1☆
「今週の異界門発生予報のお時間です! 今週は空間が全体的に安定しており、門が発生する確率は低めの15%となっていますが……」
茶色の髪を後ろで纏め、明るい表情で予報を伝える女性予報師。彼女はいつも元気で愛嬌があり、この街ではちょっとした人気者となっている。
「あの子可愛いわね。いつも元気で、素敵な予報師だわ」
「ああ、可愛いですわねぇ……」
「マリアさん? その笑顔をやめてくれないかな」
「ええ~? どうしてですか~?」
その空間予報師を目元まで緩みきった満面の笑みで眺めるマリア。
実は彼女、可愛い女性に目がない。レズビアンという訳ではないが好みの女性を見つけるとこのように危ない笑顔を浮かべてしまうのだ。
「ああ、なんという恐ろしい顔。夢に出そうですな」
「うふふ、アーサー君? 聞こえてましてよ」
「聞こえるように言いましたからな」
そんなマリアに向けていつものように憎まれ口を叩くアーサー。
もはや日課となりつつある二人の罵り合いを見守るウォルターは、どうにか彼等の仲を改善できないかと考えた。しかしその試みは全て失敗、更なる関係の悪化という悲しい結果に終わってしまっていた。
「ウォルター、今日は天気がいいから少し遠くにお出かけしましょう?」
「いいね、たまには街を遊んで回ろう」
ルナはウォルターに擦り寄って言う。眼鏡は笑顔で承諾し、二人で出掛ける事にした。
「アル様はよろしいんですの?」
「いいのよ、起きてないあの子が悪いの。それにお昼には帰ってくるわ」
「まぁ、そろそろ朝にも起きられるようにしてあげないとね。アーサー、車を頼む」
「かしこまりました、旦那様」
「マリアはどうだい? 天気がいいから、少し気分は悪いかもしれないが」
「うふふ、せっかくのお誘いですが。今日はお屋敷に残りますわ」
車に乗って出掛けるウォルター達を屋敷の玄関から見送り、マリアは小さく溜息をつく。
彼女にとって日光は致命的な弱点ではないが、かなり気分が悪くなるものだ。首筋の噛み跡にそっと触れ、彼女は少し昔の事を思い出していた。
「羨ましいですわね……」
彼女は小さく呟くと、屋敷の中に戻っていった。
◆◆◆◆
少し時が経って午前11時30分、魔導協会総本部 賢者室にて
「……」
「大賢者様……」
室内は重い空気で満たされていた。年代物の執務机の上で手を組み、沈痛な表情を浮かべる大賢者。サチコが淹れた紅茶にも未だ手をつけていない。
「……新しい情報は?」
「未だ入ってきていません。見つかったのは護衛の方の遺体のみで……」
今日、本部にとある人物が訪れる事になっていた。
それはこの世界において強い影響力を持つ貴族【ローゼンシュタール家】の当主とその一人娘である。当主のカイザル・ローゼンシュタール氏は急用のために娘より遅れて訪れる事になってしまい、一足先に娘であるエマリー・ローゼンシュタール嬢が数名の護衛と使用人と共に、この街に渡ってきたのだ。
しかし先程、彼女の送迎を任された魔法使いから連絡が入った。待ち合わせ場所のホテルで宿泊しているはずのエマリー嬢の姿はそこにはなく、彼女が宿泊していた部屋も大きく荒らされており、どうやら何者かによって襲撃を受けて誘拐されてしまったようだ。午前中、それも貴族を堂々と狙った犯行に大賢者は頭を抱えるしかなかった。
「本当に、気に入らないわ」
「……」
犯人の姿を目撃したと思われる警備員や無関係なホテルマンも殺害され、辛うじてサルベージに成功した監視カメラの映像からは謎の【赤いコートの男】の姿が一瞬だけ映し出されていた。男はカメラを何らかの方法で破壊して回っていたようだが、その姿以外にわかる事は何もない。
このホテルは街の外から訪れて来た世界の権力者、街の重役達が好んで使用する超高級ホテルであり、当然その警備も厳重だ。異界の技術を惜しみなく使用した防衛システムの数々や訓練された異人種の警備員、部屋や廊下を四六時中監視している高性能カメラ等、いざという時の備えも万全である。
それでも万が一の事を考え、今回は協会の職員である魔法使いも彼女の護衛として派遣していた。
そんな場所を襲撃し、派遣した魔法使いを含めた護衛達を殺害、数々の防衛システムを難なく突破してエマリー嬢を誘拐する。そのような馬鹿げた真似を成し遂げた者とは一体どのような存在なのだろうか……考えれば考えるほど大賢者は頭を悩ませた。
「恐らくは協会に所属していない、【無派閥の魔法使い】も犯行に関与していると思われます」
「でしょうね、魔法使いを倒せるのは同じ魔法使い……若しくは異界の化物くらいよ」
大賢者は気を落ち着かせるべく紅茶を手に取る。サチコの淹れた紅茶は彼女の大好物であり、それを飲む事が多忙な日々の中で心を癒せる数少ない至福の時間であった。
しかし、今飲んだ紅茶の味はとても 美味しいと言えるものではなかった。
「警察にも協力を要請して、何としてでも彼女を救い出さないと」
「わかりました」
同刻、リンボ・シティ3番街 ホテル【ザ・リッツ・オブ・リンボ】
「全く……酷いもんだな」
事件現場に駆けつけたアレックス警部はたまらずぼやいた。
シティの名所の一つでもあり、この街で恐らく最も安全なホテルの一室は荒れに荒れ、優麗壮美なルイ16世様式にも似た家具や装飾の数々は見るも無残な姿に成り果てていた。止めと言わんばかりに壁に飛び散った血痕……ホテルのオーナーが気の毒である。
「スーペリア……確かスーペリア・クイーン・ルームでしたっけ?」
「詳しくは知らんが、とりあえずは一番良い部屋だろうな」
「まさかこんな形で、このお部屋に立ち入るなんて夢にも思いませんでしたよ……。スーペリア・レッド・クイーン・ルームなんて笑えませんって」
「はっはっ、お前のジョークも日に日に冴え渡るな。やっぱりこの街に向いてるよ」
若い刑事もボヤき、警部は乾いた笑いを上げて彼の肩を叩く。刑事は昔からこのホテルに憧れており、いつかはまだ見ぬガールフレンドを連れてこの部屋に宿泊したいと思っていた。そしてこの光景である……彼は複雑どころではない心境を抱えていた。
特に衝撃的なのが魔法使いの死体だ。
とある眼鏡や魔導協会の活躍をその目に鮮烈に焼き付けていた彼にとって、魔法使いとはある種のヒーロー的な存在であり、このように何らかの攻撃で胸に風穴を空けられ、変わり果てた姿で冷たくなっている光景は想像もできなかったのである。エマリー嬢の護衛も皆、同じように胸を貫かれた死体として発見された。
「魔法使いも人間……ってことなんですね」
「ああ、彼らも人間だ。やられちまう時は、やられちまうんだよ……」
警部も重苦しい表情で言った。部屋の外ではエマリー嬢の送迎を任されたスコットが暗い表情で立っている。殺害された魔法使いゲイル・エイリークとは特別親しい間柄でもなかったが、今まで共に街を守ってきた戦友である。憤りを感じないはずがない。
「クソっ……!」
警官達はスコットにかけられる言葉もなく、足早にその場を去っていく彼の背中を見送る事しかできなかった……。
午後12時10分 リンボ・シティ4番街にて
ここは通称【市場街】と呼ばれ、シティでも最大規模を誇る小売市場だ。数々の新鮮な食品が並び、市民のみならず今や観光客の間でも有名であり、連日多くの人々で賑わっている。
「いやぁ、市場街まで来るのは久しぶりだ。相変わらず賑やかだね」
「ふふふ、似合っているわ。その服」
ウォルターは有名人だ、悪い意味で。
当然、普段の格好で街を歩けばちょっとした騒ぎになる。彼が住む13番街の人達はともかく、この4番街のように彼から離れた所に住む人々には今尚強い苦手意識と恐怖心を抱かれている。
その為、家から遠くに出掛ける場合は軽い変装をするのが彼なりの気遣いだ。今日は帽子を被って頭のアンテナを隠し、瞳の色を変える特殊な仕掛けが施された眼鏡をかけ、トレードマークのキャメル色のコートも脱いでチェック柄のお洒落なシャツを着こなしている。肌の色も少々変えており、顔立ちはどうしようもないがその雰囲気は殆ど別人になっている
「まぁ、君もよく似合っているよ。やっぱりストレートに伸ばした方が綺麗だと思うけどなぁ」
「ふふふ、ありがとう。でも私は結ぶのが好きなの……あの子とそっくりになってしまうから」
「あー、うん。確かにね……」
「ウォルターはあの子も気になっているのかしら?」
「ははは、嫌いじゃないとだけは言っておくよ」
ルナは髪をストレートに伸ばし、青いリボンのついた白い帽子を被っている。
服装はやはり白色を基調としたもので、シンプルなワンピース服の上に薄いカーディガンを羽織ったものとなっている。因みに彼女はウォルター程有名ではなく、警戒もされていないので特に変装する必要もないが今日はいつもと少し違うイメージの服で出掛けたい気分のようだ。
「あら、ウォr……ヘクター。このハムとても美味しそうよ」
「本当だね、少し買っていこうか」
「おや、いらっしゃい。このカポシスのハムはいい物だよ~、サンドイッチに挟んでよし、そのまま食べてもよし、勿論どんな料理にも使っていけるよ!」
ウォルター達は陽気な肉屋の店主と軽い会話を交わす。
カポシスというのは鹿に似た新動物の一種で、その肉が美味なことで有名だ。肉だけでなく、上質なミルクがとれる事でも知られるが一度にとれる量が少ない上に、悪くなるのが早くかなりの貴重品となっている。カポシスのミルクから作られたチーズは高級食材である。
「いやぁ、貴女のように綺麗な女性は久々に見たよ。ほら、味見してみなよ」
「ありがとう、でもこの街の女の人はみんな美人よ?」
「ははは、違いないや。その中でも特にという意味でね、連れのお兄さんもどうぞ、味見していって!!」
「あら、美味しい」
「だろう?」
肉屋の店主はルナが気に入ったようで、何かと彼女に絡んでいく。
それを笑顔で見つめるウォルターことヘクターは内心イラついていた。しかし、この店のハムが美味しいのは事実。彼はハムに免じて店主を許す事にした。
「ありがとうございます! お嬢さん、またね!!」
「ヘクター、怒らないの」
「何のことかな? いやぁ、美味しかったなー。このハムで今日は何を作ってもらおうかなー」
「うふふふっ」
彼の腕を抱き寄せて、ルナはご機嫌な様子で歩く。
ウォルターは少々照れくさかったが、久しぶりに平穏な日を満喫できている事に自然と笑みが浮かんでくる。二人はそのまま暫く人混みに紛れて市場街を物色した。
「ハァ……ハァ……!」
市場街に程近い路地を一人の小柄な少女が逃げていた。髪は特徴的な薄い紫色のボブカット、瞳も髪と同じ美しい紫色をしている。お洒落なフリルのついた黒いワンピースを着ているがあちこちに血液らしきものがべっとりと付着しており、その上逃げている間に転んでしまったのか、泥だらけになってしまっていた。
彼女の名はエマリー・ローゼンシュタール。例のホテルから攫われてしまった少女である