乱兆
ザルツブルクより南・大平原(反乱軍陣営)―――
「銀髪の男が来たのだ……そいつが刀を振ると刀が子供になって……後は、後はわからなくなった」
反乱軍「先発隊」を指揮していたカルロ・マラステラが、熱病にかかったかのように震え、反乱軍を奇襲した一人の男のことを説明する。
銀髪で和服を着た長身の男……それらが数百名の兵士を圧倒し、反乱軍をザルツブルクから敗走させた。
あまりにも理不尽な現象……。
そして彼は今……反乱軍の総指揮を取る兄・ロベルト・マラステラの前にいた。
「化け物だ……あれは化け物だ、兄者」
「……」
ロベルトの真紅の瞳が怒りで爛々と輝く。
カルロの兄である彼はあまり弟とは似ていない。
武人然とした弟と違い、兄はどこか優雅な雰囲気をもつ優男。
しかし身に纏う風格は同じ……天へと成り上がろうとするそんな気概に満ちていた。
「聞いたことがある……西の海より来た蛮族が使う式神と言う名の怪物を」
「式神……」
「刀を化け物に変える魔術……俺らが扱う炎とは違う銀の術……まさか実在していたとは」
驚くカルロ……それを気にすることなくロベルトは手を組んで考え込み始めた。
「まあいい……兵士などいくらでも集まる、炎術の使い手も同様にな」
援軍にやって来た秋水家の思わぬ抵抗にザルツブルク攻略を阻まれた反乱軍だったが、実の所……それほど痛手という訳でもない。
しょせん、カルロが率いていたのは先発隊……。
本隊の十分の一にも満たないのだ。
ザルツブルクでの犠牲など大したことではない。
革命と言う名の美名……それに踊らされる農奴などいくらでもいる。
そして「あの方」に躍らせる貴族もまた多いのだ。
「今は奴らをぐっすり眠らせておけ、カルロ」
「兄者……」
「本隊が来たら決戦だ……今度はヘマは許さねえぞ」
まるで恫喝するようにロベルト……それに弟・カルロが子犬のように平伏する。
カルロの、二メートルを超える身長が今は小さく見えた。
そんな弟を一瞥することなく、もう用はないとばかりにロベルトは去っていた。
本来ならば総指揮官として反乱軍本隊を率いなければならないロベルト・マラステラ。
弟が心配で単騎で様子を見に来たとはさすがに言えなかった。
「まぁ……お前が無事で良かった」
その言葉も、無論……聞かせることはない。
*****
学院宿舎・戦闘翌日・朝―――
「痛ってぇ……結局、一睡もできなかったぜ」
戦闘翌日、負傷した雪月は仮の野戦病院と化した、学院宿舎のベッドでうだうだと、ぐだっていた。
肋骨が三本程折れており、ヒビが入っただけも二本、宿舎で空いている部屋が多く、個室に入れて貰えたのは不幸中の幸いか。
「女を連れ込むのはいいけどよ……口を塞いでからやれよな」
ただ、個室では別な問題が発生していた。
先発隊……と言うか強行軍についてこれた分だけの白面……式神使いである数十名は戦闘の晩、溜まった鬱憤を解消する為か、宿舎に女を連れ込んだのだ。
宿舎の壁は中途半端な厚さらしく、聞こえるか否かの声量はいやに耳に響き、雪月の安眠を妨害すること甚だしい。
本当に、いい加減にしてもらいたい……聞こえなきゃ、ほうっておいたのによ。
「体の具合はどうだ……雪月」
不眠の代償か……朝になって急激な睡魔に襲われ、うつらうつらとしていた雪月だが、今度は桃矢と夏夜の登場だった。
おいおい……寝かせてくれよ、だが用もあったので寝たふりもできない。
無理に体を起こし、兄妹と対面した。
「起き上がらなくてもいいんだがな」
「そうは行かない、俺にも体面と言うものがある」
「雪月に、そんなものがあるとは知りませんでした」
「夏夜……こんな時ぐらいはよせ」
そして始まる他愛もない話、それはいつしか実務面に入る。
桃矢によって壊滅した反乱軍はザルツブルクを放棄して敗走。
後一週間弱で秋水家の援軍本隊、数千が到着する……それを考えると反乱軍はザルツブルク攻略を諦めたと考えるのが自然か。
桃矢……此度の戦いの功績はこの秋水家次期当主がその大半を占めている。
銀髪、朱色が混じった黒目のこの貴公子は天才的な式神使いだ。
その日本人離れした容姿は異端だが……その実力を考えれば、むしろ神秘性を補強する役目にさえなっている。
年齢は二十三歳……雪月が三十だから、一応は「弟」となるらしい。
本当に、優れた弟……。
ただ、さすがに完全無欠という訳にもいかないらしい……その数少ない欠点を補うのが雪月の役目だった。
「昨日は……夜に女の悲鳴が聞こえたな」
会話の途中……唐突に雪月がそうこぼした。
夏夜は途端に顔を背け、桃矢はむっつりと黙り込んだまま微動だにしない。
「すまない……やはり抑えきれなかったか」
「あんな事があった後だ……しょうがねえよ」
桃矢がようやっと口を開いた。
女の悲鳴……つまりは強姦だ。
先の戦闘中、ザルツブルクの騎士団長は味方を見捨てて逃走。
それだけでも恥だと言うのに、彼はあまつさえ援軍にやってきた式神使いに喧嘩を吹っかけたらしい。
彼らが直接前線に出るタイプではなく、式神を使ういわば遠距離型の魔術師であると伝えなかったのはこちらのミスだ。
だとしてもあんまりである。
おかげで式神は戦場に召喚されず……桃矢の強行軍が間に合わなかったならば雪月も、そして騎士団長に見捨てられた騎士らも全滅していた。
「味方にやられた式神使いは五名……幸いにも死者は出なかったがな」
当然、戦闘後に式神使いの不満が爆発した。
しかし、反乱軍を前に双方で剣を交える訳にもいかず、その憎しみは捻じ曲げられて弱い者に向かう。
ここは学院だ。
学生の大半は既に避難しているが、メイドやらなんやらはまだ居残っている……襲う相手には困るまい。
「俺が抑えたのは五件……これで全てだと思いたいな」
「すまない」
「話を聞いた推測だが……これはザルツブルク上層部も黙認、いや……むしろわざと女を仕向けている可能性もある」
「……」
「援軍を要請しているザルツブルクの方が今は立場が弱い……戦闘時の「不祥事」をこれでチャラにしたいのだろう」
雪月が淡々と事象を指摘していく。
桃矢は恐縮……そして夏夜は少しだけ、目を輝かせていた。
その目の中の感情……雪月は意図的に無視する。
こんな枯れた男に変な情は、抱いて欲しくはない……面倒くさいではないか。
「もはや戦闘どころではありませんね……まずは隊の粛清を急ぎませんと」
「俺とお前の前では皆、行儀よくいるよ……全ては雪月頼りか」
「あまり煽てるな……俺は出来ることしかできねえよ」
雪月が笑う……枯れたような、ではない。
そこには確かにある種の畏敬を抱かせる何かがあったのだが、雪月本人はそれをあまり意識してはいなかった。
「一週間後にはその手の女もやって来る、それまで抑えつけるか」
「いっそのこと、公認なさってはいかがですか、お兄様」
「なんだと」
「未だ姿を見せないザルツブルク伯爵は「その手」にはだらしない方……そういう女もこの状況でも幾人か囲っているかもしれませんよ」
ザルツブルク伯領……その支配者であるザルツブルク伯爵、秋水家に援軍を要請したのも彼だ。
伯爵の女癖の多さは裏では有名であった。
彼の秘書は何人もいるが、その全てが見目麗しい女性だと言うのが、半ば証明となっている。
のみならず、教師やはたまた生徒にすら手を出しているという噂まである。
さすがに……その噂は証明されていない、そのくらいの節度はあると思いたい。
「止めて置こう……今、この学院に残っている生徒に正当な貴族はほとんどいない、私生児、没落貴族に下級貴族の子息、あるいは使用人……大半が、伯爵の隷属化にある者達だ」
戦闘に突入した学院。
当然……その前に生徒の避難が行われる、このザルツブルクでもそれは行われ、しかしそれでもなお、生徒が残っているのだ。
彼らは命令されたのだ。
此度の戦いにてザルツブルクのために命を捨てよと。
家のために命を捧げるのは美徳……しかし命を捧げる順番が身分の低いものからと言うのが伯爵の意向を微妙に表していた。
位の高い、あるいはその子息は安全な場所に避難しているのだ。
「お前より少しばかり年嵩の学生が、俺の配下を慰めに……」
「止めてくださいお兄様、分かりました……あまりからかわないで下さい」
珍しく、妹である夏夜をからかって遊ぶ兄・桃矢。
桃矢はだいたい夏夜には優しい……ギリギリで甘いと言えないぐらいに優しい。
雪月にはそうは見えないが、桃矢は桃矢で相当、貯めこんでいるようだ。
「そういう訳だ、伯爵の強権でやってきた女を抱く訳にも行くまい、式神使いの狼藉は俺の威信をかけて抑えつける、既にやっているのならば俺とそいつが償いをするさ」
桃矢の目に剣呑な光が宿る。
その目で睨まれた者は、自らの些末な罪すらも白状したくなるような迫力があった。
ただ無論、その瞳に怯える者はこの中にはいなかった。
「やるのは構いませんが、私に事前に報告してくださいね……特権階級である式神使いの処分は、いろいろと根回しが必要なのですから」
夏夜が呆れたような声を漏らす。
それに桃矢はどこかツボに入ったのか、小さく笑みを浮かべる……もしかすると雪月が推察した鬱屈した感情は霧散したのかもしれない。
「おっと……少し長居したな」
いつの間にか、長い間、話しこんでいたようだった。
桃矢は席を立ち、夏夜がそれに続く。
「あまり根を詰め過ぎるなよ、桃矢」
「お前もな……雪月」
そして退室していった。
どことなく、夏夜が不機嫌そうだったのがやや気がかりだったが。
……とパタパタと小さい足音が聞こえ、閉じられたドアが少しだけ開く。
「夏夜……?」
ドアの隙間から朱色の目が覗いている。
イメージすると、そう……妖怪隙間女。
「なんだ……まだ何かようなのか?」
務めてぶっきらぼうに雪月が言うと、しばしの間沈黙が続き……。
「私の期待通りの働き……褒めてあげます」
そう聞こえるか否かの声量で呟くと、ドアは閉まり、そのまま駆け足で夏夜は言ってしまった。
後に残された雪月は一瞬、ポカンとするが、すぐに思い直した。
「難しい年頃なのかね……」
おっさん臭い思考だと思ってが、それよりもそろそろ睡魔が限界に達してきた。
どうせ今晩もろくに眠れないだろうし、今は少しだけでも体を休ませたい。
おやすみ……。
*****
数日後―――
「どうすりゃ……いいんだ」
その日、三日三晩続いた大火災は鎮火し、ようやっとザルツブルク市街地に人が入れるようになった。
だがそれは灰燼と化した故郷を、現実の物として焼き付ける苦行でもあったのだ。
灰と化した街並み、焼け焦げた風景。
だがそれよりも物資……もはやザルツブルクにはその日の食事を維持する備えすらなくなっていた。
「これでは反乱軍を追い出しって……」
「俺の家は……俺の故郷はどこにいっちまったんだ!!」
悲鳴と絶望……嘆きの声が学院に充満する中、その一部屋だけは穏やかな時間が流れていた。
銀髪の青年と、白髪朱目の少女がそこにいる。
桃矢と夏夜だ。
「徹底していますね」
「恐らくは、こちらが籠城できぬように全てを焼き払ったのだろう」
「では、反乱軍は……」
「ああ、再びザルツブルク攻略を狙っている……今度は先とは比べ物にならない兵力でな」
反乱軍との戦闘にしては焼かれた面積が大きすぎる。
わざと延焼させたのだ。
物資を焼き、建物を焼き……ザルツブルクの防衛力を削ぎ落すために。
「大丈夫です、物資は我ら秋水が供給します……ふふっ、このザルツブルクを秋水家の援助なくば生きられない様にいたしますよ」
「……」
「このザルツブルクは……我らが覇道の拠点となります」
炎帝の加護を受けし、このムスペルハイム教国……。
だが内部の腐敗はもはや治癒できぬまでに深刻化し、地方では中央の意向を無視した叛徒が我がもの顔で跋扈している。
時は戦乱を迎えつつあった。
現代日本より異世界に召喚された者とその子孫ら。
異世界と言う概念を理解できない人々により付けられた西海の蛮族と言う蔑称。
、この機会を利用して成り上がろうと考える輩がいる。
いつまでも異邦人として下に見られる境遇で甘んじたくはない。
それが例え、命を賭けることになろうとも……。
それが若さか……桃矢はそれに応えず、ただ一つだけ溜息をついた。