一之瀬澪は俺に惚れている。○か×か。 ―世界を知らない箱入りお嬢様が、ゴミ部屋で世界を好きになった1日―
ピンポーン!
ピンポンピンポンピンポーン!
せっかくの休日の朝を、マシンガンのようなチャイムの連打がぶち壊した。
ピンポンピンポンピンポーン!
まだ寝ていたいのに、狂ったような連打は止まらない。
ったく、どこのバカだ!?
「あのな! 朝からうるせえ……」
ドアを勢いよく開けた俺は……途中で固まった。
「初めまして。突然、失礼いたします」
そこに立っていたのはまるで、二次元から飛び出してきたような超絶美少女だった。
透明感のあるベージュの髪。
アメジストのような瞳がまっすぐに俺を見つめている。
純白のワンピースに身を包んだ姿は、まるで等身大ドールか本物のお姫様だ。
呆然としていると、お姫様は真顔でとんでもないことを口にした。
「単刀直入に申し上げますが――私と婚約していただけないでしょうか」
「……は?」
電話をかけたら女神がやってくる漫画を昔読んだが、これは現実だ。
となるとドッキリか?
辺りをキョロキョロ見回すが、カメラは……なさそうだ。
「えっと、そもそもどちら様?」
「申し遅れました。私、一之瀬澪と申します」
「前にどこかで会った?」
「いいえ」
「じゃあ人違いだろ。俺は五流大学に通うただの貧乏学生だよ」
「いえ、間違っていません。サイコロを振った結果、この部屋に来ることが決まりましたので」
「サイコロ!?」
「はい。全ては運のままに」
そう言って、小さなサイコロを取り出して見せてきた。
「あのさ。いいとこのお嬢様って感じだけど、そんな適当に婚約相手決めちゃっていいの?」
「むしろ最善手です」
「何か目的があるとか?」
「はい。目的は『不幸になること』です」
「ふ、ふこう……?」
やばい。なんか怪しい匂いがする。
「私はこれまで、趣味、習い事、進学先、交友相手、何もかも両親に決められてきました」
「なるほど」
「逆に、私がやってみたいこと、興味のあることはことごとく禁止されてきました。何かを食べたいと言えば健康に悪いからと、習い事をしたければケガをすると。何をやるにも理由をつけて反対し、全てを否定されてきました」
それまでまったくの無表情だったが、目元にわずかな怒りが混じる。
「そんな息苦しい家から脱出し復讐するため。私は両親が一番絶望するような、『適当に決めた男と勝手に婚約して不幸になる人生』を選ぶことにしたのです」
あー、これ面倒くさいやつだ。
顔は最高に可愛いし、親に反発したい気持ちはわからなくもないが、関わり合いにならない方がいい。
「目的は分かったけどさ、俺にも都合ってものがあるし、お断りさせて――」
「もちろんタダとは言いません。私と婚約関係を結んでいただけるなら、毎月100万円をお支払いします」
「へ?」
「これ、契約書です」
どこからか取り出した紙には確かに、『月額報酬100万円』と記されていた。
俺は……渡されたペンを迷いなく握った。
「善は急げって言うからな」
「話が早くて助かります、旦那様」
こうして俺は彼女と「サイコロ婚約(?)」を結んだのだった。
◇◇◇
「それでは、お邪魔いたします」
「ちょ、ちょっと待った!」
「どうされましたか?」
俺の部屋はゴミ部屋と化していた。
間違っても人、それもお嬢様なんて招けるレベルじゃない。
「散らかってるんで掃除を……」
「構いません。改めまして、お邪魔いたします」
制止も虚しく、一之瀬澪はゴミ部屋へと足を踏み入れた。
が、その『惨状』を見て言葉を失う。
「だから言ったでしょ、いま掃除するから待っ……」
「素晴らしい……!」
「えっ」
「この、足の踏み場もないほどモノが散らかった部屋……! これぞ求めていた理想郷です!」
反応が斜め上すぎる。
「私が暮らしていた殺風景な部屋、それはまるで『白い監獄』でした。しかしここには自由が溢れている。ああ、なんという開放感、安堵感……」
「あ」
目を瞑って深呼吸をした一之瀬澪が、丸まったティッシュをモロに踏んだ。
「すみません、何か踏んでしまったようで……」
「やっぱり部屋片付けるよ。ここ座ってて」
ローテーブルの横に座ってもらったのち、普段の4倍速で部屋を片付けた。
一息ついたところで、起きてからまだ何も食べてないことに気づく。
「朝ごはん、まだ食べてない?」
「ええ。ですがお構いなく」
「お構いなくって、婚約したのに他人行儀すぎるだろ。何か用意するよ」
昨晩作ったシチューを二人分よそって、ついでにパンも焼いて添えた。
「はい、残り物ですが」
「ありがとうございます」
ローテーブルにシチューを置くと、神妙に眺め始めた。
「お口に合うかはわからないけどね。じゃ、いただきます」
「いただきます」
俺にならって手を合わせると、スプーンで恐る恐る口へと運ぶ。すると。
「……っ!」
まったくの無表情だったその瞳が、小さくだが見開かれた。
「どう?」
「……美味しいです」
「おー、良かった!」
「こんな美味しいシチュー、初めてです」
「めっちゃ褒めてくれるじゃん。これ、隠し味が入ってるんだ」
「隠し味、ですか?」
「そう。実は味噌がちょっと入ってる」
カシャン――
スプーンがテーブルへ、音を立てて落ちた。
「え、どうした?」
「……塩分過多です……」
「ああ、味噌が入ってるから?」
「ええ。多すぎる塩分は緩やかな自殺だと教わってきました」
「なるほど」
俺もスプーンを置き、少し考えた。
「でもさ、美味しいでしょ?」
「ええ、すごく」
「思うんだけどさ、人間っていつかは死ぬじゃん。塩分を気にしすぎて、美味しくない料理を我慢して食べ続けても、不老不死になるわけじゃない」
「はい」
「だったら美味しいもの食べて、やりたいことをやりたくないか?」
「おっしゃる通りですね。いただきます」
ということでその後は黙々と、塩分過多なシチューを二人でたいらげた。
◇◇◇
「ふー。食った食った」
「旦那様。今日のご予定は?」
「予定? 予定なんてないよ、強いて言うならアニメ見るかゲームしようかって思ってたけど」
「アニメ……ゲーム……」
「もしかして、それも禁止されてきたとか?」
「もちろんです。まったく生産性のない、いたずらに時間を浪費するだけの自堕落の極みだと」
「そこまで言うか! でも、今日からは一緒に自堕落するんだろ?」
「ええ。旦那様は普段通り過ごしてください。私はそれにお供します」
ということでその後、溜まっていたアニメを何本か消化し、スローライフを送るゲームをプレイした。
昼はまた残りのシチュー。
「シチューやカレーっていいよな、一回作れば何回も食える」
「なるほど、合理的ですね」
「合理的っていうか、ラクしてるだけだよ」
午後ものんびりとゲーム。
画面にじっと見入る彼女に時折、遊び方を解説すると、頷きながら真剣に聞く。
なんだか……可愛い。
「ウキが沈んだら、このボタンを押して」
「わかりました……」
タイミングよくボタンを押すだけの、釣りのミニゲーム。
これならすぐにできるかと思って、コントローラーを渡してみた。
ピク……ピク……ポチャン!
「お、上手い!」
ドンピシャのタイミングでボタンを押し、見事にサメを釣り上げた。
「大きい……」
ぽつりと、感嘆の声を漏らす一之瀬澪。
ふと見るとその顔に――
初めて笑顔が浮かんでいた。
「ほら、ハイタッチ」
俺が出した右の手のひらに、戸惑いながらも左の手のひらを重ねる。
交差する視線と笑み。
その時、陽の光が俺たちの元へ、すっと差し込んできた。
いつの間にか、夕方になっていたみたいだ。
「ちょっとこっちに来てみて」
「はい」
窓際へと向かい、白いカーテンを開けて外を見る。
すると、ハッと息を呑む声が聞こえた。
なぜなら――
山々に落ちる夕陽が眼下の街並みに、
黄金色のカーテンをかけていたからだ。
「ここ、高台だから眺めだけはいいんだよね」
「綺麗……」
「だね」
そのあとしばし、移りゆく色と光の変化に見入っていた。
眩しかった光の玉がやがて粒となり、山の向こうへ沈むまで。
「旦那様」
「はいはい」
「今日、少しだけ」
先ほどよりもはっきりと、その美しい顔に微笑みが浮かぶ。
「この世界が前より好きになりました」
「それは嬉しいな」
空はオレンジから青へとグラデーションを描き、街にはぽつぽつと明かりが灯る。
それをぼんやり眺めながら、ふと湧いた疑問を口にしてみた。
「『幸せになる』ってのも、復讐じゃないのかな?」
「?」
「今日どうだった? 親が否定していた生活、楽しかった?」
「はい。とても」
「じゃあさ、今日みたいな日がずっと続いて幸せになったら、それは不幸になるよりも強力な復讐になるんじゃないかな? 親の価値観や考えを否定することになるんだから」
「なるほど。名案に思います」
「だろ? あともう一つあるんだけどさ」
「なんでしょう?」
「100万円、いらないよ」
「え……」
ずっと窓の向こうを眺めていた彼女が、こちらを振り向いた。
「君がくれる100万円て、たぶん親の金だろ? その金で暮らしたら、結局親の手のひらの上じゃないか」
「……」
「今日、君と過ごせて俺も楽しかった。こんな日が続くなら大金なんていらないし、二人分の生活費くらい、バイト頑張ればなんとかなる」
「それでは、私がご迷惑でお荷物なだけじゃ……」
「申し訳なく思ってる?」
「はい……」
「だったらさ、」
俯く彼女に、今日イチの笑顔を向けた。
「君は俺との生活を楽しんで、二人で最高に幸せな不幸を目指すこと。それが100万円の代わりの報酬」
「……はい」
「よし、決まり!」
そりゃ最初は金に釣られたけど、こんな美少女と暮らせるだけで十分だなって思った。
むしろ、なんだかワクワクしてきたな、これからの毎日が。
早速、今日は夜通しでゲームとか……
「ん?」
部屋に戻った俺の目に、床に落ちる一枚の写真が映った。
どうやら男の写真のようだ。
映っているのは――
「俺?」
拾い上げて確認する。
間違いない、高校時代の俺だ。
ちょっと待て、なぜ俺の写真を持っている?
写真を裏返すと、丁寧に書かれたこの部屋の住所と部屋番号。
『サイコロを振った結果、この部屋に来ることが決まりましたので』
……おいおい。
サイコロなんかじゃない。
彼女は、最初からここへ来るつもりだったんだ。
それって、つまり……。
恐る恐る、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、
部屋に戻ろうとした姿勢のままフリーズしている一之瀬澪がいた。
俺と目が合った瞬間、観念したように瞳を閉じる。
夕陽はもう沈んだのに、彼女の両頬は真っ赤だった。




