7☆
「生憎、俺はさっさと終わらせたいんだ!」
スコットは目つきを変えて杖に魔力を込める。
杖先に大きな魔法陣が発生し、彼の周囲を風が渦を巻くように集まっていく。その光景を警部達は息を飲んで見守っていた。
「そうだな、そのくらい思い切ってくれた方がいい。今朝の男は思い切りが足りなかった」
「……ッ!!」
ハンクスの言葉に、自分の胸が熱くなる感覚を覚えた。狙いを定め、スコットは魔法を放つ。
「この、イカレ野郎がぁああああああああーっ!!!」
杖から放たれるのは風魔の烈風弾。周囲の風を砲弾状に圧縮して放つ魔法だ。
本来なら街中で使うような代物ではないが、ハンクスの挑発的な態度に、スコットは冷静さを欠いていた。砲弾の威力は凄まじく、猛烈な風の渦を纏わせながら周囲のものを吹き飛ばし、ハンクス目掛けて突き進んだ。砲弾の射線上に立っているだけで吹き飛ばされそうになり、彼は思わず身をかがめる。その魔法を先程の風の弾丸のように避けることはもはや無理だろう。だが、そんな状態でも彼は笑みを浮かべ
「はっ、ははは……っはぁ!!」
彼は杖先に短時間だけ【風の刃】を発生させ、目前に迫った風の砲弾を切り裂いた。砲弾は切り裂かれた瞬間に消滅し、周囲の暴風も一瞬にして治まる。
「何っ!!?」
スコットは戦慄した、ハンクスが咄嗟に使ったその魔法に見覚えがあったからだ。
「思ったより使えるじゃないか、この魔法。今朝の男は使い方が悪かったんだな」
「お前……ッ!!」
今の風の刃を発生させる魔法はゲイルが独自に開発したものだ。
彼はスコットと同じく風の魔法を得意とする魔法使いで、風をカッター状にして杖で空を切るようにして飛ばす魔法を考案していた。短時間だけ杖先に発生させれば、今のように近接攻撃手段としても使っていける攻撃的な魔法である。その魔法はまだ協会職員にしか習得法が普及しておらず、一般の魔法使いには本年度に発行される【魔導技術書2028】を手にするまで習得出来ない筈だった。
だがハンクスはそれを一目見ただけで習得してしまったのだ。
「まぁ、本当は奴のように刃を飛ばすつもりだったが。今はこんなものか」
「ったく……悪い夢でも見てるみたいだ」
「ああ、本当に夢のようだ……魔法使い同士の戦いとは」
スコットは額に汗を浮かべた。目の前の相手は強敵だ、何よりも危険すぎる。
このまま野放しにしておけば、これからも多くの魔法使いが彼の毒牙にかかるだろう……今のハンクスは自分に強い執着を向けている。見逃してくれそうにないし、何より逃げる訳にもいかない。逃げ切れたとしても、自分以外の魔法使いが襲われるだけだ。
スコットは覚悟を決めた。奴は今、何としてでも 此処で倒すと。
「いい目つきになったじゃないか、俺の名はハンクス……お前の名前は?」
「……」
「つれない奴だ、まぁいい。その顔は覚えておくよ」
「スコットだ……スコット・J・アグリッパ」
「ああ、スコット。いい名前だ、忘れないでおこう」
彼の名前を聞いて、ハンクスはその日最高の笑顔を浮かべた。そんな彼の顔を見て、スコットは全身の肌が粟立つのを感じた。奴は危険だ、まともじゃない。
呼吸を整え、スコットは杖を構える。ハンクスも同じように杖を構えて二人はそのまま睨み合った。周囲の空気は張り詰め、二人を極度の緊張が襲った。スコットは集中し、汗を浮かべているが、ハンクスには余裕があり、今尚笑顔を浮かべている。周囲には既に彼等以外の人影はなく、離れた場所でパトカーに乗った警部と若い刑事がその様子を見守っているだけだ。
そして両者の杖から魔法が放たれる。スコットの右肩に光の弾丸が命中し、彼は吹き飛ばされてしまう。対するハンクスも左肩を風の矢が掠め、傷口から赤い血が噴き出す。
「くっ……そっ!!」
右肩から青白い煙をあげ、仰向けに倒れ込むスコット。彼は痛みを堪えながら、ハンクスを睨みつける……どうやら致命傷ではないらしいが、暫く職務復帰は無理だろう。
「今のは良かった……が、最後に肩を狙ったのがお前の敗因だ。魔導協会の奴らは肝心なところで詰めが甘いのは皆同じだな?」
「……ッ!!!」
「今朝の奴もそうだったが、魔法は最初から相手を殺す気で撃て。特に俺のような奴相手にはな。いい教訓になっただろ」
ハンクスはそう言うとスコットに背を向けた。彼が放った魔法は右肩に命中した、どうやらスコットの命を奪う気はなかったらしい。ハンクスは、彼で遊んでいただけなのだろう。
「まっ……待てっ……! 何で、俺は殺さない!?」
「今朝の奴は気に入らなかったから殺した。何せお前のような本気を最後まで見せなかったからな、失礼だろう??」
「何……?」
「俺は、出し惜しみをする奴は嫌いなんだよ」
ハンクスはゆっくりと歩を進め、パトカーの横を通り過ぎる。そして中の警部達に言った。
「さっさと奴を病院にでも運ぶんだな。死なせたくなければの話だが」
「……!!!」
若い刑事は硬直していた。目の前にいる魔法使い、彼は危険だ。ウォルターとはまた違う、異質な存在感を醸し出していた。刑事の脳裏には暫くの間、ハンクスが身に纏っていた赤いコートが焼きついてしまったという。
彼にまた一つ……新しいトラウマが生まれた。
「くそっ……、何処かのクソメガネみたいなこと言いやがって……ッ!!」
スコットは悔しげな表情を浮かべて力なく呟いた。
そんな彼に駆け寄る警部。魔法使い同士の戦闘行為はそう滅多にあるものではない。魔導協会が禁止しているからだが、今の相手はそう言っても通じなかっただろう。しかし、肩の怪我の痛みよりもスコットはある違和感の方が気になっていた。その違和感はハンクスと対峙した時から、今もなお彼の脳裏を駆け巡っている。
「大丈夫か!?」
「奴がハンクス……。くそっ、何でだ」
「とりあえず病院だ、立てるか?」
「何で、俺は 奴の顔が思い出せなかった……!?」
ハンクスが一度も捕まったことがない理由の二つ目、それは彼の顔を誰も思い出せないからだ。
実は彼が身に纏う赤いコートは、異界から齎された技術を利用して生み出されたもので、ある特異な能力を獲得している。
それは、軽度の【認識障害】を引き起こす能力。彼のコートが目立つ赤色をしているのは、嫌でも人の意識をコートに向ける為でもある。そしてコートを見た者は認識障害を引き起こして彼の顔に関する情報を思い出せなくなる……というより認識する事ができなくなる。その能力は写真や映像といったものでも効果を発揮する。あのホテルの監視システムを易々と突破し、映像に記録されながらも彼の正体が掴めなかった大きな要因が、このコートである。どの様な経緯でそれを入手したのかは不明。
何れにせよ、その赤いコートは彼の危険度の向上に大きく影響していた。赤いコートを目印に対策を練ろうとも、そもそも赤色のコートは実に有り触れたものである。そのデザイン自体も既存のメーカーを模したものである上に【赤いコートを着た男性】としか情報として残らない以上、彼に対する有効な追跡手段が確立できないのだ。リンボ・シティには、身を潜める場所など幾らでもあるのだから……。
「ねぇ、アーサー。この街はどんな所なの?」
「どんな所……ですか」
「そう、気になっていたの。私はお屋敷から出たことが殆どないもの」
食事を終えたエマリーはアイスティーを少しずつ飲みながら、足をぶらつかせて言った。
彼女の一挙一動がアーサーの心に響き、何らかの感情を湧き上がらせていく。単純にエマリーという少女が彼にとって心を揺り動かす何かを持っていたのかもしれないが……マリアが今の彼を見たら、何を思うだろうか。
「面白い所ではありますな、私もずっとこの街に住んでおりますので」
「ずっと?」
「ええ、ずっとでございます」
「飽きたりは、しないの?」
アーサーは彼女が何を伝えたいのかを何となく察した。彼女は屋敷の外の世界を知らない。今まではその屋敷という名の箱庭で暮らす日々に違和感を抱く事はなかったのかもしれない。
だがこうして屋敷の外の世界を知ってしまった事で、彼女の価値観に変化が生じたのだ。
「私は、飽きると思うな……。同じ景色、同じ人、いつも同じ……」
「そんなこともございませんよ」
「本当に?」
「ええ、年を重ねていくとわかります。今まで見てきたものが、実は沢山の意味を持っていることに。今のお嬢様には、少し難しいことかもしれませんが……」
エマリーは少し不満げな表情を浮かべた。彼の言葉を『自分を子供扱いしている』と解釈したのだろうか。大人と子供では物事の考え方が違う、当然ながらその言葉の捉え方も。
「じゃあ、教えなさい。アーサー」
「お嬢様?」
「この街の良い所を、沢山知っているのでしょう?」
「ふふっ、そうですな。では少し街を回ってみましょう」
「えっ、いいの?」
「流石に、車からは降りてはいけません。なるべく顔を隠すように……何処に貴女を攫った輩の仲間が潜んでいるのかわかりませんので」
「ありがとう、アーサー!」
エマリーは天使のような眩しい笑顔を浮かべて飛び跳ね、体全体で喜びを表現した。その姿はアーサーの胸を貫き、心に何かを灯したようだが詳しい事は彼にしかわからない。
「ではお嬢様、車にお乗りください」
「ふふふっ、憧れだったの。この街を見て回るのが」
アーサーはふとウォルター達と、屋敷で彼等を待っているマリア達の事を考えた。
しかし今は非常事態。エマリー嬢を父親と無事に再開させる事が、彼に与えられた天啓でありその為に彼女を守り抜く事こそが何よりも優先しなければならない使命だ。その為には市場街で人の苦労も知らずにイチャついていた畜生眼鏡とウサ耳美少女の事は、大事の前の小事としてバッサリと切り捨てなければならない。無論、マリア達も同様だ。
「はっはっは」
「どうかしたの? アーサー??」
「いえ、何でもございません」
要するにこのアーサー、エマリーお嬢様にかなり入れ込んでいるようだ。
この年齢になって、突発性の父性愛のようなものが芽生えたのかもしれないが、今日のアーサーは暴走気味だ。もはやロリコンと断じてもいいだろう……罪な老人である。
「では参ります。本日に限り、この車はエマリーお嬢様専用のリンボ・シティ特別ツアー用貸切車となります。まずは何処に行きたいですか?」
「この街のことは、まだ何も知らないの。だから、アーサーに任せるわ」
「かしこまりました、お嬢様」
アーサーは笑顔で車を出した。彼の車とすれ違うように警部達のパトカーが通った。負傷したスコットを急いで病院に運んでいた為、彼等は今すれ違った見覚えのある忌々しい黒い車に気がつかなかった。
スコットは痛みに耐えながら、苦悶の表情で協会に連絡を取る。
「もしもし……サチコさん? ああ、ちょっと伝えたいことがあってね……」
彼は完膚なきまでに負けた事に、悔しさが滲んだ涙を目に浮かべていた。しかし、安堵もしていた。何故ならようやく長い休暇をもらえる理由ができたのだから。




