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8・

 壮馬が休憩室に入って来たことに気付くと、雫の顔がパッと明るくなった。

「今日も来てくれたんだ」


 その顔は喜んでいるというより、壮馬が来たことにホッとしているという表情だった。壮馬は彼女の笑顔を見れて嬉しい反面、雫の気持ちを考えると胸の中に冷たい風が吹き込んだようだった。毎日彼女の元に通うのは壮馬しかいない。母親も時々通っているようだが、二人の仲がうまくいっていないことはこの前嫌というほど見せつけられた。

 壮馬が雫の横に座ろうとすると、「待って」と言って、雫が壮馬の椅子にクッションを敷いた。紺色の生地に、白い花びらが舞うように刺しゅうされていた。


「これは?」

「ほら、ここの椅子って結構座面が固いじゃない?」 

「そうなんだよ、そうなんだよ。週3回お尻に痛み止め打ちながら通ってたんだよ、実は」

「それは想像を絶する痛みだね」

「もしかしてこれ、雫の手作り?」

「そう。壮馬くん、お尻痛いかもと思って作ったんだ」

 雫は壮馬の表情を伺うように見た。

「マジか! 雫は器用だなあ」

 壮馬は素直に関心した。そして次に壮馬の心にじわりと湧いてきた暖かい感情を、彼は人生で何度か体験したことがあった。やはり、この少女に恋をしていると壮馬は確信した。



「ほら、看護師の仲村さんいるでしょ? あの人が手伝ってくれて、ネットとか見ながら作ったんだ」

 仲村さん自身も小学生の頃に長期入院した経験があるようで、何かと雫のことを気にかけてくれているらしい。壮馬も何度か話をしたが、気さくで活発な人だった。


「ねえ、早速敷いて座ってみて」

 雫が目を輝かせ、クッションを二度軽く叩いた。

「ふっ、そんなに俺の尻が叩きたいか?」 

「違うよ」


 壮馬がクッションの上に腰を下ろすと、明らかに昨日までとは違う柔らかい座り心地を感じた。

「うわぁ、めっちゃ柔らかい。これなら48時間座ってられるわぁ」

「それは座りすぎでしょ」


 雫は口に手を当てて笑う。壮馬はその仕草が、何だか上品で好きだった。

「でも、何だかこんな手間のかかるもの作ってもらっちゃって、申し訳ないな」

「良いんだよ、私が好きで作ったんだから。こんなに毎日通ってくれるのが凄く嬉しくて、私も何か返したかったんだ」

 壮馬は笑って手を振った。

「いやいや何言ってんだよ。俺だって雫と話すのは楽しいよ。それに、約束したんだから毎日来るのは当たり前だろ」

「当たり前じゃ無いんだよ」

「当たり前だよ。学校が終わったらバス停まで行って、バスに乗って来るだけの簡単なお仕事です。時給は……」


 そこまで言ったところっで、へらへら笑っていた壮馬の笑顔が引っ込んだ。雫があまりにも真剣な目をしていたからだ。その大きく見開かれた目に、壮馬は射抜かれたかのようだった。

「当たり前じゃないんだよ。毎日友達が来てくれるのは」

 雫は一度深呼吸をして続ける。


「当たり前じゃないんだよ。私が生きてるのも、壮馬くんが生きてるのも。私、入院するまではずっとこの当たり前な人生が、当たり前に続いていくと思ってた。でも違った。当たり前なんてどこにも無かった。私、今は容態が安定しているんだけど、今この瞬間、私の心臓が止まってもおかしくないんだよ。私がその時死んじゃってたら、壮馬くんと会うことも出来なかった。だから、何も当たり前じゃないんだよ。君と今日会えたことも、昨日会えたことも。そして明日会えるかもしれないことも」


 雫の言葉はズシンと重かった。

 心臓を患い、二十才まで生きられないと言われた彼女が今までどんな思いで一日一日を過ごしてきたのか、ただ漫然と楽しみを追い続けて生きてきた壮馬には計り知れなかった。

 彼女の潤んだ瞳はじっと壮馬を捉えて離さない。

 壮馬と雫はそのまま暫く見つめ合っていたが、雫がふっと視線を外し、表情も崩した。


「ごめんね、引いたよね。私、こんな話するつもりじゃ無かったのに」

「いや、引くわけないだろ。そんな謝ることじゃないよ」


 言いながら、壮馬は明日、もしかしたら雫が居なくなってしまうのではないかという想像を頭の片隅でして、一気に体温が下がったような気がした。

 当たり前じゃない。眼の前の少女に今日会えることも。明日、会えるかもしれないことも。



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