フローチャート
「……で、中身は何だった?」
高津が聞いてきたので萌は微笑む。
「クッキーよ。ホワイトチョコでコーティングしてあるハート型の」
「おいしかった?」
「そりゃ、詩織さんの趣味だもの」
すると相手は少し驚いたような顔をした。
「知ってたんだ」
「村山さんにあのセレクトは無理だと思う」
自転車を押しながら、高津は不思議そうに萌を見る。
「……でも、その割に嬉しそうだね」
「うん」
お返しの内容より、村山の書いてくれたカードの方が一等大事だ。
(だって……)
萌の作ったチョコが食べられて本当に幸せだと書かれていたのだから。
(慌ててコピー屋さんでラミネートしたけど、小さく畳んでロケットペンダントか何かに入れて、肌身離さずの方がよかったかな)
にやけて頬がゆるゆるの萌を、高津は一瞥して肩をすくめる。
「……気持わる」
「そう?」
何と言われようと平気だ。
「次は誕生日よね」
「え?」
「村山さんの誕生日よ。何をあげようか、すんごく迷っちゃう」
「……えっと、いつだっけ?」
「四月一日」
高津が吹き出した。
「エイプリールフール?」
「そういう言い方はやめてよ」
「だって、存在そのものが胡散臭い人だしさ」
いつもだったら殴るところだが、今日は機嫌がいいので単に無視するだけに留める。
「ところで萌、俺の誕生日、ちゃんと言える?」
「十二月八日」
「あ、覚えていてくれたんだ」
「ジョン・レノンの命日だしね」
高津がいかにも不快そうな顔をした。
「そういう言い方、やめてくれる?」
萌は慌てた。
確かに誕生日が命日というのは嫌かもしれない。
「ごめんね。次からは真珠湾って言うから」
「……ほんと、俺の誕生日って微妙」
哀しそうな顔に思わず肩を叩く。
「気を落とさないで、あたしよりましよ。甲子園でみんなで黙祷なんだから」
「……俺で始まり、萌で終わるって感じだよな」
萌の誕生日は終戦記念日である。
「ね、そんなことより、前川との接触の話よ。村山さん、なんて?」
高津は情けなさそうに頷いた。
「それがさ、フローチャートがA3で四枚の超大作なんだ。村山さんって賢く見えるけど、ほんとはもの凄く馬鹿なんじゃないかと思う」
かばんから取り出された紙を見せられ、萌は目眩を感じた。
「これをどうしろと?」
「この通りにやれってことだと思う。それが駄目なら手紙作戦で行くって言いそう」
萌は笑った。
「手紙で改心を促すなんて、村山さんらしいな」
「……全く、あの人、どうしてあんなに甘いのかな」
「自分には厳しいのにね」
高津は紙に目をおとす。
「いや、俺たちにも厳しいって。これを暗記しなきゃいけないんだから」
「大丈夫、何とかなるって」
「……俺は覚えないから、萌、頼むよ」
「任しといて。大筋理解したらあとは臨機応変で臨むのは得意なの」
何故か不安げな顔で高津は茶封筒に用紙を入れて萌に渡す。
「とりあえず、これ、萌用のコピーだから。決行は明日からだし、ちゃんと覚えてよ」
「うん」
何だかんだと言いながら、萌は高津がきっちり暗記してくることを疑ってはいない。
「あ、でも、さっきちらっと見たけど、最初のミッションは土日、連続よね?」
「そうだけど」
「明後日の日曜日って、ひょっとして遊園地に行く日じゃなかったっけ?」
高津が目を見開いてこちらを見る。
「え?」
「何だ、圭ちゃん、忘れてたんだ」
彼はぶんぶんと首を振った。
「忘れてるとかじゃないって。知らないよ、そんな話」
「え?」
今度は萌が驚いた。
「あれ、おかしいな。昨日、百合子からそう聞いたんだけど」
「メンバーは?」
「百合子と由美と、藤田君と小林君と圭ちゃん」
高津がうーんとうなる。
「そういうことか」
「って?」
「藤田に日曜日空いてるかって聞かれたから、空いてないって答えたんだけど、それってそういうことだったんだ」
「何があるかを知る前に、断り入れちゃったってことね」
「……というよりは」
高津は押し黙った。
「圭ちゃん?」
しかし彼はすぐに微笑んだ。
「ま、いいや、どうでも。それよりキャンセル、早く入れとけよ」
「わかった」
萌は百合子にメールを送る。
「そういえば、ライン作るって藤田言ってたけど、萌聞いてる?」
もちろんこのメンバーで、だ。
「断ったわ。あたし、スマホじゃないし、ラインは却って面倒だから……。これでよしっ」
送信すると、ほとんど間をおかずに携帯が鳴る。
メールは絵文字で激怒のみ。
「……百合子、怒ってる」
「いいんじゃない? 昨日の今日なんだったら」
「でも、理由が説明しにくいな」
「村山さんに用事頼まれたって言っとけばいいじゃん」
百合子は萌が村山を好きなことを知っている。
「そっか」
「それに多分、遊園地は延期になると思うよ」
「どうして?」
高津は少し間をおいた。
「六人中二人がキャンセルだから、日を改めようってことになると思う。多分、俺が行かないってことは藤田、まだ誰にも言ってないと思うし」
「感性を司る預言者の圭ちゃんが言うんだから間違いないわね」
「……予知じゃないんだけどね」
気づけば家の前だったので、萌は高津に手を振った。
「ありがと。いつもごめんね」
「じゃ」
「うん、ばいばい」
家に入った萌は、とりあえず紙を取りだして自室の床に並べる。
「……これをどうしろと」
同じ台詞をもう一度呟いたが、それでも村山が萌の安全のために一所懸命に作ったのだと思えば真剣に見ようという気にもなる。
sinθやlogよりはずっと簡単だと言い聞かせ、漠然と眺める行為の二巡目にトライをしようとした時だった。
階段を上がる音が聞こえたので、萌は慌てて紙をたたむ。
「ただいま」
「お帰り」
妙は部屋に入るとすぐに部屋着に着替え始める。
「お姉ちゃん、汗臭い。早く体操服着替えてよ。そんなんでベッドとか入ってないでしょうね」
「あ……うん」
うるさい妹だ。
仕方なく萌は着替えをタンスから出した。
「そういえばさあ、さっきそこで高津さんに会ったよ」
「ああ、そう」
「付き合ってもいない相手を毎日送り迎えって、なんか可哀想」
「まあね」
それは萌も思っている。
「……村山さんが圭ちゃんに頼んだってこともあるから、そんなに急には向こうもやめられないし、まずは一人で帰れるという実績を積み上げるしかないとは思ってる」
春休みに入れば、剣道部とバレー部で午前、午後のシフトが違う日が出てくる。
そのときはさすがに遠慮をしようと思っていた。
「そんな回りくどいこと言ってないで、いっそ、付き合っちゃえば?」
萌は妹を睨んだ。
「お子様にはわからない事情があるのよ」
「……子供はそっち。芸能人の一言にきゃあきゃあ盛り上がって、その人が結婚したら相手を刺しに行くっ、なんて言ってた子でもそれとは別にちゃんと彼氏作ってるよ」
「村山さんは芸能人じゃないもん」
「じゃあ、奥さんと別れてもらって結婚しようなんて思ってるの?」
「そんな大それた事、考える訳ないじゃん!」
「見てるだけで幸せって言うならアイドルとレベル一緒だから」
妙はかばんから水筒と弁当箱を取りだし、着替えた服を小脇に抱えた。
「高津さんは絶対いいと思うよ? お姉ちゃんにはもったいないぐらい」
「あのね、こっちが良くったって、あっちが嫌って言うから」
妙は驚いたようにこちらを見る。
「高津さん、他に好きな人がいるの?」
「それは聞いてないけど、少なくともあたしに恋愛感情はないと思うよ」
妙は溜息をついた。
「だとしたら、ほんと奇特な人よね」
言いながら妙は部屋を出て一階に下りていく。
「しまった」
ついでに萌の着替えた体操服もカゴに入れてくれと頼めば良かった。
(……でも)
改めて考えると、妙の言うことには一理ある。
萌とあまり仲良くしていると、高津に好きな人ができたときに困るのではないか?
(なかなか他の人には説明が難しい関係だしね)
それについては後日ゆっくり考えてみてもいいかもしれない。
(そんなことより、取り急ぎはこれだ)
萌は再びA3用紙を取りだし、じっと眺めた。