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幻騒のカルネヴァーレ  作者: 武石まいたけ
chapter.2 If you run after two rabbits , you will catch neither
15/123

1☆

朝のニュースを見終え、食後の一服であるカップ一杯の白湯を飲み干す。


何の味もないただのお湯だが、その一杯が男にとっては欠かせないものだった。


190㎝を越える長身で、筋骨隆々の強面の男。頭髪は黒く、瞳の色は暗めのブルー。服装には拘らないのか、袖を捲ったシンプルな白地のカッターシャツとデニム生地のズボンを着用している。彼は街の路地にひっそりと建つ喫茶店の経営者。その店は【夫婦】で切り盛りしながら経営している。アルバイトは時々、時給7L$(リンドル)で募集中だ。新日本円にして約924円。


L$(リンドル)というのはこの街特有の通貨単位であり、US$(米貨)に近い呼び方になっているが全くの別物である。為替レートもUS$と大幅に異なり、円換算で1L$=約132円。


「今日はいい一日になりそうだ」


彼は穏やかな表情を浮かべて言う。男にとってはまさしく穏やかな顔なのだろうが、他人から見ればその顔は()()()()()ものだった。


「ふふ、いい天気だものね」


彼の頬に軽くキスをした後、テーブルの食器を片付ける女性。彼女はこの男性の妻だ。


薄い金色の長髪は毛先だけが白くなっており、表現しがたい美しさを醸し出していた。金糸のように煌めく長髪を後ろで結び、頭には癖毛と見間違いそうな程に髪に馴染んだ獣の耳がある。その瞳も綺麗な金色で、マリアの瞳とはまた違う色合いを浮かべている。


そして彼女を語る上で欠かせないのが実に聞き飽きた表現かもしれないが、人間離れしたその美貌。


身長165㎝のしなやかな肢体に、一際目立つ豊満なバスト(ダイナマイトバディ)はなんとマリアよりも大きい。服装は夫とお揃いのものだが彼女のシャツはその大きな胸ではち切れそうになっており、デニム生地のズボンも彼女の魅惑的なヒップラインをくっきりと浮かび上がらせていた。


「シャーリーがそう言うなら、今日は間違いなくいい日になるな」

「あはは、あんまり期待されると困っちゃうわ」


二人は仲睦まじく談笑している。クロスシング夫妻といえばこの街でもちょっとした有名人だ。勿論、誰かと違って良い意味で。



◆◆◆◆



夫婦は店の開店準備を進める。訪れる客は大体いつも同じ顔ぶれだが、だからこそ精一杯のおもてなしをしようといつも心に決めていた。二人は店に訪れる人の笑顔を見るのが一番の楽しみなのだから。


「ふふ、窓ガラスも綺麗に馴染んだわね。一時はどうなるかと思ったけど」

「あー、うん。そうね」


窓ガラスを見ると彼は否応にも不機嫌になった。一体何回割られては張り替えただろう。


この街では ちょっとした 荒事は日常茶飯事だ。だから店もそれに巻き込まれても何とかなるよう、とにかく頑丈な素材で出来ている。特に店内を外から覗ける窓ガラスの選別はかなり手間暇をかけた。その特殊ガラスはバットで殴られようが、銃で撃たれようが、車が突っ込もうが、果ては()()()()()()()()()に突進されようと割れない程の逸品だ。


……そんな自慢の特殊ガラスを とある眼鏡の男 がよく台無しにするのだが。


「怖い顔しないの、お客様が怖がっちゃうわ」

「お、おう……」


彼は精一杯気分を変えて笑顔を作った。夫の顔を見て妻は笑う。もうすぐ開店の時間だ、店長である彼は店の看板を出す。喫茶店【ビッグバード】 それがこの店の名前だ。夫婦は空色の生地に白い鳥を模した刺繍を施したエプロンを身に付け、それぞれの定位置に立つ。夫は厨房前のカウンター、妻は店のドアの前だ。


「この場所で、皆を待つのが好きなの」

「ああ、よくわかるよ」

「ふふふ、はじめの頃はあなたがここで待ってたのよね」


シャーリーは笑顔で言う。この眩しい笑顔が目当てで、彼等の店を訪れる者も多い。彼女はこの店の看板娘。人妻だがその美しさに見惚れた者達が、またその姿を目にしようとやってくるのだ。もっとも、来客は看板娘だけを目当てに来るのでは勿論ない。店長も顔は怖いが人を惹きつける温かな魅力があるのだから……



そして時刻は午前10時。開店の時間だ。


「さて、今日も頑張りますかね」

「ふふ、そうね。あら?」


開店と同時に客が入ってくる。そんなに楽しみにしてくれたのかと夫婦は嬉しく思った


「「いらっしゃいませ!」」


夫婦は笑顔でその日最初のお客様を歓迎した。


「やぁ、おはようカズヤン。元気────」

台詞を全部言う前にその日最初の来客、眼鏡の男は店長に殴り飛ばされた。


「……あれ? 僕、客だよ? あれ? ひどくない? ナニコレひどくない??」

「何でその面見せに来やがった糞眼鏡コラ、殺されたいの?! 殺して欲しいの!?」


男の顔は怖かったが、今の顔はさらに怖いものになっていた。


その眼鏡の男ことウォルター・バートンを殺気全開の面持ちで威嚇し、断固として彼の入店を拒否する。彼の瞳はドス黒い殺意の波動に満ちていた。


「え? いや、ただお客として来たんだけd

「お前に出すような残飯はねぇ! さっさと失せろや畜生眼鏡がぁ!!」

「いやひどいな!? 僕が何をしたって言うん────」

眼鏡の男にもう一発、店長は強烈な左フックを当てた。


眼鏡の男は軽く回転しながら3mほど飛翔して墜落した。地面に叩きつけられた眼鏡はそのまま倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった。


「え? そこからなの? ねぇ、そこから聞きたいの? 死にたいの??」

「あなたー! やめてー!! 落ち着いてー!!!」


トドメを刺そうとした夫にしがみついて抑えるシャーリー。彼の顔は確かに怖いが人当たりがよく面倒見がちで、初対面の人にもとりわけ優しい まさしく彼女にとって理想の夫だった。しかしこの眼鏡、ウォルター・バートンだけは別だ。彼の前では確固たる明確な殺意と嫌悪を剥き出しにしてしまう。


一体何がこの二人の間にあったのか、それは推して知るべしであろう。


「ああ……なんだ、そこにいたのかリーゼ……。リーゼ、ごめんよ 寂しかっただろう? 今からそっちに行くからね……」

「おやおや、今日も派手に飛ばされましたな」


軽く臨死体験中の雇い主に向かって軽い口調で言う長身の老執事。アーサーの表情は穏やかだった。彼にとってこの光景は見慣れたもののようだ。殴られても仕方ないような事をウォルターは店長にしてしまったのだろうか、その答えもやはり推して知るべしだろう。


「大丈夫ですか! ウォルターさん!!」

「ああ、リーゼ……ってシャーリーさんか。おはよう、ところで僕はさっき何をしようとしてたんだっけ??」


彼を心配して駆けつけるシャーリー。ウォルターの視点はまばらで、殴られた頬は大きく腫れている上に、その記憶も軽く混乱している。彼女は本当に優しい女性だった。夫とウォルターの 因縁 は彼女も知っているが、それでも倒れる彼を心配してしまう程に。


「いいんだよハニー、そいつはもう楽にしてやるべきだ。大丈夫、大丈夫、皆のためだから」

「貴方、酷いことをするのね」


店長の前に立ち、睨みつけながら鋭い言葉を投げかける少女。白いゴシック風のお洒落な衣服を身に纏う彼女の名前はルナ。ウォルターのパートナー兼恋人のような存在だ。


「ああ、あいつにはいい薬だろ」

()()()の癖に、それもお客様をいきなり殴り飛ばすなんて……人として最低ね」

「いや、そもそも……何?」

「え?」


夫婦は目の前の彼女の言葉に違和感を覚えた……急に何を言い出すのかと。


ウォルターと知り合いである以上、彼等はルナとも不本意ながら交流を持っており、彼女は彼の店で出される【特製オムレツ】が大好きだった。どんな料理にも甘味を投入する彼女が、何も手を加えずにそのまま食べてしまう程だ。


だから夫婦は、彼女の違和感の理由を何となく察する事ができてしまった。


「……お前、またかよ。先週11番街でバケモン相手にぶっぱなしたばかりだろ?」


店長は溜息をついてウォルターを見た。ウォルターはポリポリと頬を掻きながら、彼らしくない気の抜けた笑顔を浮かべる。


「はは……仕方ないじゃないか、この街のためだったんだ」

「この街のためってお前……」

「ウォルターさん……」


彼が絞り出すように口にした言葉を聞いて、店長は頭を強めに掻いた。飲食に携わる者としての衛生観念からすれば割と不適切な行為だが、そうする事で心が多少落ち着いた。


「いつものでいいのか?」

「その前に、謝りなさい」

「いや……あの

「謝りなさい」


静かに怒りを燃やすルナに圧され、店長は心底嫌そうな顔を一瞬浮かべた後でウォルターに向けて


「ああ、すまなかったな。その……悪かったよ」

「誠意が篭ってないわ」

「ごめんなさい、許してください。ウォルターさん、今日の代金はタダでいいです」


彼は深々と頭を下げて言う。その姿を見て気が晴れたのか、ルナはウォルターの傍に駆け寄る。そんな彼女を見るシャーリーの表情は寂しげなものだった。


「わかってくれたらいいんだよ。全く、乱暴なのは結婚して家庭を持った後でも変わらないな? カズヒコ君はぁ」


その言葉に店長はまた殺意を覚えた。いつか殺す、必ず殺す。彼、カズヒコ・クロスシングはドス黒い決意を固く胸に刻んだ───。



店内は少し狭いが、壁や家具の多くは暖色系のもので揃えられていた。その落ち着きのあるレトロモダンな雰囲気に、ルナは()()()でありながら好印象を抱いた。……店長のカズヒコは最悪だったが。


「いつものでよろしいでしょうか? ウォルターさん」

「ああ、特製オムレツセットで。代金はちゃんと払うよ」

「ふふふ、三人分ですか?」

「いえ、私めはモーニングコーヒーを一杯」


注文を受け取り、いそいそと厨房に向かうシャーリー。彼女のお尻に生えた犬のような尻尾は嬉しそうにぱたぱたと動いている。


「綺麗な人ね」

「カズヒコ自慢の奥さんだよ。ああ見えて、彼は愛妻家なんだ」

「とてもそうには見えないわ、ウォルターにあんな酷いことをしたんだもの」


その返しに、ウォルターは小さく笑う……だがその胸中は複雑だった。ルナとカズヒコは昨日まで軽く談笑し合う程の仲だったのだから。


「なーんか調子狂うなあ」

「どうしたんだい、カズヤン。お客様の前でそんな憂鬱顔をしてはいけないよ」

「あぁ゛?」

「うわぁ、こわい。ほらカズヒコ君、スマイルスマイル」


ウォルターはカズヒコにふざけた態度で接する。その人を舐めくさった態度と口調を前に、カズヒコは料理に毒を盛ろうかと真剣に検討した。


「……彼と仲がいいの? ウォルター」

「は?? 誰g

「勿論さ、僕たちは親友。喧嘩するほど仲が良いってコトワザが世界にもあるだろ?」


彼女は訝しんだ。あんなに酷い暴力を振るわれたのに、何故ウォルターは彼を責めないのだろう。今の彼女にその答えはわからなかった。


「ああ、殺したい」

「あなた、落ち着いて」

「ダメかなー?」

「ダメよ??」


ここまで明確に殺意を剥き出しにしている男と仲良く出来そうには思えなかったからだ。


暫くして、ビックバード名物【特製オムレツセット】が届けられる。ルナは少々不機嫌だったが、テーブルに届けられた料理をみて表情が緩んだ。


「……」


程よい半熟に焼きあがった大きめのオムレツ。添え物は最小限、小さなサラダとフレンチトーストが二枚セットとして付いてくるだけで、見る人が見れば質素だと感じるだろう。しかしそのオムレツの香りは、食欲を大いにそそるものだった。


「……美味しそう」


ルナはたまらず声に出した。その言葉を聞いてシャーリーは満面の笑みを浮かべる。少し離れて見ていたカズヒコの表情も緩んでいた。


「でも、甘いシロップが無いと」

「大丈夫、この店の料理はシロップ無しでも美味しいよ。僕が保証する」

「……」


ルナは少し思いつめた表情を浮かべる。彼女にとって甘味とはそれ程までに大事なものなのだ。この店に初めて来た時に彼女は躊躇なくシロップを投入し、カズヒコを本気で怒らせてしまった事もあったくらいだ。


「相変わらず見事なものですな、感服いたします」

「うふふ、またまたー。私は教えてもらったものを真似ただけですから」

「誰に教わったの?」

「それはですねー」


カズヒコは軽く咳き込む。それを聞いてシャーリーはくすりと笑うと足早に席を離れた。


「意外だろう? このオムレツはね、彼が教えたんだよ」

「……意外だわ。見た目と性格に似合わずいい仕事するのね」


カズヒコは様々な感情が入り混じった、複雑な表情を浮かべて彼等を見ている。


「冷める前にさっさと食いな、食ったら帰れよ」

「あなた、駄目よ」

「いや、ほんと勘弁してくれ……どんな顔をすりゃいいのかわからん」

「笑えばいいと思うよ」


ウォルターはとびきりの笑顔を向けてカズヒコに言った。眼鏡が発したその言葉に、彼の中の大事な何かが プッツン と音を立てて切れた。


「殺さして、殺さして。あいつ殺さして、今すぐ殺さして」

「だめよー! あなた抑えて!! 今は抑えて!!!」


怒りのあまり顔中に血管を浮かび上がらせ鬼の形相と化したカズヒコは拳を握り、上半身を揺らしながらウォルターにゆっくりと近づこうとする。そんな夫の前に立ち塞がり、暴走寸前の彼を必死に抑えるシャーリー……この光景はビッグバード裏名物【店長の煽り焼き~畜生眼鏡仕立て仲良し味~】として、常連客達に親しまれている。


ちなみにその裏メニューの名は決して口に出してはいけない……この店から生きて帰る為に守らねばならない鉄則の一つだ。


「さて、温かいうちにいただこうか。冷めても美味しいけど、出来たての味はまた格別なんだ」

「でも彼の視線が気になって、食べられないわ」

「カズヒコ君、ちょっと後ろを向いてくれないか? 彼女が困ってる」

「ばぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?」

「あなた、私を見て! 今は私だけを見て!!」


シャーリーはカズヒコの顔を両手で掴み、半ば強引に視線を逸らさせる。


背後で奇声を上げるゴリラが気になりつつも、ウォルターの誘いに乗ってルナは目の前の料理にナイフを軽くいれる。黄色いオムレツに小さく開いた切れ目からは湯気を出しながら半熟の黄身がとろりと流れ出た。先程よりも一層強まった美味しそうな香りに彼女は息を呑む。フォークで黄身をこぼさないように掬い、口の中に運んだ。


「……」


夫を抑えながら、ルナの表情を真剣な面持ちで見つめるシャーリー。拘束が緩んだ事でカズヒコは顔を上げ、どす黒い殺意の炎を宿した双眸が再びウォルターを捉えた。彼はどうやって妻に悟られぬまま穏便にウォルターを殺すかで頭が一杯になっている。その視線を軽く受け流すウォルター……隣の老執事は少し居心地が悪そうであった。


「美味しい……」


ルナは幸せそうに頬を浮つかせて言った。その言葉を聞いてウォルターもくすりと笑う。


「だろう? この店のオムレツは絶品なんだ」

「凄い、今まで食べたオムレツの中で一番美味しい。甘くないのに……不思議だわ」

「でしょう?」

「どうして、甘くないのに美味しいの?」

「うふふふ、愛情がいっぱい詰まっていますから」


シャーリーは自慢げに笑った後、カズヒコを見上げた。彼は照れくささと複雑さが入り混じった形容しがたい顔を浮かべている。そして店には新しい来客が訪れた。


特に、ローズマリーのハーブティは心労やストレス軽減の効果があります。

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