冬空の光り
クリスマスも大晦日もお正月もないレイリア達の世界で、唯一春を迎える前にある、一大イベントです。
擁護院の小さな庭を、一人ぽつんと眺めている少女がいた。
昼を過ぎ、少女くらいの歳の子は皆、暴れる前の一寝入りをしている。大人達はそれぞれに、掃除やら何やらしていた。
少女はまだ幼いから、あまりやる事がない。けれど眠る気にはなれなくて、今夜こそはあれが降るんじゃないかと、ぼんやりと空を観察しているのだった。
「何やってんだ?」
ひとりの大人が少女へ近づきながら話しかけてきた。左足が悪いようで、いつも引きずっている。
「・・・今日は降るかなぁって、思って。」
その大人—バーレクという男は、よいしょっ、と声を出して隣へ腰を降ろした。
「・・・おやじくさい。」
「ちょっとだけおやじだからいいんだよ。」
しれっとそんな事を言ってのけた。確か三十も後半だったと思ったが、それは“おじさん”ではないのか。ちょっとだけなのか。そう思いつつも口に出すのは止めておいた。いじめると二倍、三倍にして返すような面倒くさい大人なのだ。この人は。
だから、違うことを口にした。
「・・・降るかなぁ・・・」
ちらりと隣を見上げて言うと、バーレクもちらりと少女を見て言った。
「・・・そろそろ降るとは思うけどな。」
そう言って空を見上げた。少女も空を見上げる。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらく二人並んで空を眺めて、ふぅ、とバーレクが息を吐いた。少女も、小さく息を吐く。真っ白な息が、風に攫われていった。
「・・・戻るか。」
ぽつりと言ったバーレクに、少女は小さく頷いた。
「うん。」
「寒いだろ。」
「・・・うん。」
頷いた少女を見て、バーレクは笑った。震える程寒い思いをしているのに、あれが気になって戻れなかったのか。
着ていたケープを外して、小さな身体にかけてやった。途端に冷たい風が身体を冷やしていくが、仕方ない。
「ありがと。」
そう言われれば寒さなど気にならなくなる。小さな手を取って握ると、冷たい手が、温もりを求めて握り返してくる。
「行くぞ。」
「うん。」
二人はゆっくりと建物の中へと戻っていく。それを見守る庭や建物には、真っ白な雪が降り積もっていた。
「大分積もりましたね・・・」
侍従の呟いた言葉に、走らせていたペンを止めて顔を上げた。
窓から見える景色は雪化粧。一面真っ白という程には積もっておらず、緑の色も見えていて美しい。
「そろそろ降りそうだな。」
空気も冷えきっているし、国民も今年の仕事があらかた片付く頃だろう。
「そう言えばユーセウス様・・・今年も逃げましたね?」
嫌な事を訊かれて、聞こえなかったフリをした。
「来年は強引にでも何かしら手を打つ!と陛下が決意されていましたよ。」
「なに!?」
思わず反応したユーセウスに、ウィルは哀れっぽい眼差しを向けた。
「お考えや思いがあるのでしたら、お伝えしてみては如何ですか?」
あっさりとそんな事を言うので、少し腹が立つ。
「お前にもそういう話がきているだろう。案じておられたぞ。」
「話したんですか!?父と!?」
焦るウィルを見て、ちょっとばかりざまぁみろと思ってしまう。
「いや、夫人と。お前こそはぐらかしてばかりだそうじゃないか。」
「うっ・・・・・・」
お互いに避けては通れない問題が迫っていて、主従ともに苦悩の溜息を漏らした。
バルクス家の騎獣舎の屋根に、動くものがあった。ガイアスだ。膝まで雪に埋もれながらも、懸命に雪をかき下ろしていた。
そこへ、ゆっくりと足を進めてくる者がいた。セティエスだった。
「ガイアス、レリィを知らないか?」
問われてガイアスは雪をかく手を止めた。顔を上げてセティエスと目を合わせる。
「あいつなら・・・エルフィアが呼んだとかで、イルアに付いていきました。」
「エルフィア様に?・・・あの方もレリィとリュミエルがお好きだな。」
くすりと笑うセティエスに、ガイアスは難しい顔で、そうですね、とだけ答えた。
「手伝おうか?」
「いえ。すぐに終わります。」
「それなら私は、今夜の準備をしようかな。」
今夜という言葉に首を傾げる。が、口を開けば違うことを言っていた。
「しかし・・・せっかく御用もないのですから、休まれては?」
「そういうわけにはいかないよ。」
くすくすと笑いながらそう言うので、たまらず訊いた。
「今夜何か・・・」
言っている間に思い当たった。
「今夜ですか?」
「多分、そうだろう。街も騒がしくなっていたから。」
なるほど。それなら今夜降るかも知れない。
「今夜は一段と冷えるだろうからね。しっかり準備しておかないと。」
「俺も騎獣舎が終わったら手伝います。」
「ああ、頼むよ。」
頷いて、ガイアスは再び雪をかき始めた。そんなガイアスをいじめようと、真っ白な雪はゆっくりと降ってくる。
街の隅にあるお店で、店番をしていた娘がぽつりと呟いた。
「寒いわねー・・・」
店の暖炉は心地良い暖かさを提供してくれているものの、窓や扉の隙間から吹き込んでくる風は容赦ない。店内にも関わらず、少し厚着をして、ようやく過ごせる気温だった。
ぼんやりと窓から見える通りを眺めていると、忙しそうに走っている人々がちらほら見える。
「そろそろかなー・・・」
手元にはちゃっかり、温かい飲み物がある。それを両手で包んで、おばさんの帰りと常連客を待っているのだった。
「ただいま!」
主の元気の良い声が聞こえた。ヴィトは夕食の仕度をしていた手を休めて、玄関の扉を開けて迎え入れた。
「お帰りなさいませ、イルア様。」
「ただいま!」
「お帰り、レリィ、リュミエル。」
「ただいま、ヴィト!」
近頃リュミエルは、レイリアと一緒に過ごす時間が増えた。このまま増え続ければ、いつかレイリアの部屋で寝起きする時も訪れそうだ。
「寒いわねぇ。凍えそう。」
「温かい飲み物をご用意してありますよ。」
「さすがねヴィト!レリィにもお願い!」
「もちろんです。さ、レリィもコートをかけて、座って待ってて。」
「うん。あ・・・」
何かに気付いて、少し躊躇う。
「どうしたの?」
「うん、あの・・・リュミーにも、少し温かいのをあげられる?」
思わずくすりと笑ってしまった。
「用意するよ。リュミエルも待っててくれよ。」
リュミエルは人の会話が理解出来ているのか、大人しくレイリアの足下へ寝そべった。
◇ ◇ ◇
真夜中近く。世界中の人々が、じっと空を見つめる。
擁護院では皆コートやら毛布やらを羽織って、庭の中央に火を置いて囲んでいた。
王城では各々で暖を取りながらも、やはり皆一様に空を見上げている。
そして、バルクス家では——。
「レリィ、寒くない?」
「あ、はい!大丈夫です、イルア様。」
半室内となっている部屋から、庭の空を見上げていた。
「セティ。ガイアスを呼んで来て。」
「はい、お嬢様。」
夜の警護で屋敷の周りを見回っているガイアスを呼びにセティエスが行った。ヴィトはテーブルに、冷めないように色々と工夫しながら軽食と、飲み物を並べていく。
「やっぱり、温まるにはお酒よね。」
イルアが上機嫌でグラスを眺めた。その様子を見て、レイリアはヴィトと忍び笑う。そこへ、ガイアスを連れたセティエスが戻って来た。
「まだですね。」
「そうねぇ・・・」
イルアの周りに四人が座って、皆で空を見上げる。ずっと夜空を眺めていると、澄んだ空に星がいつくも瞬いて、とてもきれいだった。
その星が、ゆっくりと落ちてくるように見えた。
(あれ・・・?)
あちらの星も、こちらの星も落ち始める。が、よく見ると違った。星が、差し出したレイリアの指先に触れて、弾けた。
「あっ・・・!」
喚声を上げたレイリアを見て、イルアがふわりと笑んだ。
「降ったわね。」
「はい・・・!」
ゆらゆらと、爪程の大きさの光りが、いくつもいくつも降ってくる。見上げる皆の髪に、額に、頬に、触れて弾ける。
それは、春を呼ぶ光り。祝福の先触れ。
「降ってきた!」
少女が立ち上がって空に両手を伸ばした。その指先に、光りが触れて弾ける。隣に座っていたバーレクの鼻先にも光りは降って、弾けた。
「ねぇ、何を願おうかな?」
降ってくる光りと同じくらい少女の瞳も輝いていた。
「好きなだけ願えよ。どうせこんだけ降ってんだから。」
「バーレクは?」
覗き込まれて、その頭をくしゃりと撫でた。
「この左足が治りますように。」
「・・・それだけ?」
心配そうに見つめてくる少女に、バーレクはやさしく微笑んだ。
「それさえ叶えば十分だ。」
少女は途端に考え込んでしまった。その髪にも光りは降って、まるで、生まれたての妖精みたいだ。
「俺はおっさんだろ。けどお前はガキなんだから、たくさん願えばいいんだよ。」
「ガキは余分!」
バーレクの鼻を指で弾いて、少女は光りを見つめて祈り始めた。
「ユーセウス様!」
降ってきましたよ、と言うつもりだったのだが、主はすでにバルコニーに出て夜空を眺めていた。降り注ぐ光の粒の中にいるユーセウスは、とても幻想的だった。
「ウィル。お前も近くに来て休め。」
「果実酒のお替わりも持ってきましたよ。」
言われてユーセウスは嬉しそうに笑った。ウィルは側へ行って庭を見下ろした。光りが庭に吸い込まれていくようで、美しい。光りの雨が降っているようだった。
「殿下は何をお願いされますか?」
「そうだな・・・」
見つめる先に、光りが降り注がれていく。
「・・・銀の飼い猫を自由にしてやりたいな・・・あとは、願ってはいけない事だ。」
「・・・殿下であれるのは、ユーセウス様だけです。」
「そういう事を言う奴がいるから、僕はここにいる。」
ユーセウスが笑って、ウィルは光りに願った。
(ユーセウス様が幸せになれますように・・・)
バルクス家の五人も、降り注ぐ光りを見つめてそれぞれに願っていた。
誰も口に出しては言わないけれど、お互いにお互いの幸せを願っていた。こうして無事に全員でいられる事が、切ないくらい幸せな事だ。あとどれくらいの時をこうして過ごせるのだろうか。イルアが宣言した通り、死ぬまで皆でいたいと、切に願う。
降り注ぐ光りは、温かで切ない願い。
誰にも等しく降り注ぐ、幸せの先触れ。
光りが降れば、必ず春がやってくる。
希望に満ちあふれた——
祝福の、春が。
——この光りは『祝福の光り』と呼ばれ、毎年春を迎える前の、一番寒い日に降ります。どうして降るのかは誰も知りません。大昔からずっとあるものなのです。
皆、この光りを見て一年の苦労や悲しい事を癒し、来年の希望を見出します。