エピローグ 皐月中旬 日曜日 早朝 『風立ちぬ』
早朝のプラットホームは日曜日だということもあって、乗客もおらず閑散としていた。時折、雀がホームに降り立ち、コンクリートの地面をつついては鳴き声を上げている。
そんな朝の静寂を打ち破って、大きな話し声が辺りに響き渡り、驚いた雀が慌てて飛び去っていった。
「くそっ、買いすぎた。持っていくのが邪魔くさくてイカン。おい、陸、半分持ってくれ」
「何言ってんだよ。俺だって両手に荷物抱えてるんだ。朱鷺野さんに持ってもらえば」
大騒ぎしながら陸と大信が、ホームへ続く階段を上ってくる。
二人の両手には大きな白いビニール袋が掛かっており、中にはコンビニで買ってきた弁当やおにぎり、パンにサンドウィッチと食べ物が一杯詰まっていた。これらは全て彼らの朝食である。予定が詰まっている為、早々に次の現場へ赴かねばならず、ゆっくり朝御飯を食べる暇もない。したがって電車の中で食事を取るのである。
「自分で食べる分は自分で持って行け。それが常識だ」
先程の会話を聞いていたのか、朱鷺野は素っ気なく通り過ぎて先にホームへ上がる。千里も無言でその後に続く。無論、彼らの両手にもビニール袋はあった。
「うわ、機嫌悪そう」
陸が感想を漏らすが、それも無理はない。なぜなら四人分の朝食代を出した結果、朱鷺野の財布の中身はスッカラカンになってしまったからだ。現時点での朱鷺野の命題は、どこでお金を引き下ろすかだった。
電車が来るまで、まだ少し時間に余裕があった。一同がホームの椅子に腰掛けると人影がこちらへ近づいて来た。
「君は……」
ちか子だった。
昨晩は眠れなかったらしく何処か疲れた表情だったが、身だしなみはキチンと揃えており、清楚な雰囲気を保っていた。昨日とは違う、アイボリーのブラウスに青色の巻きスカートという出で立ちである。
「昨日お礼を言うのを忘れていたから、どうしても言いたくて。皆さん、どうもありがとうございました」
ちか子は深く頭を下げた。
「いえ、どういたしまして。俺達は当然のことをやったまでですよ。綺麗なお嬢さん」
張り切ってちか子へ近づく大信に、これ以上馬鹿な発言をさせない為、千里が咄嗟に学生服の襟元を掴んで引っ張っていき、朱鷺野へ身柄を引き渡した。
「お前もこいつの扱い方が板に付いてきたじゃないか」
「まあ、長いつき合いですから」
「こらぁ、俺は猫じゃねぇんだぞ。首持って引っ張るな~」
三人が一所へ固まってしまったので、陸とちか子の二人が残された形になってしまった。
「あの、何て言ったらいいのか分からないけど、元気出してね」
少々困惑しながらも陸は声をかける。ちか子の祖母と従姉妹は、化け猫となどという一般人から見れば不条理な存在によって殺されてしまった。
事件終了後、ちか子は両親に今回の顛末を話して聞かせたが、当然の事ながら信じてはもらえなかった。しかし、朱鷺野やウォレス、それにこの町の町長が自宅にやってきて事情を話し、証拠として化け猫の亡骸を見せた。更に茶の間の床下から祖母のものと思われる骨が発見され、ようやく事態を飲み込んでただ愕然としていた。
行方不明になった洋子や食い殺された女性達の事件自体は解決されたものの、表向きはそのまま時効を迎えるまで放置されたままになるだろう。余計な混乱を招くと予想される以上、化物の存在は決して表に出してはならないのだ。
「うん、ありがとう。藤堂君には最後まで助けてもらってばかりいるね」
自分を案じてくれた少年の優しさが心に浸みて、自然と涙が溢れてしまう。
片や、これまで女の子に目の前で泣かれてしまうという経験などなかった陸は、慌てふためいて戸惑うばかりだったが、意を決してちか子の両肩に手を置くと、元気な声で励ました。
「今は辛いかもしれないけど、必ず良いことがやってくるから、それまでは前を向いて歩いていこう。悲劇のヒロイン役に自分を仕立てちゃ絶対駄目だよ。そしたら自分は不幸だって思いに捕らわれて、前に進めなくなっちゃうから。俺も昔そうだったんだ。でも今は違う。無理でも笑いながら前へ進んできた。そりゃ、時には泣いたこともあったけどさ」
一昨日、バスルームで涙を流したことを思い出して、少し頬を赤くする。
「泣いて泣いて泣くのがすんだなら、後は笑っていこうよ。本当の笑顔じゃなくてもいい。笑い続ければ必ず本当の笑顔になるよ。うん、俺が保証する」
媚びへつらう自分の笑顔が何より嫌いな少年。それでも笑い続けたのは、嘘でも笑っていればいつか心の底から笑顔が作れると信じていたからだ。
「……藤堂君」
涙を流しながらも笑みを浮かべると、ちか子は肩に置かれた陸の手を取って自分の頬に当てる。
柔らかい感触が手の平から伝わってきて、陸の頭から蒸気が出てしまう。顔も耳も見る見る真っ赤になる。
「あ、そうだ。昨日借りたお金、返すね」
照れ隠しをするように、陸はポケットの中から五百円玉を取り出すとちか子に渡した。
「これで約束通り。やっぱ、けじめは着けないとね」
「別に返して貰わなくても良かったのに」
ちか子の声には不安と寂さが混じっていた。お金を返されたことで、陸との繋がりが断たれた気がしたからだ。
「あのさぁ、お取り込みの途中わりぃんだけど、もうそろそろ電車が来るぜ」
面白くなさそうな顔で、大信が二人の間へ割り込んできた。おそらく頭の中では、後からどうやって陸をからかってやろうかと色々思案しているに違いない。
ホームに設置してある時計の針は、電車の到着が間近である時間を指していた。スピーカーからアナウンスが告げられ、遠くから電車が線路の上を走ってくる音が聞こえる。
「さて、お前ら行くぞ。忘れ物はないな」
電車が到着し中へ乗り込むと、一同はホーム側のボックス席を陣取る。そして、皆を見送るために窓の側へ寄ってきたちか子に、それぞれ別れの挨拶をする。
「それではお元気で」
「んじゃな」
「後は調査員に任せてますから、何かあったら彼に相談して下さい。それと全てが終わったら……」
朱鷺野は言いかけて途中で止め、そして後の言葉を言うように隣へ目配せをした。
陸は承知して頷くと、寂しそうな顔を少女に向けて告げる。
「全てが終わったら、どうか俺達のことは全部忘れて下さい」
「何で、どうして……」
折角、出会えた縁を断ち切るような少年の言葉に、ちか子は悲痛な声を上げた。
陸もそんな彼女の姿を見るのが辛いのか、沈痛な面持ちをするが、それでも話を続けていく。
「俺達は所詮人の皮を被った『虎』。又佐や小源太と同じ、表向きは存在してはならない化け物。だから光の中では生きられない。和田さんみたいに表で生きていく普通の人間が、いつまでも俺達みたいなのに関わっていたら闇に飲まれて元の生活に戻れなくなっちゃう。だから俺達の事は早く忘れて」
親しくなった相手を忘れろというのも酷な話だが、それは普通の人間が化け物の魔力に魅入られて身を滅ぼさないようにする、彼らなりの優しさなのかもしれない。
定刻通りに発車のベルが鳴り、電車がゆっくりと動き出す。
ちか子も走る電車に合わせて駆け出すと大声で叫んだ。
「陸くんがそう言うなら私、あなた達の事忘れるように努力するよ。でもね、あなたの言った言葉は絶対忘れない。ずっと笑顔で歩いていくからね」
電車を追ってホームの端まで走って見送った。そして電車の影が小さくなって視界から消えていくまで、ずっと目を凝らし見つめている。
ちか子は思う。
昨日一日だけの関わりとは言え、彼らを忘れる事はなかなか出来ないであろう。しかし忘れなければいけない、それが約束なのだから。
「でも、この硬貨にあなたの暖かさが残っている内は、憶えていてもいいよね。陸君」
陸から手渡された五百円玉をギュッと握りしめると、ホームへ吹く五月の清風がちか子の黒髪を優しくなびかせていった。
早速、にやけ顔の大信が攻撃を開始する。
「陸くん、ねえ」
「うっさいなあ、別にいいじゃん」
からかい口調の大信に突っかかっていこうとした陸の腕を、千里が突然引っ張った。
「陸、外を見ろ」
急に言われて窓から外を眺めると、遠くに見知った人間がこちらを向いて立っていた。線路脇のフェンスから見えるその顔は、
「父さん!」
陸の父、ウォレス・マックイーンだった。
父の姿を発見し思わず窓を開け顔を出した陸に向けて、ウォレスは大声で何かを叫んだ。電車の駆動音にかき消されて声は聞こえなかったが、開いた口の形で何と言っているのか分かった。
『が・ん・ば・れ』
頑張れ。父からの激励の言葉だ。
感動に胸が熱くなり瞳を涙で滲ませながら、陸は流れる景色と共に去っていくウォレスの姿を目に焼き付けていた。
「あれぇ、陸くん。いつの間にお父さんと仲良くなったのかなぁ」
席に戻った途端、またもや大信にからかわれて、陸は顔を真っ赤にし反論する。
「仲良くなんてしてねぇよ。大体、俺はまだ許してないっての」
そんな彼の態度を見て、朱鷺野はやれやれと首をすくめる。
(この調子だと陸とウォレスさんと本当に和解する日はまだまだ遠そうだ。最低、十代を過ぎるまでは続くだろうな)
そして彼が成人したとき、どのような答えを出すのであろう。父と和解するのか、そのまま反目し続けるのか。おそらく、これからの経験が大きく作用するのは間違いない。
「それより、腹減っちゃってさあ。飯にしようぜ、飯に」
喜び勇んでビニール袋から弁当を取り出す大信。
その背中に何が隠してあるのを見つけた千里は気になって尋ねてみた。
「大信、背中に何を挟んでいるんだ」
尋ねられて一瞬体を硬直させたが、別に何もと答えて大信はスルーする。
だが、従兄弟の不自然な態度を見逃すほど、朱鷺野は甘くなかった。
「何を隠している、見せろ」
上着の下へ手をやると、問答無用で隠している物を引っぱり出した。出てきた物は、お姉さんの写真が沢山載っている本だった。
「うわ、何時こんなモン買ったんだよ」
「もしかして……」
思春期の男の子が、心ときめかすエッチな本である。
「没収」
「ああん、俺の本~」
「元はと言えば俺が出した金だろう。それをこんなモン買いやがって。この馬鹿、エロガキ。金返せ」
間抜けな騒動に呆れて二の句も継げない陸は苦笑いを浮かべると、これ以上付き合ってられないといった顔をして窓の外を眺めた。。
ガラス越しに見える空は青く美しくどこまでも遠い。
死んだ又佐の魂魄は天に昇り愛しい人の下へ行けたのだろうか。
それとも罪のない人々を殺した罰を受けて地獄へ落ちたのだろうか。
それは青空に浮かぶ半透明の月だけが知っている。
陸にはそんな気がしてならなかった。
(了)
これにて完結となります。
年数が経った作品なので、投稿するにあったって、文章を色々チェックしましたが、余りにも拙い文章表現や話の内容に、散々身もだえしてしまいました。
こんな不格好な話を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
感想、批評等ありましたら、受け付けしておりますので、是非お送って下さい。
では、機会がありましたら、次の物語でお会いいたしましょう。




