9
思ったより紅茶がよくキマったのでノリノリで書けました。
「絢香の方からお出かけに誘うなんて珍しいわね」
「……」
「ふふふ、そんなに気に入ったの? そのお店」
「……まぁまぁ、ね」
絢香は小夜子を連れて街を歩いていた。今日の絢香の服装は悪目立ちする黒いコートではなく、大きなリボンタイがチャーミングな白地のブラウスに黒いフリルスカートというお洒落な服装だ。対する小夜子の服装は黒いドレスシャツとデニムパンツというシンプルなもので、長い黒髪をアップヘアで纏めている。
ハリーと名付けられた十字架型超兵器はキースの診療所に置いてきたらしい。そう毎日持ち運ばれても困るものだが。
「先生も来たらよかったのに……」
「本当ね。あんなに嫌がらなくてもねぇ……よっぽど怖い人がいるのかしら」
「……怖いよ、本当に」
「それでも行きたいの?」
「……ちゃんと謝らなきゃ、迷惑かけたから」
絢香はボソボソと呟いた。不器用ながらも素直で純粋な妹を見て小夜子はにっこりと笑う。
「もう少し進んだ先の角を曲がると、その店が……」
彼女達の進路を塞ぐかのように、一台の車が停車する。車の中からは数人の男達が現れ、ニヤニヤしながら二人に話しかけた。
「お嬢ちゃんたち、これから何処に行くの?」
「……その先のお店。どいて」
「駄目だよ、この先はちょっとこれから賑やかになっちゃうから。ね、今日は家に帰ろ?」
「ええと、通してくれませんか? 私たちはその先に用が……」
男は銃を取り出す。どうやら彼等はこの先にあるビッグバードに人が立ち寄らないように、とある男から人払いを任されたようだ。
「な? ここは素直に言うこと聞いておこうぜ」
「どうしてもって言うなら、先に行かせてあげてもいいけどよ」
「そうそう、俺たちと遊んでくれたらな?」
男達は下卑た笑みを浮かべながら姉妹を見る。二人はうんざりしたような溜息を吐き、互いの顔を見合わせた。
「……だってさ」
「そうねぇ、じゃあ遊んであげようかしら?」
小夜子はニコニコと笑いながら言った。
「うおっ、マジで?」
「おいおい、言ってみるもんだな」
「どうしよう、俺大きい子かなり好みなんだけど!」
「ぼくぅ! 小さい子がいいです!!」
命令よりも自分の欲望に忠実な男達は色めき立つ。確かにこの姉妹の容姿は美しく、街を歩いていても滅多にお目にかかれないであろう程の美人姉妹だ。とある眼鏡と同棲している双子のウサ耳美少女と違い 目立った騒ぎ を起こさないので、13番街の皆さんからは密かに人気がある。
「……」
「嬉しいわね、絢香。私たちモテモテよ?」
「……嬉しくない!」
……しかし彼女達の真の姿は掃除屋。残酷さと無慈悲さで言えばクロをも超える、この街が誇る処刑人だ。
◆
「ありがとう、本当にこの店のコーヒーは美味しいよ」
「ふふふふ、いつもありがとうございます」
「カズヒコ君が淹れてくれるものも良いがね」
「どこで差がついたんだろ、その子にコーヒーのブレンドと淹れ方教えたの俺なんだけどな……」
外の様子を知る由もないビッグバード店内は相変わらず常連達で賑わっていた。ジャックを筆頭とする『シャーリー親衛隊』こと馬鹿三人組は、クロスシング夫妻と談笑するマークに睨みを利かせながらソフトドリンクをストローで飲んでいた。
「ぢゅるるる……何でだろうな、どうもあのオヤジが好きになれん」
「俺もだ、何でだろうな」
「本当に何でだろうな」
「おい、三馬鹿。いい加減にしねーと出入り禁止にすんぞ」
マークを警戒する三馬鹿にカズヒコは釘を刺す。
「「「三馬鹿言うなよ!」」」
「じゃあバカリオンでいい? BAKA+TRIOでバカリオン、カッコいいだろ」
「そういう意味じゃねーよ!!」
しかし馬鹿ゆえの本能的な危機察知能力の高さか……彼等の勘は的中している。あの恰幅の良い紳士、マークはこの街にソーマをばら撒いた危険人物だ。夫妻を始めとした他の客は完全に気を許しているが、その男は下手な怪物よりも怪物的な本性を秘めている。
「そうだ、あの花は大事にしてくれているかね?」
「ええ、それはもう。ありがとうございます」
「その笑顔だ……君は本当に綺麗だよ、シャーリーさん」
「またまたー、照れちゃうからやめてください」
「羨ましいな、カズヒコ君は」
「やめろよー、俺も照れるだろが」
「はっはっはっ」
少しの間楽しげに笑った後、マークは静かな口調で言う。
「……さて、実は君たちに伝えたいことがあるんだ」
「ん?」
「どうしました? マークさん」
「君たちに、お別れを言わなければいけなくなったんだ」
彼は席を立ち、名残惜しそうな顔で店内を見回す。いきなりの事でシャーリーは驚きを隠せず、カズヒコも目を大きく見開いて硬直した。
「ど、どうしたんですか? マークさん」
「すまない、前から伝えようと思っていたのだが……中々言い出せなくてね。本当にこの店が好きになってしまっていたんだ」
「いやぁ……そんないきなり言われても、困るぞ? 何かあったのか??」
「ああ、でもそれを言うのが辛くてね」
マークは静かに涙を流す。その顔を見て夫婦は戸惑い、他の常連客もざわめき出す。いつの間にか彼はこの店を本当に愛するようになっていたのだ。
「……まぁ、何だ。仕事とか、色々と事情があるんだろうがこの店はずっとやってくからよ」
「そうですよ、落ち着いたらまた来てください。美味しいコーヒー淹れますから」
「ありがとう、ありがとう……これで ようやく決心がついたよ」
取り出したハンカチで涙を拭い、マークはにっこりと笑う。そして優しい声で言った。
「さようなら、カズヒコ君……いや スカル・マスク」
「……は?」
その言葉と同時に、マークは右腕を変異させてカズヒコを殴り飛ばす。190cmを越す巨体は天井高く打ち上げられ、そのまま店の奥まで吹き飛んだ。
「え?」
「……がっっはっ!!!」
カズヒコの右頬は大きく抉られ、彼は激しく吐血する。目の前で起きた出来事を理解出来ず、シャーリーは硬直しながら吹き飛ばされた夫に目をやった。
「やっと君にさよならが言えるよ。ああ、本当に……本当に長かった」
「……あなたっ!!!」
「てめえっ!!!」
ジャックは立ち上がり、マークに殴りかかろうとするがその拳が届く前にマークの右腕で軽く弾き飛ばされる。ジャックはそのまま仲間達の所に吹き飛び、二人を巻き込んで大きく転倒した。
「あだぁぁあっ!!」
「いでぇっ!!」
「くっそ! 何だよ、いきなり!!?」
「おっとすまない、手加減はしたつもりなんだが……」
シャーリーはカズヒコに駆け寄り、血まみれになった彼の顔をハンカチで押さえつける。
「……どうして、どうしてこんなことを!!!」
「……どうして? どうしてと言うのかね……彼の妻である君が」
「……!?」
「何も知らなかったのか? 本当に、夫のことを」
マークは夫に寄り添う彼女に悲しい眼差しを向けながら言う。亡き妻と瓜二つの顔に涙ながらに睨みつけられ、彼の胸中はまるで穴が空いたかのように激しく軋んだ。
「彼の名前はスカル・マスク……かつて、伝説の掃除屋と呼ばれた男だよ」
「……スカル……マスク……」
「……やめろ」
「そうだ、ずっと探していた。ずっと、ずっとずっとだ……あの夜に君と出会ってから……!!」
右腕に続き、マークは残った左腕も大きく変異させる。辛うじて人の腕と認識できる程度には人体の面影を残していた右腕と異なり、その左腕はまるで血に塗れた大きな剣のような形状になる。床に歪な刃先を当て、キリキリと音を立てながらゆっくりとした歩調で彼は夫婦に近づく。
「……ッ!」
「シャーリー、どいてくれ」
「あなたっ!?」
「いいんだ、ありがとう」
カズヒコは立ち上がり、自分に近づいてくるマークを虚ろな目で見つめる。
「そうだ、その目だ。君は、あの夜もその目で私たちを見ていたな……」
「……マーク、お前は」
「覚えていないか? ……そうだな、私も大分変わってしまったからね。君から受けた傷を癒やすのにとても無理をしなければいけなかったからな」
「……」
「そして、私の名前はマークではない。本当の名前は……ヴェーダ」
「!!!」
彼の本当の名を聞き、カズヒコは目を見開く。彼は、その名前を知っていた……。
「……ヴェーダ」
「そうだよ、思い出したかね? いやあ、忘れるはずがない……忘れるなど許さない!」
マーク、否 ヴェーダを名乗る男はカズヒコの右肩に左腕の刃を突き刺す。
「ぐあっ!!」
「いやっ、あなた!!!」
「……来るな!!」
自分に駆け寄ろうとするシャーリーをカズヒコは制止する。彼は愛する妻に顔を向けずに苦しげな声で
「……皆を、裏口から逃がせ」
「でも、でも!!」
「そうだよ、シャーリーさん。逃げなさい……皆を連れて」
「……!!!」
「ここから、離れるんだ。……君には、見せたくない」
ヴェーダはシャーリーに語りかける。夫の肩を無慈悲に刺し貫いているというのに、彼女に向ける表情は優しげで その声もいつものように紳士然としたものだった。シャーリーは目の前の光景を受け入れられず、まるで悪い夢を見ているかのような気分になった。
「シャーロット!!」
「……ッ!!」
「……頼むよ、逃げてくれ。お願いだ」
カズヒコは震える声で言った。その声を聞いたシャーリーは溢れる涙を堪えながらも立ち上がり、店の皆に声をかける。
「逃げて、みんな……ここから逃げて!!!」
「店長!!」
「マスター、おい! 嘘だろ!?」
「おイ、ふざけるなヨ!! そのクソッタレな腕を今スグ……!!!」
「さっさと逃げろ!!!」
ヴェーダは左腕をカズヒコから抜き、忌々しげにその血を振り払う。カズヒコは右肩を襲う激痛を堪えながら、中々店から出ようとしない常連達に向けて絞り出すように叫んだ。
「早くこの店を出ろって言っているんだ!! でないと……俺がお前らをぶっ殺すぞ!!!」
鬼気迫る表情で叫ぶ彼を見て常連達は怖気づく。そして、何も言わずに彼等は裏口から店を出た。先程まで明るい雰囲気に包まれていた店内は一変し、残酷なまでに冷たい静寂のみがカズヒコとヴェーダを包み込む。
「……」
「これで、やっと……私も 我慢せずに済むよ」
ヴェーダの左腕が深々とカズヒコの脇腹に突き刺さる。カズヒコは激しく吐血し、ヴェーダは彼が逃げないようにその傷ついた右肩を異形の腕で強く掴む。禍々しく変化した指先はカズヒコの肉に食い込み、あまりの激痛に彼は絶叫する。
「っがぁあああああああああ!!!」
「痛いか!? 私だって痛い!! 私だって痛いんだ……だが、だが……!!!」
「……っぐっ! マーク、お前は……っ!!!」
「妻は、もっと痛かった!!!」
左腕を彼の脇腹に更に深く捻り込み、ヴェーダは涙を流しながら怨嗟の言葉を叫ぶ。
「君にはっ、彼女が化物に見えただろう! そうだ、あの花を使えば怪物になる……あの美しい妻もだ!! だが彼女はそうするしかなかったんだ……君が、私を殺しに来たから!!!」
「がっは!!!」
「君がっ!! 私を殺そうとしたから……私を守るために……彼女はあんな姿になったんだ!!!」
ヴェーダは思い出す……あの夜の事を。
妻のソーマと花を売りながら、慣れないこの街で必死に生きていこうとしていた時だった。幸せを運ぶ思い出の花で、夫婦の幸せをこれからも繋いでいこうとしていた時であった。
月が綺麗な夜に、二人の家にある男が訪れたのだ。胸に十字架が刻まれた黒いコートに身に包んだ、顔のない大男が……
まだまだ底があります。ゴリラには体を張って頑張ってもらいましょう。