銀と炎・三
学術都市ザルツブルク・学院前―――
体が重い。
足はもつれ、いまにも転びそうだ。
だが、走るのを止める訳には行かない。
(やはり、貴族に勝てる訳がなかった……もうザルツブルクは終わりだ)
男とその取り巻きは、ザルツブルクの軍事を統率する騎士団長とその幹部であった。
彼らは再び仲間を見捨てて逃げ帰ってきたのだ。
今度は援軍……雪月を盾にして。
炎術の源泉は血の中にある。
高貴なる血が濃いほど、その炎は強大となるのだ。
騎士団長は騎士団の中では優れた血統をもつが、とても貴種とは言える程ではない。
紅の髪も……紅の目も持たない雑種でしかないのだ。
それを言い訳に彼らは逃げる……騎士として大切な何かを失ったことに気付くことなく
「よし、もうすぐ学院だ……そうすれば」
目の前には学院……そして援軍としてやってきた白面の道士達。
天より助けがくると自分達を戦場に放り込んだ者共。
「はっ……!!」
騎士団長の心に汚泥のような憎悪が巻き上がる。
なぜ、自分はこんな屈辱を受けねばならないのか。
あいつらさえ来なければ、未だ学院にて籠城していたものを……。
彼は吠えた。
拳を振り上げ、道士らに突進する。
彼らの詠唱を消し去り、地にかかれた方陣を踏み潰し、獣さながらに慟哭する。
敵を前にして影も形もなかった蛮勇を……脆弱な味方に対して存分に行使した。
*****
ザルツブルク市街地―――
「手出しは無用……これは決闘である!!」
カルロの宣告と共に、彼と雪月の周囲に緋色の炎が円陣を作る。
まるでコロシアムのようだった。
器用なことをする奴だ。
戦端は一時、休止し……双方の軍勢が固唾を飲んでそれを見守った。
反乱軍が動きを止めていることから恐らくカルロが彼らの指揮官なのだろう。
ちなみにザルツブルク側も動きを止めているが、これは単にもはや身動きできぬ程、叩きのめされた結果でしかない。
雪月が視線を送ると……その意図を理解したのか、負傷者を抱えて密かに撤収し始めた。
「良い目だ」
藪から棒にカルロが切り出す。
「皮肉にしか聞こえねえな」
「そう、卑屈になるな……お主からは武人の中の武人になれる素質を感じる」
カルロの長々とした口上を聞きながら雪月は現状を把握する。
先の炎で右足を負傷……回避に制限がかかる。
それ以前に、目の前の戦闘狂相手に自分が戦って勝てるとはとても思えない。
確かに十五年ばかり戦場で生きて来た、だが所詮自分はひ弱な現代人。
修羅場をくぐって来た「本物」の兵士には適わない。
しかしもしも勝てる……いや、拮抗に持ち込めるならば。
「その可能性を積むの惜しいが、これも契約の内でな……!!」
カルロの長口上は終わる……そして雪月は手の中のカタナを握りしめた。
(来る……!!)
「往生せい!!」
口上を終えたカルロがハルバードを頭上に構え、そしてそれが雪月に向けられた……瞬時に疾走するカルロ。
まるで土石流のごとき鋼鉄の奔流、人馬一体となったカルロの騎兵突撃が雪月に迫る。
正直、足がすくんで震えが止まらなかったのだが……なんとか、十五年の研鑽を盾に足腰を叱咤する。
一騎当千とまでは行かなくとも、悪鬼羅刹に近しいこと大男と真正面からぶつかっては勝てはしない。
ならば詐術でもって仕留める
しかしチャンスは一度のみ……それに全てを賭ける。
「我が矛を受けよ!!」
赤兎馬で疾駆しながら頭上でハルバードを旋回させるカルロ……遠心力を利用して最大の打撃を与えようとしているのか。
一人を相手にするには過剰であり、それどころか太刀筋が見え見えでもあった。
これならば……躱せるとはとても言えない。
相手は人外……現代人出身の雪月には荷があまりに重すぎた。
だから、これはもう神に祈るレベルの類であった。
「はぁぁぁぁぁ!!」
「魄……!!」
暴風の如き、ハルバード……同時に雪月は呪文を唱え、宙に放り投げた刀は瞬時に童子の姿に成り代わる。
それは式神……刀を依代にした人造の人形だ。
それこそ秋水家が編み出した「銀の術」の正体……人を遥かに超える身体能力を持つ式が、カルロを襲う。
「む……!!」
童子は雪月の肩に乗って跳躍、虚を突かれたカルロの首筋を狙う。
だが敵もなかなか……虚を突かれたのも刹那、首筋を狙う刀剣を躱し、だが躱しきれずに顔で受ける。
筋骨隆々な彼は顔の骨もまた強固なのか、斬撃は骨を傷つけたものの、頭蓋内部の脳にまで届かなかった。
だがその衝撃は振るった矛槍の攻撃に微妙な狂いを生じさせる。
それはわずかな回避運動を取った雪月の心の蔵を外れ、胸を掠るにとどまる。
「……っ!!」
それでも……雪月は吹き飛ばし、数度も転がす程の威力はあった。
間違いなく肋骨の何本かは折れるかヒビが入っている。
雪月は辛うじて意識を維持し、立ち上がろうとするが、右膝が立たない。
やむなく左膝だけを立て、膝立ちの情けない恰好で対峙する。
その雪月を、烈火のごときカルロの視線が射抜いた。
「二人がかかりとは、卑怯なり!!」
「お前は馬と人、俺は人と式神、二対二だ……何がおかしい」
雪月の言いようは詭弁であった。
確かに二対二だが……問題はそうではない、だまし討ちしたことが問題なのだ。
だがカルロはその言いようを聞き、はたっと目からうろこが落ちたような、感心した顔を作る。
「確かに……うむ、確かに……今のはオレの不覚であった!!」
大業に、あるいはそれが癖なのか……カルロが顔を斜めに走る斬傷を気にすることもなく、大きく手を動かし、自らの感情を表す。
(ちっ……やはり俺程度の式神じゃ、仕留めきれなかったか)
呵々大笑するカルロ……だが反して雪月に深い影が落ちる。
人を遥かに勝る式……だがそれも扱うものに才があればこそ。
雪月はその才に著しく欠けていた。
雪月が扱う式は脆く、弱い……式神使いとして最低ランクの評価を長年、拝命しているのは伊達ではない(?)。
「惜しい、惜しいな……殺すには惜しい」
詐術が通じるのは一度のみ。
結局、五体満足のままであるカルロが悠々と向かってくる。
もはや雪月は万策尽きた……。
(もう、そろそろなはずなのだがな)
最期の頼みは、仲間……白面の道士達が式神を召喚し、助けに来ることだけ。
元々はそのはずだったのだ。
ザルツブルクの騎士団がおとりとなり……敵がそれに集中した所より式神で強襲。
だが、頼みの式神は現れない。
雪月は知らなかった……。
今、この時……式神使いが味方であるはずのザルツブルク騎士団と戦闘中であることを。
頼みの味方がやって来ないのを……知らなかったのだ。
「さらばじゃ……雪月!!」
俺が死ねば夏夜は泣くかな、弟は泣くかな……そして母さんは。
俺が死んだことも理解しないだろうな。
大きな鉄の塊が雪月に迫る……。
最期まで眼を閉じなかったのが……意地だった。
*****
赤は……ザルツブルク騎士団が放った炎の色。
そして緋色は、反乱軍の貴族が放った炎の色。
では朱色は……?
それは血の色だ。
「な、何が起きた!!」
先ほどまで余裕をかなぐり捨てて、カルロが叫ぶ。
彼の声音にははっきりと恐怖がにじみ出ていた。
彼は思わず、雪月に振り降ろしたハルバードを強引にひっこめる。
自らを守ろうとして。
強大な敵……熾烈な戦場。
だがそれにも勝るは、理解不能と言う名の脅威。
赤を蹂躙した緋色が、朱色に埋め尽くされていく。
光が二つ差した。
そして二つの首が飛んだ。
嘲笑のまま、恐怖すら浮かべる暇すらなく絶命していく緋色の貴族、反乱軍兵士達。
濃密な血臭は炎をも飲み込み、その中心に銀色があった。
「桃矢……」
流れるような銀髪、そして朱色が混じった黒目は、アルビノである妹に似ている。
傍らには刀を持つ二人の童子……それを雪月は式神だと、雪月だけが理解していた。
「待たせたな……雪月」
赤兎馬に鞭をくれ、必死になって逃げていくカルロを横目で見ながら、雪月は戦闘の終了を知った。
銀髪の男の名前は秋水桃矢、天才的な式神使いであり、秋水家次期当主。
そして雪月の……義弟。
彼が手を振ると、天より閃光が走り、一人、二人と敵兵の生命が消失していく。
そう、まさに……白面の道士が言う「天より助けが来る」の体現だった。
(俺が扱う式とはレベルが違う……これこそ英雄か)
そんなことを思いながら、雪月は意識を手放す。
締まらないな、とはあるいは身を過ぎた願望だろうか。
暗くなっていく視界の中……それすらも雪月は長く思考できなかった。
ともあれ、ザルツブルクでの戦闘はこれで終了であった。
反乱軍は敗走……秋水桃矢が間に合った時点で、その結果は決まっていた。