12
えげつない話はそろそろ終わります。
「思い出したか!? 私たちのことを……思い出したか!!?」
「……ッ!!」
その夜から15年間、ヴェーダはずっと探していた。『スカル・マスク』という名前だけを頼りに、顔のない大男を。
「探したよ、この15年間ずっと……ずっとね!」
カズヒコの脇腹から左腕を乱暴に引き抜く。抉れた傷口からは夥しい量の血が吹き出し、カズヒコは血を吐きながら膝から崩れ落ちる。
「……ぐおっ!!」
「君を見つける為に、私は何だってした。そう、何だってしたさ……君に辿り着く情報を得るためなら……」
「……ぐっ」
「ああ、地獄のような日々だったとも。それはもう酷いものだった……」
遺体安置所で蘇生し、白い花を手にどこかの施設から脱出したヴェーダだったが、そこからが過酷だった。彼は既に魔導協会から危険因子として指名手配されていたのだ。
掃除屋によって処理され、協会が保有する遺体処理施設に『死体』として運ばれた彼は何らかの要因で蘇生した。しかし一度死んだからといって見逃す程、協会は甘くない。掃除屋という街の暗部に属する組織が処理した人物の死体は、協会職員の手によって入念に事後処理が施される事になっている。
何故なら、掃除屋の存在は如何なる事があっても公の場に晒される訳にはいかないからだ。
当然、彼等が始末した人物の情報や素性は正確に記録されており、例え何らかの要因で始末された人物が息を吹き返して脱走しようとも、その人物を抹消するべくあらゆる手を尽くす。
ヴェーダは、魔導協会という強大な組織に追われる事になってしまったのだ。
『ヴェーダ・リヴハウマーだな!? お前を確保する!』
『逃げたぞ、追え!! 奴を逃がすな!!!』
『ヴェーダ・リヴハウマー!!』
『お前をここで処理する! お前はこの街にいてはいけない人間だ!!』
『お前はこの街にいるべきじゃないんだ!!!』
街の何処に逃げても、決して協会はヴェーダを見逃さなかった。彼が追われる理由は一つ、あの黒い花を街にばら撒いたからだ。黒い花が持つ効力は、それ程までに危険なものだった。気付かなかったではもはや済まされない……否、済ます訳にはいかないのだ。本人にもう黒い花を育てる気が無かろうとも……
昼間は協会の職員が、そして夜になれば掃除屋が。執拗にヴェーダを追い回した。
「……くっ、悪魔め……がっ!!!」
「悪魔……? 私が??」
「……」
「私が、悪魔だと……?」
協会関係者による何度目かの襲撃をヴェーダが退けた時、トドメを刺される寸前に一人の魔法使いが彼を『悪魔』と呼んだ。
「お前たちが……それを、言うのか……ッ!!!」
人気のない路地裏で一人深く傷つきながら、ヴェーダは絞り出すように唸った。望んで追手を倒していた訳ではない。むしろ、彼は追われる身になるまで誰かを傷つけた事すら無かった。当然、自分に敵意を向ける相手であろうと、傷つけるような事は可能な限り避けようとした。
だが、彼等はそんな彼を『危険因子』と断じ、執拗な追撃を繰り返した。明くる日も、明くる日も、ただの花売りの男性を。最大の被害者である彼を。
「は……ははは……は……」
血溜まりの中で佇みながら空を見上げ、彼は確信した。否、最初からそうであったのだ。妻が側にいた事で気が付けなかっただけだ。その妻を失った事で、その真実が浮き彫りになっただけだ。
この街こそが、地獄なのだ……。
「はははははっ、はーっはっはっはっ!! あーっはっはっはっは!!!」
この街の住人こそが、悪魔なのだ……。
その事実を受け入れた後は、驚く程に気持ちが楽になった。妻が愛したこの顔を捨てる事にも、生きる為に相手の命を奪う事も、そして協会を巻く為に何も知らない一般人を自分の身代わりに仕立て上げる事にも……何の躊躇も戸惑いも抱かなくなった。
この15年の間に彼が忘れなかった事といえば、亡き妻への愛情と……スカル・マスクへの憎悪だけだった。
「この傷を、覚えているかな?」
ヴェーダは着ているスーツを引き裂き、かつてスカル・マスクに付けられた胸の傷を見せる。そこには不気味に蠢く肉塊が埋め込まれており、まるで別の生き物のようにも見えた。
「……」
「そう、君がつけた傷だ。本当なら致命傷だが……この通り、妻が治してくれたよ」
「……妻……?」
「この肉塊は、彼女の身体の一部だ。妻は命が尽きる前に自分の身体を割いて私の傷を塞いでくれた」
「……そう、か」
「ああ、そのお陰か……こんな芸当も身に着けたんだ」
ヴェーダは怪物のように変化した両腕をカズヒコに見せ付ける。
「私の身体は、半分ヴリトラになっている。だからこそなのか、身体の一部をこのように怪物化してしまうことも出来るんだ……凄いだろう?」
「……」
「この力は、妻が私に残してくれた贈り物。この力は……」
禍々しい魔剣と化した左腕を振り上げ、ヴェーダは最高の笑顔を浮かべる。
「お前を、殺すためのものだ……スカル・マスク」
万感の思いを込め、ヴェーダは左腕をカズヒコに振り下ろし────
「やめろぉおおおおお────!!!」
ヴェーダの左腕がカズヒコを両断する直前、絢香が頑丈な窓ガラスを蹴り破って店内に侵入する。そしてガラスの破片を拾い上げ、まるで手裏剣のように勢いよくヴェーダに投げつけた。
「……おや、君は」
ヴェーダは右腕でガラスの破片を掴み取り、パキパキと握りつぶす。そして自分の前に現れた黒髪の少女に優しい視線を向けた。
「お嬢さんいけないよ、人に向かってガラスを投げちゃ」
「……!」
「危ないじゃないか、次からは投げちゃいけないよ?」
ヴェーダが絢香に向ける表情は驚く程に優しげで、彼女の不意打ちをまるで意に介していないようだった。その口調もいつものような紳士然とした物であり、異形化した両腕と血を流して膝をつくカズヒコとの対比も相まって彼の異常性を強烈に印象付けていた。
「……その人から離れろ、化け物」
「その人? ああ、彼のことか……いやいや、そうもいかないよ。私は彼に用があるんだ」
「その人から、離れろ……ッ!!」
絢香は勢いよく駆け出し、一瞬にしてヴェーダとの距離を詰める。そして彼女の人間離れした瞬発力に驚きの表情を浮かべるヴェーダの腹部を狙って強烈なパンチを放つ。
「……お゛っ!」
彼女の右拳は腹部に深々とめり込み、流石のヴェーダも前屈みになって硬直する。絢香は続けて左拳によるアッパーで硬直するヴェーダを追撃し、僅かに宙に浮いた彼の身体を靭やかな右脚を鞭の様にしならせながら放った渾身のひねり蹴りでカウンター席まで蹴り飛ばした。
「うおおおおおおおおおおおおっ!!」
吹き飛ばされたヴェーダはカウンター席ごとテーブルを破壊し、店の壁に激突してダウンする。壁には大きな亀裂が走り、厳選された丈夫な素材で作られている筈の大きなカウンター・テーブルは見るも無残な姿になった。
「……」
「おじさんっ! 大丈夫!?」
「……何を、しに来た?」
「何って……おじさんを助けにッ」
カズヒコを心配する絢香の右肩を突然、鋭い刃が貫いた────破壊されたカウンター・テーブルから伸びるその凶刃は、ヴェーダの左腕が槍のように変化した物であった。
「あうっ!!」
「おい、お嬢……っがはっごぼっ!!」
「いけないよぉ、お嬢さん。暴力はいけない……女の子は大人しくしてないと」
絢香から刃を抜き取り、悲鳴を上げて怯む彼女にまるで野獣のような俊敏さでヴェーダは接近する。その速さは、絢香が彼と距離を詰めた際のスピードを遥かに上回っていた。
「うう……ッ!?」
「だから、大人しくしていなさい」
「うあっ!!」
ヴェーダは絢香の顔を右腕で掴んで硬い床がひび割れる程の勢いで叩き付けた後、まるで人形を投げ飛ばすかのように軽々と彼女の身体を投げ飛ばした。
「ぎゃうっっ!!!」
飾られたテーブルや椅子のいくつかを巻き込みながら絢香は吹き飛び、今度は自分が店の壁に叩きつけられる。彼女は激しく吐血し、そのまま崩れ落ちた。
「あぐ……っう!!」
「おいっ……、大丈夫か……っ! おい!!」
カズヒコは彼女を心配して声をかける。あの一瞬の攻撃でかなりのダメージを受けてしまったのか、絢香は立ち上がれずに苦しげな呻き声をあげながら店の床を引っ掻く。
「がはっ……おい、あの子には……っ!!」
「ただのお仕置きだよ。ああいうやんちゃな子には必要だろう? まぁ、普通の人間なら死んでいるだろうが……」
「……!!」
「掃除屋は、あのくらいじゃ死ねないだろう?」
ヴェーダはゾッとするような笑みを浮かべて言う。彼はこの15年の間に何度も掃除屋の襲撃を受けており、死の淵にまで追い詰められながらもそれらを退けてきた。彼等と戦闘する度に嫌でも痛感させられるのが、掃除屋達の圧倒的なタフネスだ。
「薬でも飲んでいるのか、それとも仕事のため身体を改造しているのか……果ては人間ですらないのか。とにかく中々死なないのが掃除屋だろう? 流石に首を飛ばしたり、真っ二つにすれば死んだが」
「……」
「彼らとの鬼ごっこは刺激的だったよ。何より、いつかは君がまた私を殺しに来てくれるんじゃないかという期待もあったから暫くは続けていたんだが……君は現れなかったね」
カズヒコの沈痛な表情を見て、ヴェーダは少し目を曇らせる。
「偶然、私に割り当てられなかったのか……それとも、その前に君が掃除屋を辞めたのか。もしくは私たち夫婦を殺すことが最後の仕事だったのか」
「……やめろ」
「何にせよ、君を探すのはとてもとても大変だった」
ヴェーダの名前を捨て、その顔も変えた後の生活に何一つ不自由は無かった。
白い花を売ればいくらでも金は手に入ったからだ。街に撒かれていた黒い花は既に処分され、家で育てていた蕾も丸ごと焼き払われたが 白い花の存在は最近まで魔導協会も把握できていなかった。長い間逃亡生活を続けていたヴェーダは今や協会以上にこの街の『暗部』や『闇の領域』に精通し、白い花を餌にして多くの協力者も得ていた。
自らも悪魔になる事で、彼はこの地獄に適応したのだ。
「だが……流石に15年も見つからないと私の決意にも陰りが出てね。一度は君を忘れることも考えた」
カズヒコの顔に左腕の刃を向けながら、ヴェーダは静かに呟いた。
そろそろ終わります。そろそろね。