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飲み物を用意した後はお気に入りのお菓子を添えてお楽しみください
リンボ・シティ。
【魔法】が認知されるようになった現在の世界情勢において重要なポジションを占める世界都市にして、良くも悪くもこの世界全体に強い影響力を持つ異常都市だ。面積は緑地帯含めて2,273 km²、人口は約820万人。どの国家にも属しておらず、シティそのものが独立して限定的ながら国家としての機能を有している世界でも類を見ない……というより本来あってはならないイディオットとジョークが総動員という言葉を地で行く街である。
誓暦1928年、突如として現リンボ・シティの位置に存在していた旧都市上空に巨大な【黒い穴】が出現した事が全ての始まりだった。突然現れた空を覆い尽くす程の黒い門の影響で都市機能が修復不可能になる程の大規模災害が発生し、謎の通信を最後に連絡が途絶。
『空の中から、空の中から何か……何かが!!』
その報告を最後に、かつてロンドンと呼ばれていた大都市を中心とした半径3,000km²の空間がこの世界から消滅した。
旧都市が消滅してから一週間後、現地の状況を再度確認しに向かった国連調査隊は目を疑う光景を目にする。
未曾有の大災害によって消滅した筈の都市が、その場所に再び現れたのである。
しかし、外界を完全に拒絶するかのように街の周囲を巨大な水晶の壁らしき未知の構造体が囲い、こちらからのいかなる干渉を受け付けない。空から壁を越えようとしても謎の気流の乱れによってそれは叶わず、海や陸からの接触は壁によって阻まれる。
再びこの世界に姿を現したその街は、彼等の知る都市とは似て非なるものであったのだ。
だが、異変はそれだけでは終わらなかった。
【街】がこの世界に現れてからというもの、世界の到るところに黒い穴が出現するようになった。上空、地上、場所や時間を問わずに突然開く穴の中からは今まで見たこともないような新種の生物や、科学では説明も付かない不思議な現象を引き起こす異常な物体、果ては未知の言語や技術を扱う人間といったこの世界には存在しなかったものが次々と現れた。
この世界に住む者達の日常は、ある日を境にして常識の通用しない【非日常】へと塗り替えられようとしていたのだ。
世界の権力者達が度重なる未曾有の事態に頭を抱え、混乱しきっていた頃に何処かから連絡が届いた。権力者が集う会議室に何の兆候もなく現れた、薄い鏡のような謎の物体……そしてそこに映し出されるのは人間離れした白い長髪と、青い瞳を持つ少女の姿。
驚く彼らを一瞥し、少女は言った。
『お初にお目にかかります、この世界の皆様。今回の件については、こちら側にとっても想定外の事態でありますので……この様な形での接触をお許しください』
その街の名はリンボ・シティ。
現世界と異世界を繋ぐ【異界門】に生み出された世界の特異点。そしてこの瞬間が、この世界と魔法との最初の接触であり、魔法使い そして 異人種との交流の始まりだった。
……リンボがこの世に築かれてから100年後、誓暦2028年。
この物語は、少し可笑しな歴史を歩む事になった愛しき同胞達が織り成す 愛と勇気のおとぎ話である────。
◇◇◇◇
渋滞が発生している道路で立ち往生する黒塗りの高級車。その後部座席に座る【眼鏡の男】は、車内から街の様子を窺いながら呟いた。
「今日も街は賑やかだねぇ、みんな楽しそうに走り回ってるよ。この先でお祭りでも始まっているのかな」
「その様ですな。皆さん本当に楽しそうで羨ましい限りです」
男の何気ない呟きに車を運転している【老執事】が答えた。彼はハンドルを右手の人差し指で軽く叩きながら、前を走る車を不機嫌そうに見つめている。
「ところで中々進まないな、渋滞かい?」
「その様ですな、先程から先頭車両が動く気配がありません」
「それは困るなぁ、友達を待たせているのに」
眼鏡の男は車のドアを開けて外に出る。そして思い切り背伸びをしながら空を見上げ、にっこりと笑った。いきなり道路のど真ん中に降り立ち、鼻歌交じりに歩き出す眼鏡の男に老執事は声をかけた。
「旦那様?」
「ここからは歩いた方が早そうだ。車は適当な場所に停めておいてくれ」
「降りるならせめて一声おかけになってください」
「ああ、すまないね。次からは気をつけるよ」
眼鏡の男は老執事に笑顔でそう言うと、道路の先に見えるショッピングモールに向かった。彼は渋滞で動けない車達に手を振りながら、悠々と道路を歩き去っていく。
「本当に、困ったお方だ。何十年も言い聞かせているのに全く反省しておられない……もう一度くらい車に轢かれてみてはどうですかな?」
男の後ろ姿をうんざりしたような目で見送りながら、老執事は静かに愚痴をこぼした。
「この世界は腐っている!」
顔を布のマスクで覆い、薄汚れたコートを目深く着込んだ一人の男が大声で叫んだ。
彼は片手に大きな書物を持ち、ショッピングモールの屋上から叫んでいた。この男が事件の首謀者であり、プリミティブ主義の過激派集団のリーダーだ。どこの誰かは知らないが、今現在において彼は街で一番注目されている男になっていた。
「この世界は病んでいる!!」
男の周囲には十数人の異人種が集められていた。殆どの異人に乱暴された形跡が見られ、中には幼い子供の姿もあった。そして、そんな人質を囲む過激派集団のメンバー……彼等は皆、屋上の男と同じように素顔を布のマスクで隠していたがその服装はバラバラだった。
彼等の手には小銃が握られており、中には返り血で服が汚れている者も見られた。
「何故この世界が腐り、病みきっているのか! それは奴らがいるからだ!!」
そしてプリミティブ主義者とは異人種の人権が認められ、共存をはじめてから一世紀近く経とうとする現在でも人類種至上主義を掲げ、異人種や異界の存在を認めない集団の事である。
「奴らがこの街に! 否、この世界に存在する限り 我々人類種に平穏は訪れない!!」
彼等のような輩がこのような事件を起こすのはそう珍しくもない。むしろ、この街では日常茶飯事とすら言える。それでも彼等の所業は見過ごせるものではない。リンボ・シティ警察署に務める勇敢な警官達は人質達を救うべく、今日も憂鬱な気分を圧し殺しながら出動した。
「……好き勝手に言いやがってますね、よっぽど嫌いなんでしょうか」
パトカーをバリケード代わりにして、ショッピングモールの正面駐車場から屋上の様子を窺う警官の一人が呟いた。髪の色こそ銀色で、瞳も特徴的な灰色だが彼は普通の人間の新米刑事で、異人種へは苦手意識を持つ。そんな彼から見ても、屋上で声を荒らげている男の姿は癇に障るものだった。
「それだけ許せないんだろうな。あれにとって異人種というのは」
彼の上司、リンボ・シティが誇る鉄人ことアレックス警部も口を開いた。
強面で恵まれた筋肉質の体格とやや後退気味な茶色い頭髪がトレードマークの警部はこの街で長い間勤務しており、この手の事件にもうんざりするほど関わってきた。
「まぁ、異人たちを苦手に思う気持ちはわからないでもないがな」
「警部も嫌いなんですか? 異人種の奴ら」
刑事の不謹慎な発言に睨みを利かせつつ、警部は諌めるように言う。
「確かに彼らは苦手と言えば苦手だが、死んでもいいとは絶対に思わん。何より、俺はあのクソプリミティブ主義の奴らのほうが何万倍も嫌いだ」
「同感です」
警部達がそのような会話をしている時、屋上の男は一人の異人を乱暴に立ち上がらせた。
「あのバカ、何かやるつもりですよ!」
「突入許可はまだ降りないのか!?」
警部は声を荒らげて部下の警官に当たるが、現在の状況をどうにもできないのは変わらない。そんな事はわかっていながらも、苛立ちを抑える事は出来なかった。
「駄目です! 署長はもっと慎重に行動しろと……」
「ああ、畜生! いつもどおりだな!!」
警部はたまらず毒づいた。そして突入出来ずに苛立つ警官達を尻目に、屋上の男は手に持つ大きな書物を開く。恐怖のあまり命乞いをする異人の男……しかし彼の言葉は屋上の男には届かない。
「だから貴様らには罰が必要だ、このような」
直後、書物から現れる黒い影……それはまるで大きな蛇のように体をうねらせた後────大きな口を開き、目の前の異人を食いちぎった。
「あの野郎、やりやがった!!」
彼の所業に警部は叫び、若い刑事はたまらず目を背ける。
男が持つ書物は【召喚系魔導書】。本を開く事で極小規模な疑似異界門を短時間開き、向こう側の存在を呼び出す魔法の道具。技術的課題の多さに由来する精製の難しさや様々な問題点から今となっては既にレア物となっており、一般流通ではまず手に入らない一品である。
「見たか、これが罰だ! お前たちはこの世界にいてはいけないものなのだ!!」
男が魔導書を閉じると、影は書物に吸い込まれるようにして姿を消した。自分達に待ち受ける悲惨な末路に恐怖し、異人種は震え上がる。そしてその光景を見て狂気の笑いをあげる過激派集団のメンバー……。
警官達は犠牲者の命を嘲笑う彼等の姿に強烈な嫌悪感を抱いた。
「失礼、ちょっと通るよ」
「うわっ、何だ……?」
「すまないね、この先に用があるんだ」
「ひゃっ、もう! 押さないでよ!!」
「ははは、ごめんね。急いでいるもので」
騒然とする観衆の中を一人の男が割り込んでいく。人混みをかき分けながら義憤に駆られる警官達が待つ場所に辿り着いた眼鏡の男は、警部に軽い調子で声をかけた。
「すまない、遅れてしまったよ」
その男の姿を一目見るや警部は足早に近づき、突然現れた眼鏡の男の顔面に強烈な右フックを叩き込んだ。
「あぶぁっ!?」
「少し遅れたじゃねぇよ! 大遅刻だよ、何してやがったんだ!!」
「ははは、酷いなぁ……いきなり顔面に右フックは無いだろう?」
思い切り顔面を殴られたというのに、眼鏡の男は特に怒る様子を見せない。それどころかニッコリと笑いながら警部を見上げた。
「はははじゃねーよ! そのムカつく顔をやめろ! もう一発打ち込むぞ!!」
「ごめんね、この顔は生まれつきさ」
「てめぇ……ッ」
「け、警部! 落ち着いてください!!」
若い刑事は拳を振り上げる警部を必死に抑えた。眼鏡の男はすっくと立ち上がり、殴られた頬を摩りながらまるで気の知れない友人のように気安く警部に話しかける。
「相変わらず手が早いなぁ、君は。怒りたくなるのもわかるけど、八つ当たりはやめてくれないか?」
「この……ッ!」
「警部! 落ち着いて、落ち着いてください!!」
「……くそっ! 何でこの状況でニコニコ出来るんだよ、お前は!!」
「僕から笑顔を取ったら何も残らないじゃないか。それに、殴るためだけにわざわざ僕を呼んだわけじゃないだろう?」
こちらを煽っているとも、宥めようとしているとも取れない眼鏡の男の返答を受けて、警部は歯ぎしりしながらも何とか気を落ち着かせる。
「と、ところで警部、彼は一体……?」
「……ああ、こいつが助っ人だよ……くそっ、もう少し早く来いよ!」
若い刑事は訝しんだ。
一体、警部は何を思ってこの非常時にこのような男を呼び寄せたのだろう。整えられたブラウンの髪と頭頂部でアンテナのようにそそり立つ癖毛、そして淡いキャメル色のロングコートを着た華奢な体格の男性。身長は160cm程と低めで、その顔立ちはあどけなく年齢はどう見積もっても10代後半から20代に届くかどうかという優男……
(こんなのが助っ人……? 冗談だろ??)
正直言って、とても役に立ちそうには思えなかったからだ。
「申し訳ありません、少々道が混んでおりまして……」
「ちょっ、誰ですか貴方は!? ここは危険で
「やぁ、アーサー。車の方は?」
「適当な場所に停めておきました」
そこに車を任されていた老執事が現れる。老齢であったが、その身長は190にも届こうかという長身で如何にも某国紳士然とした白髪の男。彼の真摯な態度に警部は冷静さを取り戻す。
「そうだな……すまない。お前らは悪くないな」
「そうだよ警部、悪いのはあいつらだろ?」
眼鏡の男は騒ぎの発端たる屋上の男を見据える。また一人、罪のない異人が男の呼び出した影の餌食となっていた。
「くそっ! またやりやがった……!!」
「気に入らないな」
「あ!?」
「別に、独り言だよ。気にしないでくれ」
眼鏡の男は静かに呟く。表情こそ変わらないが、彼の声色は微かに怒気を孕んでいるようだった。
因みに自分がオススメするお菓子はスコーンです