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そして時は戻り、時刻は午前11時。依然として警部達はパトカーの中で身動きが取れずにいた。周囲を徘徊する羊達に車を破壊する力はないが、こちらも今は車外に出る事が出来ない。
「警部、足の怪我は大丈夫ですか……」
「ああ、大した傷じゃない。止血も消毒も済んだから後はお医者さんに診てもらえば安心だ」
「……」
「まぁ、この足で走るのは無理だろうな……」
警部はパトカーで羊達を轢き殺しながら進む事も考えたがすぐにやめた。潰した羊にタイヤを取られて横転すれば元も子もない。彼等を覆うふわっふわっな毛は轢いた瞬間に車のタイヤに絡みつき、あっという間にその機能を奪うだろう。
《めぺぇ~、めぺぇえ~》
刑事の無茶な運転でパトカーは 横向き の状態で停車してしまっている事もあり、近くで立ち往生する車や羊が邪魔で方向転換に必要なスペースが稼げない現状では車を動かすのも難しい。
「せめてクラクションを怖がって逃げるくらいの可愛げがあったらなぁ……」
「最初は逃げましたけど、すぐに戻ってくるようになりましたね……」
「あの時にお前は逃げても良かったんだぞ? 少なくとも近くの建物には逃げ込めるチャンスはあっただろうに」
「警部を置いていけませんよ」
「はっはっ、お前は本当にいいヤツだな! 大物になるぞ!!」
警部は嬉しそうに笑いながら、彼の肩を叩いて称賛した。しかし刑事は尊敬する上司の称賛を受けても、気の抜けたような愛想笑いをするだけだった。
「ははは……」
「褒められるのは苦手か? すまんな」
「いえ、警部が謝ることじゃないです」
「いて、いてててて……」
ようやく運転手が目を覚ます。頬を赤く腫らした男は気怠げに起き上がり、窓の外を見て腰を抜かした。
「ファァアアアアアッ!? 臭いふわふわに囲まれてるぅうううう!? え、何!? 俺どうなったの!!? 車、車!? ここ車の中なの!!? 誰の、誰の!!? え、もう捕まったの!? このまま殺されちゃうの!!!? やだぁあああああああー! 助けてママアアアアアアアア────ンン!!!!」
「おう、起きたか」
「ああああああっ、あなたはポリスメン! 僕を助けてくれたの!!?」
「助けるって言ったろ」
「なんて素敵なポリスメン! この恩は一生忘れないよ!! アンタにならケツを差し出しても構わない、俺の感謝の気持ちを是非受け取って!!!」
「はいはい、いらないから。とりあえず大人しくしてろ」
「あれ、何で動かないの? 車出そうよ、さっさとここから離れようよ。何で止まってんの? 馬鹿なの??」
「あんな大きさの毛玉潰したら即タイヤ取られて横転するぞ? 少しは考えろ、映画でも似たようなシチュエーションで飛び出した車が横転してあうううんする場面が腐る程あるだろ? ましてやこれはリアルの話だよ??」
「じゃあどうするの!? このまま男三人でパトカーの中でじっとしてろって言うの!!? やだよ、絶対に何か起きちゃうよ!!!」
目覚めた途端、濃厚なマシンガントークを連発して警部を苛立たせる運転手の男。八方塞がりの状況に混乱しているのか、それとも元からそういう気性なのかは定かではないが彼の一言一挙一投足が警官二人の神経を逆撫でしていった。
「あの、いい加減に落ち着いて!」
「落ち着けないよぉ! 俺はアンタと違って普通の人間なの!! 凄いパワーや超能力とか丈夫な体とかを持ってるスーパーマンな異人とは違うんだよぉ!!!」
運転手の言葉を聞いて、刑事は沈黙する。運転手は刑事を人間ではなく『異人』として認識していたのだ。
「おい、こいつは人類種だぞ。異人種じゃない」
「え!? その髪と目の色で!? いやいやいや何の冗談……
「……はっはっ、やっぱそう見える?」
刑事は目を押さえながら乾いた笑いを上げる。
「いやぁ、そうだよねぇ……この色だもんね。そりゃ、人間には見えないさ」
「おい」
「昔からいじめられたもんさ……俺だけじゃない、家族みんながいじめられた。両親の髪は綺麗な茶色、なのに俺だけこの色さ。はっはっはっ」
「……」
「魔女の子だとか、異人と浮気したとか、実は異人が化けているんだとか、何かに着けて言われたもんさ……いい子にしてなきゃ、友達も出来なかったよ。いい子にしてても中々出来なかったけどさぁ……はっはっはっ!!」
今まで抑えていた感情がついに爆発したのか、普段の彼からは想像も出来ない調子で心情をぶち撒ける。
「おい」
「いやね、ホント。実はこの街に来たのもさ、外の世界じゃ────」
警部は刑事の胸ぐらを掴み、乱暴に引き寄せる。そして彼の顔を真剣な目で見つめて言った。
「今のお前が、なりたい自分は何だ?」
「え……」
「人間か? 異人か? 警官か?」
「あの、警部……」
「俺はお前の親父じゃないから、一度しか言わん。当然、お前の過去に何があったとかを詳しく聞くつもりもない。いいか、よく聞けよデューク」
「……」
「この街に来た以上は、過去を忘れて今を見ろ。昨日を捨てて、今なりたい自分に全力で成り変われ。この街では何でも起きる、これまで通りに生きているだけじゃ お前はすぐに死ぬぞ」
「……ッ」
「過去に囚われたままがお望みなら、好きにしろ。もしそうでないなら……意地を見せろ。お前を悪く言った奴らじゃなく、自分自身にな」
デューク刑事を離し、警部は運転席に深くもたれ掛かる。暫く沈黙した後、気まずそうに窓の外を見ながらぼそぼそと話し出した。
「まぁ、説教は苦手でな……今ので察しろ」
「……ありがとうございます、警部」
「何、実のところ俺もなりたい自分になれているわけじゃない」
「……」
「それでも努力はしているさ。お前も、努力ぐらいはしてみるといい……少なくとも気は楽になるさ」
「はは……」
デュークは小さく笑う。その言葉に納得出来た訳ではないが、その言葉を自分にかけてくれた警部の不器用な優しさに彼は心打たれた。そして自分の感情を本気で受け止めてくれる相手の存在を再確認できた事で、今まで密かに抱えていた悩みやトラウマが一気に軽くなったように感じられた。
「なりたい自分はよくわかりませんけど、憧れの人ならいますよ」
「なら、その人の真似をしたらいいさ」
「ははは、頑張ってみますよ」
「はっ、ポリスメンさん。そんな綺麗事だけで生きていけるもんかよ」
後ろで黙って聞いていた運転手が不満そうにボヤく。彼の表情は冷めきっており、警部の言葉を一から十まで納得出来ないという内心を顔全体で表現していた。
「なんだ、これが綺麗事に聞こえたのか。お前のハードル低すぎだぞ?」
「綺麗事だろうが! そんなアッサリと人間変われるもんかよ!!」
「外の世界じゃ無理だろうがな。この街なら簡単だ」
「何でそう言い切れるんだよ!?」
「毎日が命懸けだからだよ。死にかけたら誰でもアッサリ新しい自分に目覚められるぞ? お前も実感できただろう。どんなに『自分は変われない』と意地を張ろうともな、一度でも常識の外側を見ればあっという間に大変身だ」
「いや、あれは……」
「外の世界と違って、この街はそういうチャンスがいつでも舞い込むんだよ。何せ、冗談抜きで何でも起きちまうんだからな」
警部は皮肉げに笑いながら言った。この街で生まれ育った警部だからこそ言える言葉……何でも起きるこの街で暮らす為には、嫌でも自分の中から固定概念や常識を綺麗さっぱり追い出さなければならない。『ああなるかもしれない』、『こうなったらどうしよう』、『何か嫌な予感がする』etcetc……
そう考えてしまえば、この街では大体その通りになってしまうからである。
つまり深く考えて思い悩む暇があれば、即死上等、トラブル上等、何が起きても 仕方ないね と割り切って『今この瞬間』に意識を向ける事こそが何よりも重要なのだ。
「……どうかしてるよ、アンタ」
「まだまだお前はこの街の何たるかを知らないらしいな」
「何がだよ……この街がやべえ所だって何度も聞かされたよ」
「そうみたいですね、警部。きっと口からビームだす生き物や無限に湧いてくる黒いゲロみたいな奴とかクソでっかい巨人とかも見たこと無いんでしょうね。羨ましいなー、本当に」
「え、何それ怖い」
「魔法使いについてもよく知らないだろ? 箒に乗ってわはーってファンシーに空飛んでるイメージとか持ってるだろ。違うからね」
突然警官二人の様子が豹変し、運転手は訳も分からず彼等に圧倒される。
実際にこの男は『運び屋』としてまだ日が浅く、リンボ・シティに来たのもつい最近だ。今回のように直接、街の中をトラックで走るのは今日が初めてである。恐らくは運び屋としての必須知識である『この街の地理』と『最低限度の注意点』しか教えられなかったのだろう……。
「な、何だよポリスメン。魔法使いってアレだろ? 魔法を使う……」
「そう、魔法を使う。じゃあ魔法を使って何をするか考えたことはあるか?」
「え、そりゃー」
突然、遠方が眩く発光したかと思うと、彼等が乗るパトカーの 前後面 を掠るように青いレーザー光線が通り過ぎる。車体を囲う羊達の大半が(近くの乗用車の一部ごと)一瞬で蒸発し、先程の光線に続いて突き抜けてくる青白い光弾が生き残った羊を的確に撃ち抜いていった。
「……ファ?」
「来ましたね、警部」
「今日はやけに早いな……」
「え、何!? 今の何!!?」
「魔法だよ」
目の前で何が起きたのか理解できない運転手は大きく取り乱す。その間にも青白い光弾は流星群のように殺到し、羊達の体を容赦なく穿っていく。悲鳴一つ上げる間もなく羊は即死し、気がつけば体の小さな一頭を残して羊の群れは全滅していた。
《め、めぺぇ~、めぺぇえ~》
生き残った一頭は恐怖のあまり身動きが取れないようだった。力なく地面にへたり込み、小さく震えながら毛玉のように丸まって防御姿勢を取る。
「……魔法で仕留めると増えないのか」
「え、魔法!? あれが!!? 何か思ってたのと違う!!」
「増やさずに殺す方法があったのかもしれないですね……あの人なら知ってそうだし」
「確かに、あいつなら知ってるだろうな」
「あいつって何!?」
「あっちを見ろよ、あいつだよ……あのくっそムカつく顔してる眼鏡」
運転手が警部が指差す方向を見ると、こちらに近づいてくる 眼鏡の男 が見えた。両手に持った回転式拳銃に似た武器をコートにしまい、その眼鏡の男は運転席のすぐ隣で立ち止まる。警部は重い溜息を吐き、静かにサイドガラスを下ろす……
「やぁ、おはよう警部。今日も元気そうだね」
眼鏡の男、ウォルター・バートンは爽やかな笑顔で警部に挨拶した。
紅茶の飲み過ぎでお腹を下しました。今年一番傷ついた出来事です。