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ウォルター・バートン。 リンボ・シティ 13番街に住む魔法使い。
その姿こそ10代後半から20代前半ほどの華奢な男性だが、正確な年齢は今尚不明。
少なくとも、100年以上前の記録写真においてその存在が確認されている。世界でも珍しい不老型の魔法使いの一人であり、その魔力は並の魔法使いを圧倒的に上回り数多くの魔法を習得している。魔導協会ですら把握できていない魔法の知識も得ているという噂も囁かれており、その存在は多くの魔法使いにとってある種の畏敬の念すら抱かせるという。
しかし、その実力や魔法の知識を見れば間違いなく世界最高クラスの魔法使いでありながら、魔法使いによって立ち上げられた魔法使いの為の組織である魔導協会に 要注意人物 として取り上げられている。彼自身が特に何か悪事を働く事はなく、むしろその物腰は柔らかで人によっては紳士的とすら感じるだろう。そんな彼が魔導協会に要注意人物としてリンボ・シティ全体に注意喚起を出されている理由、それは……
極度の不幸体質かつ天性のトラブルメーカーで、街を歩けば何かしらの災難を周囲に齎すからである。
◆◆◆◆
「ええ! 現場から中継……きゃああっ!!」
騒動の近くからニュース中継をしていた報道陣の近くに砕かれたビルの破片が落ちてくる。
「ジャスミン! 大丈夫か!?」
「現場からの中継です! 今朝未明、リンボ・シティ9番街に発生した門から現れた白い怪生物は……!!」
「流石だぜ、ジャスミン!!」
「もう、本番中に声掛けないで!」
それでも逃げずに報道を続ける褐色肌で頭に小さな角が生えた異人種の女性リポーターのジャスミンさん。リンボ・シティではこのような非常事態ないし異常事態は日常茶飯事である。近くに ビルの破片が飛んできた くらいでは逃げださない度胸と精神力がこの街の報道関係者として食べていく為に必要な条件の一つだ。
彼等から300m程離れた距離で狂ったように暴れまわる巨大な【白い怪物】の姿が見える。
《オ゛ギャァアアアアアアアアアアアアア!!!》
凄まじい雄叫びを上げて周囲を威圧する彼こそがこの騒動を引き起こした張本人であり、今朝開いた異界門から現れた漂流物だ。全長は約20m、顔と見られる部位に眼はなく無数の歯が生え揃った円状の口だけがある。その肌は白く、毛は生えていない。全身をぬるぬるした透明な液体が覆い、例えるなら白いヤツメウナギか、顔のない大蛇の胴体に手足が生えたような異形の生物。その動きからはおおよそ知性らしきものは感じられず、意思疎通は不可能に思える。おまけにこの怪物は肉食性で、既に何人かの警官や民間人が捕食されてしまっていた。
更に問題なのがこのクジラにも迫る巨躯だ。ただ暴れまわるだけで街の建物には甚大な被害が及んだ。
「警部、大丈夫ですか!?」
「くっ……小さい破片に当たっただけだ! 大したことない!!」
頭部に軽い怪我を負ったアレックス警部を支える若い刑事。警官達は手にした銃で応戦するも、大したダメージは与えられていないように見える。流石にこの大きさの怪物を小火器の類で相手取るには無理があるだろうが、かと言って無抵抗のままでも居られない。
「はははははは! いやぁ、きっついねー! これは!!」
暴れまわる怪物から逃げるウォルター。彼には闘争の意思は既に無く、飛んでくる建物の破片を華麗に避けながら逃げ回っていた。
「魔法が効かない相手なんてあんまりだよー! はははははー!!」
「旦那様、お気を確かに」
「アーサー、これは夢なんだ。僕はそう思うことにしたよ、僕らはもう十分頑張ったじゃないか……早く家に帰って休もう」
「はっはっはっ、夢にしては疲れますな」
老執事も彼と並走して逃げる。あの怪物には魔法が効かない。どうやら体を覆う液体が魔法を弾いてしまう効果を持つようで、ウォルターの放つ魔法は尽く無力化されてしまった。
「おいぃぃぃぃい! 逃げるなウォルタァァァァァ────! 戦え、街のために!!」
「はははー、戦術的撤退だよ警部! 僕らが屋敷で反撃の準備を整えるまで頑張ってね!!」
「ふざけんな!」
怪物から一目散に逃げるウォルター達に向けて叫ぶ警部。普段冷静なこの眼鏡も、長年の研究と研鑽を重ねて磨き上げてきた自慢の魔法が全く通用しないという事実を前に軽い錯乱状態にあった。魔法が効かない以上、魔法による攻撃が主な戦闘手段の彼が取れる行動といえば逃げるか潔く餌になるしかないが、あまりにも情けないその姿に警官達は苛立ちと失望を隠せなかった。
そんな中、上空からヘリのローター音が聞こえてくる。魔導協会の所有するヘリコプターだ。
因みにあの目立つ真っ白な機体カラーは大賢者の趣味らしい。本来なら騒動鎮圧の為に逸早く駆けつけてくれた彼らを歓迎するべきなのだろうが……今回は相手が悪かった。
「……何でこういう相手が悪い時に限って早く来てくれるんだろうな」
「協会には連絡入れたんですけど、いま来た人の耳に入ってますかね……」
警部達は不安を募らせる。そもそも魔導協会は魔法使いで構成された組織である。
今回のように魔法が通じない相手との相性は最悪だ。
「あれが報告にあった怪物か! 好き勝手暴れやがって……!!」
「そのようです! ではご武運を!!」
「任せろー!!」
機内で操縦士の言葉に自信満々で返事をする魔法使いの男性。特徴的な黒いコートに身を包む彼もまた魔導協会の一員であり、大賢者専属秘書官から直に荒事の対処を命ぜられた実力者である。
だが、彼は知らなかった───その怪物には魔法が通用しない事を。
怪物から逃げ切り、離れた場所から魔導協会のヘリを見上げるウォルターと老執事。
「おやぁ、あれは協会のヘリだね」
「そのようですな」
「アーサー君、僕は今とてもとても嫌な光景が脳裏に浮かんでしまっているんだが」
「さすがです旦那様。私も、全くの同意見で
「警部―! 周りの人を出来るだけ遠ざけてくれー!!」
刻一刻と迫る大いなる災難から市民を救う為、ウォルターは叫ぶ。彼は街中の人達から嫌われているが、彼自身は彼等を嫌ってはいないのだ。
「は!? 何だって
「いいからできるだけそこから離れろー! 周りの人と一緒にねーっ!!」
ウォルターの言葉から全てを察し、警部は周辺の人々を避難させる。
「では旦那様、私めも少し離れます」
「え? 僕たちはここでいいだろ」
「お世話になりました、旦那様。お達者で」
「はっはっはっ、アーサーは怖がりだなあ」
老執事は軽く頭を下げてその場を離れた。
あの怪物からはかなり距離をとっているし、ウォルターはさすがに此処までは巻き込まないだろうと思っていた。しかし、老執事をはじめとする大勢の市民は怪物から更に大きく距離を取っても尚、その逃げる足を止めない。市民を誘導していた警官達も避難が完了した事を確認するや否や、足早にパトカーに乗り込んでその場を離れる。できるだけ離れるようにと叫んだのは自分だったが、一心不乱に逃げ惑う市民の姿を目にしてさすがのウォルターも段々と不安を募らせていった。
「みんな怖がりだなぁー」
彼はそう呟くと 静かにその場所を後にした。
怪物から大きく距離をとり、全員が固唾を呑んで見守る中、その時は訪れた……
魔法使いはヘリから身を乗り出し、長杖を怪物に向けて魔力を集中させる。
彼が持つ杖は【ウルカヌスⅡ-R型長杖】
魔導協会が開発した杖の一つで、長いステッキ状のシンプルなデザインをしている。先端部にルビーのような赤い水晶体が備えられ、先端を除いた杖の全体に燃え盛る炎を象った紋様が施されたこの杖は炎属性の魔法と相性が良い。
杖先に赤く発光する魔法陣が発生する。握り締めた部分から燃え盛る炎のように赤い光の筋が走り、先端部の水晶に収束していく。そして、息を整えた彼は叫んだ。
「骨も残さず、燃え尽きろ! 炎魔の灼滅槍!!」
その言葉と共に放たれた魔法は【超高温の熱線】となり、白い怪物に向かって一直線に伸びていった。
「警部! なんかやばそうな魔法放ちましたよ、あの人ぉぉぉ────!!」
「ああ、もう魔法使いなんてこの街に要らないんじゃないかな……」
「警部、しっかりしてください! 警部―!!」
警部の目は虚ろだった。彼が今どのような心境だったか、それを知る術はない。
怪物は上空からの熱線魔法を無慈悲に跳ね返す。怪物の表面で弾かれた超高温の熱線は花火のように周囲に飛び散り、辺り一面を火の海に変えた。予め人々を避難させていたため、犠牲者は恐らく出なかったが事態は更なる悪化の一途を辿っていた。
……尚、先程までウォルター達が居た場所も炎に包まれている。
「旦那様、あの場所までは巻き込まないのではありませんでしたかな?」
「この場合は僕よりも、あの馬鹿を責めるべきじゃないかなアーサー君? アレに魔法が通じないのを知らなかったにせよ、街中であんな大火力魔法を使うのはどうかと思うよ」
「如何いたしますか?」
「……とりあえず火を消そう、この杖で風を起こすのは苦手だが 火を吹き飛ばすくらいは出来るさ。……せめて来てくれたのがスコッツ君だったらなぁ」
二人は上空を飛ぶヘリに落胆の眼差しを向け、溜息をつきながら怪物の方に歩き出した。
「馬鹿な!? 魔法が効かないだと!!?」
「あの、先程本営から連絡が……」
「何だって!?」
「今日の相手には魔法が効きません! 魔法を撃たずに上空で待機……だそうです」
「……それさぁ」
「……はい」
「もっと早く言ってよォ!!」
ヘリの中で魂の叫びを絶叫する彼の名はロイド。フルネームはロイド・D・クレイヴン。
濃いブラウンの短髪に真っ赤な瞳が特徴の魔導協会の若き新星であり、強い正義感と使命感に燃える熱い男だ。そんな彼が得意とする魔法は見ての通り、この状況においては完全に逆効果となってしまったが。この場合は相手が悪かったとしか言い様がないものの、彼はこの日の事を長い間引きずっていたという……。
《オギャッ、オ゛ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!》
恐らく視力のないその怪物は聴覚に優れており、周囲の音に反応して動くのだろう。
しかし彼の周りはパトカーのサイレン、野次馬の騒ぎ声に警官隊の銃声、とにかく全方位が【音】に溢れていた。そのあまりにも膨大な音の濁流は、彼を混乱させるには十分だった。そしてトドメと言わんばかりに自分の周りを囲む炎の海……さすがに気の毒である。
「くそー! 魔法使いのバカヤロー!!」
「本当にねー、参っちゃうよねー。彼らのせいで僕の評判も下がっちゃうんだからねー」
「アンタは元々クソ野郎だろうが!!」
「今は素直に手伝ってくれてありがとうございますだろう? ストレスが溜まる職場なのも解るけど、八つ当たりは良くないよ」
「クソありがとうございます! クソ優しいクソッタレ眼鏡のクソ魔法使いさん!!」
「おいやめろ、もうコイツに構うな! 後で何されるかわからんぞ!!」
「はっはっは、大丈夫ですよ。旦那様にとっては皆様の罵声が声援代わりです。どんどん罵詈雑言を投げかけてくださって構いませんぞ」
「……」「……何か、ごめん」
炎に関しては杖から風の魔法を放ち続けるウォルターや、現場で待機していた消防隊と高性能老執事の手による決死の消火活動により沈静化していくが、より一層激しさを増すサイレンの音や消しそこなった炎の熱は怪物を更なるパニックに陥れた……やはり気の毒である。
そんな渦中の怪物を目指して、路上の野次馬をかわしながら一台のバイクが高速で接近してくる。危うく轢かれそうになった者もいたが、例え人を轢いても彼女は気にしなかっただろう。
「それではアル様、宜しくお願いいたしますわー!」
「任せろー! 遊んでやるよ!!」
バイクを運転しているマリアの声を聞き、彼女にしがみついていたアルマが走行中のバイクから飛び出す。空高く飛び上がった小柄な少女は空中で姿勢を変え、近くにあった高層ビルの壁に着地し、そのまま垂直の壁をまるで重力を無視しているかのようにズダダダダダッと勢いよく走り出す。
裸足で壁を走る小柄な少女の姿に、その場にいた皆が自分の目を疑った……。
キモい事で有名なヤツメウナギ先生、実は結構美味しいらしいです。