奪還5
(女子高生を縛ったまま車に乗せている以上、ネオンの明るい通りを走ろうとはするまい)
ならばこのまま主要道路を真っ直ぐ北上する村山の方が早く着けるかもしれない。いや、早く着かねばならない。
「どうして俺がここにいることがわかったんだい?」
高津は手首をさすりながら村山を見る。
「まあ、一種の愛だな」
説明するのがもどかしくて、村山はとりあえずそう言った。
「そんなことより萌を奪回しにいく。どうだ、動けるか?」
「当たり前だよ」
長時間縛られ、あんな姿勢で転がされていては、節々がきっと痛いだろう。
そういうつもりで村山は尋ねたのだが、高津は少しむっとした口調で答えた。
「俺を臆病者扱いするの、やめてくれる?」
「よし、じゃあ、今から俺の考えを説明する。疑問点や改良点、致命的な欠点があれば言ってくれ。彼らとの待ち合わせ場所は北山の展望台、南側だ。お前と萌の引き渡し条件は、暁と夕貴をそこに連れてくること」
村山は高津に現在の状況と、自分の策をざっと説明した。
高津は特に異論はないようで、素直に頷く。
「あとは現地に先に着く、それだけだな」
「くそっ」
高津が横で歯がみした。
「あいつら、絶対許さないから」
その低い声に村山はぎくりとしてハンドルを強く握る。
彼は高津に外傷がないことから、それほどひどい目にあっていないと勝手に思いこんでいたのだ。
「ま、まさか、彼らはお前達に何かしたのか?」
「されてたまるか、畜生っ!」
村山はほっと息をついた。それだけは本当に心配だったのだ。
「萌に少しでも手を触れたら、あいつらまとめて崖から突き落としてやる」
怒る高津を村山は少し複雑な気分でちらりと見る。
高津の心配と村山の心配の質が違うことに気が付いたのだ。
(こいつは萌に何かあったらと、それだけを心配している)
ところが村山はそんなことなど心配していなかった。むしろ、そうなることによって、萌が人を殺すことを恐れていたのだ。
白く小さい顔の中に輝く大きな二つの瞳。そして普段は本人すら気づいていない苛烈なまでの強さと意志。
萌は逃げたりしない。逃げるくらいなら相手を殺す。
「絶対にそんなことはさせない」
煉瓦で潰れた男の頭、血塗られた自分の手。
腹大動脈が破れ、血の海の中にいる詩織。
頭部がひどく損傷した、若い血だらけの女。
自分が背負った業については、彼は静かに諦めていた。
だが、こんな思いをするのは自分だけで十分で……
(……?)
彼はふと最後のイメージについて考えを巡らせる。
どうしてあれが今、他のものに混じって脳裏に甦ったのか。
不法投棄事件以来、あの幻覚が彼の記憶に奇妙な形で紛れ込んでしまったとしか言いようがないのだが……
(……それについてはまた今度だ)
その若い女にはいささか心当たりがない訳ではなかったが、今はそんなことを考えている時ではない。
信号が赤から青になると同時にスタートする。
幹線道路ではあまり差はでないが、山道に入ると学生時代に練習したテクニックが生きた。
ハンドル、アクセル、ブレーキ全部を駆使して、彼はより早く走ることを心がける。
「ところで奴らについて、お前、何か聞いたか?」
「いいや、何も」
彼はきっと顔を上げた。
「でも、あいつら、俺が人を赤と青に見分けられることを知ってたんだ」
高津はあの夢以来、自分に対して悪意を持つ人間を赤く、そうでない人間を青く認識することができるようになっている。
「そうだな、暁と夕貴をリソカリトと呼んでいた」
嫌な予感が強くなる。
「萌については何か?」
「萌の力については知らないみたい。カスだからどうとでもなるって言ってたし」
「そうか……」
暗い想像が裏付けされていく。村山は微かに眉をひそめた。
「暁と夕貴の力の事は?」
「それは聞かれなかった。でも……」
二人を欲していることからすると、奴らは知っているのだ。
道を左折すると坂が少し急になった。
北山の、それも南側の展望台は少し道から外れたところにある。周りは木々で覆われ、道路からは見えにくい。
(それでなくても訪う奴などいないだろう)
二年ほど前に、隣の駒鳥山に新しい展望台ができてからは、北山のそれは寂れる一方だった。
それでももう少し暖かければ、こんな時間でも少数のカップルが何かを期待して佇んでいたりするのだが、あいにく今はまだそんな季節ではない。
ベンチもなく、望遠鏡もなく、見下ろすと町が見えるというだけの場所である。
「……どうだ、圭介、運転してみるか?」
「うん。ちょっと練習してみたい気がする」
村山は車を止めた。ここからは追い越し禁止の一本道だからいくら急いでも一緒だろう。
もし後ろから車がやってきたら、村山が頭を伏せればいいだけのことだ。
どのみち彼らにこんなところで追いつかれるようなら、作戦を変更するしかない。
「村山さん……」
シートベルトをかけながら、高津が呟くように言った。
「本当にいいんだね? 当てちゃうかもしれないよ?」
数秒間たっぷり考え、村山は頷く。
「かまわない。覚悟はできている。だが、間違っても下に落ちるんじゃないぞ」
「俺はそれよりエンストの方が心配だな。あんまりマニュアルって動かしたことないし」
「一度やったことあるなら大丈夫さ」
高津はぶつぶつ言いながらも、坂道発進をスムーズに行った。
ブレーキングとシフトチェンジに難はあるものの、これなら心配はなさそうだ。
村山は腕を組んでしばし考えにふける。
時刻は七時四十八分になっていた。ここまでは予定通りの展開だ。
(……あとは彼らの目的を聞き出すだけなんだが)
それはかなりやっかいだった。
彼らからは悪意以外の何物も感じ取れない。
(……こんなやり方で、さあお友達になりましょうなんて言わないだろうし)
ただ、暁と夕貴が欲しいだけ。
村山が暗然たる気持になったとき、右手に朽ちそうな北山展望台という文字が見えた。
「おい、圭介、右側だ。通り過ぎるんじゃないぞ」
「え、ええっ! そんなに急に言わないで……っつわああっ!」
ハンドルを切りすぎて車が振れた。同時にがりがりという音がする。ガードレールを擦ったのだろう。
悲鳴をかろうじてこらえ、村山は高津を見る。
車はぷすんという音を残してそのまま停まった。
「ご、ごめんなさい」
「気にするな」
大事な車を傷物にされて本当は涙が出るほど辛かったが、彼はそれを顔に出さないように努めた。
「それより、やっぱ下手だったな。まあ、無免許で上手かったらまずいけど」
高津と席を交代しながら言うと、彼は口を尖らせた。
「だってこれ、ハンドル重いし」
「……車のせいにするな」
シートベルトをつけながら村山は周囲に気を配る。どうやら彼らより先についたようだ。
「じゃ、さっきの件、頼んだからな」
「わかった。頑張るよ」
村山は再び車のキーを廻した。
「あ、それと今回は気配を消した方がいいかもしれない」
「何で?」
怪訝な顔をした高津に村山は手を小さく振った。
「考え過ぎかもしれないんだが、そうした方がいいような気がして」
「わかった」
高津は頷く。
「村山さんがそう言うなら、そうなんだろう」
こういう素直さは嬉しくもあるが、高津を頼りなく思ってしまう一要素でもある。
「村山さんの気配は?」
不法投棄事件以来、高津はそれほど距離の離れていない相手なら、自分同様に気配を隠匿させることができるようになっていた。
「俺はがんがんに気配を主張しないとな」
村山は車を展望台の崖から二十メートルほど離し、且つその柵に垂直になるように停めて車から降りた。
この広場自体は五台ほどの車を止めるスペースがあったが、侵入口は六メートル程度の幅であり、入り口の真ん中に桜の木が一本立っている。
村山が木の横に車をぴたりとつけたので、桜の木を挟んで並列して停めることができる一台を除いては、車は進入できない。
つまりはひょうたんの口を半閉塞させたような状態だ。
そして彼は、後から来る男達が空いている側の侵入口に車を止め、村山の顔を確認するために車のヘッドをこちらに向けることを疑ってはいなかった。