主従の関係〜イルアとヴィト②
勢い良くヴィトの部屋を開け放つと、案の定、新月につられて攻撃性を高ぶらせたヴィトが襲いかかってきた。
「っ!」
とっさに剣の鞘でその爪を防ぐと、セティエスがその隙にヴィトの腹を鞘で突いた。
「ぐっ!」
派手な音を立ててヴィトが壁に叩き付けられる。だが、この程度で気絶などしない。それが分かっているから、ヴィトを抑えるのに容赦はしない。もう何度目かの新月の夜だ。対処にも慣れてきていた。
だが——。
「っ!?」
ヴィトも、二人の攻撃に慣れてきていた。壁にはかなりの勢いでぶつかったのにも関わらず、ヴィトは即座にセティエスに襲いかかっていた。床を滑るように近づかれ、とっさの事に反応が遅れる。
「させるか!」
セティエスとヴィトの間にガイアスが滑り込み、振りかぶられた腕を防ぐ。しかし続けざまに振られた足に反応出来ず・・・。
「「っ!」」
二人もろとも、廊下へと吹き飛んだ。セティエスが態勢を立て直し、床へ激突する事は避けられた。が、ヴィトはすでに迫って来ている。
「ガイアス!」
「承知!」
さっと左右に離れると、ヴィトは躊躇わずにガイアスへ狙いを定める。
(よし・・・!)
ガイアスは、ふっと息を深く吐いた。柄を両手で握り込み、ヴィトに叩き付ける準備をする。その気配を感じ取ったヴィトは、その獣の目をぎらりと光らせた。
「・・・はあっ!」
振りかぶられた腕と剣が、大きな音を立ててぶつかり合った。
(痺れが・・・!)
こちらは鉄だというのに、素手でかかってくる獣族とは、本当に恐ろしい。
(これが・・・味方なら、どれだけ頼りになるか・・・!)
つい、そう思ってしまう。ガイアスとヴィトが拮抗している隙に、セティエスは素早くヴィトの首へと手刀を落とした。
「くっ・・・」
忌々しげに呻き、気を失う。
ヴィトが来てから何度目かの、新月の夜の攻防は、今回も上手く治める事が出来たようだ。
「・・・・・・はぁ。」
思わず溜息を零すと、セティエスが苦笑する。
「まったく・・・獣族というのは、生態に関して情報が少なくて困るな。」
「確かに・・・そうですね。新月の夜にこうなるとは、全く知りませんでした・・・。」
「まだ何かあるなら、教えて貰いたいものだ。」
「本当に・・・」
緊張した気分を紛らわそうと、二人は湯浴みの前に少しだけ、酒を飲む事にした。
イルアが湯浴みを終えて足取りも軽く居間へ現れると、セティエスとガイアスがぐったりしていた。
「また暴れたみたいね。」
くすりと笑いながら言うと、案の定ガイアスに睨まれる。
「あれをなんとかしないと、おちおち眠れないぞ。」
「そうだな・・・これではもし新月の夜に仕事があったら、ヴィトが外へ出て行きかねない。」
「うーん・・・確かにそうね。ヴィトは眠ってる?」
「ええ。眠らせました。香も薫いておきましたから、朝まで大丈夫でしょう。」
「そう。二人ともお疲れ様。お湯に浸かってきなさいな。」
言われて、二人はふらりと立ち上がった。
「それでは、お言葉に甘えて失礼致します。」
「疲れた・・・」
肩を落とすガイアスを笑って見送り、イルアは一先ず、水分補給をする事にした。
本当なら湯殿が別れているので全員が同じ時簡に入っても問題はないのだが、こういう事は主人が先、と決まっている。
(まあ・・・気にしているのはセティエスくらいなのだけど、ね。)
イルアがあまりに貴族のルールや振る舞いに無頓着だから、セティエスがバルクス家のルールを作り上げたようなものだ。
(お父様やお母様がいらした時は・・・私はまだほんの子供だったから、ルールやしきたりなど、全く気にしていなかったのよね・・・。)
懐かしいその姿を思い浮かべ、イルアは手にしたカップの中身を見つめた。移り込んだ自分の顔は、母親似だと、父が嬉しそうに触れてくれたのを思い出す。
「お父様・・・。」
そう呟いて、イルアは目を閉じてその姿を鮮明に思い出す。その姿に。その声に。その眼差しに励まされ、満たされた気分で瞼を開けた。
「・・・よし!」
呟いて、カップを置いて、ヴィトの元へと向かった。
こんこん、と一応ノックをする。物音一つしないのを確認して、イルアはそっとヴィトの部屋へと滑り込んだ。薫きしめられている香は、本来は暗殺用だったりする。
(さすがによく眠ってるわね・・・)
そっとベッドに寄り添い、その寝顔を覗き込む。すやすやと眠っている様は、やはり人と変わりなく、年相応だ。
(・・・獣族がもっとたくさんいたら・・・もしかしたら獣族の国が出来ていたかも知れないわね。彼らは強い。鍛え上げた兵がたじろぐ程の能力を持っているもの。)
なんとなく、遠い昔に父にしてもらったように、ヴィトの髪を優しく撫でた。さらり、と髪が流れる。
「・・・ヴィト。死ぬのは勿体ないわ。貴方は強いもの。・・・生きて、ね。」
自分でさえやっと聞き取れる程、小さな声で囁いた。目を閉じると、ヴィトに出会った時の事を思い出す。暗闇で、味方は倒れ、敵に囲まれているにも関わらず、ヴィトの目は強く輝き、こちらが恐れを感じる程だった。
(あの目を見たら・・・失いたくないと思ったのよね。)
どうしてなのか、じっとヴィトを見つめて考える。
(・・・そうか・・・)
理由はすぐに思い当たった。
(私とは違う・・・純粋な、命の輝きだと思ったからだわ。)
イルアが命を狙われる時。その時に、きっとヴィトのような純粋なものなどない。いつも感情が入り乱れ、どうしようもなくそれに抗う。
(多分、この心臓が貫かれる時でさえ・・・純粋に、“生きたい”とも“死にたい”とも思えない。)
思わず俯いたイルアに、いつの間にか目を開いていたヴィトが、そっと手を伸ばした。触れられて、イルアは思わずびくっ、と思わず肩が跳ねた。
「ヴィト・・・」
(まさか、香が効いてないの?)
驚くイルアを見る瞳が、なんだか研ぎ澄まされているような気がする。
「ヴィト・・・!?」
ヴィトに、香は確かに効いていた。だが、効力は人と違うのだ。それに気付いたと同時に危険を感じて飛び退ったが、その動きに易々とヴィトは追いつき、イルアの肩を掴んで壁に押し付けた。
「っ・・・!」
痛みに顔を顰めるが、それよりもヴィトの様子に戸惑う。ヴィトは、いつもの冷めた眼差しでも、怒りを宿した眼差しでもなく・・・やけに熱っぽい眼差しをイルアに向けていたのだ。
「どうし・・・!」
顔を寄せられ、とっさに横を向いて避けると、耳元に熱い吐息と共に柔らかいものが押し当てられる。それと同時に柔らかく湿ったものが首筋を這う。
(っ・・・)
ぞくりと頭が震えた。それを堪えて、イルアは一気に殺気を膨らませ、ヴィトを思いっきり押しのけた。
「!」
ヴィトは一瞬驚いたようだが、すぐに距離を詰めようとした。
——だが。
ヴィトの眼前には、いつの間にか剣の切っ先が向けられていた。
「・・・・・・」
迷い無く、真っ直ぐに。それは、ヴィトの眉間へ向けられていた。さすがのヴィトも動けなかった。
「・・・そこへ、膝をついて。」
剣を持つイルアの目は、底の見えない深い暗闇のようで、しかし、刃物のように危険な光があった。
「・・・・・・お前・・・」
逆らえずに床へ膝をつく。
「獣族も強いけれど、私も強いわよ?」
口調だけはおどけているが、その目は、迷い無く命を奪えると物語っていた。
「お前は・・・なんだ?」
従いつつも隙を狙うヴィトに微笑み、イルアは口を開いた。
「ねえ、ヴィト。これって新月だからなの?それとも発情期なの?」
セティエスが聞いていたら怒られるだろうし、ガイアスが聞いていたらげんこつが落ちていたかも知れない。
(けれど、今はヴィトだけだもの、ね。)
「・・・新月の夜は・・・獣の性が強くなる。」
「いつもみたいに攻撃するだけじゃなくて、異性に襲いかかるって事もあるわけね?」
「・・・・・・・・・剣をどけろ。」
「どかしてもいいけれど、素手でも強いわよ?私。」
「ならどけろ。」
くすり、と笑ってイルアは剣先をずらす。と同時にヴィトは一足飛びでイルアの肩を掴み、床へ引き倒した。
だが。
「いっ!?」
ヴィトがのしかかった瞬間にイルアはその腹を膝で蹴り上げ、怯んだヴィトを引き倒し、先程とは逆にイルアがヴィトに馬乗りになる。
「っ・・・」
そして、ヴィトが動く前に、イルアはその頭すれすれに、一切躊躇いなく短剣を突き刺した。
「っ・・・あ・・・」
ヴィトの動きが止まった。一気にヴィトの気が静まっていくのを冷ややかに見下ろし、イルアは短剣を床から引き抜いた。
「分かった?私を襲おうなんて百年早いわよ。」
これだけ近くにいるのに、もはやヴィトは動く気さえ起きなかった。
「さ、落ち着いたところで・・・」
ひょい、とヴィトの上からどいて、イルアはヴィトが立ち上がるのに手を貸した。
「もう寝ましょうか。もう空の色が変わり始めているけど・・・少しでも睡眠を取らなきゃね。」
「・・・・・・」
にこりと笑いかけた顔には、先程までの底知れぬ闇や、危険な光はどこにもなかった。
(・・・強い。)
ヴィトはイルアが手を振りながら去って行くのを、じっと見送っていた。
(貴族の女は戦えないと聞いてた。なのに・・・どうしてあいつは、剣を持つ?何故、あれ程までの殺気がある?)
考え始めると止まらなくなる。
(悪魔の子孫だから・・・?だから、まるで心がいくつもあるような事をするんだろうか。)
初めて“人”に興味を持ったこの時から——・・・ヴィトは、イルア達と共に暮らす事を決めたのだった。
そして月日は流れ、バルクス家はレイリアを迎えた。秘密を知り、そして尚、側にいたいと言ってくれた彼女に、皆の心が少しずつ癒されていくような気がする。
そんなレイリアを襲いかけた。
後日、台所にいたヴィトの元へ、イルアがひょっこり顔を出した。
「イルア様。どうされました?」
「うふふ。どう?反省した?」
「・・・・・・はい、とても。」
思い出して、再び落ち込む。皆が気付いてくれて本当に良かった。あのまま誰も来なかったら・・・。
(!だ、だめだ。想像したら駄目だ!)
頭を振って懸命に思考を止めようとしているヴィトに、イルアは意地悪な笑みを浮かべて言った。
「レリィにね、私も襲われた事があったのよ、って教えてあげたの。」
「えっ!?」
青ざめたヴィトを見て、イルアは可笑しそうに吹き出した。
「どうしたんですか?って聞かれてね・・・」
「なっ・・・、お、教えたんですか!?」
完全に真っ青だ。その慌てようが可笑しくて、イルアはお腹を抱えて笑い出した。
「・・・教えてないわ。だって、まさか・・・ヴィトの頭の横に短剣突き刺して止めた、って言ったら、レリィが卒倒しそうじゃない?」
「・・・・・・っ」
良かった。本当に良かった。一気に力が抜けて、ヴィトは大きく息を吐き出した。
「ほんとに気付けて良かったわ。ね、ヴィト?」
「は、はい・・・」
またもや誰も来なかった場合を想像しそうになって、ヴィトは慌てて頭を振る。そんなヴィトを、やはり可笑しそうに笑いながらイルアは言う。
「ねぇ、ヴィト。やっぱりヴィトは生きていた方がいいわよ。好きになってくれる“人”もいるし、好きな“人”もいる。ね?やっぱり、私たちは同じよ。一緒に生きていけるのよ。そう思わない?」
イルアの、深い青色の瞳が優しく微笑む。それを見て、自然と笑みが浮かんだ。
「はい・・・。一緒、ですね。」
(同じ、で良いんですね。俺と、皆が。)
絶対に相容れない生き物だと思っていた。この、色々と変わったお嬢様に出会うまでは。
「それじゃあ、出かけてくるわね。夕方までには戻るから。」
「はい。かしこまりました。」
セティエスに手を引かれ、軽やかに馬車へ乗り込む主人を見送る。
その、姿が。ヴィトには明るい太陽のように感じられる。イルアを乗せた馬車が遠ざかって行くのを見つめ、ヴィトは思った。
(イルア様が引き取って下さらなかったら・・・今頃、死んでいたかも知れないし、薬付けにされていたかも知れない。)
今なら分かる。あの時にイルアが言っていた言葉が。
(セティエス様もガイアスも・・・本当に良くしてくれた。)
だから、今。自分はこうして、バルクス家にいるのだ。
「ヴィト、今いい?」
柔らかい声に呼ばれて振り返ると、遠慮がちに佇むレイリアがいた。
「どうしたの?」
そっと側へ寄ると、明らかにほっとした顔になる。
「あのね、お掃除で分からない事があって・・・」
イルア達と共に生きようと思っていなかったら、今こうしてレイリアと話す事さえなかっただろう。礼儀作法も、習っていなかったら、こうしてレイリアが怖がらずに側にいてくれたか疑問だ。
「じゃあ教えてあげるよ。今からやるの?」
「うん!出来ればイルア様がお帰りになるまでに、綺麗にしたいの。」
恐怖も、警戒心の欠片もない、温かな笑顔を向けてくれる。それが側にある事が、こんなにも嬉しい事だなんて感じられなかっただろう。
ヴィトはもう、ここを出ようなんてこれっぽっちも思っていなかった。むしろ、ずっとここで、皆と共に生きたい、というのが永遠の願い。
イルアはヴィトにとって、運命の女神に等しかった。
ヴィトがイルアの従者になるまで・・・でした!




