第十六話 木漏れ日に揺られて
あの夜から三ヶ月後——。
イルアは国王からの呼び出しで王城へ来ていた。
今日は少し話があるだけだというので、お供はヴィトだけだ。すぐに終わる用件だとも言われたので、自前の馬車で来ていた。
御者はもちろんヴィトだ。
「それじゃあ、すぐにすむと思うから、ヴィトは控え室で待っていてくれる?」
控え室というのは、こうして主人を送迎する従者が、主人の用が済むまで待機している為の部屋だった。
「はい、イルア様。お待ちしております。」
しっかりと姿勢正しく礼をして、ヴィトはイルアを送り出した。
(今頃セティエス様とレイリアは買い出しか・・・)
ちょっとだけ羨ましく思うヴィトだった。
「あの、セティエス様はどんなものを考えていらっしゃるんですか?」
二人で城下町を歩きながら、レイリアはお店を見つけては覗いていた。
「毎年の事だからね・・・実は案が尽き果てていて、困っているんだ。」
そういえばイルアとセティエスは長い付き合いのようだ。そうこう考えていて、レイリアは周りの視線に気付いて慌てた。
「・・・セティエス様・・・」
「どうした?」
不思議そうに覗き込まれて、レイリアは曖昧に笑う。
「・・・あの、なんだか注目されていますよね・・・」
「ああ・・・」
セティエスは軽く周りを見渡して、くすりと笑った。
「お嬢様と歩く時もそうだよ。あまりこうして町には来ないから、珍しいのだろうな。」
「・・・そうかも知れないですね・・・」
(絶対に美男美女だから注目されてたんだと思う・・・)
セティエスは全く気にしていないようだ。多分、イルアも気にしないだろうと思われる。
「それで?」
「えっ?」
考えを巡らせていたところで声をかけられて、レイリアは慌ててセティエスを見上げた。くすり、と笑われる。
「レリィはどんなものがいいと思う?」
「えっ、ああ、えっと・・・」
じっと見られて妙にどきどきしてしまう。
「色々考えたんですけど・・・イルア様、いつもお綺麗にしていらっしゃるので、私の選ぶ装飾品では釣り合わないなと思って・・・」
セティエスは静かに微笑んで言葉を聞いていた。
「それで、ええと・・・セティエス様も、今年は安らげるようにって仰ってたので・・・」
レイリアはちらり、とセティエスを見てから言ってみた。
「その、香水とか・・・香りが身につけられたり、出来るといいかなぁって・・・」
言ってから、そろりとセティエスを見上げると、にっこり笑い返された。
(うっ・・・周りの視線がさらに痛い・・・)
「それはいいかも知れないな。あれこれと贈られてくる香水は、あまりお気に召さないみたいだからね。」
「そ、そうですか・・・」
こうして話すのは嬉しい事なのに、周りの視線が気になって居心地が悪い。
(けど・・・そう言えば初めて町で三人を見かけた時も、町の人たちが遠巻きに囲んでたっけ・・・)
「ああ、あそこに一軒あるな。レリィ、覗いてみようか。」
「へ?あっ、はい!行きましょう!」
言いながらその時の様子を思い出して、レイリアは思わずにやけてしまった。するとセティエスが目敏く見つけて訊いてきた。
「どうかした?」
「え?あっ、いえ・・・」
にやけ顔が収まらなかったので、レイリアは顔を逸らしながらそう答えた。
「失礼するよ。」
チリリン、と店のベルが鳴った。小さく可愛らしい音だ。中に入っただけで、ほんのりと甘い匂いがした。
(わあ・・・なんだか可愛い香り!)
お店に並べられている香水の瓶は、どれも細かな細工のしてある硝子瓶だ。こぶりで、つい手に取ってみたくなる。
入った途端に魅入られたように店内を見渡すレイリアに、セティエスはわざと訊いた。
「それで、さっきは何をにやけてたんだい?」
ぎくり、とレイリアが面白いように慌てた。
「いっ、いや、あの、大した事じゃないんです・・・」
(思い出し笑いなんて、恥ずかしい・・・忘れて下さい、セティエス様!)
そのままそーっと移動しようとしたレイリアの横にさりげなく回り込み、ちらりと見上げたレイリアの顎を指で掬い上げて、セティエスはふわりと微笑んだ。
(!)
「言ってごらん?気になるじゃないか。」
(セ、セティエス様・・・!からかわないで下さい〜!)
とは言えず、レイリアはがちがちに固まった。そんな二人の様子を、店の外からかなりの人数に覗かれている事など、知る由もない。
「さ、最初に町でイルア様をお見かけした時も、皆遠巻きに見て噂してたなぁって、思い出してただけなんです!」
羞恥のあまりなんだか責められているような気もして、レイリアは一気に言い切った。勘弁して下さい、と目が訴えている。
すると、セティエスはぽかんとした後、くすりと笑って、顎を撫でるようにして指を離した。顎を撫でられるという慣れない動作に、くすぐったく感じて、ぶるりと小さく頭を震わせた。
「あの時か。・・・あの時、お嬢様が何を仰ったのか、知りたい?」
「え?あ、はい!是非!」
「・・・今そこにレリィがいた。きっと相性が良いんだろうって。」
「・・・・・・え?」
くすくすと笑いながらセティエスは続けた。
「まったく、どうかしてしまったのかと思ったよ。今まではそんな事を仰る方ではなかったのに。レリィに出会ってから、お嬢様は幼い頃に戻られたみたいだ。」
(私に、出会ってから・・・?)
「あの、それは・・・良かったんでしょうか・・・?」
不安気にそう訊いたレイリアに、セティエスは安心させるように小さく微笑んだ。
「お嬢様が女性らしくなって、良かったと思っているよ。」
「・・・良かった・・・!」
心の底からほっとして、思わず大きな息を吐いた。
「レリィ、来てくれてありがとう。」
そう言われて、レイリアは目が潤みそうになった。
「セティエス様・・・」
(セティエス様が一番近くでイルア様を見ていらしたんだものね・・・。心配、なさってたんだろうな・・・。)
そう思って、レイリアはにっこり笑った。
「迎えて下さって、本当にありがとうございます!これかも頑張りますね、私!」
その後、二人は香水に限らず“香り”のある雑貨をゆっくり見て回った。
「うーん・・・」
「どう?いいものはあった?」
「・・・ええと・・・やっぱり、香水が良いかなと思うんですが・・・」
言いながらセティエスの表情を伺い見る。と、くすりと笑われた。それはとても優しい笑みで、思わず見つめてしまった程だ。
「レリィが良いと思うものをあげてごらん。きっと喜んでくださるだろうから。」
「・・・はいっ!」
元気よく返事をしたレイリアに頷いて、セティエスはさっそく動こうとした。
「それじゃあ——」
「あっ、あの、セティエス様!」
歩き出そうとしたセティエスの腕を、レイリアは咄嗟に掴んだ。・・・掴んだのは服だが。
「・・・どうした?レリィ。」
「あのですね!・・・その、ちょっとだけ、寄り道しても良いですか?」
「・・・・・・」
黙ってしまったセティエスを見て、レイリアは焦った。
(やっぱり図々しかったかな・・・)
「どこに行きたい?」
「えっ?」
顔を上げれば、相変わらず微笑むセティエスがいた。
「・・・あの、いいんですか?」
そう訊ねるレイリアに、セティエスはくすくす笑う。
「行きたいところがあるんだろう?」
「は、はい・・・」
尚も戸惑うレイリアに、少し意地悪に言う。
「行かないのか?」
「い、行きたいです!」
「じゃあ行こう。どこに行くんだ?」
「あの、こっちです!」
レイリアは途端に満面の笑みになって、足取りも軽くセティエスの前を歩き出した。
「セティエス様、ほら、あそこですよ!」
レイリアが指差す先には、小さなお店があった。どうやら焼き菓子店らしい。香ばしい香りとほのかに甘い香りが、レイリアを誘惑しているようだ。
(こういう可愛らしさが、お嬢様にもう少しあればいいのだが・・・)
そう思って苦笑する。レイリアはうきうきしながら店先へ行って、店員と何やら話している。
「レリィ」
少しだけ遅れてセティエスも店先へ顔を出すと、店員が驚いて固まった。
「セティエス様、甘いもの、大丈夫ですよね?」
確かお菓子も食べていた筈だ、とレイリアが訊ねると、セティエスが笑って頷いた。
「それじゃあ二つください。」
「え?あ、ああ、ちょっと待ってね!」
声をかけられてはっと我に返ったお店の女の子は、慌てて焼き菓子を二つ、用意した。
「はい、いつも通りね。」
笑って言われて、レイリアも笑い返す。
「うん。これ、大好きなの!」
代金を渡そうとすると、セティエスがすっと代金を渡した。
「これで足りますか?」
「えっ・・・あ・・・た、足ります。大丈夫です!」
慌てる女の子を見て、レイリアは苦笑してしまった。
(これが普通の反応だよね。イルア様を見てると私が過剰に反応してるみたいで、恥ずかしくなっちゃうもの・・・)
「それじゃあ行こうか、レリィ。」
「え?あ、はい!」
先を行くセティエスを追おうとして、お礼を言おうと振り返ると、女の子は勢い込んで訊ねてきた。
「ねえねえ!あの方、セティエス様なの!?」
「う、うん。そうだけど・・・」
「レイリアはどういう関係なの!?」
「えっ・・・」
(どういうって・・・)
訊かれた意味に気付いて、レイリアは真っ赤になって言った。
「そ、そういう事じゃないからね!私、今ね、バルクス家にお世話になってるの!それだけだから!」
「だってもの凄く仲良さそうじゃない!?」
「親切にしてもらってるだけなの!」
尚も言い募ろうとする女の子を遮って、レイリアは慌ててその場から逃げた。
「それじゃあ、またね!」
「あ、ちょっと!」
(と、とんでもない事言われちゃった・・・!)
そのまま走ってセティエスに追いつく。と、顔を覗き込まれた。
「レリィ?」
「っ!」
(今の今で顔合わせるのは、ちょっと恥ずかしい・・・!)
「え、えっと、あそこでしたよね、お店!」
「・・・ああ、そうだね。」
慌てるレイリアを追求しない事にしたのか、セティエスは笑って足早に先を進み出したレイリアを追った。
「それでは、失礼致しました。」
イルアは丁寧に礼をして国王の執務室を出た。
話は、一軍の編成と、やはり早く婿を捜せという事だった。
(早くお祝いを言いに行かなくちゃね)
はやる気持ちを抑えて、早足で廊下を進む。
(それにしても、流石にちょっと肌寒いわね・・・)
そう思いながら廊下の角を曲がろうとして——
「わっ」
「きゃっ」
誰かにぶつかって倒れそうになった。
「すみません!」
倒れる前に抱きとめられて、イルアはほっとした。
「いえ、わたくしも不注意でしたので・・・」
イルアがしっかりと立つと、抱きとめていた腕はすぐに離れた。
(あら、珍しくうっとおしくない動作だわ・・・)
そんな事を思いつつ、顔を上げて相手を見た。
——明るい新緑の瞳が、とても印象的だった。
「少し考え事をしていたもので・・・本当に申し訳ありません。お怪我は?」
「いえ・・・」
(見ない顔ね・・・先程陛下が仰っていた、新たに召集された一軍の方かしら・・・)
そんな事を考えていたイルアだが、相手にはもちろん、気付かせない。
「どこかお急ぎでしたか?」
「ええ、少し・・・くしゅん!」
風が吹いて、急に寒さを感じてくしゃみが出た。しかしそれは“お嬢さま”にあるまじき失敗だ。イルアは笑ってごまかそうとした。
「あら・・・失礼を。」
ふわり、と温かいものがイルアを覆った。何事かと思って見ると、暖かな外套だった。驚いて相手を見ると、とても自然に微笑まれた。明るい、笑みだった。
「よろしければお使いください。」
「ですが・・・貴方がお困りになるのでは?」
「いえ、消耗品ですので、一つや二つ差し上げても文句は言われないでしょう。」
笑ってそんな事を言いのけた。
「あらでも、まだ真新しいものですわね。支給されてすぐに無くしたのでは、怒られるのではありません?」
「うーん・・・怒ると怖そうな上官ですが、ご令嬢に差し上げたとなれば、少しは大目に見て下さるのではないかと。あ、お急ぎでしたね。お引き止めして申し訳ありません。」
「・・・もしかして、新たに召集された一軍の方ですか?」
表情や、仕草が、とても自然で、イルアは珍しく興味を持った。
「ああ、もうご存知なのですね。・・・こういった事に興味がおありなのですか?」
女性にしては珍しい、と暗に言われているのが分かって、イルアは出来るだけ困った風に見えるように微笑んだ。
「いえ、エルフィア様と親しくさせて頂いておりますので、それで軍の事は少し、知る機会があるのです。」
そう言うと、相手はちょっと驚いたようにして、すぐに楽しそうに笑った。
「ああ、では、貴女がイルア嬢でいらっしゃいますか?」
「あら、わたくし・・・何か噂になっているのですか?」
不思議に思って首を傾げると、相手も何故かつられたように、僅かに首を傾げた。
「いえ、そうではなく・・・そのエルフィア様から、仲が良いから会う事もあるだろうと、釘を刺されまして。」
(釘を刺された?)
そう思いつつも、言葉に出たのは違う事だった。
「・・・では、貴方が一軍の・・・」
驚いたイルアに、相手はにこりと笑って答えた。
「はい。この度、第一軍副将に任じられました、シールス=ファンセルと申します。」
そう言ってシールスは、木漏れ日のように、明るく、穏やかに笑った。
それがイルアには、とても眩しく見えた。
「エルフィア様!」
「イルア!」
鍛錬場に姿が見当たらなかった為、今日のところは諦めて帰ろうとしたイルアだが、控え室でヴィトと話すエルフィアの姿を見つけて走り寄った。
「エルフィア様、将軍へのご就任、おめでとうございます!」
心から伝えたかった言葉を言う。エルフィアは、とても満ち足りた表情で笑った。
「・・・ありがとう、イルア。」
エルフィアはそっとイルアを抱きしめた。それに、イルアも応える。
「・・・また色々な輩がうるさくなりそうですわね。」
呟いた言葉に、エルフィアが笑った。
「まあな。だが、幾度もあった事だ。すぐに黙らせてやるさ。」
黙らせてやる、という言葉にイルアは先程の出来事を思い出して言った。
「そうですわ、エルフィア様。」
「なんだ?」
お互いに抱きしめていた腕を離す。
「先程、シールス副将にお会いしたのですけれど・・・」
「ああ、なんだ。もう会ったのか。」
驚くエルフィアに微笑みかけ、イルアは一つ、お願いをしてみた。
「こちらをわたくしに貸して下さったのです。」
そう言って例の外套を見せると、エルフィアは複雑そうな顔をした。
「まさか、イルアに手を出したのではあるまいな。」
「まあ・・・違いますわ。寒いからと、貸して下さったのです。無くした訳ではありませんから、シールス様をお怒りにならないで下さいね?」
そう聞いたエルフィアは、一瞬、ぽかんとした。
「・・・あははっ、イルアからそんなお願いをきく事になるとはな!」
次には笑われ、イルアは微笑んで言った。
「あら。わたくしに外套を貸したばっかりにエルフィア様に怒られたのでは、なんだか悪いではないですか。」
そう言うイルアに笑って、エルフィアは頷いた。
「分かった。大目に見てやるとしよう。イルアの願いならきくしかないしな。」
「ありがとうございます。」
ふわりと優雅に礼をする。そして、別れの挨拶をした。
「それではエルフィア様。また後日。」
「ああ、またな。」
そう言って、ヴィトを伴って門へ向かう。と——
「イルア!」
大きな声で呼ばれて振り返る。
「誕生日、おめでとう!明日、贈り物をさせてもらうよ!」
大きく手を振ってエルフィアは叫んだ。それに、胸が温かくなる。
「・・・ありがとうございます!」
応えて、イルアも出来るだけ大きな声で叫んだ。
セティエスがいたなら、絶対に小言の一つでも言われただろうと思う。
そう考えて、妙に笑えた。