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君と描いた青の軌跡、映す最後の約束  作者: 忍者の佐藤


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 病室のドアを開けると、絵を描いていた雫はタブレットを置いた。そして満面の笑みを作り、両手を広げてみせた。

「今日も来てくれてありがとう」

 壮馬は近付いて身をかがめると、雫と抱き合った。ハグの体勢だ。

 結婚式の日から雫はよく甘えてくるようになった。これもその一つで、壮馬が病室に来たら必ずハグをするのが彼らの習慣になっていた。


 恥ずかしがり屋だった彼女が、この習慣を提案してきた時は驚いた。最初は壮馬の方が恥ずかしがっていたくらいだった。

 それでも今は壮馬もハグが好きだった。雫を間近で感じられるその瞬間、体温を感じられるその瞬間、彼女が生きていることを実感出来るからだ。

「大好き」

 耳元で雫の声が聞こえた。

「俺も、大好きだよ」

 壮馬も戸惑いがちに返した。




「新宿アートビジョン新人賞コンテスト?」

 雫からその名を聞いたのは十月の初めだった。壮馬もスマホで概要を調べてみると、それは有名な広告代理店が主催の、新人発掘をうたった絵のコンテストだった。

 アマチュアのアーティストか、プロ活動3年未満ならだれでも参加が可能で、もし最優秀賞に輝けば賞金100万円とともに、新宿駅入口上部の大看板に一枚絵として飾られることになてっているという。絵のジャンルは水彩でも油絵でも、デジタル画でも可。「都市と自然の調和」というテーマで絵が募集されていた。

 雫はタブレットで、実際に絵が駅に飾られている写真を壮馬に見せた。

「ほら、これ前回の入賞作品が飾られてたの」

 新宿駅西口の上にある大看板だった。壮馬も何度か新宿駅に行ったことがあるので、「あそこか」と納得した。

「確かに優勝できたらすごいけど、でもそれだけ優勝の条件が良いと、応募してくるのもすごい奴ばっかなんじゃないか? プロもいるみたいだし」

 雫は頷いた。

「確かに、応募はすごい数になると思う。前回だって1万人を超えてたみたいだし。でも私、やってみたいんだ。今まで壮馬くんと一緒に、いっぱい絵を描いてきたけど、本気で挑戦したい。二人で渾身の力で、一つの絵を仕上げるには、やっぱり大会が良い目標になると思うんだ」

 壮馬はそこでようやく納得した。雫は本気で優勝を狙っているわけではない。

 彼女が欲しているのは、壮馬と本気で一つの作品に取り組むという、その体験なのかもしれなかった。

 二人だけの結婚式を挙げて以来、雫は心なし少しづつか弱って見えていた。壮馬の目から見てそうなのだ。雫は自分の体力の低下を如実に感じているだろう。


 数週間前のことだが、壮馬が冗談でドアを開けてすぐ

「あ、間違えました」

 と言って去ろうとしたことがある。

 後から改めて中に入ると。雫は目を赤くして抗議していた。

 壮馬は謝罪し、二度とこんなことはしないと誓った。しかし今までの雫なら、笑って流していたはずだ。

 やはり雫の気持ちが切迫していると壮馬は思った。


 雫は死を見据えているのかもしれない。もう長くないと思っている。

 だからこそ、最後に壮馬との思い出を残そうとしているのだと壮馬は思った。

「よし、やってみよう」

 壮馬は親指を立てた。勿論、壮馬としてはこれを最後の思い出にするつもりは毛頭無い。医師から聞いた事があるが、現在では雫の病気も20歳を超えて生存出来るケースが増えている。ここから雫の体調が回復する見込みも十分にあると壮馬は考えていた。

 雫は嬉しそうな顔をした。壮馬のすぐ近くまで来て、その肩に頭をあずけた。

「大好き」

 雫は小さな声で言った。この言葉もまた、結婚式の日から雫がよく口にするようになった。

 ハグと同じように、この言葉も習慣になっていた。

 例えば、雫から頼まれて物を買って来た時にも「大好き」、もっと些細なことだと、少し腕が触れ合っただけでも、はにかんで「大好き」と言う。

 人懐っこい笑顔でそう言われる度、壮馬の心もすごく満たされるようだった。塾で怒鳴られたことも、絵が思ったように上達しないことも、雫に会っている時だけは忘れられた。


 雫が「大好き」というたび、壮馬も「俺も大好き」と返した。そうすると雫は、自分から言ったくせに何故か恥ずかしそうに目線を下げ、壮馬の身体に頭を預けてくるのだった。

 口に出さなくても、壮馬は雫のことを愛していると思っていた。しかし、いざ口に出してみると、言うたびに、雫への愛が濃いものになっていくような、そんな気がした。

「言霊」とは本当にあるのかもしれないと壮馬は思った。



 壮馬の中で雫の存在は、以前にも増して無くてはならないものになっていた。しかしそれと反比例するように、最近では雫に会えない日も増えていた。

 どうしても調子が悪いからと、申し訳無さそうな文面のメールが届く。そんな日、壮馬はただひたすらに心配だった。

 ひょっとしたら、このまま雫に会えなくなってしまうかもしれない。昨日が最後だったのかもしれない。そう思うと絵を描くことにも集中出来ず、また徳田に怒られるのだった。


 一度、徳田に怒られている時、あまりにもぼーっとし過ぎて「大好き」と言ってしまったことがあった。

 徳田は一瞬真顔になった後、「今日はもう帰れ」と呆れたように言った。


 塾と言えば、壮馬の絵の実力は上達し続けていた。日にスケッチを二十枚もこなし、塾でも絞られ続けた壮馬の画力は明らかに素人とは一線を画していた。

 ただ、今のままで美大に受かるかと言われれば確実にNOだった。周りの塾生達を見ると、遥かに壮馬より上手い。その彼らも二浪三浪の東方芸大受験キャリア達であり、彼らの実力を持ってしても、東方芸大は遠い存在だった。

 壮馬は彼らの努力量をよく知っている。控え目に言って壮馬の三倍は努力している。それでも跳ね返され続けているのだ。

 塾生達と自分を比較する度、いかに、自分が下手くそで、いかに自分が努力を怠っているかを思い知らされた。目標と現在地の落差で落ち込む日も増えた。

 加えて、塾では壮馬は徹底的に絞られる。塾の中で壮馬が一番未熟なので当たり前といえば当たり前だが、毎日のように怒られ続けると、流石の壮馬も、かなり精神的に参ってしまっていた。



 毎日塾に行くのが憂鬱だった。この塾を辞めてしまえばどんなに楽かとも考えた。それでも行き続けたのは勿論雫の存在、そして「世界的な画家になる」という雫との約束があったからだった。

 彼女との約束を守るための第一歩として、壮馬は必ず東方芸大に行くと誓った。その最初の一歩を、絶対に踏み外すわけにはいかなかった。




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