SPS1
土曜日の午後、第一外科の集まりがあった。
第一外科は全員で七人、一部長、二医長、三医員の常勤六名、当直、救急勤務なしの非常勤医員一名である。
今日は乳腺担当の三宅医長は出張、非常勤の大蔵医員はおらず、全員で五名の会議だ。
議題は単孔式内視鏡外科手術(SPS)の中の一つ、単孔式腹腔鏡下胆嚢摘出術、略してSILCとかTANKO胆嚢摘出術などと呼ばれる術式導入についてである。
一般的な腹腔鏡を使用した手術は腹に四カ所の孔を開けてトロカーと呼ばれる筒を取り付け、そこから内視鏡や鉗子などを挿入し、画面を見ながら患部を切り取るが、単孔式は孔が一つとなり、術後の見栄えがいいので最近急速に普及しつつある。
「というわけでこの方法での導入を考えているわけだが、先方の都合が付き次第……」
手術のDVD視聴の後、森田部長が言った言葉に村山は驚く。
(……これで行くって決定?)
先方、つまり懇意にしている大学病院から技術を教えてもらい、その方法を踏襲するというのが部長の話だったが、一言で単孔式と言ってもやり方は様々だ。
留置するトロカーの大きさや数、挿入位置、カメラをクロスにするかパラレルにするか、腹壁吊り上げなどの方法等々、病院毎に違うと言ってもいい。
(……でも)
今泉医長や佐々木は頷いている。
もう少し色々検討してもいいのではと思ったが、自分の知らないところで散々皆で考えてそう決まったのかもしれないと村山は思い直す。
と、
「主旨は理解しましたが、この方法がベストかどうかについては少し検討の余地があると思います」
発言したのは腕組みをしている明石だ。
「先ほど部長はこの方式が低侵襲だとおっしゃいましたが、本当にそうなのですか?」
侵襲とは、狭義には手術や治療によって身体に加わるダメージを指す。つまり、大きく切るより小さく切った方が身体に優しいとかそういう意味だ。
「患者さんの創部痛が少なく、術後経過は良好だと聞いている」
「合併症比率等も含めて、もう少し詳細なデータを開示ください」
部長は肩をすくめた。
「全く同一というのではないが、似たようなやり方の論文がそこそこ出てるから調べればどうかね? それに、我々が今回これを導入すればそのn数も増える訳だから医学の進歩という点でも社会に寄与することになる」
明石は顔をしかめた。だが、先に部長が口を開いたのでそのまま黙る。
「それに何よりも患者さん自身が整容性について、極めて強い関心を持っている。新しいことに取り組むのが怖いという気持もわかるがニーズは大事だ、わかるね?」
明石があごをあげた。
「くどいようですが、先ほどのDVDの術式をそのまま導入するおつもりですか?」
部長は頷く。
「何となれば大学で見学もできるし、依頼すれば指導も受けられる。これが一番問題ないと思う」
「映像ではさほど問題がないように見えますが、あのデバイスの大きさ、それに位置関係では実際にやってみるとそれぞれがかなりバッティングするような気がします」
心の中で村山は頷く。
彼も実はDVDを見ながらそう思っていたのだ。
(……結構、死角もあったしな)
「経験値だけの話だ。慣れれば問題ないとそちらの先生からも聞いている」
もちろん、あまりにやりやすさを追求しすぎるとデバイスはオーダーメイドになる。
それでなくても欧米では承認を受けている機器が普通に未承認だったりする日本では、コストなども鑑みると我が儘を言えないというのも理解できた。
だが当該手術用のポートなどは、このところ続々と承認、販売されていたような気もするのだが……
「どうだろう、この方法をまず練習し、それでやってみて気づいた点はその都度改良していけばいいのではないかね」
「最初に全ての情報を網羅して、それを元に最適化された着地点から逆算して考えれば、二度手間がなくていいと思いますがね」
明石は不遜だ。
言ってることは間違ってはいないけれど……
「村山先生はどう思う?」
「え?」
いきなり話を振られて彼は迷った。どちらについても角が立つ。
仕方なしにどっちの意見にもつかず、経験談を話すことにした。
「個人的な感想という前提で言わせて頂ければ、あの状態で術野をきっちり保持するには……」
スコープの種類やトロカーの位置、大きさについて可能なレベルでの変更を簡潔に提案すると、格としては部長代理クラスの今泉医長がこちらを見た。
「……試したことがあるのか? それともお若い方がお好きな流行の、口先だけのエビデンスかね?」
別に村山の悪口ではないとは思うが、それでも思わず下肢が震えた。
ちゃんとした論拠はあったが、そこは言わないことにする。
「……あくまで経験則です」
森田部長がおかしそうに微笑んだ。
「何の経験?」
そこは突っ込むところではないだろうと村山は心に叫ぶ。
「……申し訳ありません、今議論されている単孔式とは違うので本当に個人的感想でしかありません。私がやったのはハイブリッドNOTESでスコープをシングルポートから挿入するものです。……もちろんブタですけど」
NOTESとは口や膣から内視鏡を挿入し、胃壁などを破って胆嚢などを摘出する開発中の手術だ。
ただ、内視鏡を口から入れて手術をすると、カメラがひっくり返った状態になったり、視野が狭かったりするので、腹に孔を一つ開けてそれを助けることもある。
それらは純粋なNOTESに対してハイブリッドNOTESと呼ばれた。
「どれくらいの数?」
責めるような視線にどうしてか気後れする。
「九頭です……」
「データを取ってないってことは、目的は研修医のスキルアップ?」
明石が馬鹿にしたような顔でこちらを見た。
「贅沢だな」
「いえ、元々はメーカーに依頼された胃壁閉鎖用器具の評価が目的でしたから経費は向こう持ちで……それに正月だったので残ってるメンバーも少なくて……試験が終わってからも練習用に使い回しして……」
思わず言わずもがなのことを口にしてしまう。
「初めての豚も、一度開けて再手術した奴も同一条件として評価したの?」
空気を読んでいないとしか思えない的を外した佐々木の質問に、脇の下に汗が流れた。
「後でわかるように別途処理し……」
「どう処理したの? きちんと説明してよ」
「そ、その……本来であれば誤差因子として負側、正側に分けるべきだったかもしれませんが、今回は九頭で十八パターンの実験を計画したため、二水準一因子として他の三水準の制御因子と一緒に割り付けし……」
思った通り、明石がもの凄く嫌そうな顔をした。
「……それが経験則?」
仕方なしに言い訳をする。
「術者の官能による評価が主となり、データが定性的になってしまったので冒頭そう申し上げました」
今泉がふんっと笑った。
「そもそも医学なんて定性的なものだろう?」
ヒトはともかくメカに関しては定量的に考えた方が実情に即すると村山は思っている。だが、
「……はい」
変な方向に流れた議論を終わらせる方が先決だ。
心の中でため息をつく。
いつものことではあるが、自分の何が悪くてつるし上げの対象になるのかが全くわからない。
この傾向は小学校の時からずっと変わらず……
「それにしてもやったことがあるなら、何でそれを早く言わない?」
言う機会がなかっただけだという言葉を飲み込んで医長に頭を下げる。
「……済みません」
森田部長が興味深そうに村山を見つめた。
「胆摘?」
「はい、それとリンパ節切除、胃腸吻合です」
「口から?」
「はい」
「へえ」
面白そうな顔で見られて、村山は居心地の悪さに汗をかく。
「ということは、この中では村山先生が一日の長があるということか」
「いえ、ですから私のは所詮ブタですし、今回のとは別件で……」
さっきから明石の冷たい視線が気になって仕方がない。
「決まりだ。最初にきっちり情報を網羅すると言うところを村山先生に、それを元に最適化された着地点を決定し、我々に教示いただくところまでを明石先生に頼もうか」
(……げっ)
ショックだったのは、仕事を振られたことではない。
明石と接点をもたざるを得ない状況に気後れを感じたのだ。
「マスタースケジュールについては今泉先生の方で修正しておいてもらおう。後ほど全員にメールで発信しておいてください」
「はい」
その日のミーティングが終わり全員が業務に戻る。
彼は佐々木と一緒に部屋に戻って机に座った。
「……部長、ご機嫌斜めだったな」
佐々木の言葉に彼は首をかしげる。
「そうでしたっけ?」
「そりゃまあ、あんな言い方されりゃあな。明石先生も困ったもんだ。お前、彼と仲が悪くてよかったよ」
後半部分は聞こえない振りをする。
「……って言うより部長、あれで機嫌が悪いんですか?」
「お前は本当にそういうの疎いよな。最後の方、薄ら笑いを浮かべてたろ? あれ、不機嫌のサインだから」
「覚えておきます」
「ま、せいぜい頑張れ。胆摘ならお前もやらせてもらえるかもしれないぞ?」
「そうなんですか?」
佐々木は笑う。
「うまくいけば他の手術にも広げていくだろうが、何てったって、うちで年間で百越えてる手術は胆摘とヘルニアだけだしさ」
しかもヘルニアの半分は開腹手術だ。
結果的には胆摘さえ押さえていれば、ほぼ腹腔鏡下手術の半分は単孔式ということになる。
「……俺、明石先生を捜してきます」
「おお、やっと不安になったか」
立ち上がった村山の背中を佐々木は叩く。
「先生は多分、プクイチだ」
彼は頷き、北出口の喫煙所に向かった。