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皐月中旬 土曜日 夜 『我は虎 満月に詠うもの』

 満身創痍。今の陸には、その言葉がぴったりだった。

 繰り出す剣技も放つ符術も小源太には殆ど通じず、代わりに鋭い爪や牙を受けて体中傷だらけである。辛うじて虎人の治癒能力を越える傷を負わなかったのは幸いだったが、鋭い痛みが、体を絶え間なく蝕んでいる。体力の消耗も著しく、息は上がり、気力も失せ始めていた。先程まで刀身に帯びていた紫色の炎も、今は消えている。

「ケッ、しぶといガキだな。いい加減、くたばりな」

 小源太は勢いをつけて突進すると、陸に体当たりをブチ咬ました。

 何とか両足で踏ん張り衝撃を耐えようとするも、体力のない今の陸には化け猫の巨体を受け止められず、そのままはね飛ばされて、激しい破壊音と共に背中からお堂の扉へ打ち付けられてしまう。もはや立ち上がる気配もなく、陸は壊れた扉にもたれかかったまま項垂れていた。蜂蜜色の頭髪が、埃に汚れて煤けている。

「藤堂君!」

 ちか子の悲痛な叫びも陸の耳には届いていない。

「残念だな、お前を守る白馬に乗った王子様は、もう動けねえよ。さあ、今度はお前の番だ。美味しく頂いてやるぜ」

 一歩、二歩、恐怖で身動きが出来ないちか子の下へ近づいていく小源太。

 しかし、参道から駆けてくる小さな影が、一人と一匹の間へ割り込んできた。

「又佐、やっぱり裏切りやがったか。くそっ、八太の奴しくじりやがって」

「裏切るモ何も、我は貴様ノ軍門に下った憶えはなイ」

 小源太の行く手を遮り、ちか子の前に立っていたのは又佐だった。

 その体の模様に見覚えのあったちか子は、自分を守るように身構えている後ろ姿へ声をかけた。

「あなたは、もしかして昨日拾ってきた猫?」

 冷静に考えれば、猫が人間の言葉を喋る現象は普通では絶対にあり得ないことであり、もっと驚き慌てふためいていいはずなのだが、超常のものを立て続けに目撃した今のちか子には、ごく当たり前のことのようにしか感じられなかった。

「そうダ。理由あっテ貴方をお守りいたス」

 そう言って、又佐は丹田に力を込めると、体を膨張させて小源太と変わらぬ大きさにまで巨大化した。

「聞こえるカ、小僧。もう少ししたら貴様の仲間ガ助けに来ル。それまで何とか小源太の輩ヲ食い止めヨ。我だけでは到底持たヌ。早く立ち上がレ」

 助けが来る。陸は又佐からの呼びかけを意識の遠いところで聞いていた。

(そうか俺が飛ばした『飛燕符』にみんなは気づいてくれたんだ。だったら、それまで踏ん張らなきゃ)

 陸の瞳に光が宿る。

 手を伸ばし、扉がなくなったお堂の入り口の縁を掴んで体を持ち上げると、刀を杖代わりにして姿勢を正した。そして埃を払う間もなく小源太に向かって駆け出す。

「まだ懲りずに来るか。あのまま眠っておれば楽だったものを」

 小源太も身を翻すと、地を蹴って低い軌道で跳躍し、己が持つ鋭い牙で陸を迎撃する。

 お互い正面からぶつかり、小源太の牙が陸の身体を捉えると思われた瞬間、少年の体が一瞬ぶれた。

「なに!」

 残像により、攻撃のタイミングを完全に狂わされた小源太は、動きを鈍らせてしまった。

 その隙を逃さず、陸はすれ違いざま黒い巨体を薙ぎ払う。続けて又佐が背後から飛びかかり、喉元に食いついて小源太を仰向けに転がすと、相手の息の根を止めにかかる。

 斬られた背中から鮮血が飛び散り、巨大な黒猫は痛みと怒りで、気の狂ったような激しい咆哮を上げた。

「うがぁぁぁぁ、お前ら、お前らぁぁあぁぁ~!」

 空いている後ろ足で、のし掛かっている又佐を力任せに蹴り上げて吹き飛ばすと、すぐに立ち上がって、体勢を正そうとしていた又佐の顔面へ右前足を叩きつける。

 昨日の戦闘で受けた怪我により、端から体力のなかった又佐はその場に崩れてしまう。

「……決めた。お前ら全員食い殺す!」

 憎悪と狂気に満ちた目で小源太は宣言した。

「こ、小僧。まだいけるカ」

「……何とか」

 肩で息をしながら陸は又佐に答える。そして、今更ながらに気づいた。

「何であんたが俺の味方してるんだよ。大体、あんたは俺達の獲物なんだろ」

「今、我はお前達の依頼主となっておル。詳しいことは後から貴様の仲間に聞ケ。それより、あと少しだけ持たせヨ。残念だが我は立ち上がれヌ」

 顔だけを何とか持ち上げて陸を見つめる又佐。

「分かった……」

 その瞳に真意を感じた少年は、蜂蜜色の髪を振りかざし小源太に立ち向かう。しかし、気概で何とかなるほど相手は甘くなかった。

「小僧、まずはお前からだぁぁぁぁ」

 左前足を大きく振り下ろすと、陸の手から得物を弾き飛ばしてしまう。弾かれた刀はキンと堅い音を立てて放たれると、高く放物線を描いて地面へ突き刺さった。

「しまった!」

 そう叫んだ時には、既に遅かった。

 弾き飛ばされた衝撃で右腕が開き、肩口が無防備となる。そこへ間髪入れず小源太の大きな顎が食らいついた。骨が砕ける音がして右肩が熱くなる。

 その時、遠くから自分の名を呼ぶ声が陸には聞こえたが、誰が来たのか確認することができなかった。目が霞んで意識が遠くなりかける。


 ようやく大信と千里が目的の場所へたどり着いた時、二人の眼前では、信じられない惨劇が繰り広げられていた。

「陸!」

 化け猫の牙が陸の右肩に食い込み、大量の血が流れ出てる。食いつかれた親友の表情は虚ろで、精気のない目で天を仰いでるだけである。最悪だった。

「てめぇ、陸を放しやがれぇぇぇぇ」

 怒りに駆られて、大信は刀を構え突っ込んで行くが、対する小源太は、焦る様子もなく冷静に後ろ蹴りのカウンターを邪魔者の腹に喰らわせる。

 冷静さを欠いた大信は咄嗟に対応できず、まともに蹴りを受けて、数メートル後方へ跳ばされてしまった。

「千里、てめえも早く陸を助けろ」

 土まみれになった体を起こして大信が叫ぶが、

「いや、このままでは化け猫から解放させても、陸は助からない」

 努めて冷静に千里は返し、そして現状を分析し始めた。

(傷の深さ、出血の量、どれを取っても致命的だ。おそらく肩の骨は砕けているだろう。人間よりも遙かに頑強な虎人とは言え、このままでは最悪な結末を迎えてしまう……)

 端から見れば、瀕死の状況にある友人を助け出そうとしない冷血漢に取られてしまう千里の言動だが、彼も必死だった。動揺と激情に支配されそうになりながらも、心を落ち着かせ、頭をフル回転させる。

(どうすればいい、どうすれば……)

 最善の方法を模索していた千里は、去り際に言われた朱鷺野の言葉を思い出し、空を見上げた。

(今日は満月。だが、果たして上手くいくか)

 それでも賭けてみるしかない。千里はありったけの大声で陸に伝えた。

「陸、聞こえるか。『詩』を詠え。今日は満月だ、だから野生が暴走することもない。『虎』になるんだ」

 『詩』を詠って『虎』になる。

 それが思いつく最善の選択だった。陸の中に潜む『虎』の力に賭けてみるのだ。


 朦朧とした意識の中、様々な声が陸の耳へ届いてくる。

『駄目ダ、あのままでは助からヌ』

『不吉なこと言うんじゃねぇ。三味線にすんぞ』

(みんなの声が聞こえる。ああ、俺もうすぐ死ぬんだ)

『早く『詩』を詠うんだ』

(『詩』を詠う? だってあの子がいるじゃないか。昼間みたいになったら危ないよ)

『うめぇ~。このガキの肉は最高に美味い。力が漲ってくる』

(このまま化け猫に食われるのか、何も出来ないままで。……嫌だ、何も出来ないままなんて嫌だ)

『藤堂君、藤堂君! 藤堂君まで食べられちゃうなんて嫌だよぉ』

(あの子を守ってあげなきゃ。優しいあの子の涙を止めてあげなきゃ)


 虚ろ気な陸の目に濃紺の空が映った。日が沈んだ黄昏の空に白い満月が浮かんでいる。

 満月の光は、心の奥底に眠る野生を静かに導いてくれると聞いていた。

 理性の名の下、『虎』をこの身に呼び覚ます『詩』を陸は詠い始める。

 

「我は天に仰ぎ月を探す者

 我は地に伏し爪痕を残す者

 黄昏に起きあがり血を求め

 暁に涙し贖罪を求める

 その名を唱えよ 我は虎なり 我は虎なり 我は虎なり!」


 『虎』の本性により過去数多の悲劇を繰り返してきた彼らの先祖は、滅多に獣化しないよう強力な暗示を掛け、『虎』の本性を理性で押さえつけていたのだ。そして安全な満月の夜のみ暗示を解く鍵である『詩』を詠って『虎』になるのを許されている。

 

 小源太は陸の呟きをさほど気にしてはいなかった。観念して念仏でも唱えている程度にしか思ってなかった。だが、声が止まると同時にある変化が起き始めているに気づく。

 古より伝わる『詩』が陸に掛けられた暗示を解き、その身を変化させていることに。

 

 肩が大きく盛り上がり首が太くなる。それだけではない。腕も体も太くなり、毛が覆い始める。牙を剥きだし、手の爪は長く鋭くなり、双眸は琥珀色の光を輝かせていた。

 大きな両手が肩に噛みついている小源太の顎に触れると、口の中に爪を掛けて、もの凄い力でこじ開け難なく引き剥がす。そして、顎を掴んだまま、地面に小源太の頭を叩きつけた。 

 ゴッ、と鈍い音がして化け猫の頭部が大地にめり込む。

「がふぅぅぅ!」

 血と涎をまき散らしながら小源太がのたうち回る。

 見上げると、そこには白い毛皮を纏った虎の姿があった。形は人間だが縞模様の毛皮が体中を覆い、顔はまさしく虎のそれである。月の光を受けて、白い毛が銀色に縁取って輝きを放っていた。

「きれい……」

 ちか子は正直な感想を漏らす。

 月に照らし出された陸の姿は神々しくあり、畏怖も恐怖も全く感じさせない。白い毛皮はシベリアのホワイトタイガーを連想させたが、野獣の獰猛さは微塵もない。

「がぁあああ」

 陸は大きく咆吼すると、未だ地面に這いつくばったままの小源太の体を、渾身の力で蹴り上げ大きく宙に浮かべる。そのまま浮いた顎の下に右の拳をめり込ませた。

 小源太の口から牙が飛び散る。蹴られた右胸の部分が、外から見ても肋骨が折れているのが分かるくらい窪んでいた。

 ここに来て強者と弱者の関係は完全に入れ替わっていた。今や陸がこの戦場の支配者である。

 裂かれた服から、白い毛に覆われた肩が顔を出しており、壊れたはずの右肩は『虎』の驚異的な治癒能力で完治していた。

 千里はこの能力に賭けたのだ。

「何とか死地から脱したな。大信、陸をフォローするぞ」

「言われなくても分かってらぁ。てめぇこそ出遅れんじゃねえぞ」

 陸が小源太への攻撃を再び開始すると、大信と千里も駆け出してそれに同調する。

 化け猫の頭を両手で挟み黒い巨体を大きく振り回し、何度か回転させて手を離した。

 投げ飛ばされた小源太は、背中から勢い良く雑木林の幹にぶつかって呻き声を漏らす。

「こ、この野郎……」

 すぐに立ち上がるも目が回って足下がおぼつかない。

 そこへ間髪入れず陸が近寄って、先程のお返しとばかりに首根っこへ鋭い牙を突き立てた。これには流石の化け猫小源太もたまらなかった。

「がぶげふごふ、いてぇ~、やめろ放せ~」

 血の泡を吹きだして叫き散らす黒猫の希望通り、陸はすぐに放してやった。

 ただし噛みついたままで。

 毛皮が引き千切れ、肉が破り裂かれて、鮮血がほとばしる。小源太が地面に伏し苦しみ悶える姿を見て、『虎』は血に染まった口の端をニヤリとつり上げた。

「陸、遊ぶな。時間もないからとっとと終わらせよう」

 千里が肩を叩いて陸の得物『若紫』を手渡す。

 彼は知っていた。いくら姿形が美しく、神々しい雰囲気に野獣の獰猛さを感じられずとも、『虎』の本性が残虐で強欲であるのを。だから、親友が破壊の衝動に魅入られる前に、事を終わらせるつもりでいた。

 千里の言葉に頷いて、刀を逆手に持った陸は、一歩一歩小源太へ近づいていく。

 対して、今の小源太に先程までの尊大さはなく、こちらへ歩いてくる白虎に死の気配を感じ、恐怖と絶望に捕らわれていた。

「ひぎゃあ、寄るな寄るな寄るな」

 逃げ道を捜そうにも、千里と大信が既に周りを囲んでおり、逃亡の余地はない。残る選択肢は二つ、このまま倒されるか、一縷の望みに賭けて戦いを挑むか。

「儂は小源太だぞ。化け猫小源太だぞ。こんなガキ共にやられてたまるかっ」

 自らの意地と誇り、そして何より生き抜く為の活路を見いだそうと、腹を括って目の前に立ちふさがる『虎』へ襲いかかる。

 しかし、相手はそれを許してはくれなかった。

「かはっ」

 嘲笑にも似た唸り声を上げると、陸は刀を持っている腕を振り上げて、眼前まで迫ってきた小源太の眉間へ刃を突き刺した。加えて右からは千里が、左からは大信が、それぞれ己の愛刀を巨大な黒猫の横っ腹へ突き立てる。三本の刀が同時に小源太の体を貫いた。

 力任せにねじ込まれた刀に頭骨を破壊され、小源太は襲いかかる体勢のまま絶命した。断末魔の声すら上げる間もなく。

 

 獣化を解いて元の姿に戻ると、陸は安堵の溜息をついて、その場に座り込んだ。 

「やっと終わった~」

 そこに大信が寄ってきて、頭を思いっきり拳骨で殴る。

「痛ったいなぁ、何すんだよ」

 思いもよらぬ攻撃に不満をたれる陸。

「うっせえ、この馬鹿が。あんなの相手に無事で済んだのは奇跡だぞ。ったく、こういうときは無理せず退けってんだ。大馬鹿野郎!」

 喋る度に声を荒げていき、最後には涙混じりになって大信は陸の体を抱きしめる。

「今日が満月じゃなかったら死んでたんだぞ……」

「……ごめん」

 退けぬ理由があったにせよ、普段は滅多に見せない大信の涙に、陸は素直に謝った。

「しかし、昨日役場前で見かけた婆さんが化け猫だったなんてよぉ。鼻さえ詰まってなけりゃ、正体に気づいたかもしれねえのに。くそっ!」

 自らの不甲斐なさをしきりに悔しがる大信。

 もし、あの時、町長のコロンに鼻をやられていなければ、臭いで小源太の存在をいち早く感知できたかもしれない。そんな悔しい思いで一杯だった。

 少し離れたところから、千里は二人のやり取りを優しい瞳で見守っていた。しかし、表情を厳しいものへ変えると、又佐がいる方向へ顔を向けた。

「さて、あなたの依頼はこれで完了した。後はこちらへ報酬を払うだけだが……」

「報酬って」

 どういう経緯で獲物であるはずの又佐が自分達の依頼主となったのか、それを聞かされていない陸にとって、依頼の報酬が何であるのか気になるところだった。

「この猫が頼んだんだよ。自分の命と引き替えにあの化け猫を倒して、後ろにいるお嬢さんを助けて欲しいと」

 千里の指先には、あの化け猫、小源太の死体があった。

 動かなくなった黒猫の体は徐々に干涸らびて、乾燥した組織が粉となって風に舞っている。死によって力を失った化け物の身体は、このまま塵となって消え去るのみである。

 突然、自分のことを言われて、驚いた様子でちか子は又佐に問いかけた。

「本当なの」

「ああ、本当ダ」

「んじゃ、悪ぃけど支払って貰いましょうかね」

 刀の峰を肩に担いで、大信は又佐の前に出る。だが、ちか子が遮るように又佐の前へ飛び出すと、両手を広げて立ちふさがった。

「お願い。この子を殺さないで。この子は体を張って私を助けてくれたんだよ。それを殺すだなんて酷すぎる」

「あのさ、こいつには俺も助けられたんだ。殺すなんてしないで、再度封印って形にもっていけないかな」

 陸も申し訳なさそうに頭を掻いて又佐の弁明に乗り出す。

 途端に大信の目が鋭くなり、憤怒の表情で地面を蹴って大きな音を立てる。激しい音と動作に、陸の体がビクンと震えた。

「ばっきゃろい、何考えてやがんだ。俺達の元の依頼はこの猫を退治する事だぞ。それを情が移りやがって。大体、こいつは既に三人食い殺してんだ。忘れんじゃねえぞ!」

「それに契約が成立した以上、代価は払って貰わなければ困る。俺達の行動はあくまで契約の上で行われているんだから。ボランティアで動いているわけじゃない」

 千里の言葉は『学校』で何度も聞いた。理解もしている。しかし、今の陸にはどうしても納得できなかった。

 ちか子が縋りつくように懇願する。

「この子は私を守ってくれたんです。確かに化け猫だけど、いい化け猫なんです。だから」

 だが、途中で言葉を止めてしまった。いきなり、背後にいた又佐が声を上げて笑い始めたからだ。

「……イイ、いい化け猫とハ片腹痛くて、つい笑ってしまったワ」

 陸達三人が刀を構えて臨戦態勢を整えようとしたが、一歩遅かった。

 又佐は左前足でちか子を抱え込むと、人質に取った格好で他の三人を恫喝する。

「貴様ら一歩でも動くなヨ。さもなくばこの娘の命はないと思エ。しかし、人間とは本当に愚かな生き物だナ。こちらが優しい態度で接すれバ、すぐに情が湧いて甘くなル。ほんに滑稽ヨ」

「てめぇ、最初からこのつもりだったな。汚ねぇぞ、クソ猫」

「何とでも言うがよイ。我が真に愛したあの人を除けば、人間など所詮は家畜同然。利用する以外に何もなイ。それを勝手に都合良く解釈してくれテ、『いい化け猫』とは。これが笑わずにいられようカ」

 人質を取られているのでは、迂闊に手出しは出来ない。三人がやろうと思えば、すぐにでも又佐を倒すことは出来る。だが、こちらが動いた途端、ちか子の喉笛へ食らいつき彼女を道連れにするだろう。

「さて、我はここから退散させてもらおうとしよウ」

 誰もがこのまま見逃すしかないと思った。その時、

「がふぅぅぅ!」

 又佐が奇妙な悲鳴を上げて後ろへ倒れた。

 その機を逃さず千里が駆けだして、無事ちか子を保護する。

 一般人のちか子には分からなかったが、他の三人はしかと見た。唸りを上げて鎖が飛来し、先に付いた分銅が又佐の顔面に撃ち当たったのを。

「全く、猫もお前らも手間かけさせやがって」

 いつの間に現れたのか、朱鷺野が陸の背後でぶつぶつ文句を言って鎖を振り回していた。化けガラスの八太との一戦を終え、つい今し方やってきたのだ。

「やい、陸。あいつに止めを刺せ」

「え、俺がですか。だって……でき」

「出来ないとは言わせない」

 前置きもなく発された朱鷺野の言葉には、有無を言わせない迫力があった。

 しかし陸は倒れている又佐を見つめたまま戸惑っている。共闘して親近感が湧いたのか、先程、ちか子を盾にして逃げようとした相手でも、何故か剣を振るう気にはなれなかった。

 見かねた大信が代わりに止めを刺そうと前に出るが、千里に肩を掴まれて止められた。

「これは、あいつがやらなければいけないんだ。昨日の失態に責任を取ってもらうのもあるが、それ以上に今より強くなる為にも、情をかなぐり捨てて戦場に立つ覚悟を示さなければならない。ここは陸に任せるしかないんだ」

 そうしている内にも、倒れていた又佐が血塗れの頭を上げ動き出した。足下をふらつかせながらも、出口へ繋がる参道目がけて走りだそうとしてる。

 そして、参道の方向には陸がいた。昨晩、又佐が囲みを突破した時と同じシチュエーションだ。

「陸、行け! 昨日の二の轍を踏みたいのか」

 朱鷺野が叫ぶ。

 顔面に致命傷を受け、瀕死の状態である又佐が、逃げ切れるはずがないのは分かっている。放っておいてもやがて息絶えてしまうだろう。それでも、昨日相手をみすみす逃してしまった陸には、もう見逃すことはできない。止めを刺すしか選択肢はなかった。

「くそぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 刀を振り上げ、又佐へ向かって走り出す。

 斬り下ろす瞬間、又佐と眼が合った。その金色に輝く眼は死の覚悟を決めた眼だった。

 袈裟斬りが決まり、化け猫の太い首に『若紫』の刃が滑り込む。

 紅の鮮血が飛んで、どうと倒れた。

「これでイイ、虎の子ヨ。これでイイのダ」

「あんた、俺に止めを刺させる為に、わざと演技を」

「勘違いされてハ困ル。言っただろウ、あの人以外の人間は利用する以外ないト。だから実践したまデヨ。だが、あの人のいない世界は何と空しいものよノウ。我はもう生きるのに飽きタ」

 又佐は頭を横に向け、涙を流し口元を押さえているちか子へ目をやった。

「あの人に似た美しい娘ヨ。最後に貴方と会えて本当に良かっタ。貴方に助けられて、復讐で冷えきった我の心が氷解したのダ。礼をイウ」

「何で、何で簡単に死を選ぶの。罪を犯しても生きて償えばいいじゃない」

「それは生者の欺瞞というものダ。罪人の償いなどで殺された者の魂は浮かばれヌ。死によってのみ贖罪は成されるノダ」

 口から血が溢れ、一旦言葉が途切れる。死を間近に感じ、又佐は天を仰いだ。

 夜の帳が下りた漆黒の空を、満月の光が藍色に照らし出していた。風が静かに木々を揺らしている。

「ああ、何と美しい月ダ。あの人と見た光景を思いだス。お悠殿、我は今参りまス」

 前足を天に上げ、月を掴むが如く手を開くと、もう一度口から血を吐き出し、又佐は命の灯火を消した。力をなくした前足が、ガクンと地面に落ちる。

 少女が声を上げて泣いた。まるで又佐を送る鎮魂歌のように。

「ちっ、勝手に生きて、勝手に死にやがって。本当に身勝手な奴だ」

 それは誰の呟きであったのだろうか。


 斯くして、それぞれの胸中にやり切れぬ想いを残し、化け猫退治は予定より一日オーバーして任務完了となった。


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