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ここからまた紅茶が決まった展開になります。
「……ああ、すまないね。今思い出しても涙が出てしまうもので……」
ヴェーダは右手で溢れる涙を拭き取り、カズヒコを見下ろす。
「何か、言い残すことがあるなら聞いておこう。後でシャーリーさんに伝えておくよ」
「……」
「無いのかね? いや、何か言いたいことがあるはずだ。愛する妻への言葉だとか、私への恨み言とか…あるだろう??」
沈黙するカズヒコに首を傾げ、ヴェーダは少し寂しそうな表情をする。これからカズヒコを殺そうとしているのに、その口調は友人に向けるように親しげで馴れ馴れしいものだった。
「……何も、無いのかね」
「……悪いな、マーク。何も言う気になれねえよ」
「ははは、まだその名前で呼んでくれるのか。そうだね、マークのまま生きていくのも悪くないとは思ったよ……」
ヴェーダは上を見上げ、少しの間沈黙する。スカル・マスクが憎い。自分から妻を奪った、この男が憎くて仕方がない。だが、何よりも憎いのは 彼がスカル・マスクであるという度し難い現実そのものだ。
何故、彼がスカル・マスクなのだ。
何故、彼がシャーリーと結ばれたのだ。
何故、あの時 黒髪の少女が現れたのだ。
彼がスカルマスクでなければ良かった。シャーリーが妻と瓜二つでなければ良かった。例え彼がスカルマスクであろうとも、シャーリーと結ばれていようとも、黒髪の少女が現れなければ 全てを忘れられたのに……
「これが……運命か……」
ヴェーダは悲しげに呟いて再びカズヒコを見下ろす。そして禍々しい剣と化した左腕を振り上げ、今正に長年の因縁を断とうとその眼を見開いた。
「……おじさん……っ!!」
絢香は軋む身体に鞭を打ち、ヴェーダの凶刃からカズヒコを救うべく立ち上がる。だがその直後視界が大きく歪み、彼女は力無く倒れ込む。
「……っ!?」
「お嬢さん、無理はいけないよ。頭を強く打っているんだろう? いくら掃除屋でも脳がダメージを受ければ暫くは戦えないよ」
「おじさん……に手を出すな……その人は!!」
「それは、無理だ……無理だよ。私はもう……抑えられないんだ」
「……駄目!」
ボヤける視点を何とか繋ぎ止め、絢香はヴェーダを止めようと必死になる。あの日、自分があんな台詞を叫ばなければ、この店に訪れなければ……彼女の頭はその後悔で一杯になった。
彼女が彼を訪ねたのは、ただ純粋に憧れの先輩に会いたかったからだ。
掃除屋達の間で今尚語り継がれる最強の掃除屋。武器を持たず、その鍛えられた肉体だけで相手を粉砕する。どんな傷を受けても瞬時に回復し、その肉体は不死身。どこまでも無慈悲で、ただひたすらに最強で、非業の最期を遂げた師の仇を討った偉大な先輩。
姉の小夜子が誰よりも尊敬している、スカル・マスクに会いたかったからだ。
だがようやく見つけた憧れの先輩は、掃除屋の過去を捨て 新しい自分を見つけていた……。
「やめて……その人は……!!」
「ああ、静かにしてくれ……少しの間でいいから」
「やめてよ……!!」
「無理、だって……言ってるだろう!!」
絢香の説得を振り払うように、ヴェーダは左腕をカズヒコに振り下ろす────
「やめなさい!!」
店内に響き渡る大きな女性の声。その声を聞いたカズヒコの身体はビクリと痙攣する。ヴェーダの左腕はカズヒコの肩口で止まり、声の主を見たヴェーダは顔を歪ませて混乱した。
「私の夫から、離れなさい!!」
「シャーリー……さん??」
「離れなさい……!!!」
シャーリーは涙で赤く腫らした瞳でヴェーダを睨みつけながら歩み寄る。自分を睨む彼女の顔、自分を叱りつけた時に見せた妻と同じ顔を見て彼は大きく動揺した。
「……そんな顔で、見ないでくれ」
「……私の夫から、大事な人から離れて下さい。じゃないと私は貴方を」
「……そんな眼で、私を……見ないでくれ!」
「……私は、貴方を許せなくなります!!」
徐々に距離を詰めてくるシャーリーの顔が亡きソーマと重なり合い、ヴェーダは更に混乱する。平静を欠いていた彼にはもう彼女と妻の顔の区別が曖昧になっており、愛する妻が憎き仇敵を庇い、その上自分を延々と叱りつけてくるという理不尽な幻覚が彼の目の前に広がった。
「ああ、そんな顔で……、ぼくを、ぼくを見ないでくれ……ソーマァァァ!!」
ヴェーダは異形の左腕で、近づいてくるソーマを切り払おうとする。しかしその左腕が彼女に届こうとした時……太く大きな右腕が彼の凶刃を受け止めた。
「!?」
「……そいつは、駄目だ」
「……カズッ!?」
「その女には、手を出しちゃ駄目だろ」
次の瞬間、ヴェーダの顔面に強烈なパンチが叩き込まれる。防御する暇もなく、ヴェーダの身体は大きく後ろに吹き飛んだ。
「……あなた……っ!」
「すまん、シャーロット……あの子を頼む」
「……!!」
先程まで何も言わずに俯き、ヴェーダに言われるがままだったカズヒコは立ち上がる。彼が立ち上がると同時に体中の傷跡から何かが繋がり合うような不快な音が聞こえ、その傷口から赤い蒸気が発生する。
「……おじさん……?」
「……もう、おじさんじゃねえよ。もう、おじさんには戻れねえ」
「……!!」
シャーリーは絢香に駆け寄り、その身体を起き上がらせる。一言も発さず、シャーリーは悲しそうな表情を浮かべながら絢香を抱き上げて裏口に向かった。
「あ……あの……」
「……いいの、何も言わないで」
「私……私は……!!」
今日、彼女はカズヒコに謝ろうとした。自分の勘違いで迷惑をかけたから。実際には勘違いではなく、あの男は彼女の追い求めていたスカル・マスクであった。だから、こんな事になってしまった。
謝って許してもらえるだろうか?
過去を捨てて生きていた一人の優しいおじさんの人生を、彼が愛する妻と積み上げてきた日々を台無しにした この馬鹿娘を。彼女は今になって、何故キースがスカル・マスクについて話したがらなかったのかを痛感した。
「……ごめんなさい」
「……いいの、あなたは悪くないから」
「……ごめんなさい、ごめんなさいっ」
絢香はシャーリーの肩を掴み、震える声で謝罪した。シャーリーは後ろを振り返らずに走り、裏口から店を出る。妻が傷ついた絢香を連れ出すのを見届けたカズヒコは、誰かに向けて静かに呟いた。
「……つれぇなぁ、本当に」
カズヒコが前を振り向くと、顔を抑えながら立ち上がる一人の男の姿があった。
「ははっ……ははははははは!!」
「……」
「久しぶりだな……っ、スカル・マスクゥ!!!」
ヴェーダの顔半分は潰されていた。しかし彼はまるでそれを意に介さないかのように口元を大きく裂かせ、歓喜に満ちた表情を浮かべる。
「ああ、そうだ……お前だ!! お前を追い求めていた!!!」
「……ヴェーダ、リヴハウマー」
「ああ、ああ……! 私だよ!! あの夜以来だな、スカル・マスク!!!」
ヴェーダは野獣のような人智を超えたスピードでスカル・マスクの背後に周り、右腕の禍々しい爪で背中から穿とうと鋭い貫手を繰り出す。しかし死角を突いたはずの攻撃は、いとも簡単に受け止められた。
「ハハッ!」
ヴェーダは右腕を掴まれたまま、残る左腕の刃でスカル・マスクの首を刈ろうとする。如何に不死身と呼ばれる男であろうとも、首を切り落とせば事足りる。ヴェーダは万感の思いを込め、血塗られた凶刃で憎き悪魔を断罪した……
しかし、気が付くと彼の身体は大きな床に叩きつけられていた。
「……ッ!!?」
刃が首に届くまでの一瞬よりも早く、スカル・マスクは右腕を掴んだままヴェーダの身体を天井に叩きつけたのだ。彼の身体は天井にめり込み、何が起きたのか理解できないまま今度は勢いよく床面に叩きつけられる。
「ぐおっ!!!」
丈夫な床一面に大きな亀裂が走る。ヴェーダは激しく吐血しながらも左腕で反撃を試みるが、その刃は虚しく空を切り、気が付けば彼の身体は再び宙を舞った。近くの椅子やテーブルを巻き込みながら、ヴェーダは先程自分が投げ飛ばした絢香のように店の奥にまで投げ飛ばされる。
「ぐはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
店の壁に身体を勢いよく叩きつけられ、ヴェーダはそのまま崩れ落ちる。右腕に違和感を抱き、ふと目をやるとそこにあるはずの自分の右腕が無くなっていた。
「……右腕なら、ここにある。返してやるよ」
スカル・マスクは千切れたヴェーダの腕を彼に向かって放り投げる。彼の目の前に落下した異形の右腕は見る間に萎び、まるでミイラのように干からびていった。
「……がはっ、ははははは! 凄いな、こんな……圧倒的じゃないか!!」
「……」
「最強の名は……伊達じゃあないな!!」
右腕を千切られようとも、ヴェーダの闘志は揺らがない。彼は尚も立ち上がり、狂気に満ちた笑みをスカル・マスクに向ける。全てを失っている彼には、もうスカル・マスクと闘う事以外に何も残っていないのだから。
「俺が、憎いか」
「……!!!」
「俺が、憎いか? ヴェーダ・リヴハウマー」
スカル・マスクが絞り出すように言った言葉に、ヴェーダは身を震わせる。そして血を吐きながら、怨嗟の言葉を彼に投げかけた。
「憎い……憎いとも!! この15年間……お前への憎しみだけで生きてきた!!! 私はもう……もう、お前と戦うしかないんだ!! お前を殺さなければ、私は……!!!」
「……だろうな」
「お前が憎くて仕方ない……私から妻を、全てを奪ったお前が……!!!」
「……そうだ、俺を憎め。お前には、その資格がある」
ヴェーダの憎悪を一身に受け、スカル・マスクは小さく笑った。その乾いた笑顔と悲しげな瞳はヴェーダの殺意を更に増長させ、彼は歯が欠けるほどに激しく噛み締めて背後の壁を蹴って突撃する。
(ソーマ、私は 何をしているんだろう……わからない、もう何がしたいのかわからないんだ。だから……これで終わりにしよう)
左腕を振り翳し、スカル・マスクに特攻しながらヴェーダは心の中で妻に語りかける。
(これが最後だから……私に、力を貸してくれ)
その言葉に応えたのか、千切れた右腕は瞬時に再生する。ヴェーダは突撃を避けようともせず、ただ虚ろな眼差しでこちらを見据えるスカル・マスクの胸に深々と刃を突き刺した。
「……ッ」
「これが、私たちの憎悪だ……スカル・マスク!」
胸部を貫かれ、スカル・マスクはドス黒い血を吐き出す。最強と呼ばれた掃除屋は過去の亡霊の血塗られた刃によって胸を刺し貫かれ、ついにその呪われた人生に終止符を打とうとしていたかに見えた……だが
「……お前は、俺を恨んでいい」
神は、それを許さなかった。
常人では即座に死亡しているであろう傷を受けても、その男の命を奪うには至らない。スカル・マスクは静かに自分を貫いた刃を掴み、悲しき復讐鬼の顔を睨みつけた。
「殺されてやってもよかった。お前たちになら、あの時……首を落とされても良かった……この命をくれてやっても良かった……!!」
「……!!」
「だが、もう遅い」
スカル・マスクは刃を掴んだ両手に力を込めて圧し折る。車であろうと、鋼鉄であろうと、異界の技術で成された特殊合金であろうと切り裂く魔剣が今、一人の男に呆気なく砕かれた。
「お前にはもう、俺を殺せない……」
ヴェーダは左腕を破壊されようとも、再生した右腕でスカル・マスクの顔を貫こうとする。しかしその腕はまたもや彼に掴み取られた。スカル・マスクは掴んだ右腕をそのまま握り潰そうと力を込めるが、突然その右掌が開き……
「それはどうかな!?」
ヴェーダの右腕から眩く発光するエネルギー弾が発射される。光弾はスカル・マスクの顔面に命中し、直後に爆発。男の顔を容赦なく吹き飛ばした。
掴んだ右腕を離し、スカル・マスクの腕はだらりと垂れ下がる。吹き飛ばした顔からは肉が焦げる匂いと血の混じった煙がブスブスという不快な音と共に発生し、男の身体はそのまま後ろに倒れ込んだ。
(これで……終わりだ。私の憎しみも、何もかも……)
ヴェーダは勝利を確信していた。いくらスカル・マスクであろうとも、顔を吹き飛ばされては死ぬだろう。例え殺せずとも無力化は出来るはずだ。後でトドメを刺せばいい……これで、15年にも及んだ復讐の日々も終わりだ。少なくとも、ヴェーダはそう思っていた。
────顔を失った男の脚が、倒れゆく肉体を支えて踏み止まる。
「……!?」
「おま、エ……に」
「馬鹿な!!?」
ヴェーダは動揺した。確かに掃除屋は死ににくい。それは彼等に追われ、そして返り討ちにしてきた彼自身が思い知らされている。だがそんな掃除屋も首を落とし、半身を潰し、脳を破壊すれば殺しきれた……。
「オレは……、こロせナイ……!」
スカル・マスクは苦しげな声で言いながらその上体を起こす。顔を手で覆い、肉の焦げる苦痛に呻き声を上げながらもその鋭い眼光はヴェーダの姿を捉え続けていた。
「……スカル……マスク……!!」
顔を覆う手をどかし、スカル・マスクはその素顔を晒す。肉が剥ぎ取られた顔から覗くのは『黒い髑髏』。鼻腔がなく、額には白い十字架が刻まれ、その剥き出しの双眸には揺らめく青い炎が灯る……。
「そうか……それが、お前の素顔か!!!」
「そうダ、そウダともよ……コレ が、この姿が……俺の本性だ……!」
顔のない男。ヴェーダはスカル・マスクをそう呼んだ事もあった。フードで覆い隠されて素顔がわからなかったからだが、まさか本当に 顔のない男 であったとは夢にも思わなかっただろう。
「この姿が……お前が追い求めた 黒髑髏の破面だ!!!」
スカル・マスクの名は、彼の素顔……人としての面影すらない『異形の黒面』を目の当たりにした者達が畏怖の念を込めて名付けたものだったのだ……。
ただやられるだけのゴリラに、美人の嫁が出来る訳がないのです。