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熱い紅茶を淹れる時、下手にミネラルウォーター等の特別そうな水を使用するのはあまり良くないそうです。
「気に入らないな」「気に入らないわね」
ウォルターと大賢者は同時に呟いた。その事に大賢者はあからさまに嫌そうな表情を浮かべるが、そんな彼女の顔を見てウォルターは満足そうに笑った。
「さて、僕はここで失礼するよ 急ぎの用事ができた」
「待ちなさい、何処に行くの」
「君が僕を呼び止めるなんて珍しいね? 会議の後に手料理でもご馳走して貰えるのかな??」
「・・・・・・」
ウォルターの返事に大賢者は吃る。彼女は彼の背中を魔法で撃ち抜こうかと真剣に検討した。こんな状況においてもこの態度、協会に嫌われるのも仕方のない事と言えるかもしれない。
「冗談さ、だからそんなに怖い顔で睨まないでくれよ」
「……怪物には魔法が効かないのよ、貴方一人でどうにかなる相手じゃないわ」
「僕は一人じゃないだろ? みんなが居る。もう一人で無茶をする歳じゃないさ」
「ふざけないで、今は
「信用しろよロザリー、僕だってこの街が好きだ。だから守るよ……こんな奴らには絶対に渡さない」
ウォルターはそう答えると、振り向かずに部屋を出た。
「……相変わらず、ふざけた男だな」
「全くですね、彼には危機感という物が無いのでしょうか。頭痛がします」
「……寝よ」
「そろそろあの男の処遇についてハッキリさせておくべきではないかな? 我々も、十分我慢したと思うよ。我慢しすぎてもうどうでも良くなりそうなくらいだが、本気でどうでも良くなる前に決めるべきだ」
「お祖父様も言っていた。あの男はこの世界の歪みだと」
「そうね、でも少し羨ましくもあるわ。あそこまで礼儀知らずの馬鹿に生まれついていればどれだけ幸せだったか……」
賢者達は彼の態度や物言いに強い不快感を覚え、次々と非難の声が上がる。大賢者は何も言わずにその様子を静観していた。怒りすぎて平静を保つのも精一杯なのだろうか。
「ははっ、傷つくなぁ。前に会った時は、もう少し僕にも優しかったじゃないか……」
エレベーターの中でウォルターは寂しそうに笑う。彼が何を考え、何に思いを馳せているのか……それは誰にも窺い知れない。彼の過去と大賢者の過去は二人にしか知りえないのだから。
「本当に、気に入らないわ……私はこんなに変わってしまったのに どうして貴方は」
周囲が例の怪物への対抗策を講じている中、大賢者は小さな声で呟いた。その言葉が誰に向けられたのかはわからない。
「……大賢者様?」
深い苦悩の表情を浮かべる大賢者を心配して声をかけるサチコ。どうやらウォルターが退室したのと入れ違いに会議室に立ち入ったようだ。
「何でもないわ、続けましょう。一刻も早く、怪物を根絶やしにしないと」
「同感です」
「もしもし、アーサーかい? 至急伝えたいことがあるんだ、ルナを呼んで……はい?」
協会本営を後にしたウォルターは自宅に連絡を入れる。しかし電話に出た老執事の話を聞いた途端、彼の表情は一瞬にして凍りついた。
『ええ、ですから只今ルナ様はアルマ様と一緒に外出中でございます』
「……どうして、君は家にいるんだね?」
『どうしてと言われましても……執事とは主不在の屋敷を守るものでございましょうに』
執事として至極真っ当な返答を聞かされ、ウォルターは苦笑いする。
魔導協会総本部は様々な事情から魔力を外に漏らさない、感知させない閉鎖空間を生み出す特殊な建材で作られている。見方を変えればそれは外からの魔力も感じられなくなるという事である。
当然ルナが屋敷の外に出ようとも、建物の中に居る間は彼には彼女の気配がわからなくなってしまう。
ルナがお散歩に出かける事自体は別に問題はなかった。しかし、彼女が身に付けているネックレスが文字通りのネックとなる。最初から彼女に留守番などさせず、一緒にヘリで協会本営に向かっていればとウォルターは本気で後悔した。
「はっはっ……僕は何をしているんだろう。ああ、本当に何をしているんだろう! はっはっはっ、リーゼ! 今日も僕は最低だ、最悪だぁ!!」
ウォルターは軽く自己嫌悪に陥り、未知の鉱石を軽い気持ちで加工してあっさりプレゼントした自分の浅はかさを恨んだ。そして何より、彼女を同行させなかった自分の愚かさに頭を抱えながら笑いだした。賢者達や大賢者の前で見せた、超然とした態度は何処へ失せたのか。頭頂部のアンテナも萎み、数分前の彼とはまるで別人のように取り乱していた。
しかし唐突に我に返った眼鏡は開口一番、電話に向かってアーサーの名を叫ぶ。
「アーサーくぅん!」
『はい、旦那様』
「マリアは? 彼女も家にいるのか!?」
『いえ、彼女はルナ様とアルマ様にご同行致しました……旦那様?』
老執事との通話をいきなり中断し、急ぎマリアの携帯電話に連絡を入れる。いきなり大声で名前を呼ばれ、何か大事な話でも始まるのかと思いきや雑に通話を切られたアーサーは真顔で困惑するしかなかった……。
ルナは電子機器が苦手だ。一応彼女用の電話も購入しているが、一度も手をつけた様子はない。次からは無理矢理にでも何らかの連絡端末を持たせるべきだとウォルターは漸く決心した。ルナの気配はまだ屋敷の近くにあったが、本部とは距離が離れすぎている……例え車を脅してでも捕まえて彼女のところに急行しても、数十分はかかってしまうだろう。
「もしもぉし! マリアさん!? マリアさーん!? 僕だよぉ!!」
『はいはい、聞こえてますわよ 旦那様』
耳元で聞こえる耳障りな声にマリアは顔をしかめる。
彼の声からは相当焦っている様子が窺い知れたが、彼女は淡々と対応した。マリアは日傘をさして特徴的な黒いメイド服を着用している。その服は日光対策と紫外線対策を兼ねた彼女専用の特注品であり、外出する時はいつも身に付けている。
「はいはい、お呼びしますわ。ルナ様、旦那様がお呼びですわよ」
「何かしら?」
「出たらわかんだろ、おら早く出てやれよ」
「もしもし! ルナかい!? よかった……実は君に話したい事がっ───」
彼女に要件を話す直前、ウォルターの利き手に何かがぶつかった。持っていた携帯電話は道路に弾き飛ばされ、通行中の車のタイヤに潰されてしまう。
「……ほあっ?」
思わず目を見開いて硬直し、スクラップになった電話を見つめながら珍妙な声を出した。
もはや芸術的なまでの運の悪さである。ウォルターは自分の不運を恨んだ。そして空気を読まずにぶつかってきた相手を視認した瞬間、彼は大きく溜息をついた。その顔には自然と笑いが込み上げてくる。
勿論、いい事があって笑っている訳では決してない。
「……通話が切れたわ」
「あらあら、充電切れでしょうかね」
「有り得るな、御主人ずぼらだしよー」
「ふふふ、そうね」
三人はどうせまた連絡を入れてくるだろうと考え、そのまま散歩を続けた。
アルマの服装はルナと色違いの、黒を基調としたシックなワンピース服。彼女はそれを着て外に出る事にやや抵抗があったものの、結局ルナに後押しされて着てしまったようである。鼻歌を歌いながら上機嫌で歩くルナの胸元には、怪物の卵のネックレスが揺られていた。
利き腕に走る鈍い痛みをこらえ、ウォルターは自分にぶつかってきた 白い生物 を睨みつける。全長は約4m、全身をぬるっとした透明の液体が覆い、顔には大きな丸い口だけがある。
《オギャア》
赤ん坊にも似た低く不快な鳴き声をあげるその怪物は、ゆっくりとウォルターに躙り寄る。
周囲を見渡すと、近くの建物の影にも何体か白い影が潜んでいる事に気づいた。静かに杖を構えるウォルター。手元にあるのは護身用の短杖一本。しかも相手は魔法が通用しない例の異世界種───状況は今日も最悪である。
「ああもう……、本当に今日は! なんて日だ!!」
迫り来る白い怪物に向けて、彼は叫んだ。叫ぶしかなかった。
私も、最近知りました。




