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皐月中旬 金曜日 夜 『ソルジャーボーイズ』

 美しい女性がこちらを覗き込んでいる。

「あら、まるでお公家様みたいな顔立ちをしているのね。もしかしたらあなた、光の君の生まれ変わりかしら」

 こぼれるような優しい笑顔が濁った自分の心を澄んだものに変えてくれる。

(ああ、この人は我の大切な人。我を陥れた憎き人。そしてもう二度とは会えない愛おしい人)

 目を開けるとそこにはいつもと同じ闇が広がっていた。夢を見ていたのか。自らの現実を確かめるように天を見上げると、破れたトタン屋根から今宵の空が見て取れた。

 曇り空。おそらく暫くすれば雨も降るだろう。隙間から吹いてくる湿った風がその事を伝えてくれる。

(狩りを行うにはちょうど良い頃合いだ、さてどうしようか)

 ふと外に人の気配を感じてすぐに自らの気配を消す。

(どうやら餌が向こうからやってきてくれたみたいだ。複数いるが問題ない。今の自分なら人の二、三人すぐに仕留められる。辺りを包む闇も我の味方だ)

 だが、その時はまだ気づいていなった。己の立場が狩るものから狩られるものに入れ替わっていたことを。

 不意にこちらへ向かって何かが迫ってくると感じた瞬間、壁を突き破る大きな破壊音が耳をつんざく。

 一体何が起きたのだ?


 時間は前後する。

「へっへ~、臭いがプンプンしやがるぜ。奴はこの先にいる間違いねえ」

 山の中腹へと続くなだらかな坂道を三つの人影が通っていく。辺りは夜の闇に包まれ木々の隙間からは町の明かりが見え隠れしており、それはまるで雲間から顔を覗かせる星空を彷彿させた。道の先には建物らしい影が見える。

「あれは確か製材所だったところだ。二年ぐらい前に不況の煽りを喰らって倒産。作業場だった建物は放置されたままらしい。場所が場所だけに人も滅多に訪れないし、身を隠すにはもってこいの場所だな」

 三つの影、大信、千里、陸は臭いをたどってここまでやって来た。駅を降りたときに感じた微かな臭い。その臭いを運んできた風は今いる方角から吹いてきたのだ。

「実ちゃんは下でジジイと一緒に待機か。楽でいいね」

 獲物を仕留めた後、それを確認する為に町長はやってきたのだが、不測の事態に備え朱鷺野が側に着いている。もちろん、狩りに支障をきたすので風呂に入ってコロンは落として貰ってきた。今頃は自動車の中で自分たちの報告を待っているだろう。

「どうしたんだ、陸?」

 先ほどから一言も発していない陸の様子を心配して千里が声をかけるが、代わりに大信が口を開いた。

「大方、びびってんだろ。へっ、情けねえなあ、それでも男かよ。持ってる刀は飾りモンかぁ、銘入りの名刀『若紫』の名が泣くぜ。根性入れろ!」

「う、うるせえ。びびってなんかいないさ。ただ緊張しているだけだ」

 うわずっている声で言われても説得力ないなと思いつつ、緊張をほぐすように千里は歳の割に小さな陸の肩へ手を置いて、優しく声をかける。

「初めての実戦で緊張するのはしょうがないさ。俺だってそうだ。だからと言ってミスをすることは許されない。大丈夫、稽古通りやれば問題ない」

 化け物狩りを生業にしているとは言え、すぐ前線に出て戦うことが出来るわけではない。 幼い頃から訓練に訓練を重ね、一定の成果が出たところで実習と称し簡単な依頼を受けて実戦を経験させる。自動車免許に例えるなら彼らは仮免を貰ったばかりで、これから初めて路上教習を受けるといったところだ。

「ありがとう。何とか頑張ってみるよ」

「あぁん、何とかじゃダメなんだって~の。てめぇみたいなちっこいのは人の倍の倍の倍の倍の……それぐらい頑張らないといけねぇんだよ」

 大信の辛らつな言葉に、陸は途端に機嫌を悪くする。

(何でこいつはいつもこうなんだよ)

 グッと堪え口には出さず胸の中で吐き捨てた。

「さて、奴の寝床はすぐそこだがこれからどうする?」

 二人の気まずいやり取りを見て見ない振りをし、千里が訊ねる。

 目の前には空き地が広がっており、奥には所々穴の空いた製材所の建物が窺えた。壊れたフォークリフトが放置され、物悲しくも異様な雰囲気が漂う。辺りに聞こえるのは風に揺れる木と草の音のみである。

「もちろん、あちらから出てきてもらうぜ」

 大信が付近に落ちていた子供の頭大ぐらいある岩を手で掴んだ。獲物の居所は臭いの流れから概ね見当はついている。腕を大きく振りかぶると建物の中程を狙い岩を思いっきり投げつけた。

 到底、人間業とは思えない腕力により発射された岩は、大砲から打ち出された弾を彷彿させる勢いで空を切り、建物へ着弾した。壁をぶち破る轟音が辺りに響く。

 漆黒の夜空に轟く激しい破壊音は化け猫狩りの始まりを告げる合図でもあった。

 

 最初、何が起きたのか分からなかったが、自分の身に危険が近づいている事は理解できた。数人の足音がこちらに向かってくる。

(人間風情がいい度胸だ。ならばこちらも迎え撃って、悪戯半分にちょっかいをかけた事をあの世で後悔させてやろうではないか)

 先ほどの衝撃から回避した身を起こすと、見事な跳躍力で表に出る。

(しかし、人間はあれ程足の速い生き物であったか。聞こえた足音から判断するとかなりの速さだ) 

 頭に浮かんだ疑問を打ち消し、相手と向かい合う。外には、こちらへ向かってくる年若い人間が三人ほど見て取れた。


「出て来たな。大信、陸、正面は任せた。俺は獲物の背後を取る!」

「おうよ」

「了解」

 千里の号令で後の二人もすぐに動く。暗闇の中でも彼らの動きは全く支障がない。

『五感で全てを感じろ』

 それは稽古の度に何度も言い聞かされた。

「空気の流れを肌で感じ、風切る音を耳で聴き、微かな臭いを鼻で嗅いで、遠くの影を目で捉える。さすればどんな状況下であろうと動きを制限されることはない!」

 教えられた言葉を口に出しながら三人が前進すると、予想通り建物の中から弾き出された大きな影が姿を表した。

 あれが今回の獲物に間違いない。

 先頭を切って走る大信は、柄に手をかけ鞘から刀身を抜き出すと片手で構える。

「一番刀もらいっ! あらよっと」

 左からの薙払いで相手の首を狙う。白刃が弧を描いて大木のような太い首に迫るが、素早いフットワークで上手くかわされる。

 向き合うことで大信は、初めて獲物の姿を見ることが出来た。

 爛々と輝く大きな目、鋭い牙を持った口からは猫独特の威嚇音を放っている。巨大な体は白地に灰色の斑。爪は鋭く、引っ掻かれたら大怪我するのは間違いない。

 まさしく化け猫。

「ハロ~、猫ちゃん。恨みはないんだけど依頼なんで観念してくだちゃいね~」

「貴様、我を愚弄する気カ!」

 化け猫が素早く右前足の爪で切りかかるが、大信は刀を振りそれを弾いた。金属を打ち合わせた鋭い音が辺りに響き、打ち合った瞬間火花が飛び散る。

「何だ、こいつ人間の言葉話しやがる」

「我を何だと思っておル。貴様らより遙かに長い時を生きテおるのだゾ」

 化け猫は正面に向かい低い軌道で跳躍すると、前足を振りかぶり大信の頭目がけて鋭い爪を振り下ろす。

 咄嗟に大信は後ろへ下がるが完全には避けきれず、こめかみ付近から赤い血が飛び散った。しかし傷を負った本人に怯む様子は感じられない。それどころかうっすらと唇に笑みを浮かべている。

 その太々しさは化け猫のカンに触った様に口を歪めたが、続く光景を見て太々しい笑いの意味を知ることとなった。

「ちっ、痛ぇな。ま、こんなの俺にとっちゃ屁でもねえけどよ」

 さっきまで流れていた血が止まり、パックリと開いていた傷がまるでチャックで閉めるかのごとく塞がっていく。そして血の跡はまだ残っているものの傷は完全に治っていた。時間にすれば十秒もかかっていないだろう。

 信じられない光景を目の当たりにして、化け猫の動きが一瞬鈍った。

「おらあ!」

 その僅かな隙を見逃さず、陸が左から走り込んで突きを放つ。

 不意の攻撃に化け猫はバックステップでかわそうとするが、予想以上に陸の突きは鋭かった。

 切っ先が右前足の付け根を剔り激痛が走る。白い毛が飛ばされ宙に舞う。


 おかしい。一体こいつらは何なのか、警戒しながらも化け猫は、冷静に相手を分析してみる。

(奴らは間違いなく普通の人間ではない。おそらく人間であることすら疑わしいだろう。この夜の闇の中、まるで昼間のごとく動いているではないか。それに手に持っている刀。日本刀はかなりの重量があるはずなのに、片手で軽々振り回している。しかもその斬撃たるはかなりのものだ。足の速さも我と匹敵するだろう)

 出した結論は、簡単だった。

 

 奴らは人間ではない。


「はっ!」

 背後から気配を感じ慌てて化け猫は横に飛び退く。

 しかし間に合わず今度は左太股を斬られて衝撃が走る。すぐさま振り返ると後ろに回った背の高いもう一人の少年、千里が刀を中段に構えてこちらへ向き直っていた。

「意外と素早い。だが」

 素早く上着のポケットに手を入れると、千里は長方形の紙を一枚取りだした。紙の表面には墨で文字と模様が描かれている。

「陰陽用いて雷を成さん。発!」

 呪文らしき言葉と共に紙を空に投げると、それは空中で青白く輝き稲妻となって標的の体を貫いた。 雷に撃たれた化け猫の体がビクンと痙攣し、毛皮の所々から焼けこげた煙と独特な臭いを発している。しかし傷は負わせたもののあまり効いた様子はなく、化け猫は顔を顰めながらも憎々しげな表情で千里を睨み付けている。演出が派手な割に、あまり効果はなかったみたいだ。

「俺の『轟雷符』もまだまだか」

「何やってんだよ、千里。一発で仕留めろ。ったく、早く狩りを終わらせてこんな猫臭いところ、とっととおさらばしようぜ」

 その言葉に化け猫は目を見張る。

(臭いだと? もしかして奴らは臭いをたどって我の居場所探り当てたのか。それにさっきの奇妙な術。何なんだ、こいつらは)

「貴様ら、何物ダ!」

 化け猫の至極当然な問いかけに大信が嬉しそうに反応する。

「教えて欲しけりゃ当ててみな。まあ、可哀想だからヒントをあげてやらぁ。十二支の三番目、英語でタイガーで~す」

(答えそのままでヒントになってないし)

 聞いた千里が心の中でつっこみを入れる。それにしても、と千里は思う。

 この有田大信という少年は化け猫退治を完全に楽しんでいる。少し間違えればその身が危ないというのに、何の怯む様子もなく自ら率先して相手に向かっていく。おそらく自分がやられるとは毛頭も考えていないのだろう。

 大信と化け猫のやり取りは続いていく。

「十二支の三番目……寅、虎だと言うのカ!」

「ピンポンピンポン大当たり~! 賞品は地獄旅行、片道御一人様。もとい御一匹様かな」

 軽口を叩きながら大信が風を従え、砂塵を巻き上げ、暴風の如き勢いで突っ込んでいく。しかしスピードは速いが一直線の軌道。動きは読まれやすい。

 突っ込んできたところを爪で叩き倒そうと、タイミングを合わせて化け猫は前足を繰り出した。狙いを定めて立てた爪が鋭く光る。

 だが、その瞬間大信の姿が二つに分かれた。

「なんだと!」

 またもや信じられない光景を目の当たりにして、化け猫は我が目を疑ったに違いない。

 振り降ろした前足は空しく宙を斬り、替わって左右両側から衝撃がくる。右側の大信が化け猫の脇腹に、左側の大信が首元へ剔り込むように拳を叩きつけた。

 岩のような化け猫の巨体が、大きく吹き飛ばされ地面に叩きつけられると、骨の折れる音が聞こえた。どうやらあばらが折れたらしい。

「正確に言えば俺達は虎人なんだけど」

 してやったりの表情で、大信が答えた。

 

 虎人、人の姿をした虎。そのルーツは海を越えて遙か中国大陸に求める。今から八百年以上も昔、大陸から日本へ渡ってきた。

 その時代、大陸では漢民族の宋王朝が女真族の英雄完顔阿骨打のうち立てた金王朝によって滅亡し、生き残った宋の王族が南へ逃れて宋王朝を再建した。いわゆる南宋である。悲運の名将岳飛が活躍したのもこの頃である。

 宋・金の激突により天下は大いに乱れ、人々は否応なく戦火の渦に巻き込まれていった。だが、戦の炎に巻き込まれたのは人間だけではなかった。

 彼ら虎人の先祖はちょうど金、南宋の国境付近に集落を構えていたので、戦乱の煽りをもろに被ってしまった。やむを得ず国家間の争いによる混乱から逃れるため一族郎党を率い故郷を捨てて、未知なる国、黄金の島と噂されていた日本に楽土を求めやって来たのだ。

 その頃の日本は源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時期である。そして日本へ渡った虎人達が最初に居を構えた場所が、現在彼らの住んでいる山月村にあたる。

 その後、日本へ渡ってきてから手に入れた太刀と剣術に、自分達が大陸から持ってきた気功と符術を取り入れた独自の戦闘法を編みだし、それを用いて時の権力者から小さな村の一農民に至るまで様々な相手から多種多様の依頼を受けてきたのだ。

 生きる糧として。


 砂まみれになりながらも化け猫は痛みを堪えすぐに立ち上がるが、今度は脇腹を斬られ思わず苦悶の声を上げる。見れば先程妙な術を使った少年が再び刀を構え、休む間もなく次の斬撃を繰り出してきた。千里である。

「クッ、調子にノルな」

 ギリギリで巨体を翻し、迫る白刃を何とかかわす。

 対する千里は二発目をかわされたものの、相変わらずの無表情な顔に翳りはなかった。

(相手は深手を負い満足に動けないだろう。だが油断してはならない。追いつめられたものは時として意外な力を出す。窮鼠猫を噛む、いやこの場合窮猫虎を噛むか)

 千里は心の中でそう自分に言い聞かせると再び刀を構え直した。

「やったね~。俺の『分け身』上手いこといったじゃねぇか。しかし、どうもイカンなあ。剣よりも拳が先にでちまう」

  大信が使った『分け身』は、気によって実体を持ったもう一人の自分を作り出すという完全な分離攻撃であり、かなり難度の高い技である。しかも、突進した時に剣を使わず、己の拳で化け猫の巨体を吹き飛ばしたのだ。

「大した馬鹿力だな」

 感心半分、呆れ半分で千里が感想を洩らす。

 高レベルの剣技を実戦で決めて満足したのか、ご機嫌そうに鼻歌を歌ながら大信は化け猫を逃さないように間を取る。陸も移動して完全に獲物を囲んだ状態へ追いつめた。

「さて、猫ちゃん。覚悟はできたかな?」

「猫、猫言うナ。我にハ又佐という名ガあル。憶えテおけ、ガキ共」

 だが、いくら気勢を張ったところで絶体絶命の状況に変わりはない。

 どこかに突破口はないか。又佐はジッと辺りを見回すとある一つの事に気が付いた。

 三人の中で一番背の低い少年の様子がやけにおぼつかない。よく観察すると足が小刻みに震えており、顔には緊張の色が窺える。そして、その少年の立ち位置は山裾へと続く道の方向だ。思い返せば他の二人に比べて、その少年は手数も少なかった。

(どうやら我が天命は完全に尽きていないらしい。どうせここでくたばるくらいならば、一か八かに賭けてみるか)

 化け猫又は生涯最大の博打を打って出ることに決めた。賭の相手は背の低い少年、藤堂陸である。

 

 戦場に身を置きながら、陸の心は戦闘の高揚と全く正反対のところに位置していた。

(何時になったら狩りは終わるんだ。頼むから早く終わってくれ)

 心の中を占めているのは恐怖のみ。

 情けないことに戦闘が始まった当初、陸は化け猫の凶暴な姿を間近に見て腰を抜かしそうになってしまった。今も足が震えて止まらない。

(しっかりしろ、藤堂陸。あれほど頑張ったんじゃないか。ここで覚悟を決めなくてどうする)

 気絶するまで稽古を重ね、手の皮がすり切れるまで木刀を振った。そうした努力を思い出し自らの心を奮い立たせる。ふと、頬に冷たいものを感じた。

 

ひとつ、ふたつ、上空から雨粒が落ちてくる。やがて数を増やし全てを濡らしはじめた。三人の髪も学生服も、化け猫の体も髭も。雨音だけが静かに音楽を奏でる中、意を決したように化け猫、又佐が動く。

 その先には陸がいた。

「来る!」

 覚悟して陸は刀を構える。だが、体が動かない。

 轟くような咆哮を上げ、目の前全てのものを打ち倒す形相で突進してくる又佐の気迫に飲まれてしまったのだ。

(あれ、動かない。動けよ、俺の体)

 動揺する陸を後目に、又佐は勢いをつけて疾走し彼の脇を通り過ぎる。そして、そのままスピードを落とさず、瞬く間に坂道を駆け下りていった。

 まさかの出来事に残る二人は呆気に取られるしかなかった。数秒経って怒声が鳴り響く。

「馬鹿野郎! 何やってんだよ、この臆病モン!」

「やばいぞ、大信。奴の向かった方向には町がある。それに雨も降ってきたし臭いが流される。このまま逃すと厄介なことになるぞ」

「おい、追跡用の『飛燕符』は?」

「今、持っている符は戦闘用のしかない。必要ないと思って持ってこなかった。甘かったな……」

 さすがにいつもは無表情な千里の顔にも焦りの表情が浮かぶ。

 

 山中へと続く道の入り口付近で朱鷺野は三人の帰りを待っていた。脇には町長が車に乗って待機している。おそらく彼も化け物退治の報告を今か今かと待ちわびているだろう。

「とうとう降ってきたか。傘を持ってくれば良かった。それにしてもあいつら、やけに時間食ってるな。初めての実戦だから仕方ないか」

 携帯電話で時刻を確認すると八時半を過ぎていた。おそらく、もうそろそろ降りてくる時間だ。視線を携帯から離すと水たまりを弾く音と共に何かが下りてくるのが目に入った。 

 やっと終わったかと、朱鷺野は声をかけようとしたがどうも気配が一つしか感じられない。それに大きさも違う、やけに大きいのだ。

(まさかあれは……)

 確認する間もなく、それは公道を走る自動車と変わらないスピードで駆け抜け、朱鷺野の目の前を通り過ぎていき、闇の中へ姿を消していった。少しして、同じぐらいの速さで大信と千里が駆け下りてくる。

「どうした、一体何が起きた!」

「それは後からやってくる、臆病モンの馬鹿野郎に聞いてくれ!」

 そう言い残すと、大信は千里と共に闇の中へ飛び込んでいった。その方角は先ほど目の前を通り過ぎた正体不明の物体が消えたいった方向である。

 朱鷺野には目の前を通り過ぎた物体が何であるか、おおよそ見当が付いた。そして現場で何が起こったのかも。おそらく最悪の事態が起きたのだろう。

 降りしきる雨の中、小さな人影がこちらへやってくる。その足取りは重く、肩を落とし、見ているこっちが気の毒な程悲壮感漂う顔をしていた。今にも泣き出しそうだ。

「陸、お前……」

「すみません、すみません、すみません……」

 ただひたすら謝る陸を自分のところへ招き、慰めるように肩を抱く。

(叱るのは後でいい。問題は驚いた顔で車から飛び出してきたあの老人に事の顛末をどうやって説明するか、だ)

 朱鷺野は恨めしそうに天を仰ぐ。

「泣きたいのはこっちだ」

 まだ冷たい五月の雨が、辺り一帯を静かに包み込んでいた。


 結局、化け猫又佐の姿は見失ってしまった。与えた怪我の具合からそう遠くには行けないので町のどこかにいるのは確かなのだが、決め手となる臭いは降りしきる雨で流れてしまい、これ以上の追跡を困難なものに変えてしまった。

「で、町長には何と言っておきました?」

 濡れた体もそのままに一同は今後の話し合いに入る。今居る場所は駅からすぐ近くにあるビジネスホテルの一室。この部屋は朱鷺野と千里の部屋で隣が陸と大信の部屋になる。

「逃したものの、深手を負っているのですぐに捕まると納得させておいた」

 朱鷺野のことだ、おそらく問答無用で納得させたのだろう。千里にはそう思えてならず、町長への同情を禁じ得なかった。

「それにしてもどっかの誰かさんのお陰でさ、えれぇ迷惑だよな。ホントに」

 憤懣隠せない大信の声が部屋に響く。彼の言う、どっかの誰かさんは、ずっと俯いたまま顔を上げようとしない。

「聞いてますか~藤堂陸くん~。あんたのことですよ~」

 ベットの上に腰掛けている陸の側に立ち、大信は無理矢理顔を掴んで上げさせる。正面を向いた瞳は涙で溢れており、すぐにもこぼれ落ちそうだ。

「大信、いい加減にしろ!」

 見かねた千里が声を荒げて制止する。

「おーおー、陸には優しいねえ。もしかして、お前らおホモ達ぃ? それとも名家の御曹司として器量のでかいとこでも見せておこうって魂胆か?」

 その言葉に堪忍袋の緒が切れたのか千里は大信の胸ぐらに掴みかかった。

「いいね、その目。五十嵐家のボンボンとは思えねぇ殺気のこもった目をしてる」

「有田の父なし子が何を言う」

 お互い相手の触れて欲しくはない家庭の事情を口にして、一触即発のムード。それを回避させたのは朱鷺野の鉄拳だった。

 たまらず両脇のベットへ吹き飛ぶ二人。

「牙も生えそろっていないガキ共が一人前にいきり立ってんじゃねえ。鬱陶しい。おい、藤堂陸」

 フルネームで呼ばれて陸は身を固くする。

「相手にびびって逃げ道を譲ったなんて山月村じゃ前代未聞だな。どうやら俺は虎と猫の子を見間違えたらしい。切磋琢磨して鍛え抜いたお前の剣技は素晴らしいものだ。だが、それを生かす心の鍛錬はまだまだったってわけか」

 陸はただ何も言わず黙って聞いている。

「臆病なことが悪いとは言わない。それが命を守ることに繋がるからな。だが、戦いの場で覚悟のない者は必要ない。陸、お前に足りなかったのは戦場に出る覚悟だ。その結果が今日のこれだな」

「……はい」

 消えそうな声で返事が返ってきた。

「まあ、これ以上とやかく言っても仕方がない。自分の部屋に戻ってシャワーを浴びてこい。そして明日に向けて心を切り替えろ。夜が明けたらすぐに行動を起こす。いいな、そこの二人も」

 殴られた頬を押さえながら返事をする千里と大信。

 先ほどの朱鷺野による鉄拳制裁は普通の人間が喰らったらひとたまりもない。恐らく頭が破裂し壁に真っ赤な模様を作ることとなっただろう。それ程までに虎人の腕力は凄まじい。逆に頬が赤く腫れた程度ですんだのは、偏に虎人のもつ頑強さのお陰だと言えた。

「……失礼します」

 小さくお辞儀をして自分の部屋へ戻る陸。

「あ~あ、辛気臭くて嫌になっちまう」

 閉じる扉を見送ると大信は上着、ズボンと脱いで褌一枚になった。

「ちょっくら、シャワー借りるぜ」

「お前、自分の部屋のを使えばいいじゃないか」

「言ったろ。辛気臭いのは嫌だって。それにどうせ泣くんなら一人にさせておいた方がいい。あいつも泣いてるところを他人に聞かれたくないだろ」

 大信なりの陸への心遣いだと分かり、千里は静かに微笑む。

「だったら最初から優しくしてやればいいのに。不器用な奴」


 ユニットバスの蛇口をひねると冷たい水が体へ降り注ぐ。やがてだんだん温度が上がりお湯となって辺りを湯気で包み込んでいった。

 だが陸は立ったまま微動だにしない。ただ額を壁につけているだけだ。

「よりによって何で動けなかったんだろう」

 蜂蜜色の髪から雫がぽたぽたと落ちていく。この髪、この目、この肌。

 ただ皆と違うだけで散々虐められてきた。『あいのこ』と影で言われているのも知っている。だからそいつらを見返すため人一倍、いや二倍三倍それ以上努力してきたのだ。

 陸の父はアメリカ人で母が山月の出身である。あまり村から出る機会が少ない山月の女がどうやって知り合ったのか知らないが、二人は出会って、恋に落ち、そして結婚した。

 虎人は女腹でしか産まれてこない。いくら男の虎人が頑張ったところで、相手が人間の女性である限り産まれてくる子は全て人間だ。反対に相手が誰であろうと女の虎人が産む子はすべて虎人、『虎』である。

 陸も『虎』として生を受けた。文字通り毛色の変わった虎として。

「だから頑張ってきたじゃないか。見返すため、認められるために。なのに、なのに!」

 お湯とは違う熱いものが頬を伝って流れ落ちた。そして嗚咽の声が洩れる。

 それはまるで夜に響く遠吠えのような声だった。


『何処を走ってきたのか、何処へ走っているのか。全く憶えていないし全く分かってもいない。追っ手から逃れる為に、遠くただひたすら遠くを目指していたのは確かだ。認めたくないが我は逃げたのだ。あの虎の小僧どもから』

 

 化け猫又佐は自分がどうやってこの場所まで来たのか定かではなかった。ただ、降りしきる雨の中、あのしつこい小僧共を撒くので精一杯だったことは憶えている。草むらをかき分け、田んぼを横切り、途中、何度も転びそうになりながら逃走した。今は茂みの中に身を潜ませ辺りを窺っている。付近に気配を感じないところから、どうやら撒くことには成功したらしい。

 しかし、今の自分は何と哀れな姿であろうか。又佐は思う。

 先ほどの戦闘で受けた傷が肉体を剔り、痛みが神経を蝕んでいた。特に左側面、首から脇腹にかけて酷く痛む。所々、葉っぱや木の枝が絡みついており、泥水と血が己の白い毛皮に多くのシミを作っていた。そして、小型乗用車ほどの大きさだった又佐の体はそこら辺にいる野良猫のレベルまで小さくなっていたのだ。

 正確に言えば、それまでの巨体を維持する力が尽きてしまい、猫本来の姿に戻ったのである。皮肉なことにそのお陰で追撃者から逃れられたのだが。

(しかし、ここは何処だ)

 茂みから顔を出し様子を窺う。

 今の又佐には傷を癒し力を取り戻すための食い物と身を休ませる場所が必要だった。それらを求めて顔を上げると又佐の目にカーテンで閉じられた窓とそこから洩れる光が映る。どうやら、どこか家の庭へ入り込んでしまったらしい。

(とにかく前へ、あの光の中へ)

 しかし又佐の意識は途中で途切れてしまった。


 最後の1ページを読み終えて静かに本を閉じる。時計を見ればもう十時を過ぎていた。

 和田ちか子はかけている眼鏡を外すと鼻の根本を押さえた。

 図書館から借りてきた本が明日返却だったのに気づいて、先ほどまで一心不乱に本を読んでいたので、さすがに目が疲れたらしい。借りてきた本は『源氏物語』の中巻。続きが気になるので明日返しに行くついでに下巻も借りてこよう、とちか子は小さな決心をする。

 気分転換にカーテンを開けると、二階から見える外の風景は雨で曇っていた。夜の雨は山も田んぼも近所の家も全て幻想的なものに変えてくれる。

「よく降る雨だなあ」

 一言感想を呟いて視線を自宅の庭に向けると何か動いているのが見えた。

 疑問に思い部屋の扉を開けると、そのまま階段を駆け下りていく。傘を差して庭に出るとそこには一匹の猫が倒れていた。死んでいるかと思われたがよく見ると胸が上下に動いていたのでホッと胸をなで下ろして猫の側へ近づいていく。

「どうしよう。何とかしなくちゃ」

 暫く考え込んでいたが意を決すると猫を抱きかかえ自分の部屋へ向かった。本来なら動物病院へ連れていきたいところだが、生憎何処にあるのか分からなかったので、ここは自分で何とかするしかない。

「とりあえずタオルで濡れた体を拭かないと」

 ちか子はすぐさま思いつくだけの行動を開始した。


 夜の空に月が浮かんでいる。中秋の名月。それをあの人が物憂げな表情で眺めていた。 

 一言鳴き声をあげると、いつもの優しい笑顔でこちらを向いて軽く頭を撫でてくれた。そしてまた物憂げな顔に戻って独り言のように自分へ話しかける。

「もうじき家に婿様が来るの。私の旦那様になるのよ」

 その言葉を聞いて体中に稲妻が走り、心臓が大きく鳴り響く。いずれこんな日が訪れるとは分かっていたが、やはり実際に訪れるとどうしようもない絶望感が心を支配する。

「とうさまの言いつけだから仕方ないけど、本当は私、この縁談乗り気ではないの。やっぱり自分から好きになった人と一緒になりたかった。『源氏物語』の紫の上ように」

 その独白を聞き、ある決心した。それは不退転の決意。

 この人を自分のものにする。


「あ、目を開けた」

 聞き慣れない、だがどこかで聞いたような声で又佐は気がついた。

 どうやら暫く意識を失っていたらしい。我に返りここは一体何処なのかと顔を上げると、こちらを見ている少女の姿が目に入った。

 その顔を見て又佐の動きが止まる。

 一方、ちか子は助けた猫の目が開いたのを確認して安堵の溜息をつく。

「死ななくて本当に良かった」

 とりあえず傷薬を塗り、ガーゼをあてて包帯を巻くといった簡単な応急処置ではたして大丈夫なのか心配だったが、猫の意識が戻ったことで安心した。

「ねえ、あなたお腹空いてない?」

 そう言うと、ちか子は皿に入った牛乳とキャットフードを、又佐が横たわっている、段ボール箱に古くなったバスタオルを敷き詰めて作った簡易の寝床の側へ置いた。

「このキャットフード、余り物だけどどうぞ」

 しかし、又佐はちか子の顔を凝視したまま微動だにしない。

 そんな又佐の顔をちか子もじっと見つめる。暫くの間、お互い見つめ合ったままでいると、ちか子がハッと気づいて声をかけた。

「あら、あなたとてもハンサムな顔をしているのね。まるで貴族、猫の貴族みたい。もしかしたら光源氏の生まれ変わりかしら。と、言っても光源氏は物語の登場人物であって、実在してないんだけどね」

 ふふふ、と笑いながらウインクをする。

 だが、逆に又佐の瞳は更に見開かれることとなった。

 又佐は自身が化け物故、神仏などはまったく信じていなかった。それに元々畜生である。信仰心など欠片もない。しかし、今この時になって初めて仏の存在を信じてしまいそうになった。

 

 この目の前にいる少女は、何故あの人と同じ姿なのだ。

 この目の前にいる少女は、何故あの人と同じ言葉を発したのだ。

 あの人は遙か昔の人。今この世に存在するはずがない。

 しかし、だがしかし。

 輪廻転生。

 それを実証する証拠は目の前にいる。

 因果は巡る水車ごとく、再びあの人を我に引き合わせてくれたのか。


「う~ん、まだ物が食べられる程回復していないのかな。しょうがない、餌はここに置いてくから元気になったら食べてね。じゃあ、遅いから電気消すよ。」

 こちらを凝視している又佐を後にして、ちか子は部屋の電気を消すと、掛けていた眼鏡を机の上へ置いてベットの中へもぐりこんだ。

 最後に又佐に向かって「おやすみ」と就寝の挨拶をすると夢の世界へ入っていった。

 しかし、その間も又佐は石のように動かなかった。いや、動けなかったと言うべきか。 

 ただジッとちか子が寝ているベッドに顔を向けたままだった。


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