ドルチェ5
「お前達の言い分は良くわかった。自称するとおり、糞だってこともな」
「だから言ったろ? お前と俺たちは分かり合えないってな。最初に偉そうな綺麗事を言っていたのはお前のほうだぜ?」
「前提条件が間違っていたことは認める。俺は人間相手に話をしていたつもりだったんだ」
その目がうっすらと細くなる。
「最早、夢がお前達をどれだけ傷つけたかなんて俺には興味ない。それで他人を傷つけることが許されると思ってる腐った性根についてもどうだっていい」
(……これって、演技だよね?)
思いながらも、何故だか高津はぞくりとした悪寒を感じる。
「金輪際、俺たち五人に近づくな。もし今度妙な真似をしたら、俺はお前達を一人残らず滅茶苦茶にしてやる」
村山の顔は激しい言葉の割には極めて静かだ。
いつもの優しく大人しい雰囲気は微塵もなく、氷の彫像のように突き放した感じに見える。
「ふん、最後はやっぱりそういう脅しか」
少し引きつった顔で、それでも必死で顔に笑みを貼り付けながら赤尾が言う。
「結局、権力のある奴はその力をすぐに振り回すのさ」
「そんなもの使わなくったって、お前の内臓を切り刻むぐらい訳はない」
村山はその唇に酷薄にも見える笑みを浮かべた。
「教えてやろう、俺には知識があるが、お前にはそれがない。そしてそれが俺とお前の決定的な違いだ」
「な、何だと!」
「俺が同じ立場だったら同じ事をしたかとさっき聞いたな? 答えはノーだ」
「ほらみろ、正義の味方は結局そう言うのさ」
引きつった相手の笑いを村山は一瞥した。
「もし俺が本気で殺すつもりで刃物を持ったなら、腹など刺さない。一突きで即死する箇所を選ぶ」
しんとしたテーブルの面々を、更に冷たい瞳で村山は見下ろす。
「あの夢のお陰で、俺にはもう怖いものなど何もなくなった。……だから俺を敵に回すな、でないと後悔することになる」
「む、村山さん」
高津も村山が本気で言ってるとは思っていない。
だが、芝居にしても台詞が怖かった。
「……もうそれぐらいにしようよ」
彼は村山の袖を引いた。
「お医者さんの冗談って、一般人にはちょっと刺激的すぎるからさ」
言いながら高津は顔色を失った男達を見回す。
「あんたらだって、本当はリソカリト同士がいがみ合うってのはおかしいと思ってるんじゃないの?」
前川が高津から目を逸らした。
「憎む理由はわかるけど、感染者にそれを言ったって仕方ないんだし、そもそも夢はリソカリトだけのものなんだから……」
「……感染者? なんだそれは?」
後藤が不思議そうな顔で尋ねる。
「え?」
考えてみたら、彼らはあれが病気によるものだということを知らない。
「あの夢で、周りのみんながおかしくなっちゃったのは、マスターが撒いたウイルスが原因なんだ」
呆気にとられたような顔に頷く。
「だから風邪と一緒で罹っても症状が出る人と出ない人がいる。症状が出た人は出ない人を異分子として殺すようになるんだって聞いた」
「……意味、わかんねえよ」
木村が呟く。
「だけど本当なんだ。そしてその非発症者のうち、特別な能力を持つ人間をリソカリトって言うらしい」
高津はかいつまんで病気の状態、広がりなど、かつて村山や萌から聞いた話を喋った。
「何でそんなことがわかった?」
高津は少し困った。
黒い人の話などは混乱こそすれ、理解を深めることにはならないだろう。
「村山さんがお医者さんだからそういうのに詳しくて」
村山の視線はスルーする。
「あくまで仮定の話か?」
「仮定じゃないよ。現実に村山さんが暁と夕貴に頼んで感染発症者の治療をしてるから、本当だと思う」
「……治療?」
「井上が電話で言ってなかった? 彼ら二人はおかしくなった人……つまり感染者を治せる力を持ってるんだ」
高津は赤尾を睨む。
「それをマインドコントローラーとして、変なことに使おうって考えてるなら俺も村山さんみたく怒るよ」
木村が右手で額の髪をかき上げた。
「……意味、わかんねえよ」
その声は震えている。
「信じられるかよ、そんなこと」
それ以上、どう言っていいのかわからなくて村山を見ると、彼はその視線を受けてぼつりと言葉を発する。
「あのとき、ご家族や友達におかしくなった人はいませんでしたか? その人達が本当にそんなひどいことをするような人間かどうか、今一度考えてみてもらえませんか?」
その表情はいつもの村山のそれだったので、何となく高津はほっとする。
「……それは」
ごくりと後藤が唾を飲み込む。
「それは……」
怖いほどの沈黙が訪れた。
それはもの凄く長い時間、彼の周りを重い空気で一杯にした。
「なあ」
後藤が高津を見上げた。
「お前たちは岩岳に行ったんだよな?」
「うん」
「マスターに会ったのか?」
瞬時、悩んだが高津は首を横に振る。
「……いや」
黒い人と緑のお化けは見た人間しか信じられないとわかっていたからだ。
「だったらやっぱり、それが本当のことかどうかなんてわからない」
赤尾が引きつった顔で首を大きく振る。
「だから……」
「いいじゃないか、病気で」
と、突然前川が立ち上がった。
「治生!」
「いや、あれは夢だった。それでいいじゃないか。無理してしがみつくから余計忘れられなくて辛いんだ」
前川の顔は緊張のためか青い。
「俺は少しこのメンバーから離れて、あれを思い出さなくなるまでゆっくりと待ちたい。そうしたらもう一度前に進めるような気がする」
「お、お前、裏切る気か?」
「俺はもう、後ろばかり見てることに耐えられないんだ。もちろんあの夢から覚めてしばらくは苦しかったし、誰を見ても敵にしか見えなかった。だから赤尾さんたちに会った時、本当にほっとした。自分だけじゃないって思えたし、どうしていいかわからなくておかしくなりそうだった時に、少なくとも苦しいのは俺だけじゃないって思えた」
彼は必死でメンバーを見回す。
「だけど今はそれが却って辛い。本当は忘れたくて仕方がないのに、こうやって集まると嫌でもあのときのことを思い出さないではいられない。そうして家に帰って一人になると、またそぞろ怖くなる。だからまたあんたたちと会ってと、その繰り返しだ」
彼の目から一筋の涙がこぼれた。
「俺、ほんとに、二度と思い出したくないのに……」
何かを言いかけた木村もそのまま黙り込んだ。
そして、それが飽和状態になった頃、村山がふうっと息を吐く。
彼はさっき幾何の問題を書いていたメモの次の頁を破ると、そこに携帯電話のメアドを書いた。
「さっき、知ってるみたいに言いましたが、本当は細川という人のことを俺は知らない。だからもし、彼が子供達に危害を加えるようなタイプの人だというのならどうか彼のことを教えてください」
「ケンカ別れしたとは言え、お前達に奴を売るような真似はできん」
赤尾が言うと村山は頷いた。
「わかってます。だから今、問いつめないんです」
後藤が一つ首を振る。
「細川勲。動くにレンガで勲と書く。年は三十台半ば。何やっててどこに住んでるかは知らない」
「後藤っ!」
赤尾の非難の眼差しを後藤はいなした。
「俺も治生と一緒だ。もういい。こんなのはどこか間違ってるって思いながら、でも抜けられないで今まで来た。だから俺は今日身軽になる。細川がやばいことはわかってるんだ。放っておけば、同じリソカリトで同じように狩られて苦しんだこの人達が、現実の世界でも狩られることになる。そんなのは俺は嫌だ」
彼は村山を見上げる。
「と言っても、俺が知ってることはごくわずかだ。あいつに初めて会ったのは、既に俺たちが奴らに捕まり、使役されて久しい時だった」
久しい……と言っても、本当は一、二週間程度のことだろう。
「すでに恐怖で心がマヒした俺たちと違って、捕らえられて連れてこられた奴は、怖さのあまり泣き叫んでいた。片耳を削がれてからは流石に大人しくなって、俺たちと一緒に一時期働かされていたが、手を使わずに物を動かせることがわかったんで使役するのも危ないってことで、結局は両手足を縛られて何もない部屋に放り込まれて放置され、糞にまみれたまま餓死した」
前川も頷く。
「手を使わずに物を動かせるって言っても、たかだか数十グラムが限界で、石を投げることすらできない程度の能力らしいんだが、奴らにはそんなこと関係なくて」
村山が不思議そうな顔をした。
「糞にまみれたまま?」
「そう、悲惨だろ?」
「つかぬことを聴きますが、貴方達は夢の中で便や尿、出ましたか?」
後藤はしばらく考えてから顔をしかめた。
「言われてみれば、俺自身はトイレに行った記憶はない。それとそんな質問が来るとは思ってなかったので端折ったが、細川がまみれていたのは自分のじゃなくて犬の糞だ。腹が減ったならこれを食えと言って、笑いながらそれを顔にぶっかけてた男がいたんでね」
高津がぶるっと身を震わせると、後藤はうつむいた。
「だが、そいつは既にこの世にはいない」
「後藤っ!」
赤尾と木村が叫んだが、後藤はそのまま呟く。
「去年の秋頃、突然、アルミの看板の一部が風で剥がれた。それが偶然そこを歩いていたその男の頸動脈を切り裂いた」
高津もニュースで見たから知っている。
自分たちの町でそんなことが起こったというだけで、何だか怖いと思った記憶もあった。
「だけど、そんな嫌な野郎はその死んだ男だけじゃなかった。みんなリソカリトやカスと見るや、ひどく残酷な人間になった。だけど俺は現実に戻ってからシガに会ったんだ。あいつは夢の中では惨い男だったが、ごく普通の気の弱そうなおっさんで、とても、とても……あんな風に笑いながら気まぐれで俺たちの足の指を落としたりするような人間には見えなかった」
後藤は今度は赤尾を見つめた。
「俺たちの行動でネックになっていたのはそこだろ? あいつらに復讐するって言ったって、あいつらはまだ何にもやっちゃいないんだ。それどころか夢の中とは全く別人だ」
「後藤……」
「そう、病気だって言われて何だか全部腑に落ちた。本当なら疑うような話なんだろうけど、ずっと悩んでいただけにそれが正解だって心でわかる」
赤尾が辛そうな表情で後藤から目を逸らした。それを見ながら村山がそっと言葉を差し入れる。
「嫌なことを思い出せて申し訳ありませんが、そのシガという人のことも教えてもらっていいですか?」
「シガマサオ。町役場の戸籍課の課長をしている」
村山が頭を下げた。
「ありがとうございます」
そして高津の方に視線を移す。
「行こうか」
「え!」
何だかまだ聞いていないこととか、聞かないといけないこととか一杯あるような気がする。
「細川のこと、聞かなくていいの?」
「これ以上、彼に罪を犯させたくないと思う人がこの中にいるのなら、そのうち教えてくれるだろう」
「……これ以上?」
村山が隣の席に置いてあったオーダー票を取り上げた。
(……あ!)
自分のサンドイッチが残っているということに気が付き、高津は少しもったいなく思う。
だが、この状態でこれを食べるのもどうかという気はした。
「待ってくれ!」
どうしてか前川が立ち上がる。
これ幸いと、高津は残っていたツナサンドを手に取った。
「一つだけ教えてくれ。さっきあんたはあの夢が警告夢だと言ったな? それはどういう意味なんだ?」
村山はちらりと肩越しに視線を送った。
「言葉通りです。同じ事が現実に起こった時に、今度はマスターにやられないようにするための」
全員の顔が一斉に強ばったが、村山は振り返らずに歩いていく。
慌てて高津はサンドイッチを呑み込みながら後を追った。




