幽霊酒場にてビートルジュニスと会うこと
穴の中は春の陽気のような温もりがあった。
奇妙な甘い臭いは邪妖精市より強くなった。かぐわしくもなければ悪臭でもない。なんとも中途半端な香りである。
パメラのポーチから頭を出している蛙は思案顔である。
ガシャドクロは唸っていた。
「うーんうーん、る、る、る、ルネッサンス」
ガシャドクロはようやく絞り出した答えを力強く叫ぶ。
「す、ね。す、す、す、スキャンダル」
パメラは会心の笑みを浮かべる。
蛙は脂汗を垂らして、むむむと唸った。
「る攻めとは、なんて酷いことをするんだい。る、る、ルイボスティー」
地底に続く階段を降り始めて一刻は経つだろうか。
しりとりも佳境に近づいていた。
「いは簡単だよ。僕の好きな、犬」
ガシャドクロはしりとりを楽しんでいるが、パメラにとってしりとりは勝負である。
物覚えが悪かった子供のころ、女中のハンナが物事を覚えさせるためにしりとりを使った。早く答えに詰まると、パメラのおやつはなくなったし、他にも、色々と辛いことが待っていた。
「ふふん、それは甘いわよ。ぬ、ぬ、ヌードル」
順番は、パメラ、ガシャドクロ、蛙である。
みの「る」攻めに会って、蛙界の物知り博士である蛙も流石に苦しい。
「お嬢さん、る攻めはやめておくれ。る、る、……降参だよ」
「やった、わたしとガシャドクロちゃんの勝ちよ」
「やった、る攻めに耐えた甲斐があった。かえるさん、僕たちは髑髏だけど物知りなんだよ」
「ええい、これだけ修行したのに負けてしまうなんて、菩薩様に会せる顔が無いよ」
蛙はため息を吐いた所で、階段は終わりにきた。
ここからは、長い坂が続いている。
「しりとりは、もうやめましょう。次は何をしようかしら」
◆
お嬢様とかえるさんは、ガシャドクロと共に何をしながら進もうかと話し合います。
あれがないこれがないということで、なかなか遊びは決まりません。
そうこうしている内に、坂を下っていますと明かりが見えてきました。
黄泉の国の手前にあるのは、幽霊酒場です。
死者が最後に現世を懐かしみ、休息するお店でした。
◆
幽霊酒場、大きな大きな酒場だ。
羽のような形をしたスイングドアの先には、死者や妖怪や得体のしれぬ者たちが様々に酒を酌み交わしている。
死者たちのほとんどは半透明で、手元にある酒を舐めることに集中していた。
人でごった返しているのに、聞こえてくる物音は少ない。
「お邪魔します」
パメラは言って酒場にスイングドアを開けて店内に入った。
沢山の席に座っている死者たちは、パメラを見ようともない。飲んでも飲んでも尽きることのない手元の酒を口に運ぶのみだ。
「お嬢さん。半透明のヤツらは幽霊だから、話しかけてはいけないよ。店員さんの所へ行こう」
「静かなところなのね」
「死者はみんな静かなのです。僕も、脳食い鳥さんに出してもらうまでは独りぼっちでした」
パメラはおっかなびっくりといった様子で店の中を進み、給仕の女を見つけた。
やけに短いスカートのはしたない格好をした女だ。二本の角が頭に生えているため、人でないことが分かる。
「お姉さん、ビートルジュニスさんという方を捜しているんですけど」
女は驚いた顔をした。
「おっどろいた、あんたみたいな生き、……ごめんなさい。久しぶりのお客さんだから、驚いたわ。ベテルギウスに会うなんて、やめておきなよ。あいつ、とんでもないクソ野郎だから」
「えっと、黄金のリンゴをなんとか頂きたくて」
女はさらに驚いた顔をした。
「あんた、魔女じゃないわよね。あいつが持ってること、どこで知ったの?」
「縫製屋さんのドヴェルグおじ様に聞いたの」
女の顔が、驚愕から口元を邪悪に引き攣らせた笑顔に変わった。
「うっわあ、なるほどね。だったら、ここで魂にしても仕方ないね。ビートルジュニスは奥の席でポーカーをしてるから、行ってきなさい。あと、そこの蛙とドクロも通してあげる」
「……? ありがとう、お姉さん」
蛙とガシャドクロは黙ってそのやり取りを見ているしかできなかった。
阿傍羅刹である給仕の女は、モノノケの類が話しかけるにはあまりにも恐ろしい存在である。
◆
ビートルジュニスは奥の席を陣取って、ミノタウルスとポーカーをしていた。
テーブルにはカードと共に金銀財宝が積み上げられている。正確には、ビートルジュニスの手前にだ。
山高帽を被り貴公子の装束をしているが、豪奢な服は寸足らずで、足元は猟師の吐くようなブーツといった奇妙な格好だ。
顔色は死人のようだが、彫の深い剽軽な顔付きをしている。
道化じみているが、奇妙に忌まわしい印象の妖魔であった。
「二枚交換や。ぬふ、ふふふふ、ほら、ワシは博打の神さんに愛されとるわ。見てみ、ファィブカードや」
勝負はビートルジュニスが勝ったようだ。しかし、ミノタウルスは顔を真っ赤にしてテーブルに拳を叩きつけた。
「ロイヤルストレートの次はファイブカードだと。ふざけやがって」
「おほほほほ、イカサマだってアヤつけるんかいな? あかんで、証拠も無しにそないな無法が通るかいな」
「イカサマは手前だろうがっ。もういい、死にやがれ」
ミノタウルスが背負っていた斧を手に取って振り上げた瞬間、ビートルジュニスはテーブルに置いてあった酒瓶を手に取った。
「ルール違反はそっちやで。悪く思わんでね」
ミノタウルスの動きがぴたりと止まる。それは、彼だけを時間が取り残したような有様だ。
酒瓶から紫色の煙がゆらゆらと立ち昇り、ミノタウルスの全身を包む。紫色の煙に巻かれたミノタウルスは輪郭をぼやけさせて、煙と一体化してどんどん薄っぺらな存在へと変わっていった。
ミノタウロスの形をした煙に姿を変えてしまうと、煙は元ある所に帰る様に酒瓶に吸い込まれていった。
「ひひひひ、賭け事にゃ向いてへんな」
ビートルジュニスは酒瓶を振ってぽちゃぽちゃいわせてあとに、テーブルの上にあった財宝を掻き集める。そして、足元に置いていたズタ袋に金銀財宝を無造作に詰めていった。ざらざらと、金銀が転がる音がする。
「お嬢さん、こいつは不味い手合いだよ。あの酒瓶は魔法の道具さ。わたしの術程度じゃ、あれに吸われたら助けられないよ。ここは帰った方がいい」
「でも、頭の中が空っぽなのは寂しいし、おじ様にせっかく教えてもらったから」
「お嬢さんは僕がお守りします」
三人はそんなことを言い合ってから、ビートルジュニスに近づいた。
「なんや姉ちゃん。このワシに用でっか?」
ビートルジュニスの強い西方訛りは、奇妙に優しい響きがあった。
「はい。あのう、黄金のリンゴを譲って頂きたくて。あ、わたしはパメラと申します」
「は、ワシに名前名乗るんかいな。ひはははは、変わった姉ちゃんやな。それに黄金のリンゴて、誰に聞いたんよ、そんな与太話。そんな大層なモンをワシなんかが持ってる訳ないやん」
かつて、黄金のリンゴは神々の報奨であった。
「縫製屋さんのドヴェルグおじ様から聞いたんです。あのう、ここにチーズケーキがあります。女中のハンナが焼いてくれて、とっても美味しいから、交換してほしくて」
ビートルジュニスは困った顔で笑うと、手にある酒瓶をテーブルに叩きつけるように置いた。ドン、という音でパメラたちは驚いた顔をしてしまう。
「あのオヤジめ、いらんこと言いよってからに。それ知ってんやったらタダで帰す訳にはいかんわ」
蛙がポーチから飛び出してテーブルに飛び乗ると、素早く緑色の手で印を組んだ。
「おぉむ、かうろぅあ、あずでぎよ、そはか」
「蛙ごときの術が効くかいっ。ワシはこの姉ちゃんと話しとるんじゃ、関係ないもんは黙っとれやっ」
「邪術でお嬢さんを支配なんてさせないよ。わたしはこう見えて、妖魔退散の術程度は使えるんだ。お前もタダでは済まないよ」
「ぼ、僕も、タダじゃおかないぞっ」
蛙とガシャドクロが言った時、酒場の従業員の鬼たちがぞろぞろとやって来た。
さきほどの給仕の女が先頭にいる。
「ベテルギウス、幽霊酒場で喧嘩はご法度さ。いくらあんたでも、それ以上やるなら川を渡らせることになるよ」
給仕の女の口から牙が伸びて、吐息が黒い炎に変わる。
「ちっ、なんやなんや。ワシがアヤつけられて困っとるいうのに」
「ふん、どうだかね。ここじゃあ喧嘩はご法度さ、いいね。そこのお嬢ちゃんに蛙にドクロ、あんたらもだよ」
ビートルジュニスは舌打ちをすると、パメラを睨みつけてから上から下に舐め回すように見た。
給仕の女鬼が顔を顰めるほどの淫蕩な目つきである。
「ビートルジュニス、さん。いかが、されたの?」
パメラは妖しく微笑み、唇を舐める。舌はまるで、別の生き物のようにぬるりと、薄紅色の唇を這う。
それは、さしものビートルジュニスにも予想外のことであった。
「ひひひひ、ええやないか。お嬢ちゃん、パメラちゃんやったね」
「はい、パメラですわ」
「ええで、ワシが黄金のリンゴを持っとる。せやけど、チーズケーキとは交換できんわ」
「まあ、でしたら、何となら交換してくれるの?」
パメラの流し目もまた、舐めるようにビートルジュニスに向けられた。
「せやな、キミの全部でも足りんけど、ワシはキミが欲しくなったわ。けど、全部とられて素寒貧のオケラになってしもたら、リンゴの使い道も無くなるやろ」
「わたしがあなたのものになったら、リンゴもあなたのもの」
「そうや。それはフェアやない。せやから、博打で決めようや。カードにパイゴウ、サイコロにカブ、手本引きまでなんでも揃っとるで」
「うふふ、賭け事って初めてなの」
「手取り足取り、ワシが教えたるで」
◆
お嬢様はビートルジュニスと黄金のリンゴを賭けて勝負をすることになりました。
かえるさんとガシャドクロも固唾を飲んで見守ります。
お嬢様はどうなってしまうのでしょうか。
◆
NORIO師匠