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幻騒のカルネヴァーレ  作者: 武石まいたけ
chapter.1 Fortune comes in at the merry gate
11/123

9☆

『ええ、現場から得られた情報によりますと』


灰色の肌を持つ巨漢のニュースキャスターは額に汗を浮かばせ、街を賑わせている【11番街の怪獣騒動】の報道を続けていた。


テレビの映像には11番街を飲み込んでいく何だかよくわからない黒い肉の塊が映されており、一目見てそれを不快な存在だと彼女は感じた。


「気に入らないわね……」


リビングのソファーで横になりながら、ルナは憂鬱気に呟く。


「ああ、ウォルター。早く帰ってこないかしら」


憂鬱な瞳で心情を吐露する。彼女にとってウォルターとは主人であり保護者であり教育者でもあり、彼女の()()であった。双子のアルマを始め、共に暮らす使用人達も彼女にとっては家族同然の大切な存在だ。それでもウォルターの存在は、彼女には何物にも代えられないものだった。


『11番街の道路上には3つの人影が見られ、逃げ遅れた民間人ではないかと……』

「……あっ」


微かに屋敷の門が開いた音が聞こえる。彼が帰ってきたのか? 一瞬彼女の瞳は憂鬱を吹き飛ばし、眩いばかりの期待の色を浮かべたが……


『あ、新しい情報が入りました……バートン氏です! あの人影の内1人はウォルター・バートン氏で間違いないと』

ルナはテレビの電源を落とす。彼女の瞳は、再び憂鬱が支配した。


「ルナ様、少しよろしいですかな」


ウォルターと一緒に屋敷を出たはずの老執事が雇い主を置いて足早に帰宅する。その表情からは多少の焦りが読み取れた。


「ウォルターは?」

「頑張っておられます」


ルナは開口一番ウォルターについて聞くが老執事はさらりと返した。聞き取り方によっては非常に無責任な台詞に思えるが、彼は昔からそういう男だ。


「そう……」

「ですので、ルナ様……少しばかり力をお貸しいただけますかな?」


その言葉を聞いてルナは目の色を変える。彼女の表情は大きく変わることはない、感情表現が苦手なのだ。それでも、その顔には彼女なりの精一杯の感情が込められている事を老執事には感じ取れた。


「でも、それなら最初から連れて行って欲しかったわ……」

「私もそう思います」


小さく溜息をつく彼女を見て、老執事も軽く頷いた。



◆◆◆◆



《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ》


ウォルター達は黒いスライムに包囲されていた。


「ぎゃあー! 気持ちわりいー! うわぁー!!」


アルマはウォルターの背中にしがみつき、周囲を取り込む黒いスライムの海に総毛立ちながら黒い耳を忙しなく震わせる。


防御魔法 虚魔の守護陣アクロミア・プロテクシオの効果で汚らしい肉の海に飲み込まれずに済んでいるが、半透明なシールドが張られている空間から一歩でも踏み出せば即お陀仏だ。この魔法は使用者を中心とした半径2mの範囲に強固な防御障壁を発生させられる代わりに、使用者がその範囲から出てしまえば即座に効力を失う。


「ああ、リーゼ。僕たちはここで飲み込まれて終わるんだろうか……嫌だなぁ、こんな這いずり回るマーマイトの海に沈んでおしまいなんて嫌だなぁ……」

「うふふふ、旦那様? お気を確かに」


つまり今の彼らはこの黒いスライムの海に飲み込まれる事はないが、その場から逃げることもできないというかなり切羽詰まった状況に置かれているのだ。


「……ま、出来る限りのことはしたさ。きっとあの子も褒めてくれるだろう」

「勝手に諦めんなよ、御主人! こうなったら一か八かだ、あの黒いのに飛び込んで中の奴をぶち殺してくる!!」

「はっはっ、面白いこと言うねアルマ君。でもそれは無謀って奴だよ?」

「うるせー! オレはオッサンのチョコレートパフェが食いたいんだよ!!」


ウォルターは割とあっさり自分の最後を受け入れようとした。しかしアルマの言葉を聞いて考えを改める。


「ああ、そうだね。まだ昼食も取ってなかったね……」

「昼飯食う前に死ぬ気か、御主人!? ふざけんなよ! オレは意地でもアイツをぶっ殺してパフェを食うぞ! 絶対食うぞ!!」

「確かに、あの方の店のパフェは絶品ですわね……」


何より此処で自分達が死ねば、()()が悲しむ。彼女を悲しませる事だけは……絶対に避けなければならない。


「そうだね、こんなところで終われないな。あの子が屋敷で待っている」


ウォルターは自分の足元に杖先を向け、一発の魔法を放った。


足元の着弾点に半透明の魔法陣が浮かび上がり、蛍の光のような輝く粒子とチカチカとした白い点滅光が3人を包み込む。


「アルマ、僕から離れるなよ」

「おっ! 何かするのか!?」

「マリアさん、今からちょっと派手にブッ飛ぶから着地の際は頼むよ」

「うふふ、お任せを」

「それでは……ふんぬあぁッ!!」


ウォルターが思い切り地面をストンプした瞬間、足元の魔法陣から強烈な衝撃波が発生する。それは周りを囲うシールドごと汚らしいスライムを弾き飛ばし、同時に彼らの体も空高く打ち上げた。


キラキラと輝く光の粒に交じる臭い汚泥と共に美しい弧を描きながら、ウォルター達はド派手に飛翔する。


本来、この虚魔の転還陣(アクロミア・バウンサ)は設置した魔法陣に与えられた衝撃を数十倍にも増幅させて相手に跳ね返す反撃(カウンター)魔法の一種だ。このようにわざと足元に放って全力でストンプし、地面から発生する衝撃を逆に利用してジャンプ台代わりにするようなものではなく、楽しそうに見えても決して真似してはいけない。



『す、凄い! 羽も無いのにあんなに高い所まで飛んでいます!!』


職務権限で民間人から借り受け(強奪し)た車を走らせながら、警部達はカーナビでニュースを見ていた。


「……何か吹っ飛んでますよ、あの人」

「快適な空の旅を満喫したいお年頃なんだろ」


空高くブッ飛んでいくウォルター達の姿を肉眼でも確認し、警部はたっぷりの皮肉を込めて言う。


「え、着地する時どうするんですか? 結構な高さ(地上100m以上)まで上がってますが……」

「そりゃアレだろ。魔法使いだから魔法で何とかするんだろうよ」

「何でもアリなんですか、魔法ってのは」

「魔法だからな、仕方ないな」


彼らはもう疲労困憊だった。若い刑事にとって今日はその生涯において忘れられない一日になることは確実だ。軽い記憶処置を施さなければ、今後の勤務は厳しいだろう……。



「ははっ! はーっはっはっはっ!!」


クロを背負いながら宙を舞うウォルターは大声で笑い出す。勿論、楽しいからではない。


「やっべー! 俺たち飛んでるよ、御主人! あはははーっ!!」


彼の笑いに釣られたのか、クロも笑い声を上げる。ただし、彼女は楽しいからである。


「ふふっ、相変わらず面白いことを考えつく人……」


同じように宙を舞うマリアは手にした黒い日傘を羽の生えたパラシュートのような形に変化させる。そしてウォルターの左腕をキャッチし、まるで宙を泳ぐ海月のようにふわりふわりと空中を漂った。


「うおーっ、浮いてるー! 面白れーっ! あははーっ!!」

「ありがとう、マリアさん。助かったよ」

「どういたしまして……それで、これからどうされます?」


ゲテモノから離れた場所にストンと降り立ち、しがみつくアルマを降ろしてウォルターはため息交じりにボヤいた。


「さぁて、どうしようかね……」


放てる魔法はあと数発。今扱える最大火力の魔法を撃ち込んでも、あの怪獣を滅ぼすのは到底無理だ。だからと言って尻尾を巻いて逃げ出しても、アレはこちらを飲み込もうと何処までも追いかけてくるだろう……


「本当に打つ手が無くなったわけじゃあないが……」

「お、本当か!? 御主人!」

「ああ、()()()()体を張ることになるけどね」


彼はワザとスライムに飲み込まれた後で、本体を巻き込んで自爆でもしようかと一瞬考えた。


だが、そんな無茶な真似はさせないと言うかのように一台の車が現れた。その見慣れた黒い車を運転する老執事はウォルター達の近くに車を停め……


「待たせたかしら?」


後部座席の窓から身を乗り出したルナは澄んだ声で言う。彼女の声を聞いたウォルターは笑っているのか、呆れているのか、何とも形容しがたい微妙な表情を浮かべる。アルマはルナの姿を見るや否や、彼女に向かって走り出す。


「見ろよあれ! すんげぇキモイだろ!」

「本当ね……やだ、アルマからひどい匂いがするわ」

「まじかよ」


双子に言われ、アルマは自分の体の匂いを嗅ぐと顔をしかめて悶絶した。


「くっっせ、くっっっっせ!! 何だこれ!」

「気づきなさいよ」

「同感ですな」


ルナは車から降り、愛しの(ウォルター)に弾むような足取りで駆け寄った。嬉しそうな顔で走り寄るルナとは対照的に、彼女が近づいてくるにつれてウォルターの表情は曇っていく。


「今日も大変そうね、ウォルター」


ついにルナはウォルターの眼前にたどり着き、うふふと笑って彼に抱きついた。


「……どうして、此処に来たんだい?」

「ふふ、聞きたい?」

「……」


ウォルターはルナが此処まで来た理由に気付いている。だが、それだけは彼女にさせたくなかった。


「私が、必要でしょう?」


あの黒いスライムを放っておけば、いずれ街全体が飲み込まれる。


これ以上被害が拡大するのを防ぐ為には、もうここで終わらせなければいけない。ルナが側に居る今なら()()()()が使える。存在の痕跡すら残さず、完全に、徹底的に、あの忌々しい肉塊をこの世から抹消させられる。


だがここまで切迫した状況に追い込まれても、ウォルターはその魔法を使う事を躊躇っていた。それを使えば────……


「……御主人、どうする?」

「旦那様、あまり考えている時間はなさそうですわよ」


ルナの言葉を聞いて彼女の意図を察したアルマと、老執事の表情から全てを悟ったマリアは複雑な表情でウォルターに話しかける。


「ウォルター、()を使って?」

「……」

「この街の子たちを守るんでしょう?」

「その台詞は卑怯だよ、逃げられないじゃないか……」


ルナはウォルターの左手を自分の胸元に当て、優しい声で囁いた。


「貴方は逃げないわ、この街が好きだもの」


彼女の表情は穏やかだったが、その瞳には僅かに寂しさの感情が宿っていた。そんな彼女を前にウォルターは込み上げてくる感情を押し殺しながら、絞り出すように言う。


「すまない……使わせてもらうよ、ルナ。ウヴリの白兎よ」

「承認するわ、私の御主人様(ウォルター)。遠慮なく私を使って」


その言葉と同時にルナの体は眩く発光し、粒子状に分解される。


彼女を形作っていた光の粒はウォルターの左腕を包み込み、翳した掌を中心として幾重にも折り重なった魔法陣が発生し、その中から白く輝く魔法杖が現れる。


左腕から出現した魔法杖は彼女の美しい髪のように白く輝き、呪文のような不可思議な紋章が刻まれていた。杖の先端部に設置された青い水晶体を覆う神秘的かつ複雑な造形の部品は、まるでウサギの頭部を模しているようにも見える。


「……さて、そろそろ追いかけっこも終わりにしようじゃないか」


ウォルターは現れた白い杖を掴み、迫り来る黒いスライムに杖先を向ける。狙うはあのスライムの内部に隠れた本体。本体を消し去れば、このスライムの侵攻も止まるだろう。


「本当に今日は、なんて日だ」


ウォルターが杖を強く握ると、それに応えるように白い杖は輝き、彼の周囲に一際巨大な【大魔法陣】が発生する。その様子を静かに見守る使用人達とルナの双子の姉妹の表情は一様に、暗いものだった。



「な、なんだ……!?」


少し遅れて11番街に到着し、そこで不思議な光景を目の当たりにした刑事は驚きの声を上げる。


「ああ……しっかり見ておけよ。滅多に見られるもんじゃないぞ……」

「何が始まるんです!?」

魔法(きせき)だよ」


警部はその問いに、複雑な表情を浮かべながら答えた。


次の瞬間杖から放たれる、極大のレーザー光線のような魔法。それは迫り来る黒い海を一瞬で蒸発させながら街を一直線に突き抜けた。光線が掠めただけで周囲の建物や道路ごと黒い肉塊が大きく削り取られ、本体の位置が顕になる。


〈ビャアアアアアアアアアアアッ!〉


本体は悲鳴にも似た叫びをあげて再び身を隠そうとするが……


「御主人!」

「見えましたわ」

「旦那様、幕引きを」

「はいはい、それじゃあ……」


白い杖を握りしめ、狙いを澄ましたウォルターは静かな怒りを込めて言った。


「────さっさと消えろ、豚野郎」


最初の光線からやや遅れるようにして無数の閃光が杖から放たれ、まるで流星群の如くスライムの海をかき消していく。慌てふためく矮小な本体が眩い無数の光の矢に撃ち抜かれて跡形もなく消滅したと同時に、スライムの侵攻もピタリと止まる。


そして残されたのは、11番街を覆う黒い死肉の塊。


生命の躍動を止めた肉塊は、黒い煙のような蒸気と鼻を衝くような匂いを放ちながら溶け崩れる様に消えていく……あの本体が銀色の球体に取り込まれた人間の成れの果てだという事実を知る者は、その場には誰一人としていなかった。


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