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皐月中旬 土曜日 午後 『時には昔の話を』

 篝火に照らされ暗闇が朱色に染まり、お堂の前では数人の影が見て取れる。

 その中に愛おしいあの人の姿もあった。

 そして見たことがない人物もいる。

 なぜ、坊主がここにいるのか。嫌な予感がしたが、今は目の前にいる奴を相手にしなければならない。

「どうした、又佐。ここまで来て恐れをなしたか。それもしょうがない、元々お前と儂では力の差がありすぎる。どうだ、大人しく身を引けば見逃してやってもよいぞ」

「力の差? それがどうしたと言うのだ。我の心は、とうに決まっている。貴様みたいに貪欲な輩の下へ、我の愛しき人を渡すわけにはいかん」

「は、愛しき人か。化け物が人に劣情を抱くとは、見下げた奴よ。所詮、人は儂らの餌。家畜に情が移ったか」

「横恋慕して、かすめ取ろうとする貴様の言うことか。どうせ、他者が持っている物が欲しくなる悪い癖が出たのであろう、小源太!」

 奴を倒せば、晴れてあの人を嫁に迎えられる。彼女の父親がそう約束してくれたのだ。だから、何としてもこの勝負勝たねばならぬ。

 牙を剥き、爪を立て向かっていく。

 その後のことは憶えていない。いや、思い出したくない。


 カラスの鋭い鳴き声で、又佐は目を覚ました。

 窓から入る日差しは、午後特有の濃い黄色の色彩を帯びており、部屋の中を照らしている。自分は、どれだけ寝ていたのだろう。思い出してみたが餌を平らげて床に入ったまでは記憶にあるものの、後はサッパリ憶えていない。 

 今、又佐がいる部屋はガランとして他に誰もいない。ただ、壁に掛けられた時計の秒針が、規則正しい音を鳴らしているだけだった。自分を助けてくれた部屋の主、ちか子は出かけて不在であり、少し開いている扉の隙間からは何も聞こえない。おそらく、この家には誰もいないのであろう。又佐はそう判断した。

(しかし、よく似ていた)

恩人であるちか子の顔を思い出す度に、又佐は脳裏に浮かぶ愛しき人の面影を重ねていた。

「よう、久しいな又佐。随分派手にやってくれてたみたいだが、その様子だとツケを払わされたか。けけけ、ざまぁねぇな」

 想いに浸っていた又佐は、突然声をかけられてド肝を抜かれた。自分以外に誰もいないと思いこんでいたので、不意打ちをかけられた気分である。

 扉の隙間が開き、悪態を付きながら声の主が姿を現す。出てきたのは、今の又佐より一回りほど体の大きい黒猫だった。

「小源太、貴様何故ココに、いヤ、生きてイタのカ」

「はぁ? 儂を誰だと思っている。お前と違って、とうの昔にあの忌々しい穴蔵から抜け出しておったわ。それより、お前こそ何故ここにいる? それともここが何処だか分かってやって来たのか」

「? それハどういウ意味ダ」

 小源太と呼んだ黒猫の問いかけに、又佐は怪訝そうな表情を浮かべる。

「何だ、知っててこの家に来たわけではないのか。まあいい。それより最後に会ったのは、確かお堂の前で決闘をした時か。ったく、見事にあの女の口車に乗せられ、とんだ間抜けだったよな、儂らも」

 小源太は自嘲気味な笑い声を上げるが、又佐は何も言わずに押し黙っている。

 努めて冷静な又佐の姿が、気取ったふうに見えたのか、小源太は機嫌を悪くしてフンと鼻を鳴らすものの、すぐさま意地の悪い笑みを浮かべる。

「そうだ、お前にいいことを教えてやろう。儂とお前の一件だがな、一部始終、この町の昔話として今も残っているそうだ。つまり、儂たちが見事にやられる様を、面白可笑しく粉飾して物笑いの種にしていたわけだ。どうだ傑作だろ、ぎゃははははは」

 又佐は黙ったままだったが、目は驚愕で見開かれており、信じられないという顔をしていた。

 今度は満足した笑顔で小源太は又佐を見やると、軽く跳躍しベットの上へ登る。布団に着地すると同時に、くぐもった足音が聞こえる。

「これから儂が有り難く講釈してやる。お前は、そこで大人しく聴いてな」

 今、この場の主導権を握っているのは、小源太である。その状況は又佐にとって不愉快極まりないものだったが、逆らっても無駄だと思い、静かに小源太の講釈に耳を傾けることにした。

(それに人間共の昔語りがどれほど真実を伝えているか気にもなるしな)

 優越感に酔った小源太が、語り始める。

 それは昔のお話。


 その頃、図書館にいた陸も、物語の出だしの部分を小さな声に出して読んでいた。


「「むかしむかし」」


『猫合戦』

 むかしむかし 村はずれの山の中に小源太と又佐という二匹の化け猫が住んでいたそうな。

 白い毛皮の又佐は狡賢く、黒い毛皮の小源太は凶暴な化け猫で、いつも二匹で麓に現れては、悪さばかりして、村人を大層困らせておった。


『白い毛皮ではなく白地に斑なのだが、まあいい。あの頃は、小源太の言いなりになって動いていたな。面白半分に田畑を荒らしたり、家畜を食い殺したり、通りがかった旅人を襲ったこともあった。小源太に顎で使われてたのは癪だったが、それでも人間が慌てふためく様は見ていて面白かったし、事を起こした直後に猫の姿に化けて村へ行けば、我らのことで話が持ちきりで、優越感に浸れて快感だった』


 さて、この村の庄屋にお悠という名の一人娘がおった。この娘、知恵がよくまわり、手習いごとも上手にこなし、おまけに器量も良いとあって、周囲の村にも評判が伝わるほどであった。

 無論、父親も娘を目の中に入れても痛くない程可愛がっており、常日頃から婿を迎えるなら天下一の者をと、強く決めておったそうな。


『猫に化けて村を歩いていると、よくあの人の噂が耳に入った。興味半分で庄屋の屋敷へ見に行ったが、確かにあの人は美しかった。今思えば、最初に会った瞬間、我はあの人の虜になったかもしれぬ。それから我は、足繁くあの人の下へ通った。あの人は本を読むのが好きで、よく年老いた祖母に読んで聞かせていたな。それに絵や和歌も嗜んでいた。あんな田舎の村へ置いておくには、勿体ない人だったよ』


 ある時、娘の噂を聞きつけた小源太と又佐が庄屋の屋敷に現れ、お悠を自分の嫁にくれないかと庄屋に申し出てきた。

 又佐が言うに

「もし娘を我の嫁にもらえれば、我はこの家の守り神となって、子々孫々まで栄えることを約束してやろう」

 と迫り、一方の小源太は

「もし娘を儂の嫁にしなければ、儂は怨霊となって、この家を末代まで呪い祟ってやるぞ」

 と脅しをかけてきおった。

 困り果てた庄屋は、

「大事な一人娘のなので、すぐにどちらを婿に決めることはできません。どうか今暫くお待ち下さい」

 と一旦引き取ってもらうように申し出た。すると二匹は、次の日の夜に返事を聞きに来ると言い残し去っていった。


『は、その前にあの人の婚礼話が抜けておろう。全く、人間共は都合の良い方へ話を変えておる。それにしても、まさか小源太までが、あの人に興味を示すとは思わなかったな。物欲の強い小源太のこと故に何時か気づくと思っていたが、我があの人を手に入れようと決心した同じ日に、奴もあの人へ手を出そうとしていたとはな。もし、それがなければ、あれ程事を性急には運ばなかったぞ』


 その夜、化け猫どもの申し出に、どうしたらよいか思い悩んでいた庄屋の屋敷へ、旅の僧侶が訪ねて来た。

「この村で化け猫が悪さをしでかしていると聞き、京の都からやって来たのですが、どうやらお困りの御様子。宜しければお話を聞かせ下さい」

 渡りに船とばかりに、庄屋は今まで起きた全てのことを包み隠さず話したそうな。

 話を聞いて僧侶は頷くと、

「あい、全て分かり申した。ここは拙僧に良い策があります。まずは娘さんをこちらに」

 そう言ってお悠を呼んだ。

 呼ばれてきたお悠に、僧侶は耳打ちをすると万事ぬかりなくやるようにと言い含めた。

 次の日の夜、約束通り姿を現した小源太と又佐は、娘の婿をどちらにするのか庄屋に問い詰めおった。

 すると庄屋は、

「常日頃から、娘には天下一の婿と願っておりました。見ればお二方とも天下に名だたる強者。そこで、お二方に勝負をしてもらい、勝った方を娘の婿に迎え入れたいと思っております」

 と申し出た。

 するとお悠も、

「私も強いお方を、婿様としてお迎えしとうございます」

 と頭を下げる。

 その気になった小源太と又佐は、お互い承知したと頷いた。

「では、娘の婿殿を決める大切な勝負事。故に神様の前で執り行いと思います。どうぞこちらへ」

 庄屋に連れられて村の外れにある神社に行くと、お堂の前に先程の僧侶が立っておった。

「拙僧は、この勝負の検分役を頼まれた者。二匹とも、神と御仏が見ておらっしゃる、正々堂々と勝負するがよい。では、猫合戦、はじめい」

 僧侶の合図と共に、小源太と又佐は、お互い凄まじい雄叫びをあげて向かっていった。


『あの糞坊主の入れ知恵があったとは言え、我と小源太は上手く乗せられたわけだ。我は、あの人の言葉を疑う気持ちは全くなかった。だから、我よりも遙かに力の強い小源太に戦いを挑んだのだ。この勝負に勝てば、晴れてあの人と結ばれる。あの時の我は、その事で頭が一杯だったから、何故、見知らぬ僧侶が立ち会い人としてお堂の前で待っていたのか、端から疑問に思わなかった。全て我らを陥れる罠だったのだ』


 小源太と又佐はお互い退くことなく、五分と五分の勝負を繰り広げておった。

 時には噛みつきあい、時には離れて間合いを取り、全く勝負が着く気配はなかった。数刻の時が過ぎ夜が明け始め東の空が明るくなった頃、とうとう二匹は決着を着けるべくお互いの体を激しくぶつけ合った。

 ドシン、と岩を打ち据えるような音が響くと、二匹は倒れて小さな猫になってしもうた。

「今じゃ、皆の衆掛かってくだされ」

 僧侶の合図で、今まで藪の中に潜み待ちかまえていた村人がどっと押し寄せると、あらかじめ掘っておいた穴に共倒れとなった二匹を投げ込み、土を被して埋めてしまった。その上に僧侶は、大きな石を置くと皆にこう言うた。

「これからは化け猫共が村を祟らぬよう、この上に祠を建て祀るがよいぞ。さすれば二度と化け猫共が、この村に悪さをすることもなかろうて」

 

『我が、あそこまで小源太とやり合えたのも、偏にあの人への想いがあったからこそ。だが、その想いを逆手に取られたとは、皮肉なことよ。むこうは共倒れと勘違いしておったが、我はまだ生きていた。だが、体を動かそうにも尻尾すら動かず、あの人に裏切られた憎しみで心が張り裂けそうだったのを、よく憶えている。あの腐れ坊主、ご丁寧にも我が外へ出られぬように、結界を張っていきよった。身動きできぬ我に出来ることは、地の精気を喰らって生きながらえ、少しずつ力を溜めるだけだった。しかし、未だにあの人への思慕は消えぬ。不思議なものだ。憎くて憎くて仕方がなかったはずなのに。今思うと小源太との血戦時、あの人はずっと我だけを見ていた気がする。真夜中から日が昇るまでの長い間、あの人は身動きもせず、ただずっと我と小源太の勝負を見ていた。あの食い入るような眼差し。未だ忘れることが出来ぬ』


「その後、村人から大変感謝された僧侶は都へ戻ってゆき、お悠は良い婿殿を迎えて幸せに暮らしましたとさ。とってんぱらりのぷぅ」

 

 陸は『猫合戦』の最後の部分を読み終えると、本を閉じて考え始めた。

(この話に出てくる又佐って、もしかしなくても昨日倒しそこなったあの化け猫のことだよな。だったら、もう一匹の小源太はどうしているんだろう。まだ埋まっているのかな、それともそのまま死んじゃったとか。もしかして、又佐みたいに町の中に潜んでいるかも)

 しかし、小源太の存在を証明する手がかりは、見つかっていない。

 背伸びをしてソファーの背もたれに体を預けると、図書館の壁に掛かってる時計が目に入る。見れば、かなりいい時間だ。

「やべっ、このままだと夕方になっちゃうよ」

 慌てて脇に置いてあった自分の得物『若紫』を手に取ると、立ち上がって図書館の出入り口へ小走りに向かっていく。本を元の場所へ戻して、自動ドアの前へ立った時、陸はちか子の姿を思い出した。

(このドアを抜けたらもう二度とあの子には会えないんだ)

 優しくしてくれたちか子の面影が脳裏にチラつき、後ろ髪を引かれる。しかし、陸は使命に燃える男だ。それに今は何より、化け猫又佐を発見するのが先決。だが陸の心は揺れる。

(話しに出てるって言ってた、あの子のご先祖って誰だったんだろう。猫を封じ込めた、お坊さんかな。それとも……)

 そこで、はっと気づいた。

 昨日、昼飯を食った中華料理屋の店主が話していた『先祖が庄屋で代々金持ちの和田さん』。あの昔話に出ていた庄屋とその娘お悠が、彼女の先祖だったのだ。

 妙な話だが、陸とちか子は『化け猫』という単語で繋がっていたのだ。

 図書館の中に彼女はまだいるだろう。しかし、行かなければならない。何度も何度も来た道を振り返りながら、陸は自分が成すべき事を成すために、任務へ戻っていった。


 一方、和田邸のちか子の部屋では、講釈を終えて満足した小源太と複雑な表情の又佐が、お互い向かい合っていた。

「この村、いや今は町か。まあともかく、信仰心の薄い住人ばかりで助かったぜ。お陰で儂たちは、此処にいられるのだからなぁ。それでも弱くなった結界から抜け出すのは、骨が折れたぜ。出たはいいが、力を殆ど使い果たし、ボロボロになっちまったしよぉ」

「そレデこの家に拾われタと」

 その言葉に小源太は目を釣り上げて驚きの表情を作る。

「ご明察。よく分かったな」

「我を助けテクレた娘が言っておっタ。『余り物だけどどうぞ』トな」

 別段面白くもなさそうに、又佐は答えた。

「だから、コノ家にはもう一匹猫ガイると推測したのダ。まさカ貴様だとは思わナカったが」

「それだけじゃないんだがなぁ」

 先程に続き、意味ありげな言葉をかける小源太の態度が癇に触ったのか、又佐は箱の中からベットの上へ一足で飛び移ると、目の前にいる黒猫に詰め寄った。

「小源太! 貴様ハ、先程から奥歯ニ物が挟んだ言い回しが多いゾ。一体、何を隠していル」

「別に隠しちゃいねえさ」

 ならば話して貰おう、と息巻く又佐に、まずは落ち着けと小源太が宥める。

「何から話そうか。そうそう最初に聞きたがったのは、お前が意識してこの家へやって来たのではないかと、儂が勘ぐったことだな」

 それは、又佐が問い詰めようとして、軽くかわされた話題だった。

「この家はなぁ、儂らを謀ったあの女の末裔どもが、住んでおるのだよ。昔、お前が足繁く通った庄屋の家、それがここだ。そして、お前を助けた娘、ちか子と言うが、そいつもあの女の子孫さ。ま、大方、気づいちゃいると思うが」

 全て合点がいった。

 又佐は、何故自分が無意識にこの家へやって来たのか、何故自分を助けくれた娘が、愛しきあの人と瓜二つなのか、理解できた。

「儂がこの家へやって来たのは、本当に偶然だった。暫くは、この家の連中が憎き庄屋の子孫だとは、思いもよらなかったさ」

「どうやって知った」

 又佐の問いかけに、小源太は一瞬黒い眉間に皺をよせて、しかめっ面で言い放った。

「階段を降りた先に茶の間がある。そこの床の間に飾ってある掛け軸を見ればいい。お前なら、一発で分かるはずだ。この家が、あの忌々しい女と関係があるってな」

 更に今度は、嫌な笑みを浮かべる。

「だから儂は決めた。この家の人間を全て呪い、全て殺し尽くすと」

 長い間、暗く冷たい土の中へ閉じこめられた恨みと憎しみが噴出したのか、小源太の双眸が金色に輝き、本来持つ凶暴な性が丸出しとなる。

 一歩前に出て又佐に近づくと、黒い毛を逆立てて睨み据えた。

「又佐、協力しろとは言わんが邪魔はするなよ。お前が好いた女の家系とは言え、あの女が此処に居るわけではない。だから、義理立てする必要もあるまい。賢いお前なら、儂の言っている意味が分かるなぁ」

 あからさまに恫喝しているが、悔しいかな、それに反抗する理由も力も又佐にはなかった。 

 意気消沈し、大人しくなった又佐を後目に、小源太はベットから飛び降りると、足音も立てずドアへ歩いていく。

「……いい頃合いだな。儂は今からちぃと用がある。ぐふふ、今日は満月だ。綺麗な月を見ながら喰らう血と肉は格別に美味かろう」

 下卑た笑いを残し去っていこうとする黒猫を、又佐は慌てて呼び止めた。

「待て、もう一つアッたはずダ」

「ああ、それか……」

 面倒くさそうに振り向くと、小源太の体が歪み形を変えてゆく。見る見る人間大の大きさに膨らむと、そこには見知らぬ人間が立っていた。

 それを見て又佐は凍りついた。

「貴様、変化ガ出来るマデ力を回復さセたか」

「まあ、そう言うこった。分かっただろう、現時点での儂とお前の決定的な力の差が。では、儂は行くぞ」

 遙か頭上から発する声は、先程の気味悪いだみ声から、上品で澄んだものへ変わっていた。

 人型を採った小源太は、そのまま部屋を出ていくと、階下へ降りていく。暫くして玄関の扉が開き、閉まる音が、誰もいない屋内に響いた。


 一羽の大きなカラスが、電信柱止まっている。

「八太、そこにおるのだろう」

 電信柱の下から呼ばれて、カラスは一段低い隣のブロック塀へ降り立つ。

「これはこれは御大将、何かご用でも」

 甲高い声で人の言葉を話すこのカラスは、勿論、普通のカラスではない。齢五十を越えた立派な化けガラスだ。人語を解すカラスが普通な訳がない。

「お前、窓の外から儂と又佐の会話を、一部始終聞いておっただろう」

 どこか皮肉めいた響きで、声の主は八太へ問いただす。

「いや、その、悪気があったわけじゃないんですよ。ただ何を話しているのか、ちょいと気になったもんで。スミマセン謝ります、この通り」

 卑屈に何度も頭を下げる化けガラスに、声の主はうんざりしたのか、掌を八太の面前にかざして止めるようにジェスチャーで示す。

「それなら話は早い。お前はこれから、又佐の奴を見張っていろ。脅しはかけたが、気が変わって何時こちらに牙を立ててくるか分からんからなぁ。もし、何かあったら構わず殺せ、いいな」

「はい、分かりました。御大将」

 勢い良く返事をすると、八太は羽を広げて飛び立とうとしたが、急に何かを思いだして動きを止めた。

「御大将に一つ御忠告を。どうも朝っぱらから見知らぬ連中が、周辺を嗅ぎまわってるみたいで。一応、用心して下さい」

「それなら心配はいらん。そいつらは、又佐を追って来た連中だ。捨てておけ」

「まあ、御大将が、そう言われるのなら。それでは、私ゃ行きますね」

 飛んでいくカラスの後ろ姿を見送ると、影は町中へ向けて歩いて行った。

 

 寝床にうずくまり、暫し呆然としていた又佐であったが、小源太との会話の中で出てきた掛け軸が気になり、見に行くことにした。

 寝床から抜け出し、一階へ向かう。階段を降りる度に傷が疼くが、痛みはそれ程感じられず、昨晩に比べ体力が回復しているのを実感した。

 綺麗に磨かれた廊下を音もなく歩いていくと、開いた襖から床の間と掛け軸らしきものが、遠目から見て取れる。

 又佐は辺りを警戒しながら茶の間へ入って、掛け軸の前で立ち止まった。

 いや、止まらずを得なかったのだ。

「こ、こレはまさカ……」

 時が経ち、掠れてはいたが、そこには白地に石地の斑をつけた猫の絵が見事に描かれている。そして描かれている猫は、正しく又佐であった。斑の模様、位置が全く同じだったからだ。

 掛け軸の中の猫は、穏やかな顔で又佐を座視していた。

「……文字ガ書いてアル。何と読むのカ」

 絵のすぐ上には、達筆な文字で書が書かれている。文字の区切り方から和歌であると判断できるが、読みとるのは、掛け軸の紙自体が茶色く変色しているので、かなり困難な作業だった。しかし、又佐は、持てる知識をフル動員して解読していく。


 中天に かかる月みて 偲ぶのは

 光の君の 後ろ姿か


 歌を読み終えて、又佐は泣いていた。

 涙は流れなかったが、心は感動と至福の涙で溢れていた。

 この歌は、間違いなく又佐を詠んだ歌である。

「あの人は憶えてくれテいたのダ。我と月ヲ見た日のことを、我を光の君ト呼んでくれたことモ。書ト絵にしたため、想い出を残してくれタ。あア、今の我にこれ以上ノ幸福を求めることは出来ヌ」

 又佐は決心した。

 身をもって、あの人の末裔を小源太の魔の手から救うことを。それに、ちか子には直接助けてくれた恩もある。

 しかし、現状では小源太を止める力は、又佐にはなかった。力の回復を待ってからでは遅い。それに、あの口振りから、今日中にも家中の誰かを牙に掛けるのは間違いない。

 又佐は、感慨深げにもう一度掛け軸を見やると、きびすを返し外へ出ていった。

 景色は夕暮れの装いに変わっており、昼中より僅かに冷たくなった外気が、又佐の体を覆う。

 おそらく小源太は、この瞬間も着々と自らの計画を実行に移しているだろう。早くしなければ時間がない。空飛ぶ燕のごとく道を駆け抜けながら又佐は考え、思い至った。

 

 今の自分に出来る、最善の手だては何か。


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