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自分で淹れる紅茶がベストですが、やはり午後の紅茶もいいものです
掃除屋。向こう側に存在した宗教団体が抱えていた異端審問官とその弟子達を起源とする組織。
魔導教会とは協定を結んでおり、時には協会の依頼を受けて活動する事もある。その活動は協会職員が出動する程の事件は起こしていないが、潜在的に大きな危険性を孕んでいる団体及び個人の排除。そして協会が動くには何かと都合が悪い相手の牽制もしくは抹消……。
異界の難民に対しては柔和な姿勢を取っているリンボ・シティだが、それでも最低限のルールは存在している。それすらも守れない『世界の塵』を掃除する役目を担うのが彼等だ。
基本的に彼等の存在は民間人には伏せられており、公の場に掃除屋の名が出る事はない。むしろ知られてもらっては困る。その為、所属する者達は一般人に紛れて生活しており 同じ掃除屋であっても人前で素性を明かすのはタブーとされていた……。
◆
魔導教会本営『第一執務室』にて
「協会職員の手で……か。何だか複雑だなぁ」
執務机の上で手を組みながらスコットは複雑な心境を吐露した。その声を隣の席で聞いていた職員が彼に声を掛ける。
「どうしかしましたか、スコットさん」
「いや、朝のニュースを見て少しね……」
「ああ、今朝の……仕方ないですよ。彼等の活動は世間に知られちゃいけませんからね」
隣の席に座る褐色肌の若い職員も何とも言えない調子で答えた。
「ジギーはまだ会ったことないのか? 掃除屋には」
「ええ、直接会ったことはありません」
褐色肌の彼の名前はジギー。フルネームはジギー・マクラウェル。少し前に起きた『マッケンジー獣害事件』で割と重要な役割を担った人物である。本人に自覚はないが、彼の存在無くしてあの事件の解決はありえなかっただろう。とある年の差カップルには密かに『恋のキューピッド』呼ばわりされていたりするが、自覚のない彼は知る由もない。
「まぁ……会ってもいい気分にはならないけどな」
「噂では黒い髪の美しい女性だとか……顔のない大男だとか言われていますが」
「いやいや、俺が知ってるのは」
「掃除屋について話すのは規則違反って知ってる? 二人とも」
「はっ!」「あっ、いえ!! すみません!!!」
たまたま執務室に顔を出していたブレンダは二人の背後に忍び寄り、彼等の肩に指でなぞりながら妙に色気だつ声で釘を刺す。
「いくら協力関係にあると言っても、彼等の正体は人に話さないのが決まり。向こうにバレると消されちゃうかもしれないわよ?」
「そうですね……気をつけます。でもブレンダさんが何でこの部屋に?」
「ちょっと書類を届けにね。はい、目を通しておいて」
「何の書類ですか?」
「『ソーマ』の材料になった異界の植物について纏めておいたわ。もし街中で見かけるようなことがあれば、すぐに報告しなさい」
スコットはブレンダから手渡された書類にある植物の写真を見る。
「……見た目はそんなに害があるようには見えないんだけどな」
「そういうのが一番危ないのよね。見た目は綺麗……というのがね」
その植物は白い花弁を持つタンポポに似た小さな花で、その美しい外見からはとてもあのような危険薬物が精製されるとは思えなかった。
「……これからどうやってあんな薬が?」
「聞くより見たほうが早いわ、興味があるなら後で研究室に来なさい」
「……俺は、いいかな」
「……自分も遠慮しておきます」
二人の嫌そうな反応を見てブレンダはくすりと笑った。
◆
同刻、リンボ・シティ13番街 ウォルター邸にて
「……」
「アイム・ソーリーは?」
「……」
にこやかな笑顔で謝罪を要求するウォルターを無視し、カズヒコは屋敷を後にしようとする……
「うおおおお、舐めんなぁああああー!!」
興奮したクロは腕に巻き付く黒い紐を噛みちぎり、自由になった両腕で体の動きを封じていた紐も強引に引きちぎっていく。
「……あら」
《め、めぺぇ》
「うおおおーっ!」
マリアは影の拘束を脱したクロの姿を見て驚き、メリーは鬼気迫るクロの表情を見て小さく震えている。
「おやおや、マリアさんどうなさいました? クロ様が逃げてしまいますぞ」
「さぁ、私に言われても困りますわ。気になるなら私の『影』に聞きなさい?」
アーサーの憎まれ口をマリアは涼しい顔で返す。今までクロが彼女の拘束を自力で解いた事は無く、初めて黒い紐の束縛に打ち勝ったクロは喜色満面の顔でバンザイした。
「はっはっはー! どーだ、マリア!! 俺の勝ちだ!!!」
クロはマリアが影を伸ばす前に壁に空いた穴から廊下に飛び出し、再びカズヒコの前に立ち塞がった。
「何処行くんだよ、オジサン! まだ決着はついてねえぞ!!」
「……ああ、すまんな。今日はお前の勝ちでいいよ、俺はもう帰るわ」
「はぁ!? 何だそれ!! ふざけんなよ!!?」
クロはピンと耳を立てながら興奮気味に叫ぶ。彼女の眼はギラギラと光り、絶対にカズヒコを逃さないという執念の炎を宿した視線を彼に叩きつける。
「……」
「クロ、もういい。今日は帰してあげ
「逃さねぇぞ!? ぜーったいに逃さねぇからなぁ!?」
「クロ君?」
「うっせぇ、黙ってろご主人!!!」
クロに怒鳴られてウォルターの眼鏡は大きく曇る。極度の興奮状態になったクロはウォルターの声も届かない程のお転婆娘になってしまうのだ。
「もう、仕方ない子ね……」
いつまで経っても治らない双子の悪癖にルナも困った様子で溜息を吐き、姉として妹に注意しようとしたが……
「……クロ子よ」
「あぁん!?」
「家に帰してくれたら『大特製チョコレートパフェ 極』をタダで食わせてやろう。一度までならおかわり可」
「よぉおおおーし、気をつけて帰れぇ! おら、早く帰れよ!! 奥さんが心配してんだろ!!!」
カズヒコの言葉を聞いてクロはそそくさと玄関ドアを開いて彼の帰路を確保する。彼女の瞳は眩いばかりにキラキラと輝き、先程までの凶暴さは既に明後日の方向に飛び去っていた。
「おーう、じゃあ明日にでもおいで」
「おじさん、またな!」
「……」
「ウォルター、泣かないで」
屋敷を去っていくカズヒコに向かって手を振りながら見送る黒兎の姿を、ウォルターは何も言わずに見つめていた。その額を一筋の涙が伝うが、隣に寄り添う白兎が輝く涙の雫を優しく拭き取る。
「はー、あのすげえチョコレートパフェがタダかー!」
「……久しぶりに神様の悪意を感じた気がするよ」
「大丈夫? 慰めてあげようかしら??」
「ううん、大丈夫。だから胸ボタンを外すのはやめなさい」
カズヒコがウォルター邸の敷地から出ると、遠くからこちらに向かって走ってくる女性の姿が見えた。
「……あ」
「あーなーたー!!」
「ま、待った! これには訳が!!」
マリアよりも大きな豊満な胸を激しく揺らしながら、顔を真っ赤にしたシャーリーが走り寄ってくる。カズヒコは慌てて弁解をしようとするが……
「ちょっ、待っ!!」
「馬鹿ァァァァァー!!」
「おぶぁっ!!!」
走ってきた勢いとシャーリーの全体重を乗せたドロップキックがゴリラの胴体に炸裂する。
華麗な中空ドロップキックを決めた荒ぶる人妻は空中で素早く体勢を変えて着地し、ゴリラはそのまま膝をつく。声にならない沈痛な呻きをあげる夫を見下ろしながらシャーリーは怒鳴る。
「もう! あんなに駄目よって言ったのに!!」
「……ははは、マイハニー。前よりもキツイ一撃を打てるようになったんだね……凄いよ」
「怒ってるのよ! 私は!!」
「……ごめんなさい」
「駄目です、許しません!! ちょっとこっち来なさい!!!」
「いだっ、いだだだっ! ちょっ、千切れる!! 耳千切れる!!!」
怒り心頭のシャーリーは蹲る夫の耳を強く抓りあげ、そのまま自分よりも背も高く屈強なゴリラを引っ張っていく。
「いだいいだいいだい! ごめん、ごめんなさい!! もうしません!!!」
「駄目! 絶対に許しません!!」
「あだだだだ、せめて耳やめっ……」
夫の言葉が届いたのか、シャーリーはようやく彼の耳を離す……しかし
「いたた……耳は本当にやばっ……腕ぇぇええーっ!!」
次はカズヒコの右手首を捻り上げ、ムスッとした表情でそのまま彼を引っ張る。
「あだだだだだだだ! 悪かった、悪かったって!!」
「……」
「しゃ、シャーリーさん! シャーリーさん!? 聞こえてっ……あぎゃーっ!!」
単純な殴り合いにおいてはクロにも競り勝つ程の実力者の彼だが、そんな彼ですら敵わない隠れた強者がこの13番街に存在する……
「聞こえません」
「折れる! やばい、折れ……アバッ!!」
「聞こえませーん」
それが彼の妻、シャーロット・クロスシングである。
「……おじさん、あんな声出すんだ」
「いつの時代も、本当に強いのは女なのね」
「身に沁みてそう思うよ。いやぁ、でもちょっとスッキリしたかな」
愛妻に腕を捻られながら愛の巣に連行されるゴリラの姿を玄関先で見守った後、ウォルター達は静かに屋敷の中に戻っていった。
ちなみに私はミルクティー派です