ。後から嫌でも喋れるようにするとも」
「……いい趣味だよ、御主人様」
ふとエマリーは天井を見上げた。壮大かつ壮麗な宗教画が描かれた天井は一部が大きく崩れ落ち、そこには青い空が広がっている。今の彼女は青い空を見ても、何の感情も抱かないだろう、その瞳は完全に光を失っていた。心が砕け、虚ろな表情を浮かべるエマリーの手を取り、ケインは手渡された腕輪を彼女に着けようとした……まさにその時だった。
朽ちた教会から覗く青空を、ある生き物がゆっくりと通り過ぎる。
美しい半透明な鯨のような生き物が2頭、その生き物は互いに擦り寄りながら、悠々と空を泳ぐ。その姿を見た途端、エマリーの瞳には再び光が宿った。その瞳は大きく開かれ、凍りついていた彼女の心に火が灯る。彼等は、毎日決まった時間にしか鳴かない筈だった……だが、何故かこの時間に優しい歌のような声を上げた。その理由はわからない。
しかし彼等の鳴き声は失われていた彼女の声を呼び起こした。
「あ……」
「お目覚めですか? エマリーお嬢様」
「あっ……! あああああっ!!!」
彼女は必死に自分の腕を掴むケインの手を振りほどこうとするが、子供の力ではどうしようもない。ケインは煩わしそうに彼女を引き寄せ、顔を近づけて言う。
「暴れないでくださいお嬢様。この腕輪をつけたら、貴女を開放しますから」
「いっ……嫌っ!!」
「お嬢様? お父様に会いたくはないのですか?? これをつけなかったら貴女は」
「……っああああああっ!!」
ケインはエマリーの腕を、骨が軋む程に強く握る。その痛みに彼女は思わず悲鳴を上げる。
「……ッ!!」
「ね? だから大人しくしていてください」
「……お、お母様は」
「はい?」
「お母様は、私のせいで死んだの?」
「何を……」
エマリーはケインの目を涙ながらに見つめた。その目を見て何かを感じたのか、思わずその手を離す。エマリーは痛む腕を抑え、震えながら彼から離れた。
「お母様は、私が生まれなかったら幸せだったの?」
「はい、エマリーお嬢様が生まれなければ彼女は死にませんでした。貴女が居なければ、恐らくは今も貴女のお父様と幸せに」
「それは違うわ、ケイン」
彼女は彼を睨みつけて言う。その目には涙が浮かんでいたが、先程までのような虚ろな瞳ではない。強い意思が宿った瞳……ローゼンシュタール家当主のカイザルと同じ、誇り高き貴族の眼差しだった。
「あの人が私に言ったの。女の人は、愛する人との子供が出来た時……その人の子供を産む時に大きな幸せを感じるんだって」
「……黙れ」
「私は、お父様とお母様の幸せの証なんだって……!」
「黙れ、黙れ」
「例え共に過ごす時間が短くても、お母様は私と過ごした時間が最高の幸せだったって……あの人は教えてくれた!!」
「黙れ! 彼女は死んだんだ! お前のせいで!!」
バイクを走らせるマリアは、例の教会を見つける。その正面入口前にはケインや誘拐屋達が乗ってきたと思われる数台の車が停められていた。
「着きましたわよ! さぁ、どうするの!?」
「では、私の言うとおりに動いてください」
アーサーはマリアから手を離し、不敵に笑う。マリアは彼が何をしようとしているのかはわからないが、今日だけは彼の指示通りに動くことにした。
「もういい、十分だ。乱暴は働きたくないが、貴女がその気なら仕方ありません」
ケインは腕輪を手に、後ずさるエマリーに近づく。
彼女の足は震えてもう走れない、逃げたとしてもすぐに捕まってしまうだろう。自分を守ってくれる者はいない。自分を助けてくれた、あの強くて優しい執事は赤いコートの男に殺されてしまった……それでも、彼女は助けを求めた。
「……助けて」
それは、神に?
「助けて……ッ!!」
それとも、父親に??
「助けて……ッ!!!」
震えながらも彼女は、大声で彼の名を叫んだ。
「助けて……ッ!! ア─サ────ッ!!!!!」
その言葉と同時に、何者かが教会正面の大きなステンドグラスを突き破って現れる。
突然の出来事にケインや誘拐屋達、そして奥で傍観していたハンクスも驚きの表情を浮かべた。
突き破ったグラスの破片は光を反射し、まるで虹の破片のように燦めきながら外の光とともに教会の拝廊に降り注ぐ。地面に落ちた破片は儚い音を立てながら砕け、更に細かな煌めく光の粒となって辺りに散っていく。虹の破片が舞い降りる中、まるでそれらを身に纏う神の使徒のように、彼は静かに着地した。
破られたステンドグラスからは光が差し込み、朽ちた教会に現れた一人の男の周囲を照らす。男はゆっくりと立ち上がり、エマリーに向けて歩を進める。
「あ……、ああ……」
その姿を目にしたエマリーは暫く硬直していたが、再び光を宿した瞳からはやがて止めどなく涙が溢れ、彼女は思わず膝をついて泣いてしまった。
「只今お迎えに参りました、エマリーお嬢様」
顔を手で覆って泣き崩れるエマリーの目の前で跪き、老執事は優しい声で呟いた。
「……ッ!!」
「遅れて申し訳御座いません」
「アー……サー……ッ!!!」
「はい、御身の前に」
エマリーは彼に、どんな言葉をかければいいのかわからない。
僅か一日の間にいろんな事が起こりすぎて、彼女の心は既に限界を超えていた。しかし、何故か不思議と顔には笑顔が浮かんだ。彼は死んでいなかった。そして今、自分をまた助けに来てくれたのだ。
「少しの間、物陰に隠れてお待ちください」
「私……ッ、私は……ッ!!」
「大丈夫、心配いりません。すぐに終わらせますから」
アーサーはエマリーの肩に優しく触れる。彼女が顔を上げると老執事は彼女の涙を指先で拭い、優しい笑顔を浮かべて言い放った。
「貴女に涙は似合いません。やはり、笑ったお顔が一番ですよ」
エマリーはアーサーの顔を見て確信した。やっぱり私は、この老人の事が好きなのだと。




