13
最近、朝と昼の気温差が激しくて辛いですね。紅茶がないと風邪を引いています。
「あの子、一人で大丈夫かしら……」
車のボンネットに座り込み、小夜子は絢香を心配する。彼女の足元にはボコボコにされた男達が伸びており、地面に這いつくばる彼等を見ながら小夜子は退屈そうに欠伸をかいた。
「ぐ……げ……」
「何だよ……あの女……強すぎじゃね?」
「全員でかかってこれとか……どうすりゃいいんだよ」
「いでぇ……でも、ちょっと……悪くなかった かな……」
あっという間だった。銃を持った数人の男は、可憐な黒髪の少女二人に完膚なきまでに叩きのめされた。小夜子がその艶やかな黒髪をかき上げるような仕草を取った瞬間、気が付けば姉妹に息のかかる距離にまで接近され ワンパンチで沈められた。銃を撃つ暇すらなかった。
「まだ応援が居るなら呼んでくれてもいいですよ?」
「……」
「あら、もしかして……さっきの人たちでおしまい?」
這う這うの体で他の仲間に連絡を取ったが、応援に駆けつけた彼等も瞬殺された。それもワンパンで。子供向けのコメディ番組か何かと錯覚してしまう程にスピーディかつ無駄のない幕切れであった。男達はドラマや映画で主役に為す術無くやられてしまう『やられ役』の気持ちはこういうものなのかと、心の中で密かに思った。
「ごほっ、ごほっ……! くそっ!!」
「それじゃあ協会の人が来るまで、大人しくしていてくださいね? もう少し頑張りたいならお付き合いいたしますけど……くすくす」
「てめ、え……ッ!!」
叩きのめした男の一人に扇情的な眼差しを向け、小夜子は色っぽい声で挑発した。普段なら女性を襲う側である筈の自分達が逆に手も足も出ないまま一方的に倒され、しかも余裕綽々の様子で挑発されている。今まで経験したこともない屈辱だった。
「ほら、頑張って、男の子でしょ? 男は女をなかせるのが得意なんじゃないの??」
相手がとりわけ美しい容姿をしているのが、更にその男の短絡かつ幼稚な精神を逆撫でする。倒れ伏す男達の屈辱に塗れた視線が自分に集中するのを感じ、小夜子は肩を揺らしながら薄っすらと紅潮した。
「あら、いい顔ね。素敵……ぞくぞくします……!」
この小夜子という女性……実はそのお淑やかな落ち着いた雰囲気と、丁寧な口調に似合わず 真性のドS なのだ。しかも質の悪い事に彼女にその自覚はない。
「舐めんなよ、舐めんなよ……、舐めんなよコラァ!!!」
小夜子の挑発的な視線に耐えきれず、一人の男が立ち上がる。その手に、注射器を握りしめて……
「ごほっ、おい……やめろ、勝てっこねえよ……」
「ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる!!」
「おい……おまえ、何持ってるんだよ! それは……!!」
彼が握っているのは『ネクタル』と呼ばれている強制変異剤……白い花の蜜を何倍かに希釈したものだ。その用途はまだ勢力が弱く、人手が足りないマフィアやギャングの戦力増強やモノ好きな金持ちの爛れた道楽用等など。悲しいかな、『ソーマ』程ではないが、非常に売れ行き好調な製品である。街の外に流出しようものなら、それはもう大変な事になるだろう。
「よせ、そんなもん使ったら……!!」
「あら、まだ遊んでくれるの? 嬉しいわね」
「……っ!!!」
小夜子の一言で堪忍袋の緒が切れた男は、首元に注射器を打ち込んだ。
「……殺してやルッ」
異変は瞬時に起きた。男の体はメキメキと音を立てて変形し、その両腕は元の倍近い長さまで伸びる。爪が勢いよく割れ、中から突き出してくるように新しい鋭い爪が生え、濃い茶色の髪はごっそりと抜け落ちて露出した頭皮からは新しい目が発生する。
《ばヴァがガガガガガガガガガがっ、がギャギャ嗚呼ああああああああ!!!》
「おい……おい、おい!!」
「やべえ、ゴホッ! ……あの馬鹿、自分にネクタルを使いやがった!! 」
「ちくしょっ、逃げっ……!!」
怪物と化した男は、近くに倒れていた仲間に襲いかかる。小夜子達に打ちのめされ、身動きが出来ない彼等は為す術無く血祭りにあげられていく。
「わぎゃああああああああああああああああああっ!!」
「おい、待てっ! 俺ら仲間っ……ぶゔゃ!!」
「やめろ、やめろって! うわああああああああー!!!」
小夜子は車のボンネットから跳躍し、少し離れたレンガ塀に着地する。直後に彼女が椅子代わりにしていた車は怪物が放った一撃でぺしゃんこになり、車の近くで伸びていた男二人もついでのように潰された。
「おい! ちょっと、あんた!! 助けて、助けてくれよ!!!」
目の前で男達がバラバラにされても、彼等に助けを求められても、小夜子はレンガ塀の上に座りながら脚をぷらぷらと揺らすだけだった。
「くすくすくす……」
「おい! 助けっ……」
《ヴァグぎゃあああああああ!! あぶるああああああアアあああああああああああー!!!》
「ぎゃあ!!」
「あの女……ッ、まじかよ……まじかよ!!!」
小夜子は男達が惨殺される様子を喜々として鑑賞する。彼女は最初から、彼等を見逃すつもりなど無かった。今までその薬で何をしたのか、その薬を使った人がどうなるのか、それを身を以てわからせる為にわざと 一番頭の悪そうな男 を焚き付けたのだ。そして……
「だって……不公平でしょう?」
「……はっ?」
「あなたたちは、沢山の人に迷惑をかけた。沢山の人の日常を台無しにした。そして、沢山の人を泣かせたんだから……」
逃れられない死を目前にして絶望に歪む男の顔を見ながら、小夜子は優しい声で言った。
「あなたたちにも、大声で泣いてもらわなくっちゃ」
小夜子は死にゆく彼等にその言葉を捧げ、最高の笑顔で見送った。
《う……ぐ……るるるるるるるるっ》
「ふふふ、そんな姿になっても目はとても綺麗ね……まるで子供のよう」
《るぎゅあぁああああああああああああーっ!!!》
「おいで、遊んであげる……ふふふふっ」
絶叫しながら襲いかかる怪物を前にしても小夜子は余裕の表情を浮かべ、心底楽しそうに呟いた。
(絢香の方は大丈夫かしら……。遊ぶのは程々にしてお店の方も見に行かなきゃ……大丈夫だとは思うけど)
自分の肌を引き裂こうとする怪物の血塗られた大爪を躱しながら、小夜子は先にビッグバードへ向かわせた絢香の事を心配した。店にどんな怪物が待ち受けていようとも、自分と同じ人外の身体を持つ絢香が負けるとは思わない。それでも、姉として妹の心配をするのは当然だ。
だが小夜子は知らなかった。その店に、絢香の身を脅かす程の怪物が潜んでいる事に……。
◆
「う……けほっ、けほっ!!」
絢香が目を覚ます。ヴェーダの攻撃で僅かな間だが気絶してしまっていたようだ。
「おや、目を覚ましたか。だがもう少し良い子にしていてくれ」
「……くっ!」
「ああ、そうだそうだ。君にも感謝しないといけないな」
ヴェーダは倒れ伏す絢香に優しい笑顔を向ける。彼の優しい笑顔を見て絢香は血も凍るような感覚に襲われた。
「何……!?」
「正直に言うとね、私はスカル・マスクを見つけられなかったんだよ。どんな手を使ってもね」
「……ッ」
「だが、君が来てくれた」
「!?」
「ありがとう、君のお陰だよ。本当に……」
────時間だけが、虚しく過ぎていった。
協会ですら知りえない街の情報を売りにしている『情報屋』ですらスカル・マスクの情報は掴めない。愛する妻と過去の自分を失い、悪魔に成り果てた事でヴェーダは初めて何一つ不自由ない生活を手に入れた。だがそれは、彼にとって苦痛以外の何ものでもなかった。
(私は、何をしているんだ?)
リンボ・シティの一桁番街に建てた邸宅で白い花を育てながら、いつしか彼は考えるようになった。
(私は、何のために生きている?)
富、平穏、安住。妻と暮らしている間に望んだ全てが手に入ったというのに、彼は何一つ満足出来なかった。愛する妻が側に居なければ……これらには何の価値もないのだ。
(私は、何のために……)
ある日の昼下り。一桁番街の喫茶店で味のしないコーヒーを飲んでいると、街を歩く誰かがこんな話で盛り上がっていた。
「13番街の喫茶店知ってるか?」
「何だよ、13番街って言えば……」
「聞けって、その店なんだけどさ。物凄い美人な店員がいるんだってさ」
「おいおい、美人っつっても13番街じゃあよー。命がいくつあっても足りねえよ!」
「だから一緒に行こうぜ! お前と二人なら一人分の予備があるから大丈夫だ!!」
「この場でブチ殺されてぇのかテメェー!!」
目の前で口喧嘩する若い異人の二人組を見て、ふと彼は席を立った。その美人の店員の話が気になった訳ではない……ただ、13番街という言葉に懐かしさを感じたのだ。彼は15年前のあの夜まで、その13番街で妻と生活していたのだから。
「……失礼、ちょっといいかな?」
「ああ!? 何……」
「その、店の名前を教えてくれないか?
「何だよ急に……ていうか誰だよあんた」
「知らないならいいんだ。すまない、邪魔をしたね」
「……ああ、名前ね。ちょっと待ってくれ、確か────」
ビッグバード。それが喫茶店の名前だった。
翌日、ヴェーダはタクシーでその店に向かった。13番街に似つかわしくない落ち着いた外装や内部の装飾とは裏腹に店内の雰囲気はとても賑やかで、ドアを開けた瞬間に ここには馴染めないな と彼は思った。
(……まぁ、コーヒーの一杯くらいは頂こうか)
「あ、いらっしゃいませー!」
「……!」
自分に声をかけてきた女性の顔を見て、ヴェーダは言葉を失った。
「空いてるお席にどうぞ~」
「……あ」
「どうかなさいましたか?」
彼女の顔は、ソーマと瓜二つであった。髪の色や身長、慎ましい体型だった妻とは対照的な豊満なスタイル等と細かい差異はあったものの、その大きな瞳と明るい声、そして心を癒やす眩しい笑顔は正にソーマの生き写しと言いようがないものだった。
「……ああ、すまない。その、コーヒーを一杯……」
「ふふ、初めての人ですね。旅行者さんでしょうか?」
「あ、ああ。いや、私はこの街に住んでいるよ、家は2番街にある」
「一桁番街からわざわざ……ありがとうございます!」
ヴェーダは彼女に見惚れてしまった。こんな偶然があるのだろうか。今までの苦痛に満ちた日々やスカル・マスクへの復讐心は一気に消え去り、彼の頭は妻と瓜二つの彼女の事で一杯になる。
(……ソーマ、私は)
「少々お待ち下さい、すぐに温かいコーヒーをお持ちしますね!」
(私は……今まで、何をしていたんだろう)
胸ポケットに忍ばせた白い花に触れ、ヴェーダは今までの過ちを深く悔いた。彼はこの店に足を運ぼうと思ったのは、亡き妻が新しい幸せを見つけるように背中を押してくれたのだと考えた。
「おーす、ギンチーパーのチリソース和えお待ちー」
「……!?」
「お、珍しいな。新しいお客さんか! いらっしゃいませ!!」
厨房から現れた長身の男。その姿にヴェーダは一瞬、スカル・マスクの姿を幻視した。
「こんな所までよく来てくれたな。大したものは出せないけど、ゆっくりしていってくれ!」
「店長、自分でこんな所とかいうの?」
「飲食店のオーナーの言葉とは思えねえな!!」
「はっはっハ! もっと自信持とうヨ!!」
「うるせーぞー、お前らー!」
だが店の客達と談笑する彼の姿を見て、スカル・マスクの幻影は霧散した。背丈や体型こそスカル・マスクに似ているが、この街ではそのような体型は珍しいものではない。何よりも強面の顔に似合わない澄んだ瞳を見て、ヴェーダは一瞬でも彼をあの悪魔と錯覚してしまった自分を深く恥じた。
「ははは……賑やかだね」
「うーん、どういうわけかな。勝手に賑やかになっちゃうんだよね」
「お待たせしました、ホットコーヒーです……あら、あなた。あんまりお喋りしちゃうと料理が冷めちゃいますよ?」
注文したコーヒーを運んできた先程の女性は店長に向けて『あなた』と言った。彼女は、この大柄な男性の妻だったのだ。あろう事か人妻に亡き妻の姿を重ね合わせ、あわよくばお近づきになりたいとすら思ってしまった自分をヴェーダは深く深く責め立てた。何と悲しい巡り合わせだろうか……。
(……いや、これでいい。これでいいんだ)
「お待たせしました、ホットコーヒーです!」
何とも言えない気持ちになりながらヴェーダは出されたコーヒーに一口つける。
「……!!」
その味に、彼は唸った。ソーマが出したコーヒー程ではないが、彼女が淹れた一杯はヴェーダを感嘆させるには十分すぎる至上の美味であったのだ。
「あ……あの、もしかしてお口に合いませんでしたか?」
「いや……美味しい、とても……美味しいよ!」
「良かった……!」
ヴェーダが発した美味しいの一言に彼女は満面の笑みで答える。
「シャーリーさーん、注文いいですかー?」
「あ、はいはーい! では、ごゆっくりどうぞ!」
「あ、店長。俺モ注文いいかナ?」
「あいよー」
この15年間、一度たりとも味わえなかった安らぎがこの店にはあった。ヴェーダはシャーリーの淹れたコーヒーを涙ぐみながら堪能し、溢れそうになる涙を堪えながら言う。
「す、すみません!」
「おっと、ご注文だぞシャーリー! オムレツも俺がやるから聞いてやってくれ!!」
厨房から慌ただしくシャーリーが顔を出す。そして再び天使のような笑みを浮かべ、ヴェーダの座る席にやって来た。
「はーい! 何でしょうか!!」
「コーヒーの……おかわりを、頼みたいのだが」
「ふふふ、ありがとうございます。今から淹れますね~」
ああ、なんて素敵な店なのだろう。なんて素敵な夫婦なのだろう。自分には掴めなかった幸せに包まれ、常連達に温かい目で見守られる彼等の姿を目にしたヴェーダの胸中にあったのは、その二人への祝福の感情だった。何故かはわからない。だが、妻と瓜二つであるシャーリーの幸せそうな顔を見ていると彼も幸せになれたのだ。
(これからも、この店でコーヒーを飲みたいな)
シャーリーがもう一度淹れてくれたコーヒーを見て、ヴェーダはそう思った。少しの間彼女と談笑して近くの三馬鹿に嫉妬されようとも全く気にならなかった。それどころか彼はカズヒコに注意される三馬鹿の姿すら愛しく思えた。全てを失い、地獄に堕とされようとも、ヴェーダという男の本質は亡き妻が愛した優しい男のままだった。彼はまだ、悪魔に成り切れていなかった。
(ソーマ……ありがとう。少し間違ってしまったが、私はまだ……)
白い花の事はもう忘れよう。この店を出たら、後始末をしよう。もう遅いかもしれないが、自分に出来るだけの罪滅ぼしをしよう……そう思っていた時だった。
店の中に、一人の少女が現れた。
「……!!」
忘れもしない、胸に十字架を刻む黒いコート。その特徴的な衣装は掃除屋の正装……この黒い髪の少女は掃除屋だ。まさか、ついにこの顔もバレてしまったというのか。白昼堂々、こんな店にまで自分を殺しに来たというのか……。
(……悲しい、な。だが仕方ない……迷惑をかける前にこの店から)
「この店に居るのはわかってる! 出てこい、スカル・マスク────ッ!」
少女が発したその名前。ようやく忘れられたその名前。自分から全てを奪った男の名前を、少女は叫んだ。
(スカル・マスクだと!? 馬鹿な、この店に奴が……!!?)
スカル・マスク、スカル・マスクと叫び続ける掃除屋の少女。混乱しながらも何とか場を落ち着かせようとするシャーリー。周囲がどんなにざわめこうとも、ヴェーダにはもうその名前しか耳に入らなかった。
(そんな馬鹿な!?)
ヴェーダは祈った。少女の思い違いである事を……だが、彼の祈りに神はあまりにも残酷な形で応えた。
「出てこい、出てこい、出てこい! さもないと……!!」
「ああーっ! 待って、撃たないで!! 撃たないでーっ!!!」
十字架を構え、店内を破壊すると脅す黒髪の少女。そして、その時は訪れた。
「ほーい、ボルドーの丸焼きお待ちー……って何この空気?」
一瞬、ほんの一瞬だった。厨房から料理を持って現れた店長が黒髪の少女の姿を見た時だった。
彼の瞳が、あの夜に見た虚ろな瞳と同じになった。
彼の姿が、あの夜に見た悪魔と重なり合った。
────その瞬間、彼の15年間が最悪の形で実を結んだのだ……。
「君が、この店を訪れなければ……私はスカル・マスクに会えなかった。本当に感謝しているよ」
「……スカル……マスク?」
「そう、この男がスカル・マスクだ……。ああ、今思い出しても震えが止まらない……!」
ヴェーダは何も言わずに頭を垂れるカズヒコの顎に左腕の切っ先を当て、無理矢理顔を上げさせる。光の灯らない、死人のような虚ろな瞳を見ながら彼は震えながら言った。
「あの時の、私の……気持ちが……わかるか……ッ!?」
「……」
「私から、妻を……全てを奪った男が……私の妻と瓜二つの女性と結ばれている……!! こんな……こんな話があるか……!!?」
カズヒコは目線を絢香に向ける。絢香は目を見開いて絶句し、その顔は込み上がる罪悪感で歪んでしまっていた。そんな彼女の顔を見て、カズヒコはうんざりするように力無く笑った。
「涙が、出るほど……嬉しかったんだよぉ……!!?」
ヴェーダは涙を流しながら震える声で言った。憎き仇敵の顔を涙に濡れた双眸で見据えながら口を大きく引き攣らせ、彼は様々な感情が入り混じった歪んだ笑顔を浮かべていた。
この話も前半と後半の温度差が激しいです。でも最後は彼がスカッと決めてくれます。最後はね。




