第十一話 宵の羽ばたき
夕暮れにバルクス家へ戻った四人と一頭は、リュミエルを騎獣舎へ戻し、五人で夕飯と湯浴みを済ませてから居間へ集まった。花のお茶を口に含むと、心がすっと爽やかに洗われるような気がする。
円形の大きなソファにイルアを中心に四人は座り、主が話し出すのを待っていた。
セティエス、ガイアス、ヴィトはなんとなく何を話されるのか分かっているようだが、レイリアには分からない。そわそわとその時を待っていると、静かに息を吐いてから、イルアは話しを切り出した。
「さあ、今日は殿下から直々に命も下った事だし、レーヴェの仕事について話をしようと思います。」
しん、と静まり返った空間で、レイリアだけが何も分かっていなかった。
「以前から殿下と相談していたのだけれど、この間我が家を襲撃してきた奴らの飼い主・・・やっぱり城内の関係者がレーヴェの事を執拗に調べていたみたいね。そいつが何故か私の尻尾を見かけたみたい。」
「しかし・・・レーヴェに関する会話は、誰にも聞かれていない筈では?陛下や殿下の従者も、その時ばかりは近寄れない筈ですし・・・」
話がよく分からないレイリアは、邪魔にならないように懸命に話しを聞いた。
「それがね・・・噂でしか聞かないレーヴェを陛下が頼りにしているって、どこかで聞いたみたいなのよね。」
その言葉に、セティエスとガイアスが生暖かい目になった。
「・・・ぽろっとこぼしたのはご本人では?」
セティエスの冷たい言葉に、ガイアスが頷いた。
「それでレーヴェが実在するって確信させたわけだな。」
そこまで聞いて、レイリアは思わず口を挟んだ。
「レーヴェの事は、噂にはなっているんですか?」
そう言えば、“イルアがレーヴェという顔を持っている事”、“それを王族とバルクス家しか知らない事”以外、レイリアは何一つ“レーヴェ”について知らないのだ。今更その事を認識して、レイリアは愕然とした。
「そうだよ。」
答えたのはヴィトだ。
「悪魔の蜜という存在については噂されてる。それこそ、城に勤めている者なら誰でも知ってるんだ。けど、レーヴェが実在するのかどうかは誰にも分からない。そもそもレーヴェは、“影”みたいなものだからね。」
「・・・影?」
その問いに答えたのはイルアだった。
「レーヴェは表に出るものではないし、誰かに正体を悟られてもいけないから。だから、レーヴェという存在は、無害な“影みたいなもの”だとしておくの。だから、皆噂しか知らない。それ以上を知る事が出来る者も、いないの。」
素直にその言葉に頷くレイリアに、少し逡巡してから、イルアは付け足した。
「・・・・・・その、ね。レーヴェの大きな仕事は・・・・・・暗殺、みたいなものなの。」
「・・・・・・!?」
驚きのあまり目を見開き、言葉も出ないレイリアと、イルアは目を合わせる事が出来なかった。
それでも、言わなければならないと思う。
「国内で起こる、表には出せない陰謀を阻止するのが役目なの。だから、その始末は・・・命を奪う、という形が、一番多いわ。」
「・・・・・・・・・」
言葉の出ないレイリア。イルアも、そんなレイリアにつられるように黙り込んでしまった。
あとの三人も、口を挟めなかった。
少しして、レイリアが深呼吸した。それに、イルアがぴくりと肩を揺らした。
セティエスにしてみればこれほど珍しい事はない。今まで、レーヴェという仕事をすんなり受け入れていたからなのか、イルアは誰かを特別気にする、という事がなかった。どこまでも淡白で、感情移入を自然としないのだと分かった。
それが、レイリアとなると全く違う。初めて会った時はいつも通りだったのに、屋敷に戻ると残念そうに呟いたのだ。
『あの子、もう会えないわよね・・・』
そんな事を言うのは初めての事だった。
そして、今この状況だ。イルアはレイリアに、嫌われる、厭われる事に怯えている。対してレイリアは、静かに深呼吸をした。それだけの動作に、イルアが肩を震わせていた。
(お嬢様・・・レリィは貴女の事を、本当に慕っていると思いますよ。)
セティエスは声には出せないが、そう心の中でイルアを応援する。
「イルア様。」
レイリアが、この時ばかりは凛とした声を発した。イルアがはっと顔を上げる。セティエス達も思わずレイリアを見つめた。レイリアは、真っ直ぐにイルアを見つめて、小さく笑った。
「イルア様が人を殺さないといけないなんて・・・どう考えても悲しいです。出来るなら、やっぱり止めて頂きたいです。」
「レリィ・・・それは・・・」
苦しげな顔のイルアに一瞬、泣き顔になったが、レイリアは頑張って笑った。
「皆もそうです。でも・・・皆がやると決めているなら、私は・・・」
(笑って言いきって、イルア様を安心させてあげなきゃ・・・)
そう、思ったのに。
(泣いたら不安にさせちゃうから、笑ってあげないと・・・)
そう、決めたのに。
(・・・っ、笑わないと・・・)
ぽろり。一粒零れただけで、レイリアの決意は消えてしまった。笑おうとしても泣き顔になるだけで、止めようと拭っても拭いきれなかった。
「レリィ・・・」
(ああやっぱり、不安にさせてる・・・)
けれど、もう涙が止められない。そっと頬を包んだ手が震えている。それに、少しでも何かしないと。そう思って、レイリアは捲し立てた。
「わ、私は!」
皆が驚いてレイリアを見つめる。
「側に、います!・・・皆がいて、いいって言うなら、私は、皆のする、事を・・・受け入れ、ますしっ・・・!仕事、した、後だって!・・・一緒に、います!・・・いたいんです・・・っ!皆と!」
尚も見つめる皆に向かって、レイリアは小さな声で泣き叫んだ。
「好きなんです・・・!皆が・・・!」
その場にいた誰もが、動けなかった。小さな声で叫ばれた、強い言葉に、打たれて。
暗殺みたいな事が仕事だと言われた時。レイリアは目の前が真っ暗になるような気がした。
だって、レイリアとは住む世界が全く違うのだと、分厚い壁を見せつけられたような気がしたからだ。
レーヴェという存在だと明かされた時は、ああ、隠さなければいけない仕事があるのだな、とは思った。けれどそれは、ぼんやりとしたものだったのだ。そう。誰かの自伝で読んだような、ちょっとドキドキするお話。けれどイルアから仕事の内容を聞いた時、それが幻想なのだと思い知った。
自分の考える世界はなんて甘いんだろう。
イルアは、生きるか死ぬかの毎日を過ごしていたのだ。
レーヴェという役割さえなければ、穏やかで優しいままのお嬢様なのに。
これはお話じゃなくて、目の前の現実なのに。
そんな世界にレイリアを招いた事を、震えてしまうくらい怯えているのに・・・気付かない自分にどうしようもなく殴りたい気持ちになる。
ぐっと握りしめたレイリアの手に、いち早く気付いたのはヴィトだった。
「レリィ、そんなに握りしめたら駄目だよ。」
イルアがはっとしてその手を取った。
「レリィ・・・ありがとう・・・」
はっと上げられた顔は、捨てられるのを予期しているようで。イルアは思わず抱きしめていた。
「イルア様・・・?」
震える声で名前を呼ばれると、イルアは嬉しくて微笑んだ。
「すごく嬉しいわ、レリィ!」
「・・・っ!」
その瞬間、イルアは縋り付かれて驚いた。こんな事は人生初体験だ。そして、耳元で叫ばれる。
「大好きです!イルア様!」
ぎゅうぎゅう締め付ける腕が苦しいのに、イルアは負けないようにさらに抱きしめて言った。
「私も、大好きよ。」
「・・・離れないで下さい・・・っ」
必死の言葉に、思わず笑ってしまった。
「それって可笑しいわ。・・・私の言葉なのに。」
「えっ・・・?」
きょとんと顔を離したレイリアに笑いかけると、後ろにいたセティエスが確かめる為に言葉を紡いだ。
「けどレリィ。・・・血まみれで帰ってくるかも知れないよ。」
ごくり、と唾を呑み込み、レイリアは声が震えないように懸命に答えた。
「・・・お迎えします。」
「怪我をして帰る事もあるんだ。」
「・・・・・・」
少しだけ青ざめたレイリアに、セティエスは笑うしか出来なかった。
「・・・きっと、すごく怖いよ。」
その言葉に、レイリアはさっと言い返した。
「怖くても、お迎えします!」
少し怒ったようにも見えるレイリアの剣幕に、さしものセティエスもたじろいだ。それを見たイルアがほくそ笑んだ。
「・・・セティったら意地悪ねぇ。レリィがそれだけで避けるわけないじゃないの。」
言われてセティエスが言い返す。
「先程まで怯えていたのは、お嬢様ではないですか。」
「あら、なあに?セティがそんな風に言い返すなんて初めてよね?」
くすくすと楽しそうに笑い始めたイルアを囲んで、全員が面白そうにセティエスを見ていた。
「はあ・・・さてはいつもの仕返しですね・・・。」
「なんの事かしら?」
にっこり笑うイルアはやはり、温和なお嬢様でしかないのだった。
その後行われた会議では——。レーヴェを狙っているのは、エルフィアの上司である、第一軍の将だという事が明かされた。特攻部隊である一軍の将が、何故レーヴェを狙うのか・・・それは、なんでも噂のレーヴェが実在すると、陛下を弑する事が出来ず都合が悪いからだとか・・・。
つまり彼は、簒奪を狙っていたのだった。
「犬が部下を狙ってるって言ってたのよね?」
「はい・・・けど、イルア様。それを仰ったのはルセ様ですよ?」
「ああ、それね。」
くすり、と楽しそうにイルアは笑った。
「“犬”っていうのは兵士という意味。その後に続く“優位に立つ”は上の位を奪い取るという意味。そして,“部下”はレーヴェの事よ。・・・今回はね。」
「今回は・・・?」
首を傾げるレイリアは、まだ目が赤い。
「言葉の持つ意味は毎回異なるわ。状況が変わるから。それで・・・わざわざ“陛下”って言っちゃったら、万一誰かが聞いていたら困るじゃない?」
「なるほど・・・」
「それで、ザクラス様は何故今頃になって、王位を簒奪しようと?」
ザクラスとは件の将の事だ。ヴィトがそう訊ねると、イルアは呆れたように苦笑した。
「・・・ほら、この間陛下に新しい御側室がついたでしょう?」
「ああ、確か美声と評判の歌姫でしたね。」
「歌姫って、王城で歌う事を許された歌人の事ですよね!」
目を輝かせてレイリアが言うものだから、セティエスは思わず微笑んでいた。
「ああ、その歌姫だな。それで、それとどう関係が?」
訊ねたセティエスの横で、ガイアスが嫌そうに顔をしかめた。
「それがね・・・。もう十年程、惚れ込んでいるそうなの。」
「「「・・・は?」」」
「そんな事か・・・」
ガイアスが深いため息を吐いた。
「ようするに、十五の歌姫に十年間惚れ込んで、ここまできた、と。」
イルアが殊更単純に言うと、セティエスの目が冷えた。
「ザクラス様は惚れ込んだ女性を手に入れる為に、陛下を弑すると?」
「そうみたいね・・・」
イルアは若干遠い目をしてそう答えた。
「・・・で。簒奪するにはある程度の武力が必要よね。使おうとしているのはもちろん自軍の兵なのだけれど・・・」
そこでヴィトが首を傾げた。
「陛下を弑するのを、一軍全体が賛成するとは思えませんが・・・?」
「そう。その通り。むしろそんな話したらエルフィア様が、“不敬だ!”って言ってうっかり殺ってしまいそうよね。」
「うっかりなんですか?」
暗に違うだろうというヴィトの突っ込みは、いつもの通りに流される。
「でね。ザクラス様・・・一軍の精鋭部隊の食事に薬を盛ってるみたいなのよね。」
「「「え?」」」
驚く三人の横でセティエスは頷いた。
「なんでも食後に菓子が振る舞われるようになったらしく、いつもザクラス様が“欲しいか?”と問うと、全員が目の色を変えるのだとか。・・・依存性の高い薬なのでしょうね。その菓子はいつもザクラス様が鍛錬場に持ち込むらしく、給仕の者達も触れられないのだそうで。以前、あまりに美味しそうだからと盗み食いしようとした給仕が、見つかって殺されるかと思う程激しく怒られたのだとか。」
「「「・・・・・・」」」
黙り込む三人を苦笑しながら見回して、イルアは続きを口にした。
「エルフィア様は甘いものがお嫌いだから、食べる振りして捨てていたらしいの。」
「そんな事していいんですか?」
ヴィトの発言をさらりと無視して話しは続く。
「そうするといつも食べにくる子犬がいてね。その子が日に日に必死にお菓子をねだるようになって、その為ならなんだってするようになってしまったのですって。」
「・・・何をさせたのか少し気になりますね・・・。」
呟いたヴィトの横で、レイリアはうんうん、と頷いた。
「それを陛下に相談されたのが、事の始まりという訳ですね。」
「そうなのよ。」
頷いたイルアが、ふー、と息を吐き出した。
「・・・今回は簒奪の阻止だし、相手は正気を失いかけた一軍精鋭部隊よ。」
「「「はい。」」」
三人が居住まいを正してそう応える。それに、イルアが顔を上げて命じた。
「その命を失う事、レーヴェは許さぬ。」
「「「はっ」」」
三人は命じられると、椅子から立ち上がり、一糸乱れぬ動きで片膝をついて礼をした。さながら騎士のように。
それににっこり笑って、イルアはぱん、と両手を合わせた。
「さて、それじゃあまずはザクラス様をどこかへおびき寄せないとね!」
「イルア様!」
さくさく話しが進められそうな気配に、レイリアはここだ!とばかりに叫んだ。
「あら、どうしたの?レリィ。」
きょとんとするイルアに勢い込んで言う。
「私に出来る事はないですか?」
「・・・・・・」
きっと、レイリアがそう言い出す事は予想していたのだろう。イルアはとても柔らかく笑って、レイリアの両手を取って握った。
「あのね」
「・・・はい。」
しっかりと目を合わせて、イルアは微笑む。
「レリィには、ここで待っていて欲しいの。」
「・・・・・・」
(やっぱり・・・手伝える事なんてないよね・・・)
分かってはいても、言われてしまうと落胆してしまう。
「ここで、私たちを迎えて欲しいの。」
「・・・?」
落とした視線を上げると、イルアがにっこり笑っていた。
「何度経験したって、こういう仕事を終えると心が痛む。・・・そういう時、レリィに迎えて欲しいのよ。」
そう言ったイルアは、僅かに、本当に僅かにだが、泣きそうなのを堪えているように見えた。
「・・・・・・」
レイリアは少し考える。自分に出来る事。望まれている事。そして——。
「・・・はい、イルア様。」
やりたい事。
「皆が帰ってきた時は、めいっぱい抱きしめますね。」
こういう仕事は手伝えないけれど、寄り添って欲しいと言われれば、いつまでだって寄り添える。そう思うと、自然とにっこり笑い返していた。
「・・・じゃあ、今回から出発の時はレリィを抱きしめる事!これは決定事項よ。」
微笑ましく二人を見ていたセティエス、ガイアス、ヴィトは、イルアの宣言にかなり動揺した。
「「はあっ!?」」
「お嬢様・・・お二人がするのはいいのですが、私たちは・・・」
「決・定・です!」
きっぱりと宣言され、三人は押し黙った。なんとも言えない沈黙が流れる。
「・・・・・・あ、あの、イルア様」
言いかけたレイリアの言葉を遮って、イルアは言い切る。
「計画実行までまだ時間があるわ。それまでに心の準備をするのね。」
そしてレイリアに振り返る。
「さあ、今日はこれで解散よ!寝ましょうね。」
「え、あの・・・」
「じゃあおやすみ〜」
すたすた去って行く主人を見送り、
「「「「・・・・・・」」」」
四人はいたたまれない時間を過ごした。
それから二日間。レイリアは変わらない生活を送っていた。
起きたらまずは洗濯だ。
そして、すでに朝食の準備をしているヴィトを手伝う。
「ヴィトはほんとに料理上手だね。誰かに習ったの?」
スープをかき混ぜながらそう訊ねると、ヴィトは隣で卵焼きを作りながら答えた。
「料理はセティエス様のご実家の、料理番の方から教わったよ。」
その頃を思い出して、ヴィトはくすくす笑った。
「その方は女性なんだけど、料理にもの凄く情熱がある人でさ。」
「へえー、料理が大好きだったんだ。」
「そう。だから教わるのが大変だったよ。」
ひょい、と卵焼きをひっくり返す。その技もレイリアには出来ないから、羨ましい。
「味も見た目も良くないと駄目。人に出す料理はなおさらだって毎日言われたな。」
「うー、私はその方に呆れられちゃうかもなぁ・・・」
「そんな事ないよ。俺が食べてたもの教えたら、“それはただの食材であって料理ではありません。”って言われたんだから。」
「それって、そのままかぶりついてたって事?」
笑いながらそう聞くと、ヴィトは卵焼きをお皿へ移しながら答えた。レイリアもスープを取り分ける。
「そう。俺はちょっと特殊な出でさ。・・・まあ、言ってみれば猟師したいなものだったから。」
「へえ、そうなんだ。」
ヴィトの出自を聞いてちょっと驚く。今ではこんなに上品に見えるのに、意外だ。
「そう。レリィはそんな事ないだろ?」
「・・・うん、さすがにかぶりつく事はなかったよ。」
人数分のナフキンを並べて、出来上がったものを並べていく。
「さあ、レリィは起こしに行ってくれる?」
「はーい。」
元気よく返事をして廊下に出ると、すぐそこにガイアスが来ていて、案の定ぶつかった。
「わっ!」
「!」
相変わらずまだ寝ぼけ半分なものの、ガイアスは倒れそうになったレイリアを抱きとめた。
「・・・あ、ありがとう。」
「・・・・・・」
目が覚めるまでの間、ガイアスは目が合うとじーっと眺めてくる。それが、毎回恥ずかしい。いたたまれない。
「あ、あの・・・もう大丈夫だから・・・」
とても目を合わせていられないので、視線は外しておく。言われたガイアスは素直に、しかしゆっくりとその手を離した。ほっとして、気を取り直して挨拶する。
「あの、おはよう、ガイアス。」
「・・・・・・ああ、おはよう。」
目覚めないガイアスにちょっと笑ってしまって、レイリアはそのままセティエスの部屋へ向かった。
部屋の前までくると、やはりセティエスが出てくるところだった。いつもながら、朝からきちんとしている。
「おはようございます、セティエス様。」
「ああ、おはよう、レリィ。」
にこりと微笑まれるのにも慣れず、毎回顔が赤くなってしまう。
「えっと、イルア様を起こしてきます!」
ぺこりと頭を下げて走り去る。それを見送ってセティエスが笑うのも、いつもの事だった。
「イルア様、おはようございます!」
部屋の外から声をかけると、いつものように、入って、と言われる。
「失礼します。」
断ってから部屋へ入ると、イルアが不敵に微笑んだ。
「今日はやっと罠を張り終えると思うわ。そうなれば明日はいよいよ決行よ。」
「・・・!」
ぎくり、と身体が強ばる。それを見て、イルアはふわりと微笑んだ。
「・・・レリィが待っていてくれるなら、私達は必ず無事に帰ってこられるわ。」
そう言ってレイリアを抱きしめた。レイリアも、イルアを抱きしめ返す。
「はい。お待ちしていますから、必ず無事に帰ってきてください。」
ぎゅうっ、と抱きしめて、二人はするりと腕を離した。
「さ、じゃあちゃんと朝食を食べていかないとね!」
「はいっ!」
笑い合って共に部屋を出る。食卓にはすでに準備がされていて、三人が迎える。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはようございます、イルア様。」
「おはよう、イルア。」
それぞれに挨拶があって、皆で席につく。
「それじゃあ、頂きます!」
「「「「頂きます」」」」
バルクス家の朝食は、今日も賑やかだった。
——その日。イルア達はザクラスに、“レーヴェは子城の一つである砦を隠れ家にしている”という噂を信じさせる事に成功した。そして、明日、そこへ現れるらしいという事も。
明日はいよいよ実行の時だ。城内の不祥事である為騒ぎにしてはならず、事は速やかに、かつ静かに処理しなくてはならない。
第一軍の精鋭、おそらく二百に対し、こちらは四人。いくらレーヴェとはいえ、少しの油断も手加減も、躊躇いも許されない。
まさに命がけの戦い。・・・両者は息を顰めて時を待つ。