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昼と夜の気温差が激しくて中々堪えますね。
午前11時、リンボ・シティ13番街。喫茶店『ビッグ・バード』にて
「お待たせしましたー! 特製オムレツセットです!」
「ありがとう、シャーリーさん! 今日も綺麗だよ!!」
「ふふふ、ありがとうございます」
「はいよ、ライ・ギョーフのフライな。揚げたてだから気をつけて食えよ!」
「ありがとウ。今日も一段と美味そうダ!」
「はっはっ、ありがとよ」
「すみませーん! 注文頼みたいんですけどーっ!!」
「はいよー!」
店内はいつものように常連客で賑わっていた。この喫茶店『ビッグ・バード』は13番街でも有名な店であり、その暖かな雰囲気と振る舞われる料理の味は殺伐としたこの街で暮らす人々にとって大きな癒やしとなっていた。
「お待たせしました、ホットコーヒーです」
「ありがとう、いや噂通りの美しさだね。わざわざここまで来た甲斐があった」
「ふふふ、ありがとうございます」
「夫婦仲が良さそうで羨ましいね。私も妻ともっと仲良くしていきたいのだが……何か秘訣でもあるのかな?」
「ええと、それはですねー」
「おーい、シャーリー! ちょっと料理運ぶの手伝ってくれー!!」
「ふふふ、ごめんなさい。この話はまた今度に」
厨房に居るカズヒコに呼ばれ、シャーリーは嬉しそうに尻尾を振りながら彼の元に向かう。彼女の魅惑的な腰付きを見てコーヒーを頼んだ恰幅の良い男性客も思わずにこりと笑った。
「ええと これはボクトの席、これはヘモダの席に頼むよ」
「はいはい、今日もボクトちゃん沢山食べますねー」
店自体の魅力もさることながら、このビッグ・バードが有名なった大きな理由の一つは看板娘のシャーリーにある。彼女はこの13番街どころかリンボ・シティでも際立つ美貌の持ち主であり、その姿を一目見ようと一桁番街から足を運ぶ者達も居るほどだ。
「……あのオヤジ、シャーリーさんを狙ってやがるな」
シャーリーに興味津々の恰幅の良い男性客を見て、この店の常連であるジャックが忌々しげに呟く。彼の近くのテーブルに座る二人の常連もかなり不機嫌そうな顔をしており……
「ああ、一目見てわかったね。あの目は女に目がないゲス野郎の目だ……どうする?」
「次に声をかけたら俺の毒針を刺す」
「いいなそれ……じゃあ俺はぐほぉっ!」
「あだっ!!」
「いだっ!!!」
「おめーら、何おっかねぇ話で盛り上がってんだコラ。せっかく来てくれたお客さんに迷惑だろうが」
恰幅の良い男性客に殺意を募らせる三人の常連にカズヒコの鉄槌が下る。
「な、何でもねぇよ! 別に……なぁ?」
「ちょっとしたジョークだよ!! 本気にすんなって……なぁ?」
「そうそう! 俺たちはただシャーリーさんが大好きでつい……」
「ん??」
ジャックが口を滑らせる。二人は彼から目を逸らし、カズヒコは彼の発言に首を傾げた。
「何でもないです、ごめんなさい」
「はっはっはっ、恥ずかしがるなよジャック。しっかり聞こえたからよ」
「俺、ちょっとトイレ」
「俺も」
「待って、お前ら! ちょっと待って、見捨てないで!!」
「別に何もしねーよ。今更これくらいで怒るかってーの!」
カズヒコは楽しそうに笑いながら言う。そして店内は再び明るい笑い声に包まれた。
「マスター、注文いいー?」
「あいよー、すまんすまん」
「賑やかな店だね」
「すみませんね、こういう店で。でもこれが俺の店なんだよなぁ……」
「いやいや、素敵な店だ」
申し訳なさそうに言うカズヒコに対して、男性客は笑顔で答えた。確かにシャーリー目当てで訪れる客は後を絶たないが、そんな彼女の夫であるカズヒコの人柄もこの店が愛されている理由だ。
新しい注文を受けてカズヒコが厨房へと戻った時、また新しいお客様がこの店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー!」
シャーリーが笑顔でお客様を迎え入れる……しかし新しく訪れた来客の姿を見て、彼女は目を大きく見開いて硬直する。
「……この店で、間違いないはず」
店を訪れたのは黒髪の少女。ストレートに伸ばした艶やかな黒髪はお尻まで届くほどに長く、その瞳は血のように真っ赤。150㎝に届くか届かないかという小柄な体躯よりも大きな『十字架』を背負い、胸元に傾いたラテン十字の装飾が施された特徴的な黒いロングコートを身に纏っている。
「……何だ、あの娘は」
「コスプレ?」
「あれって、十字架……だよな。宗教勧誘か?」
常連達も突然現れた少女に唖然とする。外見こそ可憐だが、自分の背丈を越える十字架を背負うその姿は彼等から見ても異様なものであった。
「ええと、店内にそんな大きなものは……」
「……」
「あの、宗教勧誘でしたらお断りさせて頂いてまして……」
困惑しながらもシャーリーは精一杯の笑顔を作り、新しいお客様を接待する。少女は少しの間沈黙した後に大きく息を吸い……
「この店に居るのはわかってる! 出てこい、スカル・マスク────ッ!」
少女は大声で叫んだ。真っ赤な目を見開き、あどけなさが残る愛らしい顔に似合わない鬼気迫る表情で『スカル・マスク』という謎の単語を叫び続ける。
「出てこい、スカル・マスクー! 私と勝負しろー!!」
「え、ええと……」
「出てこないと、この店を吹き飛ばすぞ!!」
「えっ!?」
少女の口から飛び出した物騒な言葉を聞き、シャーリーを含めた店の皆が大きく取り乱す。もしもここが外の世界だったなら、気合の入ったコスプレイヤーの悪ふざけとして一笑に付すところだが……
「はぁ!?」
「あのガキ、何か言ってるぞ!!?」
「はっはっ、近頃の女の子は元気だなー」
「先生、余裕だな!?」
残念ながら、ここはリンボ・シティ。悪ふざけで他人の命を本気で奪う馬鹿が集まる街である。
「ま、待って! 落ち着いて!!」
シャーリーは慌てて黒髪の少女を落ち着かせようとする。しかし少女は彼女の制止を無視して背負った十字架の縦アーム部分を前方に突き出し、まるで重火器を構えるような姿勢をとった。
「行くよ、ハリー! 力を貸して!!」
少女が口にした『ハリー』という単語に反応したのか、彼女が構える十字架がガチャガチャと騒々しい音を立てながら展開し、内部から機械的な部品が覗く。中心部から引き出されたグリップと思しき部分を彼女が握ると同時に、縦アームの先端部から砲口が出現する。
「ファッ!!?」
「何!? 何アレ!! すっごイ!!!」
「はっはっ、女の子の玩具にしては随分と大掛かりな代物だね」
「ちょっと先生、余裕過ぎない!?」
彼女が背負う十字架は磔にされた某救世主もビックリな冒涜的ビフォー・アフターを遂げ、十字架を模した『何だか良くわからないけど凄そうな超兵器』と成り果てた。
……何処の誰が設計したのかはわからないが、設計者は余程の馬鹿か命知らずと見て間違いないだろう。
「出てこい、出てこい、出てこい! さもないと……!!」
「ああーっ! 待って、撃たないで!! 撃たないでーっ!!!」
何より恐ろしいのは、大人数人分の重さがありそうな超兵器を 軽々と 持ち上げる黒髪の少女の怪力だろう。この街で色々とおかしいものを見てきた常連達も思わず唖然とし、シャーリーも彼女の前に立ち塞がって必死の説得を試みる……その時だった。
「ほーい、ボルドーの丸焼きお待ちー……って何この空気?」
厨房から出てきたカズヒコは一変した店内の空気に困惑する。黒髪の少女はカズヒコの姿を見た途端、彼に砲口を向けて大声で叫ぶ。
「お前がスカル・マスクか!!」
「あ、あなた……!」
「……お嬢ちゃん、誰?」
「え……知り合いじゃないんですか!?」
「いや、全然知らない子。え、何 その格好……新手の宗教勧誘か何か??」
「やっと見つけたぞ、スカル・マスク!!」
「ああ、何かのアニメのコスプレか。気合入ってんなー……」
「私と戦え、スカル・マスク!!」
少女はカズヒコを『スカル・マスク』と呼んで闘争心を剥き出しにする。だが当のカズヒコは少女と面識が無く、何か良くわからない物騒な代物を自分に向けてスカル・マスク、スカル・マスクと連呼するコスプレイヤーに困惑するしかなかった。
「私と勝負しろ!」
「……あー、はいはい。とりあえず席に座って?」
「勝負だ!」
「お客様? 席に座りなさい?」
「勝負……」
「お客様??」
カズヒコはゆっくりとした歩調で黒髪の少女に近づき、静かな声で言う。表情は笑顔であるが、距離を詰めるに連れてその声色は徐々に変化していく。何より彼にとっては優しい笑顔のつもりでも、対峙する少女から見れば彼の顔はあまりにも怖かった……
「わ、私と」
「お客様? ここは飲食店ですよ?」
「しょ、しょう
「注文は??」
そしてカズヒコは黒髪の少女の前に立ち、彼女を静かに見下ろす。先程まで闘争心を剥き出しにしていた少女も徐々に彼の気迫に圧され、その顔にはじわじわと汗がにじみ始める。
「ご注文は?」
「えっ……」
「ここは飲食店だぞ? 店に来たらまず注文だ。いいね??」
「……あ、あの」
「ご注文は?」
カズヒコは腕を組んで黒髪の少女を見下ろし、威圧感たっぷりに言う。自分を見下ろす身長190㎝オーバー、鍛え抜かれた筋肉の鎧を身に纏うオッサンの迫力に圧倒されて少女の身体はカタカタと震えだす。いつの間にか少女の瞳には大粒の涙が浮かび、今にも泣き出しそうになっていた。
「注文だ、注文を寄越せ。ここは飲食店だぞ? 注文を……早く、早く早く早く」
「あ、あう……あうう……」
「あ、あなた? この子怖がっちゃってるから……そのくらいにしてあげてね?」
半泣きで震え上がる少女を見かねたシャーリーがカズヒコを制止する。長年付き添ってきた彼女からしても今の夫の迫力は半端じゃないらしく、その体は小さく震えていた。
「泣くくらいなら最初からおふざけは止めろ、いいね?」
「あ、あの……」
「いいね?」
「あ、はい……」
カズヒコの至極真っ当な発言に、黒髪の少女は震える声で答えた。
紅茶がなければ体を壊すところでした。