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海の友達  作者: 冬夜
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序章

序章


「リュウト、今日も行くね?」

前を歩く少年の背後から、明るく元気な声が届く。その声だけで、声の主のかわいらしさまで伝わってくる。リュウトと呼ばれた少年は、声の主の少女を一旦振り返って見て、すぐに前を向き大きく頷く。

少年の足取りは力強く、少女も離されないように少し小走りでついて行く。二人は黙って歩き角を曲がると、目の前に小さな公園のような場所が見える。それほど高くない木々が並び、右側は堤防が続く。駐車場のようなひらけたスペースもあり、その脇に砂浜の始まりのように砂の道が見えていた。

少年が木々の間を抜け、石積みの護岸の階段を降りると小さな砂浜に出る。目の前には海が広がる。ただ、その海は干潮時には干上がってしまう干潟だった。今はまだ潮が引ける前で、どこまでも海が広がっていて、遠くには陸続きの対岸の丘が見える。

「リュウト、今日はどうするね?」

後から歩いてきた少女も、追いついて砂浜に立って海を見た。リュウトは少女の言葉に、歯を軽く食いしばって得意げな表情で振り返ってから、また海を見た。

「何ね、リュウト。何か隠してるね?」

少女は立ち止まったままリュウトに聞く。リュウトは振り返ると、チラッと少女を見て少女の背後の木に向かって歩いて行った。少女はその場で振り返って少年の動きを見守る。

少年は木の下の草むらから何かを引っ張り出そうとしている。その様子を少女はうれしそうに見て、日向にいる少女の白いワンピースが光を受けて服を透かし、風に揺れてきらめいた。

バサッと少年が力強く砂浜に引っ張り出すと、それが何なのか少女にはすぐに分かった。丸められたように折りたたまれた、マット型の浮き輪だった。少年はそれを砂浜に広げて、自慢げな顔で少女を見る。

「どうしたね?それ」

少女は何か楽しそうなものを見て気分が上がり、弾んだ声で聞いた。

「持ってきといたんだ。見つかると怒られるかもしれんね」

言いながら少年は、ドサッと腰を下ろすとビーチマットを手元に引き寄せて、空気入れ口を手で軽く拭くと勢いよく咥える。少女は少年の動きを黙って見つめている。少年は小さな体を揺らせながら、少年なりに、思いっきり吸ったり吐いたりして空気を入れ始めた。

少女は見ているうちに、一緒になって吸ったり吐いたりしている気持になり、疲れてしまい、少年の近くに座って様子を見ていた。少年は辛抱強く空気を入れ続け、それでも時々疲れて、空気口を離し、呼吸を整える。

「ねえ、リュウト大丈夫ねー?」

少女の呼びかけに、少年は答えることなく、呼吸を整えるとまたすぐに大きく息を吸い、吸い口を咥えた。少年は何度も何度も空気を送り込むが、ビーチマットは全く変化なかった。少女はもう少年から目を離し、やさしい風の吹く、キラキラ輝く海を見つめていた。隣で、一生懸命空気を入れている少年の息遣いが聞こえてきて、その音が小さな波音と重なり、心地良くなっていた。

日差しの強い昼を避け、太陽が傾き始めた頃、二人は外に出て来た。夏まではまだしばらくあったが、日差しに当たってゆっくりできる季節はあとわずかしかない、その大事な季節を楽しむように、少女は膝を抱え、軟らかい砂浜に腰を下ろし、日差しに当たり、気持ち良くなっていた。それでも、ふと横を見ると少年が変わらず、空気を一生懸命入れている。少年は、少女と目を合わせることなく、ひたすら空気を入れ続ける。何かに一生懸命になっている姿を見るのも心地良かった。

「リュウト!」

声とともに、バタバタと、もう一人の少年が砂浜に駆け込んで来た。少女はびっくりして、後からやってきた少年を見たが、それが知っている子だとすぐに分かり、安心する。リュウトは空気口を口から離し、少年を見た。

「ケンジ、なんね。おそいさー」

リュウトよりも先に、驚いたことを隠すように少女が後から来た少年に声をかけた。ケンジは、髪を少し伸ばし、リュウトよりも、少しだけ服装に気を使っているような、ボタンのついたシャツと、ベルトのついた短パンをはいていた。

リュウトは黙って、ケンジを見つめた。一生懸命空気を入れていた様子がケンジにはすぐに分かった。そして、あまり膨らんでいないビーチマットも目に入る。ケンジは小さく笑みを浮かべ、後ろ手に隠していた、空気入れのポンプを自慢げに両手でリュウトの前に出した。

「ケンジ、やるね。よく持ってこられたさ」

「なんね。全然大丈夫だったさ。聞く訳にはいかないから、時間かかったけど」

笑いながら、ケンジは言い返すと、リュウトの前に空気入れを差し出した。ケンジの持ってきた空気入れは、足で踏むギザギザの小ぶりのもので、空気口に差し込むホースがぶらぶらした。リュウトは「ありがと」と言うと空気入れを受け取りながら立ち上がった。手慣れた様子で、今まで咥えていた、空気口にホースの先を差し込むと踏みやすいように、空気入れを置いた。セットが終わると、空気入れの上に足を置き、勢いよく踏み始めた。

リュウトが踏んで、離すたびに、シャコ、シャコと音を立てる。そして、少しすると、リュウトがどんなに息を吹き込んでも、あまり様子が変わらなかったビーチマットは、ゆっくりと形を変え、人が起き上がり、体を伸ばすようにその姿を現していった。ケンジはリュウトの横に、一緒に踏んでいるかのように、リズムよく体を動かし、その様子を少女も立ち上がって見ていた。

海の音をかき消す、シャコシャコという音が周囲の空気から発せられ、広がっていく。沈黙の中で響き渡っていく音が、これからの時の楽しさを期待させる。

「もう、いいさ。リュウト、それ以上入らんよ」

同じリズムで踏み続けていたリュウトに向かって、ケンジが言う。ケンジの言葉で、リュウトは踏むのをやめてビーチマットを軽くさわり、空気の入り具合を確かめた。リュウトの様子を見守るが、リュウトが軽くさわったときに、しっかりとした弾力で跳ね返ったのが、見ていた二人にも分かった。

リュウトは空気入れのホースを外し、空気口を少し手間取りながらも栓をして、中に押しこんだ。

「アカリ、濡れても大丈夫ね?」

リュウトが初めて少女に向かって名前を呼んで言った。アカリは、少し考えつつ「少しなら」と答える。落ち着いて言ったはずなのに、弾んだ声になったのがアカリにも分かった。リュウトは返答を聞いてから、ケンジを見る。ケンジは黙ったまま、一つはっきりとうなずいた。

「じゃあ、行こうさ。最初、アカリが乗るといいね」

リュウトが小さい体でビーチマットを持つと、大人用ビーチマットは大きく、持ち上げきれない。それでも引きずったまま進もうとするが、少し進んだところで反対側をケンジが持つと、両端を二人で持って海まで運び、その横をアカリが並走する。波際まで来るとリュウトはそのまま海に入り、ケンジの足が濡れるくらいのところで海に浮かべた。

「アカリ、乗っていいさ」

両端を二人で抑えて、揺れないようにして、アカリに促す。アカリは膝まで濡れないところで、そっとビーチマットに膝から乗るが、アカリの重さぐらいではびくともしない。水面が軽く揺れるくらいで、リュウトとケンジは、その安定さに喜び、目を合わせて笑顔を見せる。

「じゃあ、行くよ」

リュウトの掛け声でビーチマットは砂浜を離れる。干潟なのですぐには深くならず、深いところは上から見て見分けがつく。リュウトが前を、ケンジが後ろを持ちながらビーチマットを進めていく。砂浜からあまり離れないように、浜辺に沿って移動しながら、進めていく。

アカリは、ビーチマットの上にちょこんと座ったまま、小さな揺れ一つ一つに笑い声をあげていた。リュウトとケンジは、アカリの楽しそうな様子に、一緒になって笑っていた。

少し進んだところで、ドボンと突然リュウトが沈み、マットが小さく揺れる。

「リュウト!」

アカリが呼ぶと、すぐにリュウトは顔を出した。

「アハハ、ちょっと、深いところがあったさ」

リュウトが言ってすぐに、ドボッ、という音でケンジが沈み、マットに小さな揺れを残して見えなくなった。

「ケンジ!」

アカリが呼ぶが、ケンジがすぐに上がってこない。アカリは膝をついて、マットから落ちないようにケンジの消えた海を覗き込んだ。深さはそれほどないので、いれば見えるはずだったが、ケンジの姿は見えなかった。

「ケンジ!」

もう一度アカリが叫ぶと、「なーに?」とアカリの背後の方からケンジの声がする。

「なんね。びっくりしたさ」

振り返って、ケンジを確認するとアカリが言った。アカリの心配した様子に、ケンジとリュウトが笑う。二人が笑ってマットを持っているから、笑いのリズムに合わせてマットが揺れる。アカリはあきれた様子で、ちょこんと座って二人を見ていた。

それからまた、ビーチマットの小さな船は、ゆっくりと波打ち際を進み、アカリを乗せたまま行ったり来たりした。

「リュウトとケンジ、ありがと。かなり楽しかったさ。でも、あんまり遅くなると、おかあが心配するし」

ビーチマットを前と後ろから支えてもらい、海の中を行ったり来たりしただけだったが、それだけで十分楽しかった。アカリはビーチマットに乗っている間ずっとケラケラ笑っていた。その笑い声を聞きながら、二人も楽しそうにビーチマットを支えていた。

波打ち際までマットを寄せると、アカリが足首ほどの深さのところに足をついて久しぶりに立ち上がった。

「あれ、少し潮が引いてきているさ」

立ち上がったアカリがもともといたところを見ると、先ほどよりも砂浜が広がっていて、最初に海に入ったところよりも離れてていた。振り返って海の方を見ると、リュウトがケンジから逃げるように、ビーチマットに寝そべって沖に向かって水をかいていた。リュウトと取り合ったようで、「おーい」と言ってケンジがあきれた様子でリュウトを見ていた。

「リュウト、あんまり行くと流されるよー」

ふと心配になったアカリが、両手を口にやって大きな声で言った。突然背後から叫ばれたケンジはアカリを見て、まだケンジから逃げるように背後を気にしながら必死に水をかくリュウトを見た。リュウトにはアカリの声が届いていないようで、もうケンジには到底追いつけそうもないところまで逃げているのに、必死になって水をかいて離れていく。

「おーい、リュウトー、あんまり行くと危ないよー」

心配そうに見つめるアカリに気づいて、ケンジもリュウトに向かって大きな声を出した。

「リュウト!リュウト!」

ケンジに続いて、アカリももう一度叫ぶ。アカリに続けて、ケンジも叫ぶ。

ときどき、後ろを気にして見ていたリュウトも、声に気づいて水をかく手を止めた。そして、ビーチマットに座り直して笑いながらアカリたちに向かって手を振る。アカリとケンジは、リュウトが見ているうちに大きく手招きして、戻ってくるように促そうとした。リュウトは、アカリたちの様子を見ながら、まだ手を振り続ける。アカリとケンジはリュウトが気づくまで手招きを、より大きなしぐさにして続けた。

二人の様子にリュウトも気づいたのか、手を振る手を止めてビーチマットを横向きにした。アカリとリュウトは変わらず手招きを続ける。リュウトは横向きになったまま、様子を見ていたが、流されていることを感じたのか、向きを変えて浜に向けて水をかき始めた。

リュウトが向かって来ようとしていることが分かって、二人は手招きをやめて様子を見ていた。最初はゆっくり水をかいていたリュウトも次第に本気になって水をかいているのが、上がる水しぶきで遠くから見ても分かった。最初はそれで二人は安心した様子を見せたが、事態は変わらなかった。

必死に水をかいているので、リュウトの近くに大きな水しぶきが上がり続ける。ときどき、リュウトが顔を上げて距離を確かめているときには、その水しぶきが小さくなる。そしてまた、すぐに大きな水しぶきが上がり始める。

リュウトが必死に水をかいていることが、二人には分かった。それでも、リュウトの姿は少しずつ、確実に小さくなっていった。

「リュウト!リュウト!チバリヨー!」

焦りが二人の体を固くし、どうにもできない中でたまらずアカリが声を出した。

「リュウト!リュウト!」

続けて、ケンジも声を出す。二人で何度もリュウトに向かって叫んだ。それが、リュウトに届いているかは分からない。リュウトに聞こえる音は、自分が必死で水をかいている音だけかもしれない。互いの音は互いにぶつかり合い、リュウトの推進力も引き潮に打ち消されているようだった。確実に、確実にリュウトの姿は、アカリたちから見て小さくなっていった。

「誰か、呼んでくる!」

アカリはそうケンジに言い残すと、ケンジの返答も聞かずにその場を勢いよく離れていった。ケンジは、どうすることもできずにリュウトに向かって声をかけるしかなかった。次第に小さくなっていくリュウトから、誰に言われるでもなく目を離すことができなかった。落としてしまった大事なものが、目を離したことで見つからなくなってしまったことが、ケンジの深層心理にはたらいたのかもしれなかった。気づかないうちに、ケンジは泣きながらリュウトの名前を呼んでいた。

かなりの時間がたって、アカリがおとうを連れて砂浜に戻って来たときには、ケンジは泣きながら、小さな声でリュウトの名前を呼んでいた。

「ケンジ、リュウトはどこね?」

アカリはおとうの陰に隠れるように歩き、来るまでに事情を説明したようで、アカリのおとうがケンジに聞く。ケンジは見ていた方向を指さす。しかし、おとうが見ても、どこにもリュウトの姿が見えなかった。あたりを見て、砂浜にはケンジが持ってきた空気入れだけが残されていて、たまらずおとうはケンジを軽く叩いた。その刺激で、たまらずケンジの鳴き声は大きくなってしまった。おとうはそれを横目で見ながら、手にしていた携帯電話を操作する。

「波照間さん、船出してもらった方がいいさ。今、リュウトが浮き輪に乗ったっていう砂浜来たけど、もう見えんね。

うん。・・・・・・組合の人にもお願いした方がいいね。ケンジが指さす方で見ると、泡瀬から南東かやや東寄りみたいだけど。俺からも金城に連絡入れてみるさ」

リュウトの父親は漁師をしている。その父親と話しているだろう事は、その場にいたアカリやケンジも分かった。アカリの父親は、そのまま海の方を見た後、再び携帯電話を操作して誰かに電話を掛けた。

アカリは泣いているケンジのそばに行った。

「ケンジ!泣いていないで、リュウトはどこね?」

少し強い口調で言うアカリに、ケンジは泣くのをやめる。ケンジは、涙を拭いながら、海に向き直って最後にリュウトが見えていた方向を見た。「どこ?」って言うアカリに、ケンジは「あっちに見えていたんだけど・・・」と言って指で差し示した。

アカリはケンジの指さす方を見る。目の前の海は潮が引き、所々に砂州の丘が見える。ケンジの指す方向の海は遙か遠くだった。太陽は中城の山に隠れ、西の空は白く光り、東の空は濃さを増していく。

「リュウトー」

大きな声でアカリは叫び、届かないことは、返事がないことは分かっているけど、何もすることができないから、ただ、声を出した。

「リュウトー」

アカリに続けて、ケンジも大きな声で叫んだ。声の終わりは泣いていたこともありかすれてしまう。ケンジに続いて、またアカリが叫ぶ、そして、ケンジも続ける。

時々休んでは、二人は泣きながら、何度も何度もリュウトの名前を呼び続けた。

辺りはゆっくりと闇に包まれていく。水面が濃くなっていく空を映しうっすらと光り、砂の丘は黒い塊になっていく。

アカリとケンジ、アカリのおとうはどうすることもできず、ただゆっくりと闇に包まれていく干潟を見ていた。

泡瀬干潟は、潮が引くと深いところもあったりするが、浅いところを選んで進んでいくと、かなり遠くまで歩いていくことができるとても大きな干潟である。今潮が引いて、もしリュウトが干潟の近くにいたとしても、見極めることはできそうもなかった。

「いったん帰るさ」

おとうはアカリとケンジに言うと、二人の頭の上に手をそっと乗せた。アカリとケンジはすぐには動こうとはせず、ケンジはまた泣き出してしまう。

「今、リュウトのおとうと漁協の人たちが、船を出してみんなでリュウトを探しているさ。きっと、リュウトは無事帰ってくるさ」

アカリのおとうはのせていた手に力を入れて反対方向に向かせる。左右の手で二人の手を取ると、ゆっくりと歩き出したが、すぐに立ち止まった。

「ケンジ、ポンプ取ってくるさ」

ケンジの手を離すと、ケンジは言われたようにポンプに向かって小さく駆けて、手にするとおとうのところに戻ってくる。アカリのおとうが手を差し出すので、ケンジはポンプのホースを片手でつかみ、おとうに手を出してつないだ。

アカリたちは歩き出して、砂浜の入り口の砂利のところを出る。アカリは家に向かわないことに、最初不思議に思ったが、ケンジの家に向かっていることにすぐに気づいた。

「ケンジ、おとういるかな?」

街灯のついた路地を進んでいく。アカリのおとうの質問に、ケンジはうなづくでも、顔を振るでもなく、傾げたままだったので、分からないことは伝わった。

ケンジの家に着くと、おかあが対応した。おとうが説明し、ケンジを渡すと、ケンジはまた泣き始めてしまう。ケンジの泣き声を背にして、アカリとおとうは家に向かった。おとうとアカリが家に着くと、アカリのおかあが出てくる。心配そうな表情で出迎えたおかあに、おとうはゆっくりと首を振った。アカリのおかあは悲しげな表情に変わりつつ、何も言わずアカリを引き寄せた。アカリをおかあに渡して、おとうは「港に行ってみる」と言い残してまたすぐに歩いて出ていった。

何もできないアカリは、心配する中、食べている意識のない中で食事を済ませ、寝る支度をする。アカリの寝る時間になっても、おとうは戻ってくることなく、そのまま布団に入った。部屋の扉を開け、いつも風通しを良くして眠っているので、おとうが帰ってきたら分かると思っていたし、リュウトのことが気になってなかなか寝付けなかった。

知らずに眠っていたアカリもいつもよりは敏感になっていて、ドアが開く音で目が覚めてすぐに布団を飛び出し玄関に急いだ。

「おとう、リュウトは?」

寝起きなので、すぐには目が開かなかったが、おとうに飛びつきながら言った。しかし、おとうは小さく首を振るだけだった。おかあも起きて待っていたので、すぐに玄関に来た。

「今日は一旦引き上げることになった。海保にも連絡してあって、また、明日、朝から漁協のみんなで出ることになった。俺も乗せてもらうさ」

おとうはおかあを見て言い、「明日も早いさ。すぐに休もう」と続けて言った後、「アカリはすぐに寝て、明日はとりあえず学校に行くさ。リュウトはみんなで見つけるさ」

おとうは、アカリを抱いたまま寝室に運んで布団まで行くとそっと下した。アカリを寝かせ、布団をかける。目を閉じて眠ろうとするアカリの頭をなでていると、アカリの目から涙がこぼれてきて、隣室の明かりを反射して光った。拭くものもないので、そのままにしておいて、しばらく頭をさすっていると、涙が乾くことなく、小さな寝息を立て始めた。


翌朝、いつもより早く目が覚めたアカリは、「ちょっと出てくる」と言って、朝食の準備をしているおかあを通り過ぎてバタバタと外に出て行ってしまった。

アカリには何もできなかった。だからこそ、目が覚めてすぐに家を出た。アカリは真っ直ぐに港に向かわずに、道を曲がった。少し進むと、家並みの向こうに公園のようにひらけた場所が見える。駆け足のまま公園の中に入ると奥に見える鳥居を目指す。

鳥居の手前で一旦立ち止まり、先生の前でおとなしくするようにゆっくりと歩いて鳥居をくぐった。ビジュルの中に入ると、ゆっくりと本殿の前まで歩く。そして、本殿の前で立ち止まると一つ大きく息を吸って,両手を合わせると目を閉じて祈った。

息が続くまで、アカリは目を閉じて祈っていた。「はぁ」という声と同時に目を開け、また大きく息を吸った。本殿にもう一度礼をして、背を向けた。ビジュル内はゆっくりと歩き、鳥居をくぐるとまた速足で駆け出した。今度は、まっすぐに港を目指した。

泡瀬漁港はそれほど大きくはないが、漁船以外でも、小さなものから、少し大きなものまで数十隻の船が停泊している。もともとは干潟で、船が入れるほどの深さはなかったところを、外洋までの出口になる防波堤の間に向けて道のように浚渫されている。

アカリは港に着くと、防波堤の上を歩き、係留してある船の横を歩く。湾のようになっている泡瀬漁港の中では、特に変わった様子はなく、行き来する船もなかった。防波堤の間から、外洋が少し見える位置まで来て立ち止まった。海は少しの波があるだけで、穏やかな様子だった。リュウトが一人で泳いで帰ってくるというのを期待していた訳ではない。ただ、リュウトが消えていった海の向こうを見れば、もしかしたらリュウトを見つけることができるのではないかと思った。

「アカリか?」

声に気づいて振り向くと、おとうの友達の漁協の人がアカリの立っている近くの船の上で作業をしていた。アカリは静かに大きくうなづいた。

「気にするな。わー達が見つけてきてあげるから」

おじさんに話しかけられたが、アカリはうまく答えることができなかった。ただ、深くお辞儀をした。

「今日も学校だろ?もう少ししたら、おじさんたちがみんなで探しに出かけるから、心配せんと、朝ごはん食べて学校へ行ったらいいさ」

「うん。ありがと。おじさん」

何も言えずにいたアカリだったが、しっかりとお礼が言えたことがうれしかった。まだしばらく海を見ていたが、何も変化がなく、帰ることにした。

家に帰ると、おかあは朝食の準備をしていて、おとうも起きていて着替えていた。弟も食卓に座って朝食が運ばれてくるのを待っていた。

「アカリ、どこ行ってたね?学校行く準備して!」

アカリがリビングを覗くとおかあと目が合い、言われてバタバタと洗面所へ行き手を洗った。すぐに自分の部屋へと行くと、ランドセルを取り出し準備をする。港でのんびりしていた訳ではなかったが、学校行くまでそれほど余裕はなかった。

改めて着替えて、学校へ行く準備を済ませると、朝ご飯を食べ始めた。アカリが座ってすぐに、おとうも食卓につく。いつもは、アカリたちよりも早くに朝食を済ませ、仕事に出かけてしまうおとうが今日はアカリよりも遅くに食卓につく。その理由が分かっているから、楽しくおしゃべりなんてできる気分ではなかった。いつもは明るく話しながらご飯を食べるアカリも、その日は黙々とご飯を口に運んでいた。

一通り食べ終わると、いつも学校に行く時間になっていた。アカリはランドセルを取りに行き、出かける準備をして「行ってくるね」と感情のない言葉で言うと玄関に向かった。おとうもすぐ後から出てきそうな感じだった。

ランドセルを背負って歩き、学校の方に向かいながらいつもとは違って海沿いの道を歩いた。港から見た、漁港の入り口の防波堤が見える。歩きながら、前を見るではなく、ずっと海を見ていた。

その時、漁港の入り口というか、防波堤の間に黒い小さなものが浮かんでいるのが見えた。立ち止まって、歩道を出ないようにじっと見た。

アカリの歩いている道路脇の歩道は、一つ中に入ると漁港の道と並行している。今アカリが見ている場所の方が、漁港から見るよりも防波堤の間は見やすい場所だった。アカリが見ている間、少しずつ、少しずつその黒いものは近づいてきているようだった。

アカリはいてもたってもいられず、歩道を戻って港を目指した。走って、防波堤の先まで行こうとすると、後から出て来たおとうが歩いている。

「おとう、ちょっと何かいるね!」

アカリはおとうの横を走って通り過ぎながら声をかけて、そのまま止まらずに防波堤の先を目指して走り続ける。おとうは「アカリ」と呼んだだけで、不思議そうにアカリの後を歩を早めずに歩いていく。

アカリは防波堤の先に着くと、海の方を見ながらピョンピョンはねている。おとうは少ししてアカリのところに着いた。「どれね?」と言ってアカリに尋ねると、「あれ!」と言って指さす。おとうの方がアカリより見やすいはずで、アカリの言っている物がすぐに分かった。ただ、まだ遠くて、その黒い物体が何なのかわからない。でも、人の頭のようにも見える。それが、少しずつ、少しずつ近づいてくる。

おとうは慌てて、確信も持てない中、携帯電話を手にして電話をかけた。

「波照間か?今どこね?・・・港ならわーもいるさ。港の岸壁の端の方。見えないか?アカリもいる。・・・ちょっと、来るね」

おとうが話している間も、その黒い物体は近づいてきて、人の頭のように見えるが、何かにつかまって浮かんでいるように見える。

おとうは黙って、その近づいてくる物体を見ていた。出港準備をしていたリュウトのおとうも船から岸壁に上がり、アカリ達に向かって来ているのが見えた。

「リュウト、リュウト」

その近づいてくる物体に向かって、たまらずアカリが叫び始めた。おとうは、最初止めようかと思ったが、必死で叫ぶアカリを見当違いだったとしても止められなかった。そのうちにリュウトのおとうが合流する。その時には、指で差し示す必要もなく、何に対してアカリが叫んでいるのかが分かる。

リュウトのおとうは、アカリのおとうと顔を見合わせるが、アカリのおとうは首をかしげて、後は何も言わなかった。アカリは大きな声こそ、疲れてしまって出なくなっていたが、「リュウト、リュウト」と言いながら、ピョンピョン跳ねている。

ゆっくりとその物体は近づいてくるが、港の入り口に近づいてきたときには、うつぶせた状態で何かに乗った子どもであることが分かった。確信したとき、リュウトのおとうは「リュウト!」と声を上げると岸壁を走って、靴だけは脱いで海に飛び込んだ。アカリとおとうも岸壁の端まで行って様子を見守る。

リュウトのおとうは海に入ると少しして浮き上がり、そのものに向かって泳ぎ始める。人のように見えていた物は、小さな子どもの頭が上にあり、何かにしがみつくように浮かんで向かってきていた。

「リュウト!・・・リュウト!」

海の中で、水をかきながら、息継ぎに合わせておとうがリュウトを呼ぶ。浮かんで流れてくる子どもは意識がないのか、うつ伏せに乗ったまま反応しなかった。

リュウトのおとうと子どもの乗った物が近づくと、「リュウト」と言って立ち泳ぎしながら近づいてくるのを待った。手が届く距離になり、おとうがリュウトに手を伸ばすと、リュウトの乗った物が急に沈みリュウトも一緒に沈みそうになるところでおとうの手が届きゆっくりとたぐり寄せられた。運んでいた物は何かの生き物のようで、その影がゆっくりと弧を描いて引き返していく。

「はてるまー」

アカリのおとうが大きな声でリュウトのおとうに向かって声を掛ける。リュウトはおとうに抱きかかえられていて背中を軽くたたかれている様子も分かった。

アカリのおとうの言葉に、リュウトのおとうは片手で丸を作って合図した。

「はてるまー、あっちにー」

アカリのおとうが指で、家が建ち並ぶ方の護岸をさすと、「アカリ、着いてこい!」と言って、岸壁の端から走って、歩いて上がれる護岸に向かった。アカリも慌てて走り出す。

「おーい、リュウト、いたぞ!見つかった!」

おとうは護岸に向かって走りながら、近くに停泊している船に向かって何度も声を掛けた。アカリがそこを過ぎるときは、リュウトの捜索に向かう準備をしていた漁船の上で、漁師仲間が不思議そうにアカリのおとうを見たりして、顔を出した。海の方を見ると、リュウトのおとうがリュウトを抱きかかえたまま泳いで岸に向かっているのが見える。

アカリとおとうとはずいぶん離れてしまい、ランドセルをガチャガチャ揺すりながらアカリはおとうの元に急いだ。おとうはもうリュウトのおとうが向かってくる方向に着いていて、護岸を乗り越えて海に向かってテトラポットを降りていた。

アカリが着いたときとリュウトのおとうが着いたのはほぼ同じくらいで、足が着いたところでリュウトを抱えたまま立ち上がった。リュウトはおとうの肩に乗せられたまま動かなく、テトラポットに近づいたところでアカリのおとうの手を借りながら護岸を越える。

リュウトは護岸脇の歩道部分に下ろされ仰向けで寝かされる。心臓が動いているのと呼吸を確認するとリュウトのおとうが「リュウト」と声を掛けながら、軽く頬をたたく。少ししてリュウトはゆっくりと目をしばたたかせながら開けた。重く沈み込んでいた空気が、一気に晴れるかのようにその場の空気が変わった。アカリも「リュウト」と声を掛けて近寄った。リュウトは寝転がったまま、顔を上げてアカリを見る。

「ボク、トモダチができたんだ」

リュウトはそう言って小さく笑うと、再び目を閉じて眠り込んでしまった。








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