4☆
「ひどいなこれは……」
先日、怪物が出現した道路周辺は完全に閉鎖されている。
主な理由はその道路が当分の間使える状態ではないからだが、もう一つ
「警部、今朝ハンバーガー奢ってくれてありがとうございます」
「おう、この街のハンバーガーは美味いだろ。特にパテが絶品でな」
「……返品してきていいですか」
刑事は顔を真っ青にしている。昨夜未明、道路整備技師二名がこの場所で何者かに襲われて死亡した。辺り一面は彼等の血で真っ赤に染まっており、遺体の状態は見るも無残なものだった。
「アレックス警部」
「ああ、どうも。お忙しいところお呼びしてすいませんな」
そこに現れる一人の女性。濃い赤毛の髪に赤いスクエア眼鏡が特徴的な、白衣を身にまとう長身の美女。彼女も魔導協会の関係者だ。所属は生物班、主に異界門から這い出た未知の異世界種の調査を担当している。専門は異世界種の調査及び生態研究だが、別途に医師免許も取得しており医学の知識も一通り収めている。人間や動物の死体も見慣れたもののようだ。
彼女の名はブレンダ。フルネームはブレンダ・カーマイン、当然ながら魔法使いである。
「早速ですが……見てもらっても宜しいですか?」
「構いません、私はそのために来たのですから」
警部は血の海と化した現場を彼女に見せる。似たような状況を何度か目にした彼ですら目をしかめる惨状だが、ブレンダは特に抵抗もなく調査を始めた。白衣の裏に仕舞われていたバッグから、見慣れない道具が取り出される。彼女は拡大鏡に似た道具を手に、血痕が染み付いた地面を睨みつける。
「ここは街中ですし、今までここで凶暴な野生動物が目撃されたという報告もありません」
「でしょうね、ここまでの凶暴性を持った新動物は街中では今まで確認されていません……警部さん」
「何ですかな?」
「被害者の遺体を、見せていただいてもいいかしら?」
警部は遺体が乗せられた車両にブレンダを案内する。その技師達の遺体の損傷は激しく、見つかっていない体のパーツがいくつも見られた。サメや熊に襲われても、ここまで酷い死に様にはならないだろう。
「これはまた……酷いですね。」
「全くです。ここまで損傷の酷い遺体は、そう滅多に見られませんよ……」
「でも二人仲良く手を繋いで……余程仲が良かったのね。迷わず天国に昇れていれば良いんだけど」
「同感ですな、二人のご冥福を祈るばかりです」
「……すいません、ちょっと外の空気を吸ってきます」
刑事は顔を真っ青にしながら足早に車から降り、道路の隅に向かって走り出した。
「若いのに気の毒ね……」
「見る限り、先生も同じくらいの年齢に見えるのですが」
「あははは、煽てても駄目よ。貴方は好みじゃありませんから」
「ははは……」
ブレンダは被害者の遺体に優しく触れる。彼女の表情は冷静そのもので、警部でも直視する事は避ける痛々しい死体の隅々までを慣れた手つきで調べていった。すると胴体に空いた大きな傷口とその周辺に ぬめりのある透明な液体 が僅かに残っている事に気がついた。綿棒に似た道具を取り出し、傷口に付着している液体のサンプルを取得する。
「アレックス警部、念のため聞いておきたいのですが」
「はい、何ですかな」
「遺体を発見したとき、周囲がやけにぬるぬるとしてなかった?」
「どうでしょう、近くの水道管が破裂していたようで辺り一面が水浸し、おまけに血の海でしたから……」
「ありがとう、あとはこっちでやるわ」
続々とその場に集う魔導協会の生物班達。彼らに一礼し、警部はその場を離れる。
「大丈夫か?」
「この街っていつもこうなんですか……」
「そうだよ? といっても、今日のは相当ショッキングだがな」
「……ウッ!」
道路の隅で項垂れる若い刑事の背中を強めに擦り、警部は軽い口調で言い放った。
「……もしもし、サチコさん? 至急大賢者様に報告したいことがあるのだけど」
ブレンダは表情を強ばらせて本営に連絡を取る。どうやら、状況はかなり深刻なものであるようだ。
ほぼ同刻、ウォルター邸にて。
「今日は平和だなぁ……」
朝食を取り終え、マリアが淹れた紅茶に舌鼓をうつウォルターが穏やかな表情で言う。
「本当ね、いい天気だし お昼にはお出かけしましょう」
「それもいいなあ」
「うふふ、もう少し曇ってくれてもいいんですけどね」
テレビでは物騒なニュースが流れている。それは昨夜の道路整備技師に起きた不幸の報せだ。遺体は隠されているが、シートでは覆いきれない赤黒い染みが鮮明に映っていた。
「……平和だなぁ」
「朝から酷いニュースね」
「いやはや、この街にも困ったものですな」
「まぁ……ね」
ウォルターは隣の席に座るルナをまじまじと見つめた。今日のルナの服装は白を基調としたシックなデザインのワンピース服。扇情的な彼女の首元には、アルマからの贈り物である白い鉱石を加工したネックレスが下げられていた。
「うん、思った通りだ」
「何かしら?」
「良く似合ってるよ、そのネックレス」
「ふふふ、ありがとう」
「あらあら~、朝から暑苦しいですわね」
「見せつけられる側の身にもなって欲しいですな」
ネックレスはウォルターの手作りだ。
長い年月を生きる彼は、魔法の研究を進めるついでに空いた時間を見つけては、役に立ちそうな技術を好みで習得していった。終わりの見えない訳アリな人生を、鬱屈したものにしない為の彼なりの工夫である。その中にはこのような宝石細工の技術も含まれており、折に触れてはお手製のアクセサリーなどを作ってルナ達にプレゼントしているらしい。
……だが彼らは知らなかった、その鉱石が唯の綺麗な石ではない事を。
「さて、そろそろアルマを起こしに────」
突然、電話が鳴り響く。その瞬間、ウォルターは嫌な予感を察知した。
「アーサー、代わりに出てくれ」
「かしこまりました」
「内容は後で聞くよ、行こうかルナ」
「自分から起きられるようにならないかしらね……」
「ははは、僕もそう思う」
「もしもし……おやおや珍しい方が」
アーサーの反応から彼は察した、今回も非常に面倒くさい案件だと。
「申し訳ございません、只今旦那様は外出中でございまして……要件は私がお聞き致します」
「エクセレントだ、アーサー」
老執事の働きぶりに感嘆しつつ、ウォルターはアルマの部屋へと向かおうとする。
しかし上空から微かに聞こえてくるヘリのローター音……嫌な予感はさらに増していく。階段を上がろうとした彼を老執事が呼び止める。その表情からは深刻な事態が街に起きている、もしくはこれから起ころうとしている事を暗に伝えていた。
「旦那様、先程協会から伝言を承りました」
「……誰から?」
「大賢者様です」
「……伝言は?」
「今から20分以内に本部に顔を出さないと屋敷を攻撃するそうです」
大賢者はウォルターの事を嫌っている。それこそ、彼女から連絡を寄越すのは余程の事がなければありえないことだった。その大賢者が連絡を寄越したというのはつまり、街に余程の事が起きてしまっているということになる。
「やれやれ、あの子にも困ったものだ……」
ウォルター邸上空を飛ぶヘリ。さすがに大賢者は搭乗していないが、代わりに大賢者の秘書サチコが乗っていた。因みに彼女もウォルターが大の苦手のようである。
「やぁ! どうしたんだい朝から!!」
「おはようございます、ウォルターs
「えぇ? 何!? 聞こえないよ!! 大きい声で頼む!!」
屋敷の中から出てきたウォルターはサチコに声をかけるが、ヘリのローター音は二人の会話を妨げる。サチコは大きな溜息をつきながら、操縦士に着陸するよう指示した。
「……やっぱりウォルター・バートンは嫌いよ」
「心中お察し申し上げます……」
「ああ、もう顔を見ただけで嫌になるわ……」
ヘリはウォルター邸の庭に着陸し、ウォルターは爽やかな笑顔でサチコを迎える。その顔を間近で見たサチコは更に気分を害し、口元が小さく引き攣る。ルナはサチコの事を覚えていないようで、初対面の癖に失礼な態度をとる彼女に強い嫌悪感を抱いた。
「で、どうしたんだい朝から」
「大賢者様からのご指示です。至急、本営に来てください」
「……これから大事な予定があるから行けないと言ったら?」
「屋敷を燃やします」
サチコの眼は本気だった。彼女は大賢者の専属秘書を任される程の魔法使い。
如何にウォルターといえども簡単に勝てる相手では……ないと思われる。ルナは彼女の態度が相当気に入らないのか、声を掛けようともせずに鋭い目つきで睨みつけている。当のサチコもルナに苦手意識を持っており、自分に向けられる冷たい視線も平然と受け流した。
「わかった、だが一つだけ言わせてくれ」
「何でしょう?」
「いつもこれくらい迅速に動いてくれないかな?」
「……」
表情こそ変えないが、明らかに不機嫌となっていたサチコを横目にウォルターは協会のヘリに搭乗し、協会本部に向かう。ルナは留守番を命じられ、消沈しながら屋敷に戻っていった。
「少し見ない間に、また綺麗になったね」
「……」
「今年で20歳になるんだっけ?」
「……」
「早いなぁ、もう立派な大人のレディに
「静かにしてくれませんか? あと私は今年で21歳です」
ヘリコプターで本部に向かう途中、ウォルターはサチコに話しかけるが彼女は冷めた態度で彼をあしらう。にべもなく会話を拒否され、どこか寂しそうな笑みを浮かべながらウォルターは外の景色を見る。
「ははっ、空から見下ろしてみれば……また一段と面白い景色に見えるなぁ」
上空から見たリンボ・シティの街並みは壮観だった。かつての面影を残しながらも異界の文化や技術が混ざり合い、独自の発展を遂げていった事で生まれた景観はこの街でしか見られない幻想的かつ独創的なものだ。透明なガラス状のタワー、天を貫かんばかりに伸びる黒いビル、白い蔦に覆われたホテル、迷路のように入り組んだ日本風家屋、そして空を飛ぶ半透明な鯨のような生物……。
その景色はあまりにも非現実的で、まるで誰かの夢の中を覗いているかのようであった。
「彼女が今の街を見たら、喜んでくれるかな。それとも……」
「何か言いましたか?」
「独り言だよ、気にしないでくれ」
感傷に浸りながら景色を眺めて数十分後、彼らを乗せたヘリは協会本部へと到着した。
昨日の言葉の半分は冗談です。半分は。