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「ありがとうございました、また来てくださいねー!」
シャーリーは満面の笑みでウォルター達を見送った。ルナも最初は店長の乱暴さに機嫌を悪くしていたが、暖かな店の雰囲気とその料理の味はすっかり彼女の機嫌を上々にしていた。
「また行きたいわ、ウォルター」
「ああ、また来よう。次は空魚の揚げ物はどうかな? あれもまた美味しいんだ」
「アルマ様も誘えばよかったですな、あの方もこの店がお気に入りですし」
「あの子は朝に起きてくれないからなぁ……」
お目当てのオムレツを堪能した彼等は、満足そうに笑いながら歩いていった。
「店長も大変だよな、あのウォルターに気に入られたんだから」
「お? わかってくれる? わかってくれるかジャック。お前ほんと良い奴だな」
「わかりたくねえよ……オレはあのクソメガネに関わってあんたほど長生きできる自信ねえもん」
「私も、この店でなければあの顔を見た途端に席を立っていたね」
「ハハハ……先生はウォルターに研究室一つ潰されてるもんナ」
「ほっほっ……一つどころじゃないさ」
常連達が明るい声で語り合う。彼らの殆どはこの店が開店してからの馴染みだ。人間、異人、タコのような姿の異生物。その客層は幅広く、皆が楽しそうに談笑していた。
「お待たせいたしましたー! ライ・ギョーフのフライ 香草ソース仕立てです」
「お待たせぃ、ボルドーの丸焼き 辛口な。熱いから気ィつけろよー」
夫婦は慌ただしく料理を運ぶ。この店は二人で切り盛りしている為、どうやっても手が回らないところも出てきてしまう。しかし常連達はそんな夫婦にイラつく事なく、笑顔で二人を眺めている。
そんな常連の皆が、夫婦は大好きだった。そして彼らも、その夫婦の事が好きだった。
この街は多種多様な文化や種族が異界門の影響で入り混じり、かなりの頻度で何かしらの騒動が起こる。そのような街にひっそりとある温かなこの店は、近くの住人達にとってはまさしく心安らぐもう一つのホームと呼べた。客の多くはシャーリーが目当てでもあるが……。
はじめてこの店を訪れる、もしくはリンボ・シティに旅行で訪れ、立ち寄った料理店のメニューを開いた人々は皆その見慣れない料理名に驚くだろう。
この街の料理に使われている食材、その大半が街の外には生息していない生き物や、野菜が使われているからだ。当然、この街での最初の食事はとても勇気が要る。それらは元々【こちら側】に存在していたのではなく100年前に異界門の発生と街の出現と共にこの世界に運ばれてきた外来種、もとい【異世界種】だ。
その動物達は【新動物】と呼ばれ、元々この世界に生息していた動物とは明確に区別されている。
殆どの新動物に言える特徴としてこちら側の生き物とは大きく異なる姿をしていながら、この世界の動物達とも容易に交配が可能で、尚且つその生態系にも積極的に介入してくる事が挙げられる。姿こそ大きく異なるものの、彼等の生態は既知の動物達と大差ないのである。その肉はこちら側の人間が口にしても何ら問題はなく、ストレートに美味な物から通好みの珍味、果ては罰ゲームや度胸試し用の劇物等など幅広い味覚のニーズに応えてくれる。
当然、中には例外も存在するが。
もう一つ。生物としての適応力や多様性がこちら側の動物達に比べ異常に高く、個々の能力も単なる野生動物として扱うには不釣り合いな迄に強大である事。その為に少数でも街の外に出てしまえば世界中の在来種が瞬く間に駆逐されてしまうだろう。この世界の大多数の生物にとって新動物は 驚異の侵略者 なのだ。そういった事情もあり、生き物を含めこの街のものは基本的に外に持ち出す事ができない。
あくまで公的な手続きの上では……の話だが。
◆◆◆◆
「商品はこれで全部だな?」
「いいや、あと一つ大きめの荷物が届く」
薄暗い路地の先にある寂れた廃工場で二人の男が話している。
金髪のトンガリヘアーで赤いジャケットを着た痩せ型の男は外の人間、もう一人の黒いコートを目深く着込んだ大柄の男性は異人種だ。
「やれやれ、相変わらず大金持ちの考えることはわからねえな。異人種やあんなゲテモノ共をペットにしたいなんてよ……」
「どこの世界でもおかしな趣味の奴はいるのさ。お前も相当おかしな奴だろうが」
「ははっ、違いないや……タバコある?」
この二人は密輸業者、そして密猟者だ。主なクライアントは街の外の富豪達。
金に物を言わせ、この世界の贅を堪能した彼等が次に目をつけたのがこの街だ。新動物や異人種、特に女性の異人はとりわけ高値で取引をされる。金で買われた彼等の未来は大抵暗いものだった。中には幸せになったものもいるが、それは特例中の特例だ。
「そろそろ届くはずだ。急がないと協会の奴らに勘付かれる……あいつらの目は節穴じゃない」
「だろうな、この場所はもう使えねえ……うっ、ぶあっほ! 何だこのタバコしょっぺえ!!」
「もったいないことをするな。要らないなら返せよ」
「はい、返す」
「うん、やっぱり捨ててくれ」
廃工場に並べられているコンテナの中身は生き物だ。それは路地裏で声をかけられた、もしくは薬を飲まされたか強引に連れ去られた異人種や違法に捕獲された新動物だ。当然、狙われるのは力の弱い子供や女性に限られる。
「悪い、タバコを買ってくる」
「急げよ。荷物が届いて10分以内に戻らなかったら、お前とも手を切るぞ」
「はいはい、気をつけますよ」
運び屋の男は軽く手を振ると路地を抜けて街中に出た。
彼はこの仕事をしてもう数年になる。最初は良心の呵責もあった。生きる金に困ったからといって、この商売に手を出してしまったのを後悔した事も一度や二度ではない。しかしそれも続ける内に忘れていった。
世の中には、運のいい奴と悪い奴がいる。
それが、彼の辿り着いたこの世界の理だった……。
「あーあ、何やってるんだろな 俺は」
男は煙草を自動販売機から取り出し、気怠げに空を見た。その目には空を飛ぶ透明な鯨に似た生き物が映り、改めてこの街が非現実的なものだと感じた。
「はいはい、お金のためですよっと……ん?」
気分を入れ替えた男の目は、前を通り過ぎる男女を捉えた。
眼鏡をかけた男の方は10代後半から20代前半といったところで、華奢な体つきをしている。そしてその頭頂部にはアンテナのような特徴的な癖毛がピンと立っていた……。
そしてその男が連れる女性───彼女に彼は目を奪われた。
美しい白い髪のツインテール、宝石のような青い瞳に白い肌。そして150㎝程の小柄な体格に似合わない、お洒落なゴシック調の衣服の上からもわかる豊かな胸。
男は確信した、彼女は金になると。彼は携帯電話を手に取り何処かに連絡を取った。
「もしもし、俺だよ。え? ふざけんな、エイトだよ! 今すぐ仲間を集めろ。え? 何って……そりゃ金の生る木を見つけたんだよ」
エイトと名乗ったその男は、歩き去る男女の後を少し離れてついていく。彼の目的は勿論、誘拐だ。今の彼にはもう人を攫う事に罪悪感は抱かない、攫われた相手がどうなろうとも。
「運が悪かったと、諦めな……」
エイトは静かにそう呟いた。余談であるが、彼はこの仕事を何年か続けているがリンボ・シティに住んでいる訳ではない。その為、あの眼鏡の男性については何も知らなかった。
「どうだい、この街もだいぶ変わっただろう? 日記には書いてあるけど、実際に見るともっと驚くんじゃないかな」
「そうね……」
「……まぁ、気を落とさないで。あの店のことは誰にも、どうしようもなかったんだ」
「でも残念だわ。オーナーのことが好きだったから……もうお爺ちゃんだったけど」
「ははは……」
ウォルター達はアーサーとの待合場所に向かう。其処への近道であるこの薄暗い路地には彼等以外に通行人はいない。この街において薄暗い路地を何の用意も無く通りかかる事は自殺行為に等しい。その路地の影に、何が潜んでいるのかわからないのだから。
人気のない路地を歩く二人の後をつけるエイトは携帯電話を取り出し……
「……いけるか?」
連絡先の誰かに小声で話しかける。
『任せろ、男は……死んでもいいんだな?』
話し相手は静かに問いかけ、エイトはその問いにイエスと答えた。そして
ウォルターとルナの死角、路地を挟む建物の屋上から音を立てずに飛び降りる【誘拐屋】達。全員が黒いコートを目深く着込んでおり、顔はそれぞれ違う色のマスクで隠されていた。彼等もまた異人種だ。洗練された体捌きで音を立てずに二人の背後に忍び寄り……
「でもね、そのオーナーのn────」
眼鏡の男の後頭部を思い切り殴りつける。完全に不意をつかれた彼は一撃で昏倒した。
「ウォルタッ……!?」
「静かにしろ」
誘拐屋のリーダー格である赤いマスクの男は突然の事態に混乱するルナの口を手で塞ぎ、路地を挟む建物の壁に押さえつける。その動きには一切の無駄が無く、彼女は魔法で反撃する隙も与えられなかった。
「声をあまり出すな、傷がついたらお前の価値が下がる」
「……ッ!!」
ルナは必死に抵抗する。しかしそこには彼ら以外に人の姿はなく、彼女の悲鳴は誰にも届かなかった。
「まぁ、抵抗するよな。すまん」
少し強めに彼女の腹を殴る。ルナの意識は飛び、力なく赤いマスクの男に倒れ込んだ。気を失った彼女を抱え、男は足早に立ち去ってエイトと合流する。彼は小さく拍手をしながら、一仕事を終えたプロに称賛の言葉をかける。
「相変わらず見事なもんだよ、惚れ惚れするね」
「無駄口を叩くな、さっさと走れ」
運び屋の男と赤いマスクの男は黒コートの異人が待つ廃工場へと向かった。その場に残った【誘拐屋】のメンバーは眼鏡の男の処遇を話し合う。
「どうする?」
「男はそんなに高く売れないからな……顔にもよるが」
「見ておくか? 美人かもしれないぜ?」
「……どうだかな」
メンバーの一人が倒れる男の後ろ髪を掴んで引き上げ、彼の顔を覗き込む。
「……おい、おいおいおいおいおい!」
「どうした? そんなに美人だったのか??」
「ふざけんな! こいつは!」
「どうしたん……まじかよ」
「ウォルター・バートンじゃねえか!!」
彼の正体を知り、誘拐屋の男達は一斉に動揺した。エイトはウォルターの事を知らなかったが、この街に住む彼等にはこの眼鏡の悪評はうんざりするほど聞き慣れていたのだから。
「やばい! 早く連絡入れろって!」
「いや、気絶してる 今ならこいつ殺せr────」
物騒な台詞を言いかけた次の瞬間、その男の首は 斜めに曲がった。
「やれやれ、困ったものですな」
「なん───」
突如として現れた老執事は素早い身のこなしで走り寄り、誘拐屋の一人の胸ぐらと片腕を掴みながら同時に足先を払い、硬い地面に叩きつけた。
「がっはっ!!!」
勢いよく地面に投げつけられた男は一瞬で意識を刈り取られ、白目をむいて失神する。そして昏倒する男の喉に老執事は静かに靴先を乗せ……その男の喉を踏み潰した。
「なんだ……お前は!?」
「執事ですよ。そこで白目をむいて寝っ転がるアホ毛の男のね」
先程まで3人いた筈の誘拐屋は一瞬で彼1人になった。
彼は何が起きたのかわからなかった。目の前に立つのは年老いた人間……それが異人である二人の仲間をあっという間に殺してしまったのだ。彼はただその光景に混乱するしかなかった。
「このアホ毛にも困ったものです。いくら朝から憂鬱だったとは言えこんなにあっさりと……まぁ、この場合は素直にあなた方の技量を賞賛すべきなのでしょうがね」
「ちっ!」
男は目の前の老人には勝てない、それを即座に理解し足元の地面を強く蹴り出す。彼等は脚力に優れた異人種、そのジャンプ力は一飛びで十数メートルもの跳躍を可能にする程で普通の人間ではどうあっても追いつけない。
「───んなっ!?」
次の瞬間、ジャンプした筈の男の体は分厚い壁にぶつかった。男はその分厚い壁が、地面だという事に気付くのにしばらくかかった。
「おやおや、急に飛び跳ねてどうしようというのです? あなたにはまだ聞きたいことが沢山あるのですよ」
足首が執事に強く掴まれていた。まさか、ジャンプの瞬間足を掴んで地面に叩きつけたというのか……それも片手で? 男は悪い夢を見ているような気分だった。
「おいおい……話ならアンタが殺した奴らに聞いてくれよ。オレは何も知らねえって」
彼の言葉は半分本当だ。彼等は襲う相手がウォルター達だとは知らされていなかったのだから。もし知らされていたら、即座に断っただろう。
「そうですか」
執事は掴んだ足首を強く捻った。男の足は嫌な音を立てながら不自然な方向に曲がった
「あがっ────! クッソ! 畜生! 畜生!!」
彼は誘拐屋を長い間続けている。だから、この手合いに捕まればどうなるか大体想像がついた。その老人の目は、自分を無事に帰す気は無いと言葉なしに告げていたのだから
「まぁ、もう少し話をしましょう。この時間帯に此処を通る人はそうはいませんし……あなたがその気なら、すぐに終わる話でございますので」
人気のない路地裏に、痛そうな鈍い音と、男の悲鳴が少しの間響き渡った。