皐月中旬 金曜日 昼 『緑の町に舞い降りて』
軽い溜息も似た声で締めくくりの言葉が形の良い口から発せられる。
「と、言うことだ」
一通り話し終えた後、スーツを着た青年が手にしたレポート用紙を手前に放り投げて話を区切る。投げられた紙束は青年の足下に落ち、彼の目の前に座っていた小柄な少年が慌ててそれを拾い上げる。青年の足下に屈んだ少年の茶色い頭がもそもそ動いている。
「大事な資料を放り投げるなんて危ないなあ。風に舞って散らばったらどうするのさ」
文句を言いながら少年はレポート用紙を青年に渡す。
彼らが座っているボックス席の窓からは爽やかな風が吹き込んでいた。そして窓から見える景色は流れており、ガタンゴトンと規則的な音と振動が周りを包んでいる。ここは電車の中である。平日の昼間とあって乗客も少なく、この車両にも彼ら以外には数える程度しか乗っていない。
「別に気にすることはない。どうせ同じものはお前らに配っているわけだし、それに内容は全て頭に入っている。渡された資料の内容は一字一句頭にたたき込むのが俺達の基本だ。文句を言っている暇があったら、とっとと自分の分を読んでろ」
(本当は膝の上に落とそうとして、目測を誤ったくせに)
青年のあまりの物の言い様に少年は二の句も言えない状態だったが、すぐに気を取り直して自分へ渡された紙束に目を通し始める。
その様子を眺めながら青年はスーツのポケットから煙草を取り出し火を付けようとしたが、すぐ隣から喫煙を諫める声が上がる。
「電車の中ではなるべく煙草を吸わない方がいいですよ。この車両は禁煙車両じゃないですけど、吸わないに越したことはないです。せめて駅に着くまで我慢して下さい、朱鷺野さん」
朱鷺野と呼ばれた青年は苦々しげに煙草を箱に戻すと、ポケットにしまい直し、隣にいる切れ長の目をした背の高い少年へ呆れ半分の文句を言いはじめる。
「千里、お前ホントに真面目だなあ」
「誉めてくれて、ありがとうございます」
皮肉の通じない千里に、諦めて肩をすくめる朱鷺野。そのやり取りを見て斜め前から小馬鹿にしたような笑い声が上がった。
朱鷺野が笑い声の主に視線を向けると、そこには気の強そうな顔付きの少年が足を組んでふんぞり返っていた。彼の隣、窓際の席には先ほどの小柄な茶髪頭の少年が鬱陶しそうにしている。隣がふんぞり返っているお陰で席が狭くなっているのが大層不満らしい。だが、そんな彼の心中を大して気にするでもなく、件の笑い声の主は口を開く。
「いやあ、電車の中でコントが見られるなんて思わなかったぜ。なあ、陸~」
意地の悪い笑顔で窮屈そうにしている隣の茶髪頭へ同意を求める。
「んなことよりも、ふんぞり返るのやめてくれっての。こっちの場所が取られて座りにくくてしょうがないんだよ、この馬鹿大信!」
文句を言う茶髪頭の陸に馬鹿と言われて気分を害したのか、大信と呼ばれた態度のでかい少年は大声で隣に噛みつきはじめた。
「うっせえ! てめえはちっこいんだから、このぐらいのスペースでちょうど良いんだよ。ピーチクうるせぇんだ、黙ってろ。このマメ! ひよこ!」
マメ、ひよこと貶されて見る見る陸の顔が真っ赤になる。そして何か言い返そうとした瞬間、周りを震撼させるような怒声が彼らの前方から発せられた。
「うるさい、ガキども。ギャーギャー騒ぐな!」
車両内が一瞬沈黙に包まれる。隣では真剣に資料とにらめっこしていた千里が驚いた表情で朱鷺野の方へ顔を向けている。
周囲の状況を見てさすがにばつが悪くなったのか、朱鷺野は軽く咳払いをすると何事もなかったように外の景色へ視線をそらした。恥ずかしかったらしく彼の耳は真っ赤である。
朱鷺野は軽く溜息をつくと、今一緒にいる三人の少年達を窓ガラスに映った姿で確認を始める。
まず目の前に座って必死の形相で資料を読んでいる少年について黙考する。
蜂蜜色の髪の毛に同じ色の瞳。肌の色も他の二人に比べると白く西洋人の雰囲気があるが、顔の作りは完璧に日本人だ。
(藤堂陸。何事にも前向きな姿勢は評価できるのだが、どうも勢いが先走って空回りしすぎるきらいがあるな。後は概ね問題なし。少々気の弱い性格は憂慮する点でもあるが、笑顔を絶やさない良い意味でのお子様だ)
次に陸の隣、通路側の席へ目をやると、やる気なさそうに大欠伸をしている奴がいた。
癖のある黒髪にきつい眼差しを持った外見は、見る人に好戦的な印象を与える。
(こいつは我が強すぎる。何時でも何処でも誰にでも自分を通そうとして引きやしねえ。それですぐ喧嘩になる。一応、愛嬌があって相性のいい人間とはとことん仲良くなるのだが、どうも相手を選ぶ。有田大信、こいつの言動は要注意だな)
「おい、人前で鼻をほじるんじゃない。お前は幼稚園児か」
鼻の穴に人差し指を入れ始めた大信に、朱鷺野はポケットからティッシュを取りだし投げてよこす。
そして自分のすぐ隣に視線を移すと、そこには短めに刈られた焦茶色の髪が映った。その髪の持ち主は無表情で資料に目を通している。
(五十嵐千里、真面目で無口で頑固、絵に描いたような堅物。まあ、この三人の中では一番性格が出来ているのは確だし、優等生にありがちな脆さが出なきゃそう心配はないだろう。しかし、こいつのバックがなぁ……ある意味もっとも扱いにくい奴だ)
全員、十四歳のガキんちょ。子供以上大人未満の一番扱いづらい年頃である。
「何でこう問題児ばっか集まったのかな」
自分の物思いが一通り終了すると朱鷺野は小声で一言こう呟いた。
「何か言いましたか?」
隣にいる千里が怪訝そうな顔で朱鷺野に訪ねる。
「いや、何でもない。それよりお前ら、大体資料に目を通し終わった頃だと思うが先ほど俺が説明した今回の依頼内容を、確認の為に繰り返してみろ。まずは陸、お前からだ」
「え、俺から?」
泡をくった表情で陸が狼狽える。
「お前らが内容をどれだけ把握しているか、その確認のためだ。早くしろ」
慌てている陸を気にもとめず発言を促す朱鷺野。そんな状況をおかしそうに眺めている大信と無表情に見ている千里。この両者の姿は実に対照的である。
「は、はい。え~と、今回の依頼は今向かっている町で起きている連続殺人事件に関してで、ここ一月半の内に三人の女性が帰宅途中何物かによって襲われ殺されています。この事件の奇妙なところは被害者が身に着けていた衣服や鞄など身の回りの品と同じく被害者らのものと思われる大量の血痕しか残されておらず、体の一部分たりとも見つかってはおりません。遺族としては殺されたとは思いたくないんだろうけど、まあおそらく無事ではないだろうね」
内容が内容だけに陰鬱な気分になったのだろうか、息を深く吐いて陸は一旦言葉を止めた。窓から入ってくる風が彼の茶色い前髪を軽く揺らしていた。そして陸は気を取り直し発言を再開する。
「遺留品は全て雑木林など普段人が立ち入らない場所で見つかっています。服は刃物で切り裂かれたようにズタズタになっており、現金やクレジットカードなど金目のものには一切手をつけられてないところから、金品目当ての犯行とは考えられてません。それに人を殺した場合、大体において死体というものは身元がばれないように身に着けた品も含めて全て処分してしまうか、逆に死体をそのままほったらかしにするかのどちらかなのに、今回のケースはそのどちらにもあてはまってはいません。今現在も警察による捜査が行われていますが、未だ犯人に結ぶ手がかりは見つかっていません」
今の俺、ニュース番組のアナウンサーみたいで格好いい。などという感想を胸に抱きながら、陸は言葉を止め、朱鷺野の顔を伺う。
「まあ、いいだろう。次は大信、お前の番だ」
はいよ、と気のない返事をして大信が陸の後を受けて話をはじめた。緊張から解放されたのか陸はホッとした表情で大信の言葉に耳を傾ける。
「これまでの事件に共通しているのは、予想される犯行時刻が夜間であること。しかも天候が曇りか雨、つまり三人の女性が襲われた時間は月明かりすらない真っ暗だったってことになるな。あと、そいつらが利用している道ってのは街灯もなく殆ど車も通らない所が存在している。まあ、おそらく真っ暗な道を歩いている最中襲われ、違う場所へ連れて行かれて殺られたって事じゃないか。いやあ、全く用心深いねぇ」
何者に向けたのか、感想を一言付け加え大信は自分の足下に置いたペットボトルのお茶を右手で取り上げるとキャップを抜き一気に飲み干しはじめた。
「ぷは~、どうも真面目な発言を続けると喉が渇いてしょうがねえや。おっと、まだ途中だったけな」
空っぽになったペットボトルを陸の膝の上に乗せて、話を続ける大信。ムッとした表情になった陸のことなどお構いなしだ。
「殺されたのは力の弱い女性ばかり。しかも犯行を行うに人気のない真っ暗闇の場所と時間帯を狙っている。ここから推測すると犯人はかなり狡賢く慎重な奴だな。そして、人間じゃねえ」
だから俺達が呼ばれたんだろと、陸が小声で付け加える。
「うっせなあ、んなこたぁ分かってんだよ。えっと、ここに面白い証言が上がってる。事件が起こっている町に住む藤堂さん(仮名)のお話だ」
「ちょっと待て。なんで仮名に俺の名前を使うんだよ!」
自分の名前を無断借用されたことに抗議の声を上げる陸だが、正面に座っている朱鷺野の表情が険しさを増したことに気づき、そのまま押し黙ってしまう。
してやったりの表情を顔に浮かべ大信はそのまま話しを続ける。
「サービス残業で帰るのが遅くなった会社員の藤堂さん(仮名)が、夜の道を自動車で走っていると、何か大きな黒い影が前方の車道に現れたのを見た。危ないと思い慌ててブレーキペダルを踏んだんだが、その時藤堂さん(仮名)は見てしまったんだねえ。ヘッドライトに照らされた巨大な化物の姿を」
ここで一旦言葉を区切り、真剣に聞いている一同を見渡す。
「体長は大体二メートル。目は大きく金色に光り、口は大きく裂けそこから鋸のような歯が覗いていた。そして何やら大きな物体をくわえていたように見えたそうな。まるで猫科の大型肉食動物を連想させるそれは、一瞬立ち止まったがもの凄い跳躍力ですぐにその場から離れ瞬く間に夜の闇の中へ消えていった。まあ内容が内容なんで話を聞いた人は疲れて寝ぼけてたんじゃないかと言ってだれも信じようとはしなかったし、時間が経つにつれ藤堂さん(仮名)も自分の見間違いと納得するようになったんだと。ただ、その化け物を見た日ってのが、三件目の事件が起きたのと同じ日だったのさ」
ここまで言い終えた大信はもういいだろうという表情で朱鷺野の顔を見た。
そんな大信の表情を読みとったか朱鷺野は続けてまとめの説明をするように隣の千里に目配せをする。その合図に軽く頷いて千里は口を開き説明を始めた。それは教科書を読む学生のような起伏のない喋り方で、もしかしたら多少緊張しているかもしれない。
「先ほど出た証言とは別に、犯人が人間ではない証拠としてこのような物が見つかっています」
そう言って小さな透明のビニール袋を取り出す。中には動物のものと思われる体毛が入っており、長くて柔らかく白いものや暗灰色のもの等が入り交じっている。
「この毛は事件現場とされる被害者の遺留品などが発見された場所にありました。それとこれも見て下さい」
千里は数枚のポラロイド写真を見せる。そこには引き裂かれた服、地を染めている大量の血痕、そして土を剔った線が平行に何本も引かれた地面が写っていた。まるで爪で引っ掻いた痕にも見える。
「この写真は事件現場を写したものです。引き裂かれた服、爪で剔られたような地面、正体不明な動物の毛。これらの物的証拠を照らし合わせると、先ほどの証言もあながち目の錯覚ではない、真実を語ったものと断定できます。もう一つ付け加えると、捜査の為に警察犬を使用したところ、現場の臭いを嗅がせた途端、怯えた様子で一歩も動こうとしなかったそうです」
正体不明の毛に関しては、近くを散歩中の犬から落ちたものではないかと言うのが警察の見解であり、興味すら示さなかった。当たり前の話だ。犯人が化物だという一般常識を越えた見解は普通の人間である警察には想像すらしない馬鹿げたことで、明らかに管轄外の話である。動物園を抜け出した猛獣の犯行だと言った方がまだ説得力があった。
だが彼らは違っていた。彼らの常識では妖怪や化物の類は普通にいて当たり前の存在であり、化物が人を襲うという話にも何ら驚く必要はない。
「夜行性で用心深く、いざ行動を起こすときは迅速且つ大胆。大きな目と裂けた口を持つ大型の肉食動物のような外見。そして人知を越える運動能力、爪痕と体毛。他の動物が萎縮する臭い。これらの事から推測すると犯人の正体は……」
「化け猫、だな」
締めの言葉を奪うように横から大信が口を挟む。その後を受けて千里が注釈を付ける。
「化け猫。日本に古くから伝わる妖怪の一種で、二十年以上生きた飼い猫がなると言われています。尻尾が二つに分かれている姿から猫股とも呼称され、怪談話として昔から講談や映画などの題材によく取り上げられました。江戸時代、佐賀藩の大名鍋島家で起きた化け猫騒ぎは『鍋島の猫騒動』として特に有名です」
そして、静かに書類から目を離し、一同を軽く見渡した。
「以上、調査員から報告された資料による依頼の概要です」
淡々とした口調で話を終わる千里の表情からは、先ほど大信に口を挟まれたことを不快に思っている節は見あたらない。逆に蘊蓄を披露できて満足している様子すらある。
「お前らが大体理解しているようで一安心だ」
と言いながら全く安心している気配すら見せない朱鷺野の目は険しいものだった。
「今回の目的は人間を襲う化け猫の退治だ。実習中のお前らにとってはこれが初めての実戦となる。今までの稽古で積み上げたものを出し切ればそれ程難しい事でもないが、実際のところ舞台に上がってみないと正直わからん」
学生服姿の自分達を鋭い表情で見つめる朱鷺野の姿に自然と背筋を伸ばす三人。
「いいか、俺達は今から狩りをする。獲物は例の化け猫だ。そして、これだけは肝に命じておけ」
途中で話を止めて朱鷺野は三人の様子を見る。陸も千里も、先程まで不真面目な態度を取っていた大信も、皆一様に真剣な表情をしていた。
「獲物には決して情けをかけるな。躊躇なく息の根を止めろ。情けを掛けた瞬間、狩るものと狩られるものの立場が逆転しないとも言えないからな」
続けられた言葉に三人は一斉に頷く。そんな彼らの反応を確認して朱鷺野がようやく満足そうな顔をしたとき、停車駅が近づいたことを知らせるアナウンスが車両内に響く。
自分たち降りるの駅がすぐだと確認した一行は、一斉に立ち上がり網棚から各々の荷物を降ろしだした。スポーツバックと竹刀袋、それが彼らの荷物であり、第三者からは剣道部の学生とその顧問に見える。だが、もし先ほどの彼らの会話を一部始終聞いた者がいたとしたら、その格好すら怪しいものに写っていたであろう。
「あ、そうだ」
開くドアの方向に顔を向けたまま、後ろにいる三人に朱鷺野は声をかける。
「どうしたんだよ、実ちゃん」
その言葉に大信がお気楽な調子で尋ねる。
「駅に着いたらまずは一服させてくれ。さっきから吸いたくてたまらんのでな。それと実ちゃんではなく朱鷺野さんと呼ぶように。従兄弟同士でもその辺りは徹底しろ、いいな」
へいへい、と気のない返事で大信が答えると、三人の少年は今自分たちに背を向けているこの青年について小声で話し始めるのだった。
「なあ。実ちゃん、また生えぎわが上がってきたんじゃねえの。便所へ行くたんびに鏡の前でにらめっこしてるんだぜ。まだ二十三歳なのに可哀想だよなぁ」
「にゃはは、言えてる。必死で前髪下ろしてるんだもん。まあ、今のところは誤魔化しも通用してるみたいだけど、何時まで持つか。勿体ないよなぁ、目鼻立ちも通っていて結構二枚目だし実力もあるのに。『色の白いのは七難隠す』って言うけど、おでこの広いのは良いとこ全部隠しちゃうね。だから彼女も出来ないんだ、ひゃはは……やばっ!」
自分の発言につい大声で笑いそうになり、陸は慌てて手で口を覆った。そんな、相手が気づかないのを良いことに散々扱き下ろしてる二人へ千里が横から口を挟む。
「おい、あんまり言うなよ。気づいたらどうするんだ。それに『朱鷺野さん』だろ」
しかし乗りに乗っている、すちゃらかコンビの会話は止まることを知らず、絶好調で話し続ける。
「まあ、実ちゃんが俺達の指導員って閑職に干されてるのも、口の悪さが原因だよな。それに慇懃無礼も板に付いてて、相手が誰であろうと態度を変えやぁしねえ。だからお偉いさんに睨まれるんだ。ありゃ、死んでも治らねえな」
それはお前も同じだろう、と喉から出かかった様子の千里だったが、反対に大信から話しかけられて口を噤んでしまう。
「なあ、お前んとこの家じゃ実ちゃんの評判、どうなんだよ。やっぱ悪い?」
「さあ、知らないな。父さんはかなり気に入っているみたいだけど」
聞かれて、何故か不機嫌そうに眉を寄せた千里はぶっきらぼうに答える。
「へえ、そうなんだ。だったら前線に出してくれるように、千里のお父さんから働きかけて貰えればいいのに。朱鷺野さん、歳も若いし働き盛りなんだからバンバン任務こなせるんだろ」
「そう簡単に行かないのが大人の事情ってやつさ。ただ、実ちゃんの場合、自業自得だけど……」
陸の意見に注釈を述べた大信は、意地の悪い笑いを浮かべて朱鷺野の背中に視線を向ける。同じく他の二人もそれに倣った。
(何でこんな人が自分達の指導員についたのかな)
胸の中で三人が同じ台詞を呟く。
そんな思いを知ってか知らずか、電車が止まり扉が開くと同時に朱鷺野はホームへ飛び出す。続いて千里、大信が電車から降り、最後に陸がホームに出た。
陸の片手には先程大信に押しつけられた空のペットボトルが握られており、それを捨てるゴミ箱を探して辺りを見渡すと、五メートルほど離れた場所に目的のものを発見することが出来た。
「よし!」
狙いを付けると、陸は手に持っていたペットボトルを放り投げる。放物線を描いてゴミ箱に入ると思われた容器はすんでのところで鉄製の縁に当たってしまい、勢いよく飛び跳ねるとホームの壁にぶつかり、そのまま軽い音を立て地面に落っこちた。
「下手くそ~。俺だったら一発で入れてるぜ」
離れた所で見ていた大信の野次に腹を立てながらも慌ててペットボトルを拾いに行く陸。そこでふと壁に貼ってあったポスターに目が行く。内容は行方不明になっている女の子の情報を求めるものであった。要約するとこうだ。
『和田洋子。小学二年生。行方不明当時の年齢は七歳。学校から帰宅した後行方不明に。当日家に帰った形跡までは残っていたものの、その後の消息は分からず』
そこには女の子と行方不明当日に着ていたものと同じ服の写真が大きく載っている。
「行方不明になってちょうど一年ぐらいか。物騒な事件が続いてるよな、この町。まっ、一年前じゃ例の化け猫は関係ないな」
などと感想を漏らし振り返ると他の三人はとっくに姿を消していた。
「なんだよ、待ってくれてたっていいじゃないか。罰当たるモンじゃないし」
急いでペットボトルをゴミ箱へ捨てると階段を駆け下り、改札をくぐる。外に煙草をくわえた朱鷺野と遠くを見つめている千里、大信の姿を見つけ、走って正面口を出るとなだらかな山並と緑に囲まれた町の風景が目に飛び込んできた。
五月の爽やかな風が陸の色白な顔を優しく撫でる。そして風に運ばれてきた新緑の香りと共にそれとは違う微かな、ほんの微かな臭いが鼻を突いた。それはつい最近嗅いだことのある臭いだ。
「気づいたか、陸」
千里が静かに問いかけた。
「ああ、この臭い。資料にあったあの毛の臭いと一緒だ」
「奴は間違いなくこの町にいる。いくらその身を隠そうと、風に運ばれてきた臭いで居場所は分かる。俺達がここに来たことは奴にとっては不幸だな」
風上の方向を見据えながら千里は言う。
同じく風上の方向を睨み付けながら大信が言葉を続けた。表情はいつになく真剣だ。
「こんな微かな臭い、俺達じゃなきゃ分からねぇよ。何てったって俺達は……」
三人の鋭い視線が若草の息吹で萌える山に突き刺さる。髪をなびかせて佇む彼らの姿は食物連鎖の頂点に立つ肉食動物の風格があった。
山月村という名の村がある。地理上では愛知と長野の県境、山深いところに位置しているが、地図にそのような村は記載されていない。もちろんカーナビにも反応しない。表面上は存在するはずのない村であった。だからと言って昔物語に出てくる隠れ里みたいに村そのものが隠されているわけではなく、何の変哲もない田舎の集落であり、偶然通りがかっても気にも止められない小さな村である。そんな山月村についてある噂が囁かれていた。
この村の住人は化物退治を生業としているのだと。
「まあ、それだけじゃないんですけどね」
黒い革張りのソファーに腰掛けた青年は目の前に座る銀縁眼鏡をかけた六十代ぐらいの男性に声をかける。
「それだけでないとは、他に何かあるのですか」
正面に座っている青年を値踏みするかのように眺めながら初老の男性は質問をした。だが、落ち着いた雰囲気の割に相手を威圧する迫力を持った青年の目つきが気になって、目をまともに合わせることができないでいる。
「具体的には企業秘密なんですが、ぶっちゃけて言いますと依頼さえ受ければ何だってする、って事ですよ。町長さん」
そう言って青年、朱鷺野実はテーブルの上に置いてある湯飲みに手を伸ばすと、ゆっくりお茶を飲み込んだ。口に含んだお茶が熱かったのか僅かに顔を歪ませる。
『何でもする』
その言葉の意味に漠然とした恐怖を感じた町長は、緊張のためか無意識の内に膝の上へ置いた手をズボンの布ごと強く握りしめていた。掌が汗で湿って熱くなる。
ここは事件の現場となっている町の町長室。駅からさほど離れていない町役場の最上階に位置している。そして朱鷺野と会話している初老の男性はこの町の町長であり、今回彼らに事件解決を頼んだ依頼主でもあった。
「それにしても、よく我々の存在を知っていましたね」
朱鷺野の疑問に町長は素直に答える。
「あ、ああ、それは警察に昔からの馴染みがいまして、そこからあなた方の情報を教えて貰ったんですよ」
死体の見つからない連続殺人事件に、正体不明な化け物の噂。表面上は平静を装っている町の住人も内心、不安と恐怖を抱いている。もしかしたら今度は自分が新聞の三面記事を飾る番ではないのかと。だが、そんなことはお構いなしにマスコミは無責任な推測交えて今回の事件を面白可笑しく報道し、住人の恐怖心と部外者の好奇心を煽り立てている。
そんな状況に辟易していた町長は自分を心配して訪ねてきた友人につい愚痴をこぼしてしまった。これでは町のイメージが悪くなる一方だと。それを聞いた友人は少し躊躇いつつもここに連絡を取ってみろと教えてくれたのだ。
「なるほど、それでこちらに連絡した訳ですか。我々の存在を警察はすでに承知してますからね。警察との太いパイプもありますし」
それにしても、自分たちが動けば警察は用なしとなるのにその友人はよく教えたものだと、心の中で朱鷺野は感心する。
(この事件、警察もお手上げ寸前だったってことか。犯人を人間と前提して動いているのだから、それも無理はないな)
などと熟考している朱鷺野に不安そうな声で町長が話しかけてきた。
「あの、ところで本当に彼らにもこの事件を任せるのですか。些か、その、年が若すぎるのではないかと。見たところ十代そこそこの年齢のようですが」
山月村から客人が訪ねてきたと知らされて、どんな人間が来たのかと期待半分不安半分で出迎えたのだが、現れたのは紺色のスーツに身を固めた二十歳代の青年と学生服姿のどう見ても中学生ぐらいにしか見えない三人の少年だった。
黒服に身を包んだ屈強な人物が来るかと思ってみれば、目の前にいるのは何処にでもいそうな若造ばかり四人。特に一番小柄な少年は、同年代の自分の孫よりも頼りなく見えてしまう。町長の不安は募るばかりである。
「虎の子を仔猫と間違えてはいけません。今現在、この町内で彼らより強い存在は自分を除けば誰もいないですよ」
そんな気配を察知した朱鷺野がフォローを入れたものの町長の顔に安堵の色は浮かばない。それも致し方ないだろうなと横目で話題となっている三人を見れば、
「な、な、さっきお茶を運んできてくれた人、すっげえ美人だったよな。もう一回こっちへ来てくれないかな~。お話ししたい~」
などと脳天気な発言をしながら、お茶汲みの女性が消えていったドアへ落ち着きなく視線を向ける大信に
「……あ、そう」
隣に座っている千里は生返事で答える。どうやら壁に掛けてある歴代町長の写真や町の風景画に興味津々といった様子である。
陸に至っては真剣に町長の話を聞いているように見えるが、先ほどから視点を中空に定めたまま微動だにしていない。目は開けているもののどうやら頭の中は完全に眠っているみたいだ。時々、うつらうつら船を漕いでいる。
「お前ら、少しは緊張感を持て!」
大声ではないが鋭い叱責の声で真摯な態度にあらためる三人。
そんな彼らの様子に頭を痛め、ここは目の前にいるご老体を安心させるためにデモンストレーションをやるしかないかと考えて、朱鷺野は大信に声をかけた。
「どうやら町長さんはお前達の実力が分からなくて御不安の様子。そこでお前が得意の大道芸を披露して少しはその不安を取り除いてやれ」
「大道芸たぁ、ひでぇな」
と言いつつも口の端を上げ、不敵な笑みを浮かべた大信は脇に置いてある自分の荷物から竹刀袋を手に取ると、紐をほどき中身を出す。出てきた物を見て町長の顔が驚きの表情に変わる。中から出てきた物は黒光りする鞘に収まった打刀であった。刃渡りは六十か七十センチぐらいあろう代物だ。
「日本刀! これは本物ですか」
「ええ、もちろん本物ですよ。自分達の得物です。これで化物を相手にするのですがモノがモノだけにいつもはこうやって竹刀袋に入れてカモフラージュしてます。あ、この事はどうか他言無用で」
お願いしますよ、と言いながら目には見えないプレッシャーをかけて相手を頷かせると、朱鷺野は萎縮している町長を立たせソファー横の広まった場所へ移動させる。そして中身が空っぽになった湯飲みを手に取り、懐から煙草のケースを取り出すとその内の一本を町長にくわえさせ火をつけた。
「こちらは準備オッケーだ。そっちは?」
ソファーとテーブルを挟んで向かい側に立った大信は、いつでもどうぞと気楽に返事を返した。ちょうど部屋の両端でお互いが向かい合っている格好だ。三メートルぐらい離れているだろうか。他の二人は別段何をするわけでもなくソファーに座ったまま、この様子を眺めている。
何をする気かとビクビクしている町長の肩を叩き、「まずはご覧あれ」と朱鷺野は声をかけて、大信の方へ頷き合図を送った。むこうも承知したように頷き返す。
それを確認して手の中にある湯飲みを町長と大信の間の空間へ放り投げる。
直後、町長は何が起きたのか理解できなかった。湯飲みが投げられた瞬間、鯉口を切る音を聞いたが後は目の前に鋭い風が吹いたかと思うと、煙草の先に灯された火は消えていた。刀身を鞘に収める音で我に返ると、テーブルの上には真ん中から綺麗に両断された湯飲みが落ちている。
「一体、何が……」
「居合いだよ。超高速のね」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている町長に座っていた陸が自慢げに解説を始める。
「つまり、投げられた瞬間に刀を抜いて湯飲みが煙草の火と対角線上同じ高さに来たところで斬ったわけ。あと離れた場所にあるモノを斬るのは『伸腕』と呼ばれる技だよ。刀身を通して気を放つんだけど、大信の場合止まってるのを狙うのがせいぜいだ…け……へ、へっくしょん!」
突然、会話の途中で大きなくしゃみを一発。つられて隣に座っていた千里も小さなくしゃみを連発する。見れば大信も鼻をグズつかせて、しきりに手でこすっていた。
「さて、これで少しは安心して貰えたでしょうか。なんなら他にもまだお見せすることが出来ますが」
未だ呆然としている町長は朱鷺野に声をかけられて我に返り、慌てて首を横に振った。
「いえいえ、十分です。あなた方の腕前は確かに拝見させて頂きました」
一旦言葉を区切ると額に滲んだ汗をハンカチで拭いて、朱鷺野と三人の少年達に体を向き直し深々と頭を下げる。
「では今回の事件のこと、よろしくお願いいたします」
突然のお辞儀に恐縮しつつ四人も一斉に頭を下げた。
一通り話が終わり一行が町長室から退出した後、部屋の主は安堵のあまり腰を抜かしてソファーへへたり込んだ。そして過日の友人との会話を思い出す。
『実際に見たわけではないので眉唾ものだが、この村の住人についてもう一つ噂がある』
その後続く言葉を聞いたとき、何だそりゃと叫んでつい吹き出してしまったが、今となっては信じる以外なかった。
『どうやら、そこの住人は人間ではないらしい』
確かにあの居合いは人間技ではなかった。少なくともあんな芸当が出来る人間を自分は知らない。しかもろくに年端もいかない少年が、だ。
信じるしかないだろう。目の前にたたずむ真っ二つに割れた湯飲みを見つめながら、彼は人が踏み入れてはならない領域へ一歩足を伸ばしてしまったのではないか、という思いに囚われていた。
町役場の一階にあるロビー。そこに設置されている掲示板の前で、一人の老婆が目の前のポスターを真剣な眼差しで見つめていた。
その様子を遠巻きに眺めている話好きのおばちゃん達が、老婆へ聞こえないように小声で話しこんでいる。
「和田のお婆ちゃんも可哀想に。可愛がっていたお孫さんだったのにねえ」
「あれから丸一年。手がかりすら見つかっていないそうよ」
「今回の事件といい、警察も何やってんだか。うちらの少ない収入から取った税金で食っているのに全く役に立ちゃしない。ああ、今月も大変だわ」
だんだん話題が横道に逸れていき、お互い亭主の悪口に花を咲かせている一同。その間も老婆は微動だにせず、ポスターを凝視し続けていた。そこへ眼鏡をかけた少女が老婆に近づいて声をかける。
「ごめん、待たせちゃって」
外見から判断すると歳は十代半ば頃、高校生か中学生と言ったところか。肩辺りまで伸ばした後ろ髪はゴム紐で束ねられ、整った顔立ちと合わせて清潔な印象を見る者に与えてくれる。
そして老婆の隣に並んで立ち、同じく掲示板に貼ってあるポスターを微量の悲壮感がこもった表情で眺めた。二人が見ているポスターは駅のホームで陸が見かけたのと同じ物である。
「ちか子、お父さんから頼まれた用件は済んだのかい」
澄んだ声を発した老婆の顔は薄化粧を施し、身なりも上品でキチッとしているところから、裕福な家の出身であることが窺われる。
「うん。だけど風邪をひいて学校を休んだ娘に使いを頼むなんて非道い父親だよね」
苦笑しながらもそれ程気にした様子もなく、ちか子は答えた。
昨日、学校から帰宅後に風邪をひいて熱を出したのだが、今日の朝には平熱に戻っていた。一応大事をとって学校を休んだものの、やることもなく暇を持て余していた。そこへ仕事場にいる父親から電話でお使いを頼まれ、祖母と共に散歩がてら町役場へやってきたのだ。
「洋子ちゃんが行方不明になってもう一年か」
暗い声で呟く。ポスターに載っている写真の少女はちか子の従姉妹、老婆の孫にあたる。 洋子の両親は共働きで、学校から帰ってくる時間には家にいないことが多い。その為、放課後は近所にあるちか子の家に寄ってから外へ遊びに行くのを洋子は日課としていた。行方不明になったあの日まで。
「あの日、私がずっと家にいたらこんな事にはならなかったかもしれないのに」
ちか子は今でも悔やんでいた。
あの日、学校から帰って来ると家には洋子一人だけだった。
「あれ、洋子ちゃん。お母さんとお祖母ちゃんは?」
「おばさんは買い物に行ったよ。お祖母ちゃんもちょっと出かけてくるって」
さてはお祖母ちゃん、今頃喫茶店でお仲間と話に花を咲かせてる頃だな。と思いつつ、自分も友達との約束があるのですぐに出かけなければいけない。
「ごめん、私もすぐに出かけなきゃいけないんだけど、お留守番頼めるかな」
「ウン、いいよ。いってらっしゃい」
居間で黒い毛皮の猫と遊びながら、正確には猫で遊びながら洋子は元気の良い返事を返す。
洋子に耳をつつかれて鬱陶しそうな顔をしている猫は名前をサスケと言い、半年前に傷だらけで倒れているところを洋子が拾って家に連れてきたのだ。幸い命に別状はなく、今ではすっかり体力も回復し元気な姿を見せている。ただ、一旦外に出ると数日は帰ってこない放浪癖の強い猫でもあるが。
「この絵の猫も可愛いねえ」
サスケで遊ぶのに飽きたのか、洋子は床の間に移動しそこに飾ってある古びた掛け軸を興味深そうに眺めていた。掛け軸は上部に和歌が書かれ、その下に描かれた一匹の猫が静かに佇む構図となっている。
「私達のご先祖様が描いたんだって」
そう説明すると洋子は感心してしきりにうんうん頷く。そんな洋子の仕草を微笑ましく見つめていたが、ふと壁の時計に目をやると約束の時間まであと少ししかない。
「じゃ、行って来るね。もう少ししたらお母さんが帰ってくると思うから」
慌てて玄関から飛び出すちか子の耳に、は~いと答える洋子の声が聞こえた。
それが最後に聞いた洋子の声だった。
思い出す度に胸が痛くなる。
(もし、あの時、私が家に残っていればこんな事にはならなかったのに)
しかし、それはあくまで仮定の話に過ぎず、洋子が行方不明になった事実を変えることはできない。それでもちか子は、洋子を残して出かけた自分をいつも責めていた。
結局、警察による必死の捜査活動にも関わらず何の手がかりも見つかってこない。責任を感じてちか子も街頭で情報を求めるビラ配りに参加したが、その甲斐もなく一年が過ぎてしまった。
「もう、帰ろうか」
未だ食い入るようにポスターを見つめている祖母をちか子は促すと、二人はその場を後にした。自動ドアをくぐり外に出ると、町役場に入る前は晴天だった空が薄い雲に覆われていた。天気予報では午後から曇り、夜になって雨が降るという予想らしい。
「私の心の雲はいつになったら晴れるんだろう」
もしかしたら永遠に晴れないかもしれない。そんな思いが頭の中をよぎり悲しい気持ちで溢れてしまう。今、間違いなく彼女は彼女の中で一番不幸な悲劇のヒロインだった。
* *
エレベーターが一階で止まりドアが開く。と同時に
「ぶへ~っくしょん!」
大きなくしゃみが辺りにこだまする。
「あ~、くそっ。あのジジイ、コロンの匂いがきつすぎるだっつ~の。匂いも変だし。お陰でくしゃみが止まねえや。畜生!」
くしゃみの主である大信が、町長の趣味の悪さに大声で文句をつけていた。
「俺、匂いがきつすぎて気分が悪いや」
ふらふらの足取りで歩いている陸に千里が心配そうな表情で背中を押してやる。そんな千里もくしゃみの連発で鼻が真っ赤になり辛そうにしていた。
不甲斐ない様子の三人に朱鷺野から檄が飛ぶ。
「街は様々な臭いに溢れている。それに慣れるため、嗅覚を自分で調節するのも訓練の内だ。化け猫を相手にするまでには治しておけよ」
「その割には朱鷺野さんも鼻がぐずついてない?」
一般の人間とは比較にならない嗅覚を持つ彼らにとって、臭いは時として非常に厄介な代物となる。あまりにも強烈な臭いは鼻の粘膜を刺激して、滝のような鼻水と絶え間ないくしゃみを止められなくしてくれるのだ。
「うるさい。それより狩りまでまだ時間がある。その間を利用して関連の場所を下見に行くぞ」
陸の突っ込みに朱鷺野はバツが悪かったのか話の内容を変えようとする。そこで千里が発言を求めて手を挙げた。
「あの、お腹がすいたのでどこかで食べていきません?」
言われて時間を確認すると時刻は一時を回っていた。思い返せばまだ昼食を済ませていないし、朱鷺野自身も腹がへっていた。
「そうだな、お前ら何が食べたい?」
「ハンバーガー!」
「ラーメン」
「お姉ちゃん~」
最後に発言した馬鹿野郎の腹へボディーブローを一発かますと、駅前に中華料理屋があったことを思い出し、朱鷺野は外に向かって歩いていく。
他の二人も慌てて朱鷺野を追いかけ、後には真っ青な顔で腹を抱えてうずくまっている大信だけが残されていた。
「くっそ~、ちょっとしたジョークなのにマジで殴りやがって」
まだ痛む腹をさすりながら大信は町役場から出ると、自分を置いていった薄情者達の後を追いかける。自然と遙か前を歩く女性二人連れの姿が目に入った。どうやら二人の年齢から推測すると孫とその祖母であろう。
「どうしたんだ、大信」
心配になって迎えに来た千里が声をかけると、にやけた顔を背の高い友人に向け、二人連れの若い方を指差して言った。
「あの女の子、すっげえ可愛いと見たぜ」
「後ろ姿しか見えないのに、良く顔のことまで分かるモンだ」
「俺のカンがそう告げてんだよ。ありゃ、ぜってえ可愛いって。何なら賭けてもいいぜ。そうだな可愛くなかったたら、褌一丁で町の中走ってやらあ」
「いや、そんな賭は遠慮しておく。第一、男の裸なんて見たくもないし」
珍妙な提案にあきれながら、後の二人が待っていると大信を急がせる千里。どんどん距離が離れていく女の子に未練があるものの、先ほどから鳴いている腹の虫からの要求には勝てず大信は千里と共にその場を立ち去った。
駅の近くに位置する中華料理屋。それ程大きくはない店内に元気すぎる声が響き渡る。
「チャーシュー麺、おかわり!」
「おれは唐揚げをもう二皿、あと天津飯ってやつ」
「……炒飯大盛りで」
カウンター席に列んで座っている三人は、先ほどからいい具合に注文をしては片っ端から来た料理を平らげている。脇に堆く積まれた皿の枚数は彼らの食欲が尋常ではないことを物語っていた。
その隣では朱鷺野が眼前で繰り広げられる凄惨な光景を硬直したまま眺めていた。時折財布を取り出して手持ちの金額を確かめているが、財布を覗く度に顔色が青くなっていく様は悲哀を通り越してどこか笑えてしまう。
「おまえらぁ、遠慮という言葉を知らんのか~」
「注文した以上、出された料理は全部食べないといけませんから」
悲痛な朱鷺野の訴えに至極真面目な表情で千里が答える。この二人のどこか噛み合わないやり取りは大信が評したみたいに、どこかコントっぽい。
(確かに自分たちは人よりよく食べることは知っているし、そこにいる三人が育ち盛りで食べ盛りなのも分かっている。だが、この半端じゃない食欲はなんだ)
これ以上の悪夢は見たくないと言わんばかりに朱鷺野は棚の上に設置してあるテレビの画面に目を向けると、ちょうどワイドショーがこの町の連続殺人事件について取りざたしていた。
「早く犯人が捕まってくれないかねえ。物騒でかなわんよ。第一、和田さんとこの洋子ちゃんだってまだ見つかってないのに」
吐き捨てるような店主の言葉に陸が反応する。
「それって一年前の誘拐事件のこと? 確か駅にポスターが貼ってあったけど」
「ああ、そうさ。和田さんとこは先祖が庄屋で代々金持ちの家なんで、最初は身代金目的の誘拐かと思われたんだが、解決していないところを見るとどうやら違うらしいな。まあ、俺が思うに今回の殺人事件の犯人が……」
自分の話を聞いてくれる人間がいてよっぽど嬉しかったのか、絶好調で事件の推理を始める店主。しかし、聞き手側である陸は話半分で流している。
(どうせ殺人事件の犯人は俺達が退治するんだし。知らないってのは幸せだね)
店主を小馬鹿にするような文句を胸中で呟き、陸は次の料理を注文する。大信、千里もそれに続くが、さすがにこれ以上は我慢ならないと朱鷺野が怒鳴り声をあげた。
「いい加減にしろ! 腹八分目という言葉を知らんのか!」
「「「知りません」」」
三人はまだまだ食い足りないらしい。




