第三話 招かれた先は
あれから瞬く間に一週間が経った。おばさん達に相談した翌日は、一日がひどく長く感じたが、まだ少し猶予があると思ったその翌日からは、のんびり構えていたせいか、あっという間に時間が経ってしまった。
「どうしよう……心の準備が…整いきってない…」
そう言いながら、朝の店の掃除をしていると、同じく掃除をしていた先輩が苦笑した。
「あんたってほんとに小心者だよね。そんなに緊張しなくても、イルア様は温情深く気さくな方だって話じゃない。あんたも本人に会ったんでしょう?」
「はい、会いましたけど…」
「どうだったの?」
「……すごく優しくて気さくな方でした。」
「なら、そんなに気負う事ないわよ。お世話になって、やることやって帰ってくればいいじゃない。そう言えばうちから通うの?」
言われてレイリアは苦笑したままで固まった。
「……………え?」
それを聞いた先輩も、固まった。
「……………そういう話は、してないのね?」
「あ…はい。」
「…………………」
ため息をつかれるかと思ったが、先輩はぐっと堪えた様子で空を睨み、レイリアに視線を戻して言った。
「まあ、もし住み込みって事でも、おばさんは行っておいでって言うと思うから、そのまま行っちゃいな。」
「でも、それ、いいんですか?」
「いいでしょ。連絡くれれば荷物持ってってあげるしね。」
「そ、それは大丈夫です。もしそうなったら自分で取りに来ますから!」
笑われて、その先輩の笑顔を見てたら、レイリアは少し気分が落ち着いて来た。
「さ、行っておいで。籠は花畑の中に置いておいて。私が後で取りに行くから。」
「あ、はい。……じゃあ、行ってきます。」
一応身なりを整えて、先輩に確認してもらって、レイリアはお店を後にした。おばさんは今日は買い出しに行っているから、今日行く事は昨夜のうちに伝えておいた。
歩き慣れた道をもくもくと歩いて、あの花畑にやってきた。落ち合う時間は言っていなかったので、今日は一日花の収穫とお世話、という仕事にしてくれたのだ。
(そうだ、リュミエルいるかな?)
ちょっと期待しながら柵へ入る。
「リュミエル?」
呼びかけながら探すが、どうやら今日はいないようだった。
(良かった。今日は逃げ出してないんだ、きっと…)
良かったと思う反面、少し残念だったが、これからリュミエルと会える回数が増えると思うと、安堵とは違う嬉しさが込み上げてきて、知らず、笑顔になってしまう。
(これからリュミエルのお世話が出来るなんて…すごい幸せな事!)
心の中で呟いて、レイリアは張り切って花のお世話を始めた。
朝から作業を始めて、お昼には花のお世話は終わっていた。少し休憩を取ろうと、一旦柵の外へ出た。持って来た軽食と飲み物を取り出し、柵にもたれかかって座る。空を見上げると心地良い青空と雲で、風も穏やかで日差しも優しい。そよぐ風に花の淡い匂いが乗ってきて、レイリアは深呼吸した。
「あー…良い天気。こうやってのんびりするの、好きだなぁ」
お昼を取りながら日溜まりの中にいると、心地よい香りも手伝って、だんだんと眠くなってくる。
(まあ…少しくらいなら寝てもいいよね。夕方まで寝ちゃう事ってないし…)
そう思っていると、睡魔が優しく頷き返してくれているようで。
(あー…良い心地…)
幸せな気分で目を閉じた。
しばらく眠っていたのだろう。うっすらと意識が戻るが、思考は動かない。
「———」
(あれ・・・今・・・)
声が聞こえた気がした。ふわ、と木漏れ日が遮られる。
(やっぱり・・・誰か来たのかな?)
そっと肩に手を置かれたような気がする。しかし感覚の戻っていない体にはよく分からなかった。
「———」
また何か聞こえたような気がする。ゆっくりと肩を揺らされて、レイリアはようやく五感を働かせようと意識した。
「———」
先程よりも音が聞こえた。どうやら誰かの声だ。柔らかい声音は睡魔を緩やかに追い払う。うっすらと目を開けると、途端に五感が働いた。
「どうか起きて下さい。」
レイリアを揺り起こしていたのはヴィトだった。傍らに膝をついて、レイリアを遠目に覗き込んでいる。
(なんだか・・・リュミーに初めて会った時に助け起こしてもらった時も、こんな感じのこと、あったな・・・)
そう思ってからふと、我に返る。
(・・・・・・ヴィト様、なんでここに?)
そう、考えて。
「あっ・・・!」
いきなりレイリアが上体を起こしたので、ヴィトはとっさに少し引いていた。
「すみません、私・・・!」
ヴィトは驚いた顔でレイリアを見ている。
「・・・眠ってしまって・・・その・・・」
驚いてレイリアの様子を見ているヴィトに、レイリアは恐る恐る聞いてみた。
「・・・・・・随分お待たせしましたか?」
熟睡していたのが恥ずかしくて、まともに顔を見られない。数秒待ったのち、ヴィトをちらりと見ると、そっぽを向いて口元を押さえていた。不思議に思って観察していると、どうも笑っているらしい事が分かった。
「あの・・・・・・?」
声をかけたレイリアに、ヴィトははっと向き直ると笑いを引っ込めた。
「いえ。私が着いてからそう時間は経っていません。とても気持ち良さそうにされていたので、起こすのは止めた方がいいとは思ったのですが・・・イルア様の御命令もありますので、失礼を承知で起こさせて頂きました。」
言いながらヴィトは丁寧にお辞儀をする。レイリアは慌ててそれを止める。
「あの!ヴィト様、私、ただの・・・ただの庶民ですから!」
「は?」
突然そんな事を言われてヴィトは目を丸くした。レイリアはどういったらいいのか懸命に考えながら言葉を紡ぐ。
「ですから、その・・・私にそんな物言いなさらないで下さい!イルア様に声をかけて頂いたのは・・・光栄ですけど、私自身はなんの変哲もないただの庶民なんです!」
最後は一気に言い切って、レイリアはヴィトの両腕を止めた状態で必死に訴えた。ヴィトはたっぷりレイリアを見つめると、屈託ない、幼くも見える笑顔で笑った。
「あはは・・・貴女は面白い方ですね!」
お腹を押さえながらも明るく笑う様は、とても少年らしい仕草だった。途端にヴィトに親近感がぐっと沸いて、レイリアもつられて笑った。
「お気持ちは分かりました。でもレイリア様。今はまだイルア様から直に騎獣の世話係に任命されたわけでは
ないので、“お客人”になるのです。“お客人”に礼節をとるのは、私の仕事のうちでもあります。」
年はレイリアとそう変わらないだろうに、この丁寧で毅然とした態度はどうだろう。
「そ・・・そうなんですか?」
そう問うと、ヴィトは笑顔のまま頷く。
「はい。でも騎獣の世話係を拝命されたら、私と近い立場になりますので、その時は態度を改めると思います。そうなったら驚かれるかも知れませんが・・・」
それまで屈託ない笑顔で笑っていたのが、一瞬で含みのある不敵な笑みに変わった。
「覚悟して下さい。」
それはまさに、レイリアにとっては獣のような豹変に思えた。だから、思わず魅了されてしまった。
「それと、レイリア様。」
先程とはまた違った調子で名前を呼ばれ、レイリアははっと我に返って慌てて返事をした。
「は、はい!」
「・・・この陽気で眠くなるのは分かりますが、人気のない場所で無防備に眠るのは危険です。」
「・・・危険、ですか?」
この辺りは本当に誰も通らない。誰か獣に襲われたなどという物騒な話など聞いた事もない。首を傾げるレイリアに、ヴィトは少し困ったように視線を泳がせた。
「——・・・もう少し、女性だという自覚をもたれたほうが良いと思います。」
「・・・自覚、ですか・・・」
そう返事を返すと、ヴィトはまた視線を泳がせた。しかしそれ以上は言わないと決めたようで、表情を改めてレイリアに向き直った。
ヴィトが表情を改めたのを見て、レイリアは微かに身構えた。
(ほ、本題に入る・・・?)
はい、と返事をするだけなのだから、そう身構える事もないと自分でも思うのだが、どうにも緊張してしまう。どきどきしながら言葉を待っていると、予想通りにヴィトは問いかけて来た。
「リュミエルの世話を、引き受けて下さいますか?」
じっと真剣にレイリアを見つめる。
(そんなに真剣に・・・頼むような事なの?私・・・ちょっと軽く考えてたのかな・・・)
それとも、単にイルアに返事を聞いてくるように託されたからかも知れない、とレイリアは考え直した。
(私如きに大事な役目を頼むわけない筈・・・)
小さく頷いて、レイリアはヴィトの目をまっすぐ見て返事をした。
「はい。お受けいたします。」
ほっとしたようなヴィトの表情に、レイリアも緊張を解いて頭を下げた。
「私は人よりどんくさいってよく言われますけど、精一杯リュミエルのお世話を頑張ります!」
くすっとヴィトは笑う。
「それで、お仕事の方はいかがされますか?」
「ええと・・・お店の主人が、お世話に専念しなさいと言ってくれたので、仕事はお休みさせてもらいました。」
「それは良かった。では屋敷へ向かいましょう。荷物はどうされますか?こちらで新たに揃える事も出来ますが。」
「・・・・・・えっ!?」
(やっぱり住み込みなの!?)
思い切り動揺するレイリアを見て、ヴィトは少し慌てて付け加えた。
「いえ、ご自分の家から通われた方が良いのであれば、こちらはそれでも構いません。」
「・・・・・・・・・」
「・・・ですが・・・イルア様が貴女を屋敷にお招きする事をお望みなので、出来れば屋敷に来て頂けないでしょうか・・・?」
(・・・イルア様が・・・)
嬉しさで胸がじんとなる。けれど本当に移り住んでしまっていいのだろうか、と躊躇ってしまう。
(だって、身分が違いすぎるし・・・お屋敷で働いた事なんかないから、ものすごく迷惑になっちゃいそうで怖い・・・)
「あの・・・・・・」
レイリアは恐る恐る言った。
「私、礼儀もまるで分からないですし、お屋敷で働いた事なんかないので・・・ものすごくご迷惑になってしまうと思います。」
「・・・・・・・・・」
ヴィトはぽかんとしている。そして、笑い出した。
「あははっ、そんな事は分かっています。イルア様もご存知ですよ。」
「・・・・・・・・・」
礼儀知らず、という事を楽しげに笑われて、レイリアはどうしていいか分からずにヴィトを見ていた。多分、情けない顔になっていると思う。
「すみません、俺もそんなに礼儀正しく出来るわけじゃないので・・・」
(あ、今・・・俺って言った)
驚いてヴィトを見つめていると、ヴィトはまだ少し笑いながら続けた。
「その身一つで来て頂いて大丈夫です。礼儀作法はイルア様とセティエス様がしっかり教えて下さいます。あ、俺も分かる所はお教えしますし、ガイアスも。」
驚きとありがたさで潤みそうな瞳に、ヴィトはふわりと優しく笑った。
「俺なんか野生児でしたから、レイリア様の方がまだ礼儀をお分かりですよ。・・・そんな俺でもなんとか使いが出来るくらいになったんですから、何も心配いりません。」
そんな言葉が余計に胸にきて。レイリアは本当に目が潤んだ。それを見たヴィトの表情が凍り付いたが、レイリアは構わず感謝する。
「あ、ありがとうございます・・・!」
言ったら少し涙が溢れて。瞬きすると、零れ落ちた。
(あれ・・・何も泣く事じゃないのに・・・)
自分でも驚いて頬を拭う。泣かれたヴィトは驚きのあまり固まっているようだ。涙はすぐに収まったが、理由を思い当たったらまた少し零れた。
(私・・・この一週間、ものすごく緊張してたんだ・・・お店出た時はもう落ち着いたと思ってたのに・・・)
「すみません、なんだかほっとして・・・」
そう言って笑うと、ヴィトは困ったように歩み寄った。
「大丈夫ですか?俺・・・何か不安にさせるような事・・・?」
「いいえ」
もう涙が収まった瞳で、レイリアはにこりと笑った。
「イルア様がとても偉い方だってこの間知って、すごく不安になってたんです。私、何事にも疎くて。私にわざわざ声をかけて下さって・・・私、人より出来る事なんて何もないのにって。でも今日しっかりヴィト様が迎えに来て下さって、本当に誘って下さってるんだなぁって思って。お屋敷に招いて下さるって聞いてまた不安になって。」
「・・・・・・・・・」
「でも、皆さん本当にお優しいです。それがすごく、心強くて。」
ヴィトはようやくほっとしたように息を吐いた。
「・・・ヴィト様も、とっても気安くして下さって、安心します。」
その言葉に、ヴィトは困った様子で視線を泳がせた。
「不安が少しでも軽くなったのなら、良かったです。」
それだけ言って、一つ頭を振った。
「・・・・・・では、イルア様もお待ちですし・・・屋敷へ行きましょう。」
そう誘われて、レイリアは嬉しくて微笑んだ。
「はい!」
イルアの待つ屋敷へは、ヴィトが用意していた馬車で向かった。街で見かけたあの馬車だ。イルアが乗っていたその馬車に、はたして自分なんかが乗っていいんだろうかと躊躇ったが、御者席に乗ったヴィトに微笑んで「どうぞ」と促されると、戸惑いよりも嬉しさが勝って心地よく乗れた。馬車の窓から眺めていた景色は、見慣れた景色から街へと変わって、さらに洗練された景色へと変わっていった。
(街より奥って行った事がなかったけど・・・こんな風になってるんだ・・・)
街より奥、というよりは、レイリアが入った事があるのは街の手前で、奥の方に騎獣屋や魔道具など、高級な店が連なっているようだった。
そんな通りを過ぎて更に馬車は進む。並木が続く道は進むにつれて店も家なくなり、土だった地面はやがれ煉瓦で作られ、もはや庶民が安易に入り込めない雰囲気になっていた。
(もしかして・・・いつの間にやらイルア様のお家の敷地内・・・とか?)
「あ・・・!」
屋敷が見えた。華美な印象はどこにもなく、温かで優しげな雰囲気も屋敷だった。一般的な庶民の家のような暖かさ。その家が大きくなったらこんな感じになるのだろうか。レイリアはほっとした気持ちで屋敷を見つめた。
(イルア様の人柄みたいなお屋敷・・・。立派だけど近寄りがたい雰囲気が一切ない。)
イルアの屋敷は、まず塀に囲まれている。塀の上には鋭い飾りが付いていて、侵入者を拒む為のものだろう。
(あの飾りもとても素敵。こういうお屋敷はあんなところまで綺麗に作るのね・・・)
塀から距離をあけて屋敷林が取り囲んでいる。その気は細身で、上に長く伸び、細身の明るい緑の葉をたくさんつけていた。幹は白く、煉瓦の塀や芝と相まってとても穏やかな雰囲気を醸し出している。
(あったかくて素敵なお屋敷!)
そういった雰囲気だけでもなんとなく安堵を感じて、レイリアはほっとため息を漏らした。
馬車は塀の大門を通り抜け、少しして屋敷の玄関で馬を止めた。どうしていいのか分からずに座り込んでいると、御者席から降りたヴィトが扉を開けて声をかけてくれる。
「どうぞ、レイリア様。」
そう言って手を差し出される。立ち上がったものの、その手を、レイリアはまじまじと見つめた。
「・・・?どうかされましたか?」
聞かれて、レイリアは困った。
(・・・これって・・・何か、お約束みたいな事なの?・・・き、聞きづらい・・・)
自分の無知が恥ずかしい。こうして当たり前のように知らない事をされると、余計に。だが、こうして突っ立ってヴィトの手を眺めているのも恥ずかしい。
「あ、あの・・・どう・・・すれば?」
ヴィトの手を前に、行動に困る。それを見て、ヴィトは言葉を失った。きっと当たり前すぎてレイリアの質問の意味が分からないのだろう。しばらく、レイリアはヴィトの手を、ヴィトはレイリアを見つめた。そして。
ガチャン、と音がして玄関の大扉が開く。はっとして、ヴィトはレイリアに差し出した手を引っ込め、さっと頭を垂れた。レイリアはおろおろしてしまって、取りあえず扉から出てくる人物をちらりと見る。それは、セティエスだった。レイリアは未だ馬車の中で立ち尽くしている。それでセティエスと同じくらいの目線なのだから、今更ながらセティエスは背が高いのだと思った。
「・・・どうしました?そんなところで立ち尽くして。」
セティエスは心底不思議そうにレイリアを見て言う。相変わらずの美貌だ。レイリアは動揺して慌てて踏み台に足を進める。
「あ、い、いえ!」
慌てていたから、レイリアは思ったよりも段差があった踏み台を降りる拍子に、駆け下りるというよりは落ちるようになった。
「わっ」
「「危ない!」」
転ぶと思って前へ突き出した両手は、すぐに抱きとめてくれたヴィトの腕を包むようにしがみついてしまった。抱きとめられた時には正面にセティエスも支えようとしてくれていて、レイリアは呆然とする間もなく、恥ずかしさでいっぱいになった。
「す、すみません!慣れなくて!」
さっとヴィトにしがみついていた手を離す。頭を下げようにも二人との距離が近くて下げられず、レイリアは可能な限りうつむいて謝った。
「来たばっかりで迷惑かけて・・・すみません!」
「足は痛みませんか?」
セティエスにそう優しく聞かれて、レイリアは即答する。
「大丈夫です!すみません!」
「怪我がなくて何よりです。よく来てくれましたね。歓迎します。」
ふわりと微笑まれてレイリアは顔が熱くなるのを感じた。
「はい、あの、ありがとうございます!」
「まずは部屋に案内します。」
ヴィトがそう言ってくれて、レイリアは改めてお礼を言った。
「ありがとうございます!お世話になります。よろしくお願いします!」
慌てふためくレイリアの様子に、セティエスとヴィトは目を合わせるとくすりと笑った。
「そう言えばセティエス様、お出かけですか?」
そうヴィトに問われ、セティエスは頷いた。
「お嬢様を待たせているからな。」
そうしてレイリアに視線を戻す。
「今日来て頂いたのに申し訳ありませんが、イルア様も私も、今日は夜まで戻れません。ヴィトとガイアスが貴女に屋敷の事や仕事についてお教えしますので、何か分からない事や不自由があれば言って下さい。」
「あ・・・はい、分かりました。」
少し残念な気持ちは拭えないが、ここで働くのだから会える機会は格段に増える。そう考えてレイリアは笑った。
「気にかけて頂いてありがとうごさいます。」
ぺこりと頭を下げる。セティエスは小さく微笑むと、ヴィトに向かって口を開いた。
「ヴィト、留守を頼む。」
「はい、セティエス様。いってらっしゃいませ。」
礼をするヴィトに頷いて、セティエスは大門へ向かう。
(あ・・・)馬車から少し離れたところにいつの間にか馬のような、四肢は獣のような爪を持つ獣—セツキがいた。セツキの手綱を引いているのは、艶やかな赤銅色の髪と目を持つ男だった。顔はよく見えない。だが何か、戦士のような鋭さがあるように感じた。
(・・・あんな方もいらっしゃるんだ・・・)
思わず目を奪われていたレイリアを、ヴィトの声が引き戻した。
「レイリア様、こちらですよ。」
「あ、はい!」
屋敷内は、広かった。広いけれど、閑散とした雰囲気はない。それに、安堵する。ヴィトが真っ先にレイリアの部屋に連れていってくれた。
「ここがレイリア様の部屋です。一階は使用人の部屋と客間です。二階にイルア様の部屋と食堂があります。ちなみに俺の部屋はあそこです。」
ヴィトが指差す先は、廊下の突き当たりにある扉だった。
「何かあれば、昼夜問わず言って下さい。」
(昼夜問わず・・・そんな大層な・・・)
思いつつも、ありがたく頷く。
「はい。お世話になります。」
ヴィトはそれに頷くと、レイリアの部屋の扉を開けた。
「わあ・・・!」
歓声を上げるレイリアに、ヴィトはくすりを笑みをこぼした。
「荷物をどうされるか分からなかったのですが、イルア様がどうしてもと言い張って、家具を揃えられたんです。どうですか?」
部屋はまず、レイリアが以前店であてがわれていた部屋よりも広かった。それに加え、寝台、書棚等、とても良い香りのする木材で統一されていた。部屋にある窓は大きく、出窓になっている。そこには素朴な花が飾られていて、人様のお屋敷とはいえ、とても親しみある雰囲気を感じた。
「これ、イルア様が揃えて下さったんですか?」
「はい、そうです。なんだか張り切ってしまって、『もし断られたらどうするおつもりですか?』なんてとても聞けなかったんですよ。」
思い出してくすくす笑うヴィトに、レイリアも笑った。
「そんなに楽しみにして下さってたなんて、感激です!」
「お気に召しましたか?」
畏まってそう聞かれると非常に違和感を感じるが、レイリアは大きく頷いて笑った。
「はい!とっても!すごく素敵です!」
「それで・・・今日のところは着替えなどこちらで用意させてもらいます。夜にはイルア様もセティエス様もお帰りになりますから、そうしたら身の回りのものや当面の仕事など、話があると思います。取りあえず今日は、この屋敷を散策したり、リュミエルと遊んで頂いて良いですよ。」
「・・・・・・えっと・・・もし何か出来る事があれば、何かお手伝いがしたいんですが・・・」
そう言うと、ヴィトはちょっと驚いた顔をした。
「来て早々、仕事をしたいんですか?」
「はい。私、その為にこちらに置かせてもらうんですし・・・なるべく早く慣れたいんです。」
「・・・・・・・・・」
「あ、もちろんご迷惑じゃなければ、です!」
「・・・・・・・・・そうですか。」
ヴィトはしばらく考え込んでから言った。
「それじゃあ、取りあえず騎獣舎にいきましょう。ガイアスを紹介します。」
「あ・・・はい!」
(ガイアス様って・・・確かリュミーの・・・騎獣のお世話をしている方だよね。)
ヴィトの後に続きながら、レイリアは密かにわくわくした足取りで騎獣舎へ向かった。
騎獣舎は屋敷を出てすぐのところにあったが、柵で囲ってあった。レイリアの背の何倍もある高さ。柵は黒く長い鉄が、やっと手を通せるくらいの間隔で地面に打ち付けてある。どこが入り口が分からないような柵だ。ヴィトが入り口らしいところを開け、レイリアを招き入れるとしっかりと閉じた。どこが入り口か分からないが、どこが鍵なのかも分かりづらい。柵の中には大きくて立派な騎獣舎があった。獣の気配がひしひしと感じられる。庶民の飼う獣達とは訳が違うのだろう。ヴィトは鉄製の扉の前に立つと、少々乱暴に叩いた。
「ガイアス!」
少しして、中から獣達の吠え声と一緒に男の怒鳴り声がした。そうでもしないと獣の声にかき消されてしまう。
「入れ!」
扉は横に開かれた。
(あ・・・引き戸だったんだ。てっきり前後に開くやつかと思ってた。)
ちょっと驚きつつもヴィトに続いて騎獣舎に足を踏み入れた。途端、横合いから大きな獣の唸り声がして思わず飛び上がる。
「きゃっ!」
慌ててヴィトに駆け寄ると、ヴィトは宥めるように肩を軽く叩いた。
「檻に入ってますし、これだけ距離があるから大丈夫ですよ。」
「あ・・・」
言われてみるとその通りだった。獣達の檻は、レイリアがいるところからは距離がある。万一檻からでたとしても、すぐには手の届かない距離だ。ほっとして、恥ずかしくなってヴィトに謝る。
「ごめんなさい。驚いちゃって・・・」
するとヴィトは面白そうに笑った。
「いえ。なんだか新鮮な反応で、ちょっと楽しいですね。」
「え・・・?」
(怖かったのを楽しいと言われても・・・)
ガシャン、と今度は間近で大きな音がして、またも飛び上がってしまった。みると、赤銅色の髪、赤銅色の瞳の男が大きな鋤を支えにしてこちらを見ていた。足下には様々な道具が無造作に置かれている。男の鋭い視線に、僅かに心が強ばった。
「ガイアス、リュミエルはどうだ?」
ヴィトに問いかけられると、男—ガイアスはちらりと奥を振り返った。
「・・・今日は大人しい。」
そしてまた、視線をレイリアに戻す。挑むようなその視線に、レイリアは浮き足立っていた気持ちが急速に冷えていくのを感じた。
「レイリア様。この男がガイアスです。屋敷内では主に騎獣の世話と調教をしていますが、屋敷内外の警護も彼の仕事です。」
(いかにも戦うの得意そう・・・)
こわごわしながらも、レイリアは頭を下げて挨拶をした。
「レイリアです。今日からお屋敷にお世話になります。よろしくお願いします。」
「・・・・・・・・・」
反応は、ない。顔を上げると、ガイアスは黙ってレイリアを見ていた。
「ガイアス。レイリア様は今日から仕事に馴染みたいとおっしゃってるから、お教えして。」
「・・・・・・・・・」
「ガイアス・・・」
呆れたようにヴィトが声をかけると、ガイアスは視線をヴィトに移した。
「仕事については明日教える。」
「あのな・・・」
「そんなひょろっちいのに仕事を教えても当分は使い物にならない。」
「お嬢様から正式に任命されるまでは“お客人”だろ?その物言いは失礼だぞ!」
「お前、騎獣の世話をした事はあるのか?」
ふいにレイリアに視線が戻った。強ばる口を懸命に動かして言葉を紡ぐ。
「い・・・いえ・・・こんなに大きな獣はお世話した事がありません。」
「つまりは飼い犬程度しか世話が出来ないって事だろう。」
「ガイアス!」
怒気をはらむヴィトの声にも、ガイアスは素知らぬ顔で続けた。
「俺は忙しい。今日は教える予定じゃなかった。だからそいつに割く時間はない。」
それだけ言って大きな鋤を肩に担ぐ。そして、一言。
「リュミエルは奥だ。俺の邪魔をしないと言えるなら、好きに遊んでいろ。」
そうしてさっさとその場を後にしてしまった。ヴィトがため息をもらす。
「・・・・・・すみません、レイリア様。ガイアスは・・・かなり口が悪くて。」
深く頷きかけて慌てて首を横に振った。
「い、いえ!・・・本当の事ですし・・・」
言った途端にかなり落ち込む。
(自分でも思ってた事だけど・・・私って、やっぱり何にも出来ないんだよね。・・・あの人にお仕事教えて貰うのにも、かなり迷惑かけてイライラさせちゃいそう・・・)
はあ、と思わず漏れた溜息に、ヴィトが顔を上げた。
「あれでも名門貴族の出なんですけどね・・・。貴族令嬢もこぞって言いよる程の名家なんですが、あの口ですから、一言でも話しかけたが最後、皆さん泣くか怒るかしてしまうんですよ。」
「えっ・・・!」
「まあよっぽど勇気ある令嬢でなければ最初の無視に耐えられず諦めるんですが、稀にいらっしゃるんですよ。あの容貌に心酔して粘る方が。泣いても怒ってもあまりのショックで、あまり大事にはならないんですけどね。」
「・・・・・・・・・」
(た、確かに惹かれる容貌だけど・・・あんな目で見られたらとても好意は持てない・・・)
「あんな口なので滅多に公の場には出ないんですよ。イルア様からもあまり喋らないように言われてますし。」
「え、そうなんですか!?」
(公の場で喋るの厳禁って・・・)
レイリアは思わずガイアスを探した。
(名門貴族の方なのに?)
「ああ、もちろん貴族としての振る舞いは出来ますよ。でも、あれが自然なんです。というか口が悪いという気は全くないんですよ、ガイアスは。」
(それって・・・・・・)
色々な思いが浮かんでくるが、ふるふると頭を振って思考を止めた。
「・・・リュミエルに会っていかれますか?」
ヴィトが優しく笑んでくれる。それだけで、落ち込んだ気持ちが少し浮上した。
「はい!是非!」
「ではこちらへ。」
ヴィトの後について行くと、先程ガイアスが示した奥に、他の檻とは少し離してリュミエルの檻はあった。檻を覗くと、リュミエルは体を横たえてこちらを見ていた。
「リュミエル!」
呼びかけるとリュミエルは、長い尾をぱた、ぱた、とゆっくり振った。ヴィトはその様子を見て、不思議そうにレイリアを振り返る。
「・・・レイリア様は一体どんな事をしたんですか?」
「え?」
「イルア様がいらしても、リュミエルは尾さえ振らないんですよ。」
「え、そうなんですか?」
改めてリュミエルを見る。リュミエルは真っ直ぐにレイリアを見て、長い尾をぱたりと振っている。
(イルア様と私の接し方なんて、そう変わらないと思うんだけど・・・)
「入りますか?」
ヴィトは檻の扉に手をかけてそう聞いてきた。レイリアは喜んで頷く。
「はい!」
素直に大きく頷くと、ヴィトが開けた扉の隙間に体を滑り込ませるようにして入る。間を空けずにヴィトも入り、内側から鍵をかけた。そうしているのをみると、リュミエルが外に出よう、出ようとしていたのだと実感した。レイリアが檻に入ると、リュミエルはゆっくりと伏せていた上体を起こして瞬いた。
「久しぶりね!」
なんの躊躇いもなく頬に手を触れると、リュミエルは目を細めてすりよせる。
「もう逃げ出したりなんかしないでね。私、ここで働かせて頂く事になったの。一所懸命にお世話するから、ここにいてね。」
答えるようにリュミエルが喉を鳴らす。それが嬉しくて、レイリアはリュミエルの首にそっと抱きついて頬を寄せた。
(うーんふわふわ!気持ち良い・・・良い匂い)
思わずすり寄せていると、リュミエルがごろごろいっているのが触れ合ったところから伝わってきた。
(リュミエルも気持ちよく思ってくれてるんだ・・・)
幸せいっぱいのひとときに酔ってしまう。そのまましばらくそうしていると、肩にのったリュミエルの頭がずっしりと重くなってきた。優しくその首を撫でながら、そっと体を離してその綺麗な緑の瞳を覗き込む。
「寝かせてあげたいけど、私じゃリュミエルの頭を支えられないわ。ごめんね・・・」
謝ると、リュミエルは優しくレイリアの頬を一舐めした。
「ふふっ、ありがとう。膝なら貸してあげられるわよ。」
「・・・・・・・・・」
はっと気付いて顔を上げた。
(いけない、ヴィト様とガイアス様がいたんだった!)
慌てて二人を探す。ヴィトは間近でこちらを凝視していた。呆気に取られている。そしてー。
(ガ、ガイアス様まで・・・!)
柵越しに、ガイアスまでもが作業の手を止め、レイリアとリュミエルを凝視していた。唖然としているようだ。
「・・・・・・・・・」
(は、恥ずかしい!すっかりお二人がいるのを忘れてリュミエルの気持ちよさに浸っちゃうなんて・・・!)
「あ、あの・・・」
この場の雰囲気を変えようと何か言おうと思うのだが、何も言葉が浮かばず、えっと、あの、と小さく繰り返すだけだった。
「・・・・・・・・・」
その間にガイアスの目がすっと細められ、レイリアは極度の緊張で必死にヴィトに助けを訴える。
「・・・・・・おい」
(な、な、何!?)
自分の事かと焦るレイリアの視線をしっかり捕らえ、ガイアスは続けた。
「ちょっと来い。」
「えっ!?」
ひたすら焦るレイリアに、我に返ったヴィトが優しく背中を押す。
「あ、どうぞ。」
扉を開けられたので出るしかない。扉を出ると同時にガイアスに腕を掴まれ、心臓が縮み上がった。
(ななな何!?私、どうなるの!?)
ずんずん連れて行かれて、着いたのは入り口の近くにある檻の前だ。入ってきた時に唸っていた獣は、リュミエルより遥かに大きく、伏せている状態でも明らかにレイリアより大きかった。
(怖い・・・!)
獣は大きく、漆黒の毛に覆われていた。暗い檻の中に潜むその姿はまるで闇のよう。その闇から覗くのは黄金の爛々と輝く目だった。その目は、レイリアを拒絶していた。激しい、拒絶だった。目が合ったまましばらく動けないでいると、小さな呟きが聞こえた。
「・・・・・・あいつだけか・・・。」
ガイアスはそう呟くとレイリアの腕を離した。レイリアはすぐに後ずさる。小さく震えているのが自分でも分かった。
(寄るなって言ってる・・・)
さらに後ずさったレイリアの背に、暖かくて優しい手が触れて、レイリアは足を止めた。
「大丈夫ですか?」
ヴィトが苦笑してこちらを見ていた。その顔を見てほっとする。
「・・・はい、大丈夫です。ちょっと・・・びっくりしちゃって。」
「ガイアスは乱暴ですからね・・・」
聞こえるようにガイアスに言うが、ガイアスは無視だ。
「いえ、あの・・・どちらかというと、あの子です。」
目を合わせないようにちらりと檻を見る。
「・・・あいつですか。確かに凶暴ですが・・・」
「・・・あの子は、私の事が嫌みたいです。」
その台詞にヴィトはちょっと微笑んだ。
「ああ、あれは誰にも懐きませんよ。ガイアスにしか触れないんです。」
「いえ・・・」
(会ったばかりだというのもあるけど、こうして立っていても、ヴィト様の事は嫌ではないんだわ、あの子は。けど・・・それを言っても仕方ないわよね・・・)
「さあ、今日はこれくらいにして・・・少し休まれては如何ですか?」
言われた途端にどっと疲れを感じて、レイリアは素直に頷いた。
「はい・・・そうさせて頂きます・・・」
ヴィトに続いて騎獣舎を後にする。扉が閉まる瞬間、ちらりとガイアスがレイリアを見た。しかし、レイリアは気付く筈もなかった。
部屋へ戻り、疲れは感じていたが横にはなっていられなくて、レイリアはイルアが用意してくれたものをじっくりと見ていた。
「どの家具も素敵なものを選んで下さったのね、イルア様・・・ほんとに気さくで優しい方!」
用意してくれた服はどれも綺麗だったが、レイリアからしてみれば普段着るのにはもったいないくらい上等なものだったので、眺めて楽しむだけにした。
(・・・でもこれしかないと着ないわけにはいかないわよね・・・。やっぱり荷物は取りに行った方がいいかな。)
そわそわしながら部屋を見回し、これからの事を考えて、ふと思い当たった。
(お風呂とか、どこなんだろう?それに食事の支度くらいは手伝わないと。)
思い立ったら部屋でじっとしていられず、結局少しも身体を休めずにレイリアは部屋を後にした。
(食堂は二階って言っていたから・・・厨房も二階よね、きっと。一階は使用人の部屋と客間だと言っていたけど・・・・・・二階には勝手に行かない方がいいのかな・・・。)
色々考えて、取りあえず一階を散策する事にした。ヴィトはどこで何をしているのだろう。ヴィトの姿を探しつつ、うろうろと歩いて取りあえず部屋の場所など覚えていく。どうやら使用人の部屋らしきものは六部屋あり、廊下を挟んで二部屋と四部屋で並んでいた。そのうち一つは他と比べてかなり広く取ってあり、多分、セティエスのものだと思われた。
(このお屋敷に、使用人は私を含めて四人だけ?・・・イルア様って、聞いた感じでは身分の高い方みたいだったけど、案外使用人は少ないのね。・・・こんなものなのかな?)
決して複雑ではない間取りを歩いていると、どうやら中庭のような場所が見えた。その木漏れ日に惹かれて足を進める。—と、ヴィトの姿が見えた。
(何してるんだろう?)
邪魔をしないようにとそっと近づくと、意外な光景が飛び込んできた。
(え・・・ヴィト様って、こんな事もされるんだ・・・)
慣れた手つきで洗濯物を取り込んでいる。よく見ると男物しかないから、もしかするとイルアは自分の世話は自分でしているのかも知れない。
(・・・こういうものなの?)
呆気にとられてヴィトの様子を見ていると、畳み終えて籠を持ったヴィトが、すっとこちらを向いた。しっかり目が合っている。
「どうしました?」
その目がきょとんとしている。レイリアは慌てて答えた。
「あ、あの、お屋敷に慣れようと思って見させて頂いていたんですが・・・その・・・」
後の言葉が出て来ずに、レイリアは困り果てて黙ってしまった。
(まさか洗濯物を取り込む姿が意外すぎた・・・なんて言えない!)
そんなレイリアに首を捻りながら、ヴィトは歩み寄ってきた。
「・・・もしかして、俺が家事をしてるのに驚かれました?」
(あ、また俺って言ってる・・・)
そう思いながらも口にはせず、レイリアは視線を泳がせた。
「あの・・・ちょっとだけ。」
「そうでしょうね。まあご覧の通り、使用人は男三人しかいなかったので、家事は俺の仕事なんですよ。」
「・・・イルア様はご自身で?」
そう問いかけると、ヴィトは苦笑した。
「そうして頂かないと・・・ちょっと、問題が。」
「あ・・・そうですね!すみません!」
慌てて謝ると、ヴィトは笑って首を横に振った。
「ああ、そうそう。これからはレイリア様にイルア様の洗い物をお願いします。」
「はい!分かりました。・・・他の方のは、いいんですか?」
そう聞くと、ヴィトはぴたりと固まった。
「・・・・・すみません、変な事を聞きましたか?」
「あ・・・いえ、その・・・・・・」
うろうろと目を泳がせ、しばらくしてから言った。
「俺たちの分は俺がやりますから、大丈夫です。」
「あ、はい。分かりました。」
ふー、とヴィトが息を吐く。その様子にレイリアは首を傾げたが、何も言わないでおいた。
(男物のお洗濯ならお父さんと、お兄さんのを洗っていたから、あまり抵抗はないけど・・・当人が気になるのだったら無理に申し出なくていいわよね。)
「で、屋敷内の様子は分かりましたか?」
「あ・・・お部屋は大体分かったんですが、お風呂場はどこでしょう?あと、二階は上がらない方がいいですか?」
ああ、とヴィトは頷いた。
「いえ、上がって頂いて構いませんよ。むしろこれから、イルア様の御用を聞く事も多くなるでしょうから。」
「あ・・・そうですね。」
「私も丁度きりがつきましたし、屋敷を案内しますよ。」
「あ、ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げるレイリアに笑いかけ、ヴィトは歩くように促した。
「その前にこれを部屋へ届けますね。」
そう言って持っていた籠をゆらゆらと揺らす。
「ご一緒してもいいですか?」
「ええ、もちろん。その方が部屋も覚えるでしょう?」
「はい!」
そのままヴィトの後についていく。
ヴィトはまず、広い使用人部屋へやってきた。
「ここはセティエス様のお部屋です。」
(やっぱり・・・)
扉を開けて入っていく。外で待っていた方がいいだろうかと戸惑っていると、ヴィトに手招きされたのでおそるおそる入室した。ヴィトは籠の中から衣類を取り出すと、さっさと洋服箪笥にしまい込む。そして、すぐに入り口へ戻ってきた。セティエスの部屋はこざっぱりとしていた。
「あの・・・お掃除もヴィト様が?」
「そうですね・・・大抵は本人がやっていますが、忙しい時は私が片付けていますよ。セティエス様はよく出来た方なので、そうそう汚れている事はないですけどね。」
それに比べて、とヴィトは溜息をつく。
「ガイアスは散らかしっぱなしですよ。今から行きましょう。」
「は、はい・・・」
ちょっと緊張しつつもついていく。セティエスの部屋から一つ空き部屋を挟んで、廊下の突き当たりにあたる部屋がヴィトの部屋だ。その隣がガイアスの部屋で、その隣がレイリアの部屋だった。
(ま、まさか隣だなんて・・・)
どうしよう。緊張して物音も立てられないに違いない。
「さ、どうぞ。」
自分の部屋でもないのにそう言って、ヴィトは扉を開けてレイリアを促した。かなり緊張しつつそっと部屋へ足を踏み入れる。
「・・・・・・!」
あちらこちらに色んな物が散らかっていた。武器だったり本だったり衣類だったり。足の踏み場はあるものの、ゆっくりでないと歩けない。絶句するレイリアを見て、ヴィトが楽しそうに笑った。
「すごいでしょう?まあ肌着はないから大丈夫ですよ。」
「えっ!?」
はっとしてヴィトを見ると、楽しそうにこちらを見て笑っている。
「・・・ヴィト様!」
抗議の声を上げると、さらに面白かったらしい。ヴィトはお腹を抱えて笑った。
「あははっ、そんなに反応すると思わなかった!」
(もう言葉遣いも素になってるわ・・・)
しかし素のままであろうヴィトの態度は、よそよそしさがなくてほっとするものだ。
「ま、まあ冗談はともかく・・・」
くくっ、と笑いを堪え、ヴィトは続けた。
「この部屋も、出来たら片付けてやって下さい。散らかすのも片付けられるのも無頓着だから、どんな片付け方しても、文句の一つも言いませんから。」
「・・・・・・・・はい。」
まだ笑っているヴィトに少しむくれつつ、レイリアは殊勝に頷いた。それがまた、ヴィトを笑わせたようだった。けれどこれ以上はレイリアの機嫌が悪化すると悟ったらしく、懸命に笑いをおさめる。
「・・・じゃあ最後は俺の部屋ですね。」
そう言ってガイアスの部屋を後にした。
(あれ?片付けなくていいのかな・・・?)
気になったが言い出せない。ヴィトはさっさと自分の部屋へ来ると、レイリアを促した。先程までとは違い、部屋の主に招かれる形になったので、レイリアは小さく挨拶をした。
「・・・失礼します・・・」
「どうぞ。」
言ってヴィトは自分の衣類を片付けた。ヴィトの部屋も綺麗に片付けられていた。
「・・・ヴィト様は綺麗好きですか?」
「え?・・・まあ、そうかも知れませんね。片付けは綺麗にするように、セティエス様から言われてますから。」
「・・・・・・」
(それは綺麗好きとは違うような気がするけど・・・)
「あ」
ヴィトは何か思い当たったらしく、急に真剣な顔つきになった。思わず緊張する。
「どうされたんですか?」
「・・・・・・・・」
ヴィトは少し考えた後、レイリアに視線を合わせた。
「・・・何かあれば昼夜問わず俺に言って下さいと言いましたが・・・」
(・・・・・・・・・が?)
意味深な間に思わず見守る。
「・・・新月の夜だけは、俺に近づいちゃ駄目ですよ。」
「・・・・・・・・・?」
ヴィトの顔があまりに真剣なので、レイリアはぎこちなく頷いた。
「新月の夜・・・?ですね。・・・分かりました。」
(部屋じゃなくてヴィト様自身に?)
疑問が浮かぶが、聞ける雰囲気ではない。
(新月の夜だけはって・・・狼男みたい。あ、あれは満月か。)
「さあ、じゃあ二階へ行きましょうか。」
そう促されて部屋を後にする。
二階への階段は半月状の螺旋になっていた。
「イルア様の部屋はこっちです。」
そう言ってヴィトが部屋の扉を開けた。
「ここも掃除して下さいね。あの方もあれこれやりっぱなしなので。」
「・・・じゃあこの綺麗さは、ヴィト様のおかげなんですね。」
イルアの部屋も綺麗に片付けられていて、さっきの説明を聞くまでは、さすがお嬢様の部屋!と思った程だ。
「まあ、私しか片付けるものがいませんしね・・・。」
苦笑いするヴィト。レイリアは労いの意味で笑いかけた。
「ご苦労様です。」
「これからはレイリア様に分担出来るので助かります。」
その言葉に、レイリアは満面の笑みで頷いた。
「・・・お役に立てるように頑張ります!」
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