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第1話:影、死に損ないの令嬢の命を拾う

二度目の邂逅は、思ったより早く訪れた。


窓から差し込む西日は、教室の床に長い、あまりにも長い影を引いていた。 俺――カゲレナは、その夕闇の濃さを楽しみながら、おセレナの足元でゆったりと牙を研いでいた。


(……ふぅ。今日も平和じゃねぇか。ドブ掃除の報酬で買った『魔毒草のタルト』。力がみなぎるな)


そんな、いつも通りの日常が、その瞬間に凍り付いた。


「編入生を紹介するぞ」


教師の言葉と共に、教室の扉が開く。 入ってきたのは、線の細い少年だった。だが、彼が一歩踏み出した瞬間、教室中の「影」の小精霊たちが、悲鳴を上げることさえ許されず、次々と霧散していった。


(……っ!? なんだ……? 俺の端から、輪郭が「溶けて」やがる……!)


不思議な存在感だった。少年が歩くたびに、周囲の光が不自然に歪み、彼という「欠落」に向かって吸い込まれていく。


影がない。 いや、違う。彼は周囲の光をすべて「喰って」いるのだ。 光がなければ、影は生まれない。


【鑑定不能(ターゲットが存在しません)】


ジークの毒を喰らい、王子の権威をなぶり、強くなった自信はあった。 ……だが、届かない。こいつは、土俵が違う。


(……「シャドウ」じゃない。あいつは、もっと根源的な……「ダークネス」そのものか!?)


俺は光に依存し、光に背を向けて生きる存在。だが、目の前のあいつは光そのものを無に帰す虚無の王。


「――初めまして。ルミナスだ。よろしく」


少年の声が響く。それは、深い淵の底から響くような音。 その時、セレナの指先から一瞬だけ白銀の火花が散った。 彼女の「光」が、目の前の「巨大な闇」を本能的に拒絶し、覚醒の産声を上げたのだ。


影のない少年と、光を宿し始めた令嬢。 俺の意識が消えかけたあの路地裏以上に、最悪で、最高にワクワクする「終わりの始まり」だった。


少年の話はまだ先の話。


――


影は、光に殺される。そんな当たり前のことを、俺は消えゆく意識の中で理解した。――これは、俺がゴミだった頃の話だ。


 通り魔に刺されたのは、学校をサボって路地裏でタバコをふかしていた罰だろうか。視界が白む中、俺の魂は肉体を離れ――気づけば、丸々と太った「豚」の足元にいた。


(……は? なんだこの景色。地面が近すぎんだろ)


 俺は、奴隷商人の男の影に転生していた。あるじの男は、おりの中で震える子供たちを汚い言葉で罵り、鞭を振るっている。反吐が出る。だが、もっと反吐が出るのは、男が欲望を燃やすたびに、影である俺の体(?)がドロドロと濁り、不快な熱を持つことだった。


(こいつが主人…?やってられるか。こんなクズの影、こっちから願い下げだ!)


『こいつ死ぬよ?』


『行く当てなんてあるのかよ』


他の影の小精霊達は好き勝手にものを言う。ここの連中は腐ってる。俺は「移動」を試みた。男が馬車から降り、別の影と重なる一瞬の隙。俺は泥のように這い出し、必死に「マシな宿主」を探した。だが、現実は残酷だ。路地裏の浮浪者、酒場の酔っ払い、当然影がついてる。


『はやくどけよ』


影に追い出されながら移動していると、正午の太陽が真上に来た。逃げ場のない光が、俺の端から「蒸発」させていく。


(クソッ……ここまでか……)


 消滅寸前、俺が転がり込んだのは、およそ路地裏には似つかわしくない豪華な屋敷の一室だった。そこには、一人の少女がいた。


「アリスさんからもらったお花、きれい」

 

彼女が置いた小鉢の影に移動する。


ふぅっと安堵の息を漏らす。


透き通るような銀髪。だが、その肌は死人のように青白く、目の下のクマもすごい。 「ごほっ、ごほっ……」  少女が激しく咳き込む。その足元の影は、今にも消えそうなほど細く、弱りきっていた。


『……あ……新しい、方?』


少女の影が、消え入るような声で俺に語りかけてきた。


『この子を……セレナを、お願い。もう、私じゃ……支えきれないの……』


 言い残すと、少女の影は自ら光の中へ身を投じた。黒い霧となって溶けていく。消えたくない一心で、俺はその空席になった「セレナ」の足元へ滑り込んだ。


(……冷てぇ。なんだこの体温。この嬢ちゃん、マジで死にかけてんじゃねーか)


 だが、驚いた。俺が入り込んだ瞬間、セレナの呼吸がわずかに整ったのだ。 「あれ……? 苦しくない」


 彼女が顔を上げる。その瞬間、扉が開いた。


「お嬢様、お薬の時間ですよ」


 入ってきたのは、愛想のいい若い美貌のメイドだ。だが、俺の【鑑定】が、彼女の持ってきたティーカップに真っ黒なアラートを出す。


【毒物:黒百合の雫】 効果:数ヶ月かけて心臓を停止させる。現在は「余命3日」の状態。鑑定は生まれた時から使える。


(……おいおい。拾った宿主が、たった3日の命だって? 冗談じゃねぇ。俺がようやく見つけた「安住の地」を、こんな小娘の毒ごときで壊されてたまるかよ)


 俺は、お嬢様の足元でドロリと形を歪ませる。メイドの影に、禍々しい「ツノ」が生えているのが見えた。影がニヤリと歪み、俺に向かって囁く。


『あーお疲れさん、新入り。そのガキ、あと数回で「あっち」に行けるぜ』


(……ほう。いい度胸だな、ツノ野郎。俺のメシ(宿主)に手ぇ出すなら、お前のその毒、俺が全部『完食』してやるよ)


俺の中で、どす黒い本能が目覚めた。死ぬのは俺じゃない。光に焼かれるのは、お前たちの方だ。


火蓋が切って落とされた。


――――


「はーい、苦くないお薬ですよお」


アリスが差し出したティーカップ。セレナがそれを口にする瞬間、俺は彼女の影を通じて、液体の中に「影の触手」を忍ばせる。


「黒百合の雫」の味。それは、ハチミツで誤魔化してはいるが、喉を焼く酸と、心臓を凍らせる氷を同時に流し込まれるような、最悪の味だ。


(――ぐ、あ……ッ!! なんだこれ、ただの毒じゃねぇ。怨念がこもってやがる。身体が……俺の影が、内側からボロボロに崩れそうだ……)


だが、俺が苦しむ分だけ、セレナの表情が和らぐ。


「……おいしい。アリスさん、今日のお茶、とっても温かいわ」


その皮肉な言葉に、メイドの影(ツノ野郎)が不気味に笑う。


『当然だろ、お嬢様。地獄への片道切符だ。しっかり味わいな……お前もだ…新入り。まあ、この家での仕事も明日でおさらばだ…ケケケ』


翌朝、セレナの生存を確認しに来たアリス。

 

「……お嬢様? 起きていらっしゃるのですか?」


本来なら今朝には心臓が止まっているはずなのに、少しだけ顔色のいいセレナを見て、アリスの笑顔が引き攣る。


「今日はとっても体調が良いの」


 (…クソ。身体が重い。だが、お嬢様の呼吸は昨日よりずっと深い…悪くない取引だ)


当時を思い出す。人の役に立つより、自分の居場所を守ることに必死だったあの頃を。


タバコの煙を燻らしながら、面倒事からは逃げてきた。だが、今は逃げ場がない。この少女の足元が、俺の唯一の「領土」だ。ここを荒らされるのは、俺のプライドが許さねえ。


(……ごちそうさん、アリス。お前の怨念、確かに『査定』してやったぜ)


その瞬間、俺の内で何かが弾けた。


【システム:黒百合の雫(猛毒)の完全分解に成功】 【経験値が閾値を超えました。レベルが 1→3 に上昇】 【固有スキル:『毒素捕食ポイズン・イーター』が覚醒しました】

【追加スキル:『影の衣(小)』を獲得。主の体温を36.5度に維持します】

【追加スキル:毒素捕食、影操ぬいぐるみ】を獲得


【種族:影の大精霊(幼体)】へ進化


(影の大精霊…?てなんだ?)


「……あ……。いつもより、体がぽかぽかするわ」


セレナが不思議そうに自分の胸元に手を当てる。俺のMPを変換して作り出した、微かな暖気。それが彼女の絶望的な冷えを、ほんの少しだけ和らげたのだ。


アリスの頬が、ピクリと引き攣る。


「……そうですか。それは……何よりです。……でも、お薬は飲み続けなければいけませんよ?」


アリスの背後で、あの『ツノ野郎(影)』が、狼狽(ろうばい)しながら俺を睨みつけてくる。


『…おい。何をした新入り!?…あいつ、昨晩で死ぬはずだったんだぞ。…お前、まさか「濾過」しやがったのか!?』


俺は影の端をニヤリと歪ませ、ツノ野郎の足元をそっと、だが鋭く「影の爪」で突いてやった。


(あーあ、残念だったな。お前が毒を濃くすればするほど、俺の『メシ』が豪華になるんだよ。…次はもっとマシなのを頼むぜ。…『お疲れさん』)


「……っ!?」


アリスが何もないところで、不自然に膝をついた。


「アリスさん? 大丈夫?」


「……ええ、少し、足元が滑っただけのようですわ…失礼いたします」


逃げるように部屋を出ていくアリス。 その背中を見送るセレナの瞳に、ほんの少しだけ、生気という名の「意思」が戻っていた。

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