8☆
夜に筆が乗ってきちゃうと、いざ寝ようとしたときに辛いですよね
「じゃあな、デカブツ! まぁまぁ楽しかったよーっ!!」
アルマは魔導具で強化された脚力で助走をつけた勢いと全体重を乗せた渾身の飛び蹴りを怪獣に刻まれた赤い魔法陣に叩き込む。足先が触れた途端に魔法陣は赤く眩い光を放ち、アルマを中心にして鮮血のように真紅に輝く粒子の渦巻きを発生させ……
「それじゃあ────死ね!!!」
アルマが笑顔で叫んだ瞬間、彼女の全身を赤い光が包み込んで数十mはあろうかという大きさの赤い螺旋状の槍へと姿を変え、怪獣の身体を貫いた。
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!》
胴体部に大穴を開けられた怪獣は口から緑色の血を大量に吐き散らしながらドドォオオンと派手に倒れ込む。
「まぁ、今度こそオシマイだろう。次からは杖を駄目にしないように気をつけないとね……」
地面に倒れ伏して動かなくなった機械の怪獣を見てウォルターはホッと一息つき、お気に入りのコートについた砂埃を手で払い落とす。
「御主人ーっ!!」
怪物をぶち抜いて遠くまで飛んでいったアルマが猛ダッシュで戻ってくる。
あれだけの大技を叩き込んでも彼女に目立った外傷は無く、可愛らしい姿には似つかわしくない程の超絶的な戦闘力と耐久力を馬鹿馬鹿しいまでの説得力で周囲に見せつけていた。
「お疲れ様、アルマ。さぁ帰ろうか、美味しいパフェが君を待っている」
「オレの靴が壊れたぁ!」
「え?」
「靴が壊れたぁー!!」
アルマは原型を留めない程にボロボロになった黒いブーツを両手に掲げて叫ぶ。
「直るか!? 御主人、直せるか!?」
「うーん、これはもう……直すのは無理かな」
「えぇええっ!?」
彼女はショックのあまり手に持ったブーツをガシャンと落とし、耳をプルプルと震わせながらウォルターに縋り付く。
「うわぁあー! 直してくれよ、ごしゅじーん! あの靴は気に入ってるんだよぉー!!」
「あーあー、大丈夫。また部品を取り寄せて一から作り直すよ」
「本当か!? また作ってくれんのか! 明日にはできる!?」
「いや、部品が届くまで一週間くらいかかるから……」
「そんなぁー!」
半泣きで胸をボカボカ叩くアルマを慰めながらウォルターは溜め息をつく。
「お疲れ様でした、旦那様」
そんな二人の背後から日傘を差したマリアが歩み寄り、困り顔のウォルターに声を掛けた。
「やぁ、マリア。今まで何処に居たんだい?」
「うふふ、眺めの良い素敵な場所に」
「くそーっ! もっと丈夫に作れよ、ばかーっ!!」
まるで子供のように駄々をこねるアルマを見てマリアはくすりと笑った
「あらあら、アル様。一体どうなされたの?」
「お気に入りの靴が駄目になってしまってね……」
「あららー、それは残念。代わりの靴を用意してあげなくちゃ」
「いやだ、あの靴がいい!」
「もー、アル様ったら。相変わらず子供っぽいですわねー……可愛らしいこと」
「うっせー! 子供扱いすんな!!」
「だって何処から見ても子供じゃありませんのー、うふふふふー」
「喧嘩売ってんのか、コラーッ!!」
11番街に現れた怪獣はアルマに倒され、大きな被害を出しながらも街の平和は守られた。ウォルターはその事を喜ばしく思いながら携帯を取り出して老執事に連絡しようとした……その時だった。
突然、周囲の地面が大きく揺れ出す。
「あっ」
ウォルターは通話を繋げる前に携帯を落とし、最新鋭の薄型携帯電話のデリケートな液晶画面は呆気なく割られてしまった。
「……」
「おっおっ、何だ? 何だ何だ!?」
「あら地震? 怖いですわぁ~」
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ》
次に聞こえたのは大地を揺るがす、地鳴りのような叫び声。ウォルター達が後ろを振り向くと、朽ちかけた身体から再び触手を伸ばして周囲の建造物や車を手当たり次第に掻き集める異形の姿があった。
《ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア》
アルマ渾身の一撃であの巨体を維持できない程のダメージを受けた怪獣は、それでも朽ち行く身体を維持しようと目につく物を貪り食う。そして大量の金属や建物を際限なく取り込んだ末に巨大なスライムとしか形容できない醜怪な姿になり、全身の到るところから緑色の体液を吹き出しながら天に向かって咆哮した。
「いてて……おい、お前ら大丈夫か?」
「……多分、生きてます」
「ああ、冷たっ! くっそー、何でこんな所に!!」
「13番街に飛ばされるよりはマシだろ……我慢してくれ」
撃墜されたヘリに乗っていたスコット達は一桁番街にある広場の噴水の中から這い上がる。
「……【転移石】を持ってきて良かったよ。これがなかったら今頃、あの世で爺さんに説教されてるところだ」
首元にぶら下げたヒビ割れたガラス玉のような石に触れ、スコットは安堵の表情を浮かべる。
「でも、貴重な転移石が……」
「えっ、あのタイミングで転移石を使うなと!? 凄いな、お前! 死にたかったのか!?」
「あっ……す、 すみません! 先輩!!」
ヘリコプターが触手に捕まった瞬間、スコットはアグリッパ家が代々保有する特別な魔導具である転移石を使用して難を逃れた。転移石は使用者とその周辺に居る人物を別の場所に転移させる能力を持つが、一つの石につき転移できるのは一度限り。既に現存数も残り僅かとなっており、後輩の魔法使いの言う通り非常に貴重な代物だ。
「……で、どうしようか」
「……」
「とりあえず、協会本部に戻りましょう……幸い建物のすぐ近くに転移できましたし」
ちなみに転移できるポイントは昔から決まっており、予め決められた場所の中からランダムで選ばれる。運が悪ければ13番街のゴミ捨て場に飛ばされる可能性もあり、貴重品にしてはギャンブル性の高い魔導具である……
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ》
巨大な真っ黒いスライムと化した怪物は全身から悪臭を放ち、周囲の建物を飲み込みながらウォルター達に迫る。
「何だぁ! なぁ御主人、あれは何だ!? 気持ちわるいな!!」
「……そういえば昔、マーマイトっていうあんな色合いの腐ったジャムみたいな食べ物があったね。もう製造終了しちゃってるけど」
「ああ、ありましたわね。懐かしいですわぁ……あれを食べた時のアーサー君の顔は最高でしたわ」
「あんな気持ち悪いもん食ったのか!?」
「アレを食べたわけじゃないけどね? 大体あんな感じだったね……臭いも似てるし」
〈ヴァギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!〉
低い濁声に混じって聞こえてきたのは人間が絶叫するような声。ウォルターが目を凝らすとスライム状になった肉体の中から藻掻くように這い出す人型生物の姿があった。
「あ、何か出てきた! 何だアイツ! 弱そうだな!!」
「……なるほど、あれが【本体】か。怪獣みたいな姿はアレを守るための外殻みたいなものだったようだねぇ」
「あらあら、立派なのは外側だけだったのですね。肝心の中身は……はぁ。ガッカリですわぁ……」
三人の言葉が聞こえたのか、鈍く光る銀色の球体が顔面に食い込んだ人型生物はこちらを指差してギャアギャアと叫ぶ。
「どおりで中々死なないわけだよ」
ウォルターは剥き出しになった本体を破壊しようと魔法を放つが、まるで本体を守るかのように肉の塊が再びその全身を包み込み、彼の魔法を全て防いでしまった。
「あー、また隠れた! きたねーっ!」
「……そこは大人しくトドメを刺されてくれないかな? 何の為にそのブサイクな面を見せたんだよ、『早く殺してください』って意味じゃないのか?」
「残念な見た目と矮小な中身に相応しい立ち振舞ですね。うふふ、最高に無様ですわ」
言いたい放題言われて堪忍袋の緒が切れたのか、怪獣はスライム状になった身体から緑色の廃液が滴る無数の触手を伸ばしてウォルター達に襲いかかる。
「うおっ、 汚ねぇもん伸ばしてきたぁ! やだーっ!!」
アルマは急いでウォルターの後ろに隠れる。ウォルターは苦笑いしながら周囲に防御魔法を展開させて触手の攻撃を防ぐ。
「ああ、リーゼ……僕は一体何をしているんだろう。何で昼食抜きでこんな臭いゲテモノの相手をしなきゃいけないんだ。酷いよ。あんまりだよ」
「リーゼって誰だよ、御主人!」
「これからどうされますか? 旦那様」
「うーん、どうにもならないね」
「何いってんだ御主人! しっかりしろ!!」
既に怪獣の相手をするのにうんざりしていたウォルターは明後日の方向を見ながら気の抜けた声を出す。触手による攻撃は防御魔法で完全にガードされているが、怪獣はこちらを飲み込もうとどんどん距離を詰めてくる。
「……御主人、ひょっとしてオレたちヤバいんじゃね?」
「そうだね。そもそもこの杖じゃ、あのデカブツを倒すのは無理だからねー」
「はぁ!? じゃあ、なんで突っ立ってるんだよ!」
「いや、そろそろアーサー君が迎えに来てくれるかなと思ってたんだけどね。中々来ないんだよね」
「うふふ、電話をかけないと彼は来てくれませんわよ?」
「何してんだよ御主人! さっさと電話しろよ!!」
「はっはっはっ」
ウォルターは笑いながら、操作パネルを兼ねる液晶画面が派手に損傷した携帯電話を見せつける。
「御主人ーッ!!」
「あらあらまぁまぁ。ひょっとして私たち……絶体絶命なのでしょうか?」
「うーん、君はともかく僕たちは駄目かもしれないね」
「ふざけんな! オッサンのパフェ食べる前に死ぬなんてやだーっ!!」
装填された術包杖で放てる魔法は精々あと数発が限度……しかもあの巨大スライムを滅ぼせるだけの火力のある魔法は使えない。
アルマは確かに戦闘では頼りになる存在だが、その戦闘手段は常識を逸脱した身体能力を活かした接近戦……要は物理攻撃に特化している。アレに物理攻撃の類が通用するか否かは考えるだけ時間の無駄だ。飛びかかった瞬間、スライムの海に溺れる羽目になるだろう。
マリアは杖を使わずとも魔法に似た様々な特殊能力を使えるが、やはりあの怪物を滅ぼせるだけの大技は放てない。それができるなら最初からそうしている……と言いたい所だが彼女の性格上、アレと戦う手段があったとしても戦わない道を選ぶだろう。アルマと違ってマリアは荒事が嫌いなのである。
「あーっ! キモいのがこっちに来るーっ!!」
「……ところで魔導協会の皆さんは何してるんだろうね。ひょっとして戦ってるのが僕だから助けを寄越さないのかな?」
「うふふ、ありえそうですわね。あの方々は旦那様が大嫌いですものー」
街を飲み込みながら目前に迫る黒いスライムを濁った目で見つめ、ウォルターは不機嫌そうに頭を掻いた。
『し、信じられません! まだ生きています! あれだけの攻撃を受けても怪獣は死んでいません! またその姿を大きく変えて……』
「これはまた、面倒なことになりましたな」
11番街から離れた安全な場所で警部達を降ろし、カーナビのテレビでニュースを見ていた老執事は表情を曇らせる。
「……何ですか、あれ」
「……さぁ、俺にもわからん」
「どうするんですか……あんなの……」
カーナビに映る巨大スライムの姿を見て若い刑事は呆然とする。その地響きのような叫び声は警部達の居る場所にまで届き、周囲の人々も流石に動揺を隠せずに居た。
「急用が出来ましたので、私はここで失礼致します」
「……ああ、助かったよ執事さん」
老執事は車を走らせて何処かへ向かう。警部は走り去る黒塗りの高級車を複雑な表情で見送り、若い刑事はこの世の終わりを見たかのような表情で頭を抱える。
「あんなの……あんなの……っ! どうしようも無いじゃないですか!!」
「そうだな、確かに今日のはヤバい奴だな。もしも此処が街の外だったら軽く世界の危機だったろう」
「……ッ」
「でもな、この街じゃ何とかなっちまうんだよ。あんな化け物が現れてもな」
だかあのような怪物を目の当たりにしても、警部は力強い声で言い放った。
「可哀想に、あの周辺は暫く閉鎖されるでしょうなぁ……」
老執事は巧みなハンドル捌きで騒ぎを聞きつけてきた野次馬や増援のパトカーをかわしながら呟く。彼が向かっているのはウォルターの屋敷。あの怪獣をこの世界から完全に消滅させうる 最終兵器 を彼の元に届けるべく、老執事はスピードを上げて車を走らせた……