銀と炎・二
学術都市ザルツブルク・市街地・反乱軍陣地―――
「カルロ様……学院より騎士団が出陣しました」
市街地を焼き払いながら、反乱軍は略奪に勤しむ。
もはやそこに貴族からの解放を唄う革命の理念は存在せず、ただ賊のごとき物欲があるだけだった。
そこが彼らの限界……貴族に操られる反乱軍の理念なき悲しさだった。
ただ、理念がなくとも戦うことはできる……敵の出現に彼らは瞬時に反応した。
「身分低き者を盾に逃げた騎士団が今更、何を……まさか秋水の援軍が」
恥も外聞もなく逃げ去った騎士団の出陣……それを笑い飛ばす一兵卒とは違い、カルロはその事実に何か良からぬことを感じた。
負け癖がついた臆病者が牙を剥いたのだから、その尻を叩いた何者かが存在するのだろう。
秋水家の援軍の存在は、反乱軍も察知している。
だが三千の援軍到来まで、まだ日数があるはず……。
「少数の勇士だけがたどり着いたと言うのか」
「いかがいたしましょう?」
「油断は出来ん……学院前に兵力を集中させよ、奴らの最後の抵抗を打ち砕くぞ!!」
カルロの号令に、農奴兵が水際立った動きで応える。
集結する農奴兵は騎士団の数倍に達し……。
その中には「高貴なる炎」も含まれる。
騎士団の決死の反抗は、あるいは反乱軍の総攻撃を早めた結果をもたらすかも知れない。
*****
学院前より市街地・ザルツブルク陣営―――
「進め、進め……農奴如きにやられた汚名を返上するのだ!!」
丘を下り、正門を抜け、そこは紅蓮色の地獄。
敗走し、学院に逃げ帰った騎士団が再び市街地と言う名の戦場に返る。
そこにあるのは敵……そして見捨ててきた味方。
勝利……あるいは救出が叶うと信じて彼らは駆ける。
「Rotmagier Feind!! (赤の魔術師の敵を打ち滅ぼせ!!)」
疾走する騎士が呪文を唱えると、手より拳ほどの火球が二、三出現し、辺りに放たれる。市街地に舞い 戻った騎士団は略奪にかかりきりの反乱軍兵士を目についた順に血祭りにあげていった。
赤色に染まった反乱軍兵士が瞬時に肌を土気色に変じさせ、次の瞬間には黒い塊になる。
粗末なその兵士は両手いっぱいに小麦の入った袋を抱えており、焼け焦げた死体となってもその袋は離さない。
家族に食わせたくて……その言葉を雪月は聞かなかったことにした。
(反乱軍は統率が取れていない……しょせんは寄せ集めの農民兵か?)
かつて人が獣であった頃より刻まれた原初の恐怖……炎を操る騎士に反乱軍兵士は魔神のごとく恐れ、逃げ惑う。
この場において炎とは強さの証明……そしてそれを操る「騎士」はその象徴であるのだ。
「俺の曽祖父は貴族であったのだ……それより受け継がれし炎の前に、農奴如きでは相手にもならぬ」
蛮族の援軍……雪月を前に騎士は己が術を誇示する。
貴族の血……それを引くのが余程誇らしいのだろう。
だが、その瞳には隠しきれぬ陰りがある。
強大なる炎の力を持つのならば、なぜ敗れたのだ……敗走し、味方を盾にして逃げ帰った。
その潰しきれぬ矛盾が、弱き者を犠牲にして生きのびた罪悪感が騎士を駆り立て、彼が生み出す炎はなおも雄々しく燃え上がる。
「待っていろ従者共、今助けに……」
赤色の炎は、市街を焼く炎を超えて昂る。
だがその昂ぶりがわずかに乱れが生じた瞬間……赤は緋色に飲み込まれた。
横を走る雪月がその熱さに思わず目を背けた暇に。
次に横を見ると、先ほどまで会話していた騎士の背が低くなっているのを見つけた。
雪月の顔を照らす大きなキャンドルだった。
鼻につんと突き刺さるは肉と鉄の焼ける匂い……肉体の上半身をなおも焼く炎は活気に満ち、消えることはない。
そうか、これが本当の「炎術」かと雪月は了解する。
「緋色のダンス・マカブル(死の舞踏)とは洒落ているな」
ザルツブルクの騎士が生み出す炎の比ではない。
赤色の炎が瞬間なら、緋色は永遠……触れればその身が焼け落ちるまで消えぬ責め苦。
こんなものを見せられれば、並の人間は戦意を喪失するだろう。
「貴族だ……貴族が現れた!!」
緋色の炎が飛び交う中、恐慌を隠すことも出来ないその声。
それがザルツブルク騎士団を統率する騎士団長。
蒼白で、引き攣ったその顔に指揮官としての威厳は皆無……まさしく負け癖がついた顔だった。
「撤退、いや……突撃しろ、ザルツブルクの栄光を見せろ!!」
目の前に立ちはだかる、農民兵とは思えぬ、小綺麗な緋色のマントを身に着けた十にも満たない集団。
少しは隠す努力をしろとは、雪月の感想だ。
彼らこそ、農民反乱を支援する貴族の伏兵。
恐らくはザルツブルクに敵対する大貴族の尖兵なのだろう。
緋色の炎が赤の火を蹂躙していく。
ザルツブルク騎士団の決死の反抗は市街地に入り……十数分で終焉した。
*****
「貴様らは……仲間を見捨てた罪悪感はないのか!!」
騎士団長の悲鳴混じりの号令が騎士団の退路を塞ぐ。
仲間を見捨てて逃げ帰り、そして思い直してまた舞い戻る。
もう、二度と……同じ過ちは繰り返さんと。
その思いを彼の団長は利用していた。
(たまらねえな……)
まるで血液が鈍りになったように体が重い。
だが同時に烈火のように熱いのだ。
団長の命ではなく、仲間を救うべく特攻を続ける騎士達。
―――今、助けにいくぞ。
―――見捨ててすまなかった。
―――間に合ってくれ。
緋色のマントが放つ炎弾はまるでガトリングのように次々と生み出されて飛び立ち、着弾したそれを永劫の炎で絡めていく。
それが生み出す炎は次第に周囲を包み、街区もろとも焼き尽くす勢いだ。
ザルツブルクの騎士とて自らの炎で反撃に出てはいるのだ。
だが緋色の集団はそれをまるで涼風のように赤炎を受け流し、なんら打撃を受けている様には見えない。
(……ちっ、これでは)
雪月は建物の影に隠れて、その一方的な攻勢から少しばかり離れていた。
特攻し、果てていく騎士団。
騎士団の後ろで特攻を命令する騎士団長。
そして緋色のマント。
ここは逃げるべきか……そう思いつつあった雪月は、緋色のマント……その口元が緩んでいるのを見とがめた。
(嗤ってやがる……)
緋色のマントの集団は嗤っていた。
目の前の無力な者達を……。
遥か高みより見下す、自らの立場を十分過ぎるほど理解しているが故に。
(野郎……目に物見せてやる)
雪月の、普段は光を失った目に灼熱の炎が宿る。
鉛のようだった血液は再び、人の物に戻り、全身に脈動を与える。
間断なく続く緋色の炎……その隙間に入り込めたのは十五年もの間、戦場に身を置いてきた経験故か。
建物の影より飛び出した黒髪の男。
それが腰より引き抜いた「カタナ」を突きつけたのを彼らは驚き、そして嗤う。
その蟷螂の鎌にも劣る反撃を粉砕すべく、彼らは途切れていた術を行使……。
百にも及ぶ緋の塊が雪月を一斉に襲う。
雪月の手には一刀のみ、それを右手に構え、何事かを口で話す。
そのまま投げた刀は先ほど、目についた男に向かっていた。
着弾、爆発……そして緋色の閃光が辺りを包む。
*****
(悪いな……使わせた貰ったぜ)
右足から生じる激痛は避けそこなった炎の残り。
年を食ったか、いや元からか。
百を超える炎弾を騎士の死体を盾に避けた雪月が自嘲気味に笑う。
目の前には緋色の集団……無謀にも一人で突撃した雪月を嘲笑しているのか。
憐れに思ってトドメを刺さないのか。
いや……そうではなかった。
「……」
信じられない、とその顔には書いてあった。
胸を抑え、そこからほとばしる緋色ではない朱色。
体を走っているであろう冷たい感触は金属特有の物。
雪月が投げたカタナによって胸から背中にかけてを貫通させられたその男は、乞うように天を仰ぎ、そしてゆっくりと頽れた。
「ざまあみろ」
驚愕に顔を歪める緋色の集団たち。
それを雪月はおかしげに眺める。
種明かしをするつもりはない、が気付く者がいるかもしれない。
その力……夏夜には使うなと言われていたのだが。
(うるせえ、頭に来たんだ……少しくらいいいだろう)
不可思議なその現象に、動揺する貴族達。
狩りをする自分達が、狩られる方に回ったのがそんなに恐ろしいか。
どこかそんな子供じみた快楽に身を委ねたのはわずかの時だった。
分かっている、目立てば頭を叩かれるのだ……。
目立たず、誰かの後ろを歩いていれば楽なのにな、いつものよう。
弟の後ろに……。
「なるほど……貴様がザルツブルクの救世主という訳だな」
ほうら、来た。
貴族らを押しのけるように現れたのは、二メートルを超えたそびえたつような巨体。
その男は筋骨隆々として、虎の毛のように刺々しい赤髭を蓄えた偉丈夫であった。
手には牛骨すら両断できそうな肉厚なハルバード(矛槍)、そして彼に負けず劣らず大きな赤兎馬に跨っている。
「我が名はカルロ・マラステラ……一合わせ、していただこうか」
「ふん……」
男は律儀にも斃れた貴族より雪月のカタナを引き抜き、放り投げて来た。
見たところ武人……面白半分に戦争に従軍した(確定)マント共とは毛色が違う。
「俺の名前は雪月……秋水雪月だ、その決闘……受けた!!」
雪月の言葉を受け、カルロの目が喜色で満ちる。
心底より戦いが好きなのだろう。
つまりは戦馬鹿……。
まったく……損なことばかりしている。
カルロとはまた違う、自分の馬鹿さ加減に呆れながら……雪月は刀を構える。
紅の髪を逆立てた戦馬鹿が、決闘の開始を心待ちにしていた。