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皐月中旬 土曜日 宵口 『立ち向かうこと 抗うこと 信じ抜くこと』

 朱鷺野達三人が又佐と顔を合わせていた頃から、時間は幾分遡る。

 単独行動で行っていた陸の化け猫探索は、全く成果を上げていなかった。

 太陽は西に傾き焦燥感を募らせるばかりだったが、焦る気持ちとは裏腹に、時は刻一刻と過ぎていく。

「どうしよう。みんなと合流しようかな」

 打つ手無しの状況。でも、三人よれば何とかなるだろうと思ったが、すぐに思い直した。

「駄目だ。自分の失敗は自分で償う。ここで諦めちゃ男が廃る」

 それに大信から何と言われるか。辛口風味の大信のことだ、ここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせてくるだろう。

 それと陸は気になっていた。昔話に出ていたもう一匹の化け猫、小源太の存在を。もし又佐と同じくこの町に出ていたら、それこそ一大事である。

「せめて封じられた場所が分かれば、ちょっと確かめに行くんだけどなぁ」

 もう一度よく昔話を思い出してみる。決闘の場所となったお堂、封じた化け猫を祀った祠、単語は出てくるものの、それが何処にあって、どんな形をしていたのか本に説明はなかった。

「お堂に祠、お堂に祠……。あれ?」

 呪文の如く単語を繰り返していると、陸の脳裏にピンと閃いた。午前中に立ち寄った事件現場近くの古びたお堂。その隣に放置されていた残骸は、祠の形を取っていたはずだ。

(もしかしたらあそこかも)

 確かめに行きたい衝動に駆られたが、まだ任務の途中である。しかし、思い悩んでこのまま探索を続けるより、ちょっとだけ時間を割いて疑問を解決した方が後顧の憂いもなくなるし、その後の探索にも集中できる。

 そう都合良く解釈して、一路お堂のある方角へ針路を取った。

 茜色の空が大地を大きく包み込んでいる。その中を陸は駆け抜けていった。

 

 目的地は周囲を雑木林で囲まれており、木々の隙間からオレンジ色の西日が射し込んでいた。木漏れ日に照らされたお堂は、赤銅色に映し出されある種の神々しさを醸し出している。

 境内の広場に入った陸が天を仰ぐと、夜の帳へ向かう紺碧の空が目に入る。敷地内は相変わらず閑散としていて、人どころか猫の子一匹いなかった。時折、木々の隙間から夕暮れ時の風が吹き抜けて、枝葉を揺らす。

 陸は、迷わずお堂横の残骸目指して突き進んだ。そこには午前中に見た時と何ら変わりなく、木片の残骸が散らばっている。一つ一つ注意深く手に取って観察するが、やはり壊された祠の断片にしか見えない。化け猫達が封印された場所の可能性が高かった。

「壊れたか壊されたか分からないけど、祠がなくなって封印する力が弱くなったんだ。そして、結界を破って土の中から這い出てきた」

 残骸横の地面には土を掘った跡が残っており、おそらく化け猫は、そこから地上へ出てきたのだろう。今度は祠の残骸を慎重に退かす。すると下から先程と同じような地面の窪みが発見された。風雨に晒され幾分浅くなっているが、間違いなく穴が掘られた跡であった。

「……最悪だ」

 結局、化け猫は二匹とも野に放たれていたのだ。

 最も外れて欲しかった予想が見事に当たってしまい、陸は完全に困惑していた。

(どうする、朱鷺野さんに、この事態を報告するか)

 今自分に出来ることは何か、頭を抱え散々思い悩んでいると、遠くから足音と話し声が聞こえてきた。声の大きさから、どうやらこちらに向かって歩いて来るみたいだ。

 慌てて陸はお堂の裏手へ回り込んで姿を隠した。

 どんな物好きな人物が、こんな寂れた場所へやって来たのか。少しだけ顔を覗かせて確認すると、品の良い老婆と見覚えのある少女の二人連れが現れた。 

 少女はちか子であった。

(あっ、図書館で会った子だ)

 偶然の巡り合わせに感動して飛び出そうとするが、何故か体が動こうとしない。不思議に思った陸の脳裏にもう一つ疑問が浮かんだ。

(どうして、隠れる必要もないのにどうして身を隠してしまったんだろう。別に、やましい事なんてしてないのに)

 ただ、体が勝手に反応してしまったのだ。

(わからない。でも、何かヤバイ)

 怖気が全身を襲い、気つけば体中鳥肌が立っていた。

 そして、直後、自分が恐怖に囚われた意味を陸は知ることになる。


 大信の魔の手から逃れたちか子は、家に帰る途中で偶然祖母と出会った。聞けばサスケを捜している最中だと言う。

「怪我をしていてねえ、捕まえようとしたんだけど逃げちゃったんだよ。ちか子も一緒に捜しておくれ」

 普段なかなか家には戻らないサスケだが、家で飼っている以上可愛いペット、家族である。

 喜んで承諾すると、祖母と共にサスケ捜索に乗り出した。

「ねえ、お祖母ちゃん。本当にこっちへ行ったの」

 少し不安になって祖母に聞いてみる。

 連れられて来た場所は、普段滅多に寄らないお堂の境内である。そこには古びたお堂があるだけで、周りを雑木林に囲まれて、昼中でも薄暗い。ちか子だけではなく他の人も殆ど立ち入らない場所である。

「それに隣の林の中って、確か殺人事件のあった所だよね」

 さすがに日も暮れ始めているので、そんな場所には長く居たくはない。

「ここはね、猫の集会場なんだよ。だから、サスケが寄っていくのさ。大丈夫、居ないと分かったらすぐに移動するよ。私もあまりこんな所に長居はしたくないからねえ。それじゃあ悪いけど、ちか子はお堂の方を捜しといておくれ。私は雑木林を見てくるから」

 祖母に促されて、仕方なくちか子はお堂へ足を向ける。そして、二、三歩歩いた辺りで何故か突然背筋に悪寒が走った。背後にただならぬ気配を感じて振り向こうとしたその時、お堂から叫び声が上がる。

「危ない、逃げて!」

 促されるままにその場から飛びずさると、さっきまでちか子がいた空間に、毛むくじゃらな腕から生えた大きな爪が、風切り音を上げて振り下ろされていた。

 慌てて振り返るとそこには祖母が立っていた。

 だが、その姿はあからさまに違っていた。目を金色に輝かせ、口は耳元まで裂けており、両腕は黒い毛にびっしりと覆われ、鋭い爪が夕日を弾いて鈍く光っている。

 どう見ても祖母ではない、違う何かがそこに立っていた。

「どうしたんだい、ちか子」

 発せられた声も、低いだみ声に変わっている。

「何これ。お祖母ちゃん? 嘘でしょう、何かの冗談だよね」

 未だ現状を把握できていないちか子は、驚愕の表情で祖母だった者に声をかける。

(これは冗談なんだ。自分を驚かせる為に仕組んだ演出なんだ。暫くすれば誰かが木の陰からビデオカメラを手にして出てくるんだ。お祖母ちゃんも特殊メイクで変装してるんだ。そうに決まってる!)

 信じられない光景を前にして、ちか子の思考は最早冷静な判断を導くことが出来なかった。

「何を怯えてるんだい。怖がらなくてもいいよ。……すぐに本物の婆の所へ送ってやるからさぁ。あの世によぉ」

 口調も変わると、台詞を言い終わらぬうちにちか子目がけて飛びかかってきた。

 しかし、寸手のところでまたもや助け船が入る。一陣の風が吹き、硬直して動けないちか子を何者かが抱きかかえて、危機一髪救い出したのだ。

「くそっ、邪魔しくさって。さっき声を上げたのもお前だろう」

 ちか子を助けたのは陸だった。


 最初に少女が襲われそうになった瞬間、陸はかろうじて声を出すだけで精一杯だった。だが、すぐに思考を巡らせ、行動に移した。

(人間の形をしているが、あれがもう一匹の化け猫、小源太だな)

 そして、小源太が自分より遙かに強いのも分かった。一人で戦えば確実に殺られると本能的に理解したのだ。だから、この場から生き延びる為に咄嗟に身を隠し、無意識の内に体が動きを止めたのである。本来ならば、本能が出した答えに従ってここまま身を隠しているのが最善であった。

 しかし、現状はそうも言ってられない。優しくしてくれた少女が、目の前で危険にさらされているのだ。

「昨晩の二の舞はご免だ」

 鞘に収まったままの『若紫』を右手に握り、陸はなけなしの勇気を振り絞ってお堂の裏から駆け出すと、ギリギリのところでちか子を助け出したのだった。

「大丈夫かい、和田さん」

「藤堂君、お祖母ちゃんが、お祖母ちゃんが」

「はぁ? このガキ、まだ儂を婆だと信じてるのかい」

 小源太は馬鹿にした口ぶりで、鼻をフンと鳴らした。

「婆はな、儂が美味しく頂いてやったぜ。まあ、歳だけに筋張っていて食いにくかったがな」

「食べた、食べたって……」

「それに比べてあのガキは本当に美味かった。洋子とか言ったっけ。肉も骨も柔らかくて、血の一滴まで堪能できてよぉ、二度と食えなねぇな、あれ程の一品は」

 続けざまに発せられる小源太の衝撃的な言葉に、ちか子はたちまち顔面蒼白となる。

「洋子ちゃんまで……嘘でしょう。だってポスターの写真を真剣に眺めてたじゃない。洋子ちゃんのこと心配してたんでしょ」

どうやら役場や駅のホームに張ってあったポスターのことを言ってるらしい。

「ああ、あれはなぁ」

 やらしい笑いを浮かべると、小源太は意地悪そうに吐き捨てた。

「思い出してたんだよぉ、あのガキの味を、食感をなあ。ぎゃはははは」

「この野郎、黙れぇぇぇ!」 

 あまりにも卑下な物言いに怒りを駆られて、陸は刀を抜いて飛びかかった。

 だが、小源太は刀の斬撃を難なく爪で弾き返すと、後ろへ飛びずさり間合いを取った。

「和田さん、逃げて!」

「……駄目、体が竦んで動けない……」

 陸は小さく舌打ちをする。

 今、お堂を背にして庇う形でちか子の前に立っている。もし自分たちの立ち位置が出入り口に通じる参道方面を背に向けていたら、ちか子を連れてそのまま戦場を離脱する選択肢を選んだが、現状では厳しい。それに、あちら側もそう簡単には逃がしてくれないだろう。

(ともかく考えられる限りの最善を尽くすしかない)

「和田さん、暫くの間だけど我慢しててね」

 ちか子を不安がらせない為に、陸は出来るだけの笑顔を見せると懐から符を取り出す。

「陰陽用いて方盾を成さん。発!」

 掛け声と共に符を飛ばす。符は薄い光を放ち、ちか子の前で人間大の四角い壁となって消えていった。この見えない壁がある限り、小源太は容易に彼女へ手出し出来ないであろう。

「ほう、ガキのくせに変わった術を使う。お前、ただモンじゃねえな。おもしれぇ」

 最高の玩具を手に入れたと言わんばかりの喜々とした表情で、小源太は陸に向かって突進してくる。もはや老婆の姿ではない。体長二メートルの巨大な黒猫、まごうことなき化け猫である。

 その姿を見て、ちか子は呟いた。

「黒猫、もしかしてサスケ?」

「そうだよ、儂はサスケだよ。本当の名は小源太だがな」

 前足を振り上げ、化け猫は陸の脳天目がけて爪を振り下ろすが、横にかわされ空を切る。

 陸も負けずに小源太の横っ腹へ斬り掛かるも、これまた身を捩ってかわされる。

 陸と小源太の間で、軽い応酬が二、三度続く。

「駄目だ、和田さん。奴の言葉に耳を傾けるな」

 陸が制止するが、彼女は聞く耳を持たない。

「何で、サスケは洋子ちゃんに助けてもらったんでしょう」

「ああ、確かに封印から抜け出した直後、弱っていた儂を助けてくれたなあ。だから、それに免じて最初は婆だけを喰らって、とっとと出ていくつもりだった。だが、お前がいけなかった」

 ギロリと金色の眼を向ける。

「私が、何で?」

 覚えのない返答に、ちか子は困惑の表情を浮かべる。

「お前は床の間に飾ってある掛け軸の前でこう言ったろう。私達のご先祖様が描いたんだって、って。あの掛け軸の猫はなぁ、儂の子分の又佐なんだよ。そして絵を描いたのは、儂らを陥れた憎っき庄屋の娘、お悠」

 小源太の目は憎悪の光で輝いていた。

「だからさ。そして決めたのだ、復讐してやると。あの女の家系であるお前ら一族を根絶やしにしてやるとなあ。手始めにあのガキを喰ってやった。お前が出ていってすぐ、後ろからガブリとな。骨も血も残さず平らげてやったわ」

 歪んだ笑い声が閑散とした境内に響く。

 一方のちか子は、祖母と幼い従姉妹が殺された切っ掛けが自分にあると知ってショックを受け、その場にへたり込んでいた。あまりの衝撃に涙すら流れない。ただ、顔を手で押さえて嗚咽するのみだった。

 その有様を見て小源太は満足そうに喉を鳴らす。だが、余裕の表情も一瞬で消え失せる。

 背後から突き刺すような鋭い感覚、殺気に襲われたからだ。

 張り詰めた気配を感じて小源太は頭を向けると、怒りの形相で刀を中段に構える陸の姿があった。手に持つ刃からは紫色の炎が、ゆらゆら立ち上っている。

 実際には本物の炎ではない。刀を通じて放たれた陸の気が形取っているのである。『若紫』は扱う者の気力が最高潮に達すると、所有者の気を紫に色づけて刀身に纏う性質を持っている。それが紫の炎に見えるのだ。

 そして今、陸の気は最高潮に達っしていた。

「お前は絶対に許さない!」

 叫ぶやいなや、陸の姿が五つに別れ同時に動く。数多の影が小源太に向かって刃を振り、次々斬り掛かっていった。

「この野郎、分身使いやがるのか! ならば纏めてぶった斬ってやるわ」

 襲いかかる五人の陸を片っ端から爪で引き裂くが、全く手応えがない。爪に当たったのは全て分身であった。相手の目まぐるしい動きに、小源太はたちまち翻弄されてしまう。

 分身相手に動きを封じられた化け猫に、本物の陸が背後へ回り絶好のタイミングで己の持つ剣技を連続で叩き込んだ。

「これでも食らえぇぇ!」

 両足を広げ、刀を後ろに構えて上体を左半分捻り、勢いをつけて体ごと斜め下から斬り上げる『弦月』。

 そのまま振りかぶって飛び跳ねると、バック宙した遠心力を利用して刀を振り下ろす『風巻』。

 最後は自分が最も得意としている技、刀を下から上へ払い、刀身に帯びた気を刃にして放つ『太刀風』で締める。

 一つ一つの動きが風を起こし、砂埃を高く舞い上がらせる。脇腹を剔り、背骨を断ち、首を削ぎ落とす。全て稽古通り、完璧に決まったと確信できた。

 普通ならば即死であろう。そう、普通なら……。

 だが陸は肝心なことを忘れていた。相手にしているのは普通ではない、不可思議と不条理を体現した化け物であることを。

「終わったよ」

 ちか子へ振り向いて笑顔を見せるが、彼女は未だ警戒を解いていない。

「危ない!」

 叫び声が耳に届いた瞬間、陸は地面へ叩きつけられていた。

 胸を強かに打って息が止まったが、身の危険を感じてすぐさま下半身を振り上げると同時に両手を地面に付けて勢いよく飛び起きる。足から着地し目の前を確認すると、体のあちこちに負った傷から血を流しながらも、臨戦態勢を整えている小源太が不敵に笑っていた。

 まさかの事態に陸は愕然となる。

「小僧、さっきのはなかなか効いたぜ。だが、儂を仕留めるには、まだ精進が足りなかったな」

「そんな、全部完璧に決まったはずなのに。何で生きてるんだよ!」

 絶望の闇が彼の心を襲う。しかし、まだ諦めてはいない。

(自分の剣技が効かないのなら……)

 懐から符を取りだして声高に叫ぶ。

「陰陽用いて飛燕を成さん。発!」

 何やら不思議な術を使ってくると警戒し、小源太は咄嗟に身構えるが、陸が投げた符は黒い鳥の形に変化すると、そのまま上空向かって飛んでいき、どこかへ消えてしまった。

「んだぁ、驚かしやがって。もう、ネタ切れか。んじゃ、こっちから行くぜ」

 楽しそうに舌なめずりしながら、小源太は二歩三歩と近づいてくる。

 陸は内ポケットに手をやり、落ち着いて残りの符を確認する。

(みんなが来るまで何とかもたせるしかない。後には退けないんだ。)

 覚悟を決めて再び剣を構える。

 陸の心に恐怖はない。あるのは不退転の決意のみ。

 

 鳥形を追いかけて市街地を抜け出すと、周りに人の姿がいないのを確かめて、朱鷺野達一行は自らに課したリミッターを解除した。

 野に放たれた獣の如く、高速で疾走する三人。

「あんにゃろう、大怪我を負っているくせに、えらいスピードで突っ走ってくなぁ」

 自分たちの前を行く又佐の後ろ姿を眺めながら、大信は化け物が持つ常識外れの回復力に舌を巻いた。

「そうだ、全てに置いて常道を逸している。それが化け物というものだ。俺達もそうだろう」

 最後にやや皮肉っぽい言葉で締めて朱鷺野が答える。

 黄昏の田園風景は深い色相に彩られ、昼間とは違う趣を呈している。東の空には大きな月が真珠色の優しい光を放っていた。今日は満月である。

 初めに異変を感づいたのは千里だった。

 上空を飛んでいる鳥が、先程から自分達をずっと追いかけているような気がしたが、偶然だろうと考えていた。しかし、広がる田園の中程へ達したとき、鳥がこちらへ急降下するのを見て、ただ事ではないと判断した。

「危ない、避けろ!」

狙いは又佐だった。

すぐさま千里の声に反応し、間一髪で斜め前にジャンプして事なきを得た。上空から甲高い声が聞こえる。

「もうちょっとで仕留められたものを。よくも八太様のお仕事を邪魔してくれたなあ」

 八太と名乗ったその鳥は大きく翼を羽ばたかせると、体を巨大化させた。

 元から普通のものより一回り大きなカラスであったが、化物の本性を現せた今は更に大きく、翼を広げた長さは二メートル近くもある。両目は禍々しく輝いていた。

「御大将のご命令だ。これ以上先には進ませないぜ。覚悟しな」

 キンキン声で口上を述べる。

 典型的なやられ役の台詞を発して小物感が拭えないが、二匹の化け猫以外にも人外の者がいたことに一同は驚きの色を隠せなかった。

「おい、又公。今のお前じゃ足手まといだ。場所が分かってるならとっとと先に行け。このカー助は俺達でくい止める。ただし、依頼主である以上、逃げたり殺されたりすんなよ。契約がおじゃんになっちまうからな」

「見くびるなヨ、小僧。誇り高き我が、そのようナ契約違反をするわけがなかろウ。でハ、お言葉に甘えて先に行くゾ」

 先を急がせる大信に答え、又佐は地を蹴って再び駆け出していった。

「逃がすか」

 行かせまいと、追い掛ける素振りを示した八太に短い鉄の棒が襲いかかる。

「おらぁ、カー助。てめぇは俺達がお相手してやんよ」

 鉄の棒は大信が投げつけた棒手裏剣だった。

 符術が使えない彼はその不利をフォローするために、様々な武具の扱いを習得していた。中でも手裏剣投げは得意としており、常に五、六本携帯している。他にも服をまさぐれば様々な武器が出てくるだろう。

「にゃろう、俺様自慢の格好いい翼が傷ついたじゃねえか」

 かわし損ねて八太の黒い翼には手裏剣が突き刺さっているが、さほど痛がっている様子もない。それよりも自慢の翼を傷つけられた怒りで頭に血が昇り、耳障りなわめき声を発しながら大信目がけて突っ込んでいった。又佐のことなどすっかり忘れている様子だ。

 迎え撃つ側の大信も刀を抜き応戦する。

 八太は一旦上昇すると、狙いを定めて急降下を開始する。黒く鋭い嘴が大信の頭上を狙う、がギリギリで避けられる。

 大信も身を翻すと、目の前に見える黒い体の方向へ踏み込んで刀を持った腕を突き出す。煌めく剣尖が八太を襲うが、上昇してかわされ、逆に突き出た腕を足の爪で剔られ、傷を負ってしまう。

「ちっ!」

 大信は痛みで顔を顰めながらも反撃の機会を窺う。しかし、怪我を見舞ってくれた本人は上空から余裕で見下ろしている。

「大信、どいてろ」

 千里が背後から飛び出し自らの得物『夢浮橋』を鞘から抜き出した。

 表れた刀身が月の光を反射して輝くと、白い輝きが伸びて空にいる八太へ躍りかかっていった。端から見れば刀身が伸びたというよりは千里の腕が伸びて見えただろう。

 だが、刀は狙いを外して僅かに大ガラスの黒い羽を数枚散らしただけに終わった。

 その技は昨日大信が町長室で披露した『伸腕』である。

「実戦ではまだまだか。未熟……」

「けひゃひゃ、ば~か。出直してきな」

 相手の小馬鹿にした態度と発言が癇に触り、大信は怒鳴り声を上げた。

「てめぇ、こら卑怯だぞ。下りてこい」

(そりゃ、無理な話だ)

 千里は思ったが口には出さない。それよりも普段地上で生活している者にとって空飛ぶ相手は非常に厄介だった。一応、符や剣技での対抗策は授業で教わっているものの、習うと実践するとでは勝手が違う。それに符はなるべく無駄遣いせず、強敵である小源太との対峙まで取っておきたい思惑が千里にはあった。

 その時、攻め倦ねている二人に今まで沈黙を守っていた朱鷺野が口を開く。

「おい、お前らも先に行け。こいつは俺一人で十分だ」

 先程から手に持っていた風呂敷包みを開くと、中から鎖が付いた長い棒状の物体が顔を出した。棒の先には緩やかに弧を描いた刃が、夕闇の微かな光に照らされて鋭い光を放っている。鎖鎌である。

 映画やテレビの時代劇などで時折見かける鎖鎌だが、それらに比べると今朱鷺野が出した物は鎌も柄も鎖も幾分大きかった。柄の長さは、大人の二の腕ぐらいまであろうか。

「大鎖鎌、『弧月と蛇』。村に置いてきたんじゃなかったんですか」

「マックイーンさんに無理を言って届けて貰った。今回は指導に徹するつもりで持ってこなかったが、昨日の一件でそうも言ってられなくなってな。それより、早く行け」

 朱鷺野に促されて、千里と大信は又佐が消えていった方向へ走っていく。

「くそっ、俺を無視して話を進めるんじゃねえよ」

 二人を足止めしようと翼をはためかし降下する八太。しかし固まりが八太の横腹にめり込み鈍い音を立てた。痛みのあまり化けガラスは、意味不明のわめき声を上げ地上に落ちる。

「おいおい、お前の相手は俺だって言ったろ。よそ見してないでこっちを向きな」

 左手に持った鎖が風切り音を立てて大きな円を描いている。固まりの正体は鎖の先に付いた分銅だった。降下した八太の脇を目がけて間髪入れず放ったのだ。

「それと、陸に会ったら伝えておけ。今日は満月だ、『詩』を詠っても良いと」

 小さくなっていく後ろ姿に、朱鷺野は大声で伝える。承知したように二人がこちらを振り向いたのを遠目で確認すると、今度は八太に声を掛ける。

「それでは始めようか。俺も急ぐんでな。速攻で終わらすぞ」

「何を! 地べたで這いずり回っている人間がいい気になって。ムカつくんだよ」

 再び大きく舞い上がると、八太は大信へ行った同じ攻撃を今度は朱鷺野に仕掛けていった。しかも降下する速度は前より上げている。

「ったく、馬鹿の一つ憶えが」

 朱鷺野も八太目がけて鎖を投げた。しかし狙いを外して分銅は大きく横へ逸れてしまう。

「けひゃひゃ、何処狙ってやがる。このド下手がぁ」

 耳障りな甲高い声を上げてそのまま突っ込んでいくが、八太は気づいていなかった。

 逸れた鎖は大きく弧を描き、勢いを付けた分銅が背後から八太へ襲いかかってきたのだ。その動きはまるで獲物を追う蛇の姿を連想させる。

 狙いを付けた鉄の塊が化けガラスを貫く。

 またもや分銅を体に受けてしまい、八太の突撃は止まってしまう。だが、背中に衝撃を喰らったものの何とか痛みを堪えると、八太は翼を翻し向かう先を上空へ切り替えて、朱鷺野との間に距離を置いた。上から見下ろす朱鷺野の姿は、人形みたいに小さく見える。

(これだけ上空にいれば鎖も届かないし、空飛ぶ手段を持たない人間は何も出来まい)

 八太は高を括っていた。心に多少余裕が出た大ガラスは、自分と相性の悪い朱鷺野を無視することに決めた。そして先に行った連中を追うか、小源太の命令を無視してバックれるか思案に暮れ始める。  だがしかし……。

「面倒くさいが、奴をあのままいい気にさせてくのも気に入らないな。これで決めるか」 

 ぶつくさ文句を呟きながら、朱鷺野は懐に手を入れる。出てきたのは煙草、ではなく符であった。

「陰陽用いて翼を成さん。発!」

 気を込めて符を発動させると、自分の体へ張り付けた。

「さて、そろそろライブも終わりにしようぜ。観客が馬鹿ガラスだけじゃ、つまんねえ」

 低く身をかがめ両足に力を込めると、上空に目標を定めて勢いよく飛び跳ねる。虎人が持つ驚異的な筋力に加え『黒翼符』の効果により空を駆け上がり、あっという間に八太がいる高さまで達する。

 突如姿を現した朱鷺野に八太は唖然とするしかなかった。しかも、

「……なんだよ、これは!」

 八太は周りを囲まれていた、五人ほどの朱鷺野によって。

「……いくぜ」

 五人は一斉に鎌を振り下ろす。鎌から発せられた見えない空気の刃が、疾風を起こし八太目がけて飛んできた。

「うがぁ~! こんなん喰らっちまったら死んじまうってぇの!」

 身の危険を感じた八太は咄嗟に地上へ向かって下降するが、それは朱鷺野の思う壺だった。

 あらかじめ行動を予想していたように放たれた鎖に、八太は首を絡み取られ、思いっきり引き上げられてしまう。首を絞められて大ガラスは、思わず呻き声を上げた。

 分身が消え一人になった朱鷺野が着地すると、同時に八太も体から地面へ激突する。口からは内容物を吐き出し、土にまみれた体を痙攣させてこれ以上動ける状態ではなかった。

「い、命だけは助けて。ただ命じられて動いていただけなんだ」

 辛うじて喋れるらしい。

 だが、八太の命乞いは朱鷺野に何の感銘を与えなかった。冷めた目で近づくと、黒い片翼を革靴を履いた足で踏みつける。骨が折れる鈍い音がして、再び八太が呻き声を上げた。

「仮に立場が逆になったとして、はたしてお前は俺の命乞いを聞いてやるか? 聞かないだろう。まあ、そういうことだ」

 不愛想に死刑宣告を言い終えると、容赦なく鎌を振り下ろす。

 化けガラスの命はここに終焉を迎えた。


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