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昼は温かく、夜が冷えるので着ていく服に悩みますね。
「リンボ・シティ二桁番街で流行していた危険薬物『ソーマ』の製造現場が魔導教会によって制圧されました。現場からはソーマの原料となった異界の……」
「いやぁ、朝から素敵なニュースだね」
ウォルターはリビングのアンティークソファでくつろぎながら言った。両隣にはメリーを膝に乗せて微笑むルナと、珍しく午前中に起床したクロが棒付きキャンディーを舐めながら彼に寄り添っている。
《めぺぇ》
「協会の人も頑張ってるのね、偉いわ」
「ところでルナ君? メリーは屋敷の中に入れないようにと念を押したはずだけど?」
《めぺぇ》
「外は寒いもの。寒空の下にこの子だけ放り出すなんて可哀想だわ」
「いやね、メリーはクリシーポスっていう危険な」
「固いこと言うなよー、ご主人」
クロはルナからメリーを取り上げ、自分の膝上に乗せる。
《めぺっ》
「なー? 外は寒いもんなー、ペーター」
「この子はメリーよ、間違えないで」
「えー、ペーターの方がいいって。ぺーぺー鳴くしー、なぁ? ペーター」
《めぺ~》
「駄目よ、その子はメリー」
ルナはクロからメリーを取り返し、今度は取られないようにぎゅっと抱きしめる。しかしクロもメリーが気に入ったようで、彼女から取り上げようと躍起になる。確かに抱き心地は良さそうな生き物であるが……。
「いーじゃん、俺にも抱かせれよー」
《めぺ~っ》
「駄目、この子は私が抱いている方が落ち着くの」
《めぺぇ、めぺぇ~》
「いいから寄越せー!」
「駄目よ」
双子の兎は自分達のいざこざで揉みくちゃにされる眼鏡の事など眼中に無いようで、必死にメリーの取り合いをしている。ヒートアップする彼女達の間に挟まれ、ウォルターは虚ろな目でメリーを見つめていた。
《め、めぴゃっ》
「あらあら、いけませんわよ お二人共。この子が可哀想ですわ」
見かねたマリアが二人からメリーを取り上げる。自分をぬいぐるみか何かのように扱う双子から開放され、メリーはマリアの豊満な胸の中で安堵の表情を浮かべた。
「あーっ! 返せよ、マリアー!! ペーターを返せ!!!」
「クロ様、この子は生き物ですわよ? イ、キ、モ、ノ。そんな乱暴に扱ってはいけませんの、お分かり?? ほら、この子怖がってるじゃありませんか」
「ぐぐぐ……、これはルナがよー……」
「だって、私のメリーだもの」
《めぺぇ》
「くそーっ!」
「相変わらずお子ちゃまですわねー、クロ様は」
マリアはメリーを抱きしめて微笑む。クロは歯ぎしりをしながらマリアを睨みつけ、ルナは憂鬱そうに溜息を吐く。そして眼鏡は引き取って早々双子の兎とメイドを虜にした毛むくじゃらのケダモノに静かな殺意を燃やし始めていた……。
「ただいま戻りました」
「あら、お帰りなさいアーサー君。今日は迷子にならなかったのね? お姉さん安心したわ」
「お心遣い感謝いたします、マリアおばさん先輩」
ゴミ出しから戻ったアーサーを誂うマリア。アーサーは涼しい顔でスルーし、さらりと憎まれ口を叩く。相変わらず二人の関係は微妙である。
「おやおや、どうかいたしましたか旦那様。物凄く機嫌が悪そうですが」
「放っておいてくれないか、アーサー君」
「旦那様、小動物に嫉妬しては紳士としてオシマイですよ。紳士と呼ぶには少々穢れ過ぎかもしれませんが、ここは冷静になられては如何ですかな?」
「アーサー君、きみは僕を何だと思っているんだい?」
メリーに殺意の視線を向ける大人げない雇い主をアーサーは笑顔でなじる。相変わらず爛れた主従関係であるが、これが彼等の平常なのだそうだ。
「ウォルター、どうかしたの?」
「いや別に?」
「何だよご主人、寂しかったのか? しゃーねーなー、遊んでやろう」
「ははは、やめてくれよクロ君。傷つくじゃないかー」
「仕方ない人ね、寂しいなら言ってくれればいいのに」
「ははは、ルナ君? そろそろ泣きそうだからやめてくれ」
双子の憐れみ深い対応にウォルターは乾いた笑いを上げる。微笑ましいと言っていいのか判断に困る珍妙な雰囲気に包まれたリビングにインターホンが鳴り響く。
「誰かな」
「お客様を呼んだの?」
「屋敷に呼べるような友達なんてご主人にはいねーだろ」
「同感ですな」
「うふふふ」
《めぺぇ~》
「ははは、おかしいな? 涙が出てきたよ」
静かに涙を流す眼鏡を見かねたアーサーがインターホンに出る。
「はい、どちら様……おやおや また珍しいお方が」
「誰かな?」
「旦那様なら屋敷におられます。すぐに旦那様を……おや?」
ウォルターの在宅について聞いてくる『来客』に老執事は返答するが、その瞬間にインターホンが切れる。
「アーサー君? 誰が来たんだね?」
「それが────」
アーサーが答えようとした瞬間、リビングの窓ガラスを蹴り破ってとある男が現れる。突如現れたその男は両目に殺意の波動を宿し、ドス黒いオーラを纏いながら怒りに震える声で言った。
「めぇぇぇぇぇぇがねくぅぅぅぅうーん? あぁぁーそびぃいいいーましょぉぉーおお??」
怒りのあまり顔面に青筋を浮かび上がらせ、両拳を握りしめるカズヒコの姿がそこにあった。
「あれ? カズヤン、何し────」
眼鏡が何かを言おうとした瞬間、彼の顔面にカズヒコ渾身の右ストレートが炸裂する。
ボッ という悲鳴なのか爆発音なのか擬音なのかもよくわからない音と、呆気に取られる双子だけを残し、ウォルターはソファーごと廊下に吹き飛んだ。静かに床面に落下した双子は状況が理解出来ず、キョトンとした様子でお互いの顔を見合わせた。
「……ふゃぁ、リーゼ 久しぷり……元気らったふぁい?? ふぁはは……あの子達は元気らお……」
「はっはっはぁあああ~! めぇぇぇぇぇぇ~がねっくぅううううううう~ん!! 立てよぉ、ほらぁ!!! 立てよぉおおおおお~ぅ!!!」
臨死体験中のウォルターに拳を鳴らしながらカズヒコは近づく。彼は完全にブチ切れており、目の前で痙攣するクソメガネに引導を渡すべく拳を大きく振り上げる……
「立たないならぁ、潰しちゃぁうぞぉ────っぶ!!?」
殺意の波動に目覚めたゴリラの背中にクロの飛び蹴りが炸裂する。しかしクロの全体重を乗せた蹴りを受けてもカズヒコは大きく前のめりになっただけで、それほど大きなダメージを受けた様子は無い。
「てめぇーっ! いきなり俺のご主人に何すんだよ!! ぶっ殺すぞ!!?」
「……邪魔を、しないでくれるかな?」
クロは黒い両耳をピンと立てて怒鳴る。カズヒコはゆっくりと振り返り、殺意に満ちた眼差しでクロを威圧する。しかし彼女はその眼光を見て怖気づくどころか、赤い両目を見開いて嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「はっはっ、何だ! カズヒコおじさんじゃねーか!! 何しに来た!?」
「んとねー、このねー? 眼鏡をねーっ、殺しに来たのー。邪魔しないでー」
「はっはっはっ、おじさんなんかおかしいぞ!?」
「邪魔をーするな? いいね、殺したら帰るから」
「はっはっは! ご主人は殺しちゃ駄目だ、殺すならぁ……」
怒りのあまり口調がおかしな事になっているカズヒコを見てクロは益々上機嫌になる。そして両足に力を込め……
「俺と遊んでからにしろよぉ! あはははははっ!!」
クロは楽しそうに笑いながらカズヒコに飛びかかる。自分に飛びかかってくるクロを迎撃するべくカズヒコは拳を握りしめ、迫り来る黒兎に向けてパンチを放った。
屋敷の中に響き渡る打撃音。廊下では頬を大きく腫らし、夢見心地で伸びている眼鏡の命を巡って黒兎とゴリラが激しく争う。リビングに取り残された白兎と使用人二人は嵐のように駆け抜ける怒涛の展開について行けず、ただ静かにその様子を見守るしかなかった。
「……何が起ているのかしら」
「さぁ、私めにも何が何やら。とりあえず旦那様はよく飛びましたな」
《め、めぺ……》
「あらあら、朝から激しいですわね~。キルシュワッサーも驚いちゃってますわ」
「マリア、その子はメリーよ」
「うわぁああーっ!!」
壁を突き破ってクロがリビングに飛び込んでくる。どうやらカズヒコとの格闘戦に競り負けたらしく服はビリビリに破れ、破れた衣服から覗く素肌にはたくさんの痣が出来ていた。見るからに痛そうだが、彼女はそれを意に介さないかのように楽しそうに笑い続けている。
「あっはっは、やっぱおじさんつええなー!!」
「……大丈夫?」
「おやおや、これはまた刺激的なお姿になられましたな」
「あらあら、酷い格好ですわねクロ様。ボロ負けじゃないですか」
「負けてねーし、ちょっと飛んだだけだしー!! あとおじさんのがボロボロだしー!!! 今から逆転するから見てろーっ!!!!」
《めぺぇ》
「駄目よ、クロ。少し落ち着きなさい」
「やーだねっ。久々に遊んでもらえてるんだから、邪魔すんな!!」
「マリア、お願い」
再びカズヒコに飛びかかろうとするクロに黒い紐状の物体が巻き付く。マリアの『影』から伸びるそれはクロの体をきつく縛り上げ、その身動きを封じた。
「うおおおおーっ! 離せぇええーっ!!」
「……ふぅ、困った子ですわねぇ」
クロは必死に体を捩らせて拘束から逃れようとするが、逃げ出そうと足掻く内に黒い紐は更に深く彼女の体に食い込んでいく。中々に刺激的な光景である。
「離せーっ!」
「駄目ですわ、大人しくしてなさい」
「ぐあああああーっ!!」
体を縛り上げられて身悶えするクロの叫びが耳に入り、ウォルターは目を覚ます。
「……んん? 何だ……誰の……いたっ、いたたたたたたたっ!!」
右頬を蝕む身に覚えがない痛みに顔を歪めつつ起き上がると、自分を睨みつける痣だらけのゴリラと目が合った。
「……やぁ、カズヒコ君。いつにも増してひどい顔だね」
「よう、クソメガネ。早速だが死ぬ準備をしろ」
「はい?」
「何故は言わねぇ、ただ黙って死ね」
「いや、待って? いきなり死ねはないだろう……僕と君の仲じゃぁないか」
この期に及んでトボけた調子を崩さないウォルターに向けてカズヒコは拳を握りながら近づくが、そんな彼の前にルナが立ち塞がる。
「……どけ」
「嫌よ」
「ルナ君、危ないから退いてくれ。彼は僕と話がしたいらしい」
「どけ、どかないと……」
「退かないと、私を殺すの? ボウヤ」
ルナは血走ったカズヒコと眼を合わせ、静かに挑発するかのような口調で呟いた。
眉一つ動かさずに透き通るような青い目で睨みつけてくるルナを前にして少しは平静を取り戻したのか、カズヒコは拳を下げて大きな溜息を吐いた。
「……」
「彼を殺すなら、私から殺しなさい」
「……そりゃあ、無理だ。今は覚えてないだろうが……あんたには恩があるからな」
「……そう」
「だがクソメガネ、テメーは殺す」
しかしカズヒコは引き下がらない。ウォルターには何が彼をここまで突き動かすのかが理解出来ず、ただ困惑するしかなかった。
「いや、何で殺されなきゃいけないんだい」
「え、しらばっくれちゃうの? 死にたいの??」
「いや、さっき死にかけたけどね。まずは理由から言ってくれないと死んでも死にきれないものがあるよ」
「教えただろ、お前」
ウォルターを睨みつけながらカズヒコは絞り出すように言った。
「黒髪のガキに教えたろ、昔の名前と居場所……」
「え? 何の話……」
「十字架背負った掃除屋のガキに教えたんだろう? 俺が掃除屋の先輩なんだってな」
「え、何それ。教えてないんだけど」
眼鏡の予想外の返答にカズヒコは硬直する。ルナはウォルターの腫れた頬を撫でながらカズヒコを睨みつけ、第三者に教えたつもりもないのに本気で殺されかけたウォルターも目を細めながら彼を見つめる。
「……嘘はいけないなぁ、ウォルター君」
「いや、本当。十字架を背負った子は知ってるけどね、僕はきみの過去については何も教えてない」
「いやー、いけない。いけないよ、いけない。嘘はいけない」
「僕はきみがどれだけ自分の過去について悩んできたかを知っているし、それを他人に教えないという誓いも立てた」
「……」
「それでも本気で僕がバラしたと思っているなら……僕はきみを軽蔑する」
ウォルターが真剣な表情で発した言葉を聞き、カズヒコは黙り込んだ。
「……マジか?」
「うん」
「なら……そのガキがスカル・マスクについて聞いてきた時になんて答えた?」
「その人なら キース先生 の方がよく知ってるとだけ……」
「それをバラしたって言うんだよ、ボケがぁぁぁぁ────!!」
やはりこの男は畜生眼鏡であった。カズヒコは憤怒の形相でウォルターに殴りかかろうとするが、彼を庇うように立ち塞がるルナを前にして踏み止まる。
「……ッ!!!」
「ルナ、退いてくれ」
「退かないわ。貴方がまた殴られるもの」
「それで彼の気が済むならお安いものさ」
「でも……」
「もしもそれで僕が大怪我をしたら、存分に笑ってくれ」
ウォルターはルナの肩に優しく触れ、彼女を退かせる。そしてカズヒコが自分を殴り倒せる距離まで近づくが、彼を殴ろうにも殴れないカズヒコは顔を赤くしながら地団駄を踏むしかなかった。
「がぁぁぁーっ! くっそ、ホンッッットにお前らはよぉおおおー!!」
「いやぁ、僕も散歩中に呼び止められたと思ったらいきなり十字架突きつけられて大変だったんだよ。何も知らないって言ったら屋敷に砲丸撃ち込まれるし……」
「クソがぁぁぁああー!!」
「どっちにしても君の過去について教えたのはキース先生じゃないか。どうせ彼が『ウォルターくんが教えた』とか言うように彼女に刷り込んだんだろう……あの男ならそうする」
キース・クランチ。13番街に小さな診療所を構える闇医者の男。本人は知る由もないが、彼は住民達の間で『畜生眼鏡二号』という大変不名誉なアダ名で呼ばれている。その理由は推して知るべし。
「……」
「……」
「まぁ、その……何だ」
「何かね、カズヒコ君」
「……邪魔したな」
「まずはアイム・ソーリーだろ、カズヒコボーイ?」
とても気不味そうに屋敷を去ろうとするカズヒコに向けて、ウォルターは満面の笑みでそう言った。
ちなみに外出時はマイボトルに紅茶を入れて持ち運びます。紅茶は命の水です。




