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迎えた展示会当日、壮馬は家族と一足先に美術館を訪れていた。
受付やグッズ販売、展示会場の案内などは流石に壮馬一人では出来なかった。かと言って人を雇う余裕もなかったし、動員に動いて貰っていた男子達を駆り出すわけにもいかないと思った。彼らもお客さんなのだ。
しょうがないので父と母、そして下宿先から一時的に帰省している姉の澄香をボランティアスタッフとしてやりがい搾取することにした。
雫には昼から来てもらうことにしていた。恐らく朝は人が多くて、押されたり、転倒したりしたら危ないと思ったからだ。後にこれは妙案だったと壮馬は知ることになる。
午前中会場に来られない代わりに、受付の机の端にスマホを置いてライブ配信をする予定だった。これなら雫にも会場の様子を見せられる。
家族総出で慌ただしく準備をしていると、ふと美術館の玄関外に異様な気配を感じた。
何気なく視線を向けてみる。
「えっ!?」
思わず壮馬は目を剥いていた。玄関外に人だかりが出来ている。遠目に見たら、人間を求めて建物前に集中しているゾンビのようにさえ見えた。
さっきまでも「何人かいるな」くらいには見えていた。しかし少し目を離したすきに一気に増えた。増えすぎて最早黒く見えていた。
「あれ、全部うちのお客さんなのか?」
父親の良治がたじろいでいる。県立美術館なので、勿論自分たちの絵の他にも展示されている絵や美術品はある。そちらが目当てのお客さんもいるだろう。
しかし、どうもその群衆の中には、壮馬の見知った顔が何人もいるようだ。時々壮馬と目が合って、手を振ったりしている。恐らく彼らの殆どが、壮馬たちの客だ。
開館時間の5分前になって、警備員が玄関の扉に近づいて行った。しかし、あまりに人が多くて困惑しているように見えた。警備員の人も、こんなに人が押し寄せるのを見たのは始めてだったのだろう。
9時。
同時に自動ドアが開いた。
ぞろぞろと入ってきた人々が全員、こちらに向かって歩いてくる。皆走ることもなく落ち着いているが、人数が人数のため、集団が迫って来る様子には強烈な迫力があった。
先ほどまで疲労で眠かった目が一気に覚める。身体のスイッチが切り替わった。
「あれ全部来るぞ! 野郎共スタンバ―イ!」
壮馬と家族は急いで持ち場についた。父と母は受付。姉と壮馬が誘導係。壮馬はグッズ販売の役割も兼ねていた。
受付では父と母が必死に応対しているが全く追いついておらず、姉の澄香が客を並ばせると、長蛇の列は一瞬で美術館の外まで達してしまった。
「やばいよこれ! 私、受付のヘルプ入るわ」
列を整理し終えた澄香は急いで戻って受付に加わった。壮馬も壮馬で呑気に客を眺めている暇など全く無かった。列からあぶれ、グッズを求めた客が、展示室横の即席の売り場に殺到したからだ。
壮馬は次々に押し寄せる客を捌きながら、どうしてこんなに人が押し寄せてくるのか不思議に思っていた。今日の見込み客は全部で350人。しかし、全員が全員、開館時間と同時に来るわけではない。そもそも福袋セールでもないのだ。
来館客からすれば、朝でも昼でも、都合のよい時間帯に来れば良いはずだ。
後で分かったことだが、これにはどうやら集客を手伝ってくれていた男子生徒たちに要因があったようだ。
壮馬から集客モチベーションを掛けられた者達は、普通に絵の展示会があると誘っても、来てもらえないことを分かっていた。
そのため彼らは客を集めるため、この展示会を『新進気鋭の天才少女による、初めての絵画展』だとか『フランスの絵画の権威が認めた絵が飾られる日本でも稀な展示会』などと紹介して回ったらしい。
「このチケットの半券は伝説になる」とか「会場で売っているグッズを今買っておけば20年後には一万倍の値打ちが付く」とか誇張表現に誇張表現を上塗りした言葉で人を集めていた。
この情報はSNSでも「正体不明の天才少女が謎の個展を開く」と、雫の動画(非公開済み)からスクショしたであろう写真と共に拡散された。一応雫の目は黒い線で隠されていたが、かなりの美少女だと一部で話題になっていたようだ。
しかもしかも、今日が日曜日だったこともあり、美術館の前に出来た人だかりを見た通行人が、興味本位で列に加わることも重なったため、最終的に集まったのは凄まじい人数になった。
だがこの時の壮馬はそんなことなど知る由もなく、ただただグッズの販売に忙殺されていた。
壮馬は焦っていた。彼は短期でレジ打ちのバイトをしたことはあるが、それも短時間だったためほぼ初心者だった。勿論電子決済なんて対応しているわけもなく、全て現金払いだったので、会計には余計に時間と手間がかかった。
グッズ売り場には、展示会場に並ぶ列に負けず劣らずの人数が並んでいた。壮馬が幾ら捌いても捌いても、一向に減る気配がない。展示会場から出て来た人達もがこちらに並んで増えていくというありさまだった。
この量を一人で捌くのかと思うと気が遠くなってきた。既に全身に汗が浮いているし、声を張り続けて喉はカラカラだった。
最早視界がブラックアウトしそうだった。
「おい」
聞きなれた声がした気がした。しかし観客の声が大きくて気のせいかと思った。
「おいこら」
今度は肩を叩かれた。
驚いて後ろを見ると、美咲が立っている。制服ではなくパーカーを着ていたため、一瞬誰なのか判断が遅れた。
「美咲? 今忙しいんだ! 用事なら後にしてくれ!」
「私も手伝うから」
「はぇ?」
壮馬は一瞬、美咲が何を言っているのか分からなかった。壮馬が事情を呑み込めないうちに彼女は隣に立つと
「こちらでもご注文お受けします。二番目でお待ちのお客様どうぞ」
と手を上げ、群衆の声に負けないよう大きな声で言った。
美咲は壮馬とは比べ物にならないスピードで金額計算、おつり、商品の受け渡しをこなしていく。全く減らなかった客の列が、どんどん前に進み始めた。
美咲は一度も金額を間違わなかった。一度見ただけで、グッズの値段を正確に記憶したようだった。
壮馬はただただ感心するしかなかった。
隣で眺める美咲の横顔は、何よりも頼もしかった。
グッズは昼前には売り切れた。
ちょっと多めに作ったつもりだったのだが、こんな爆発的な売れ方をするなんて全く予想もしていなかった。
客足もかなり落ち着いて来ていて、壮馬の家族は交代で昼食を取りに行っていた。
「美咲、ありがとな」
壮馬は美咲の横に、コーラを置いた。
「これ、飲んでくれ」
「んー」
美咲は美術館入口近くに設置されているベンチに座り、スマホをいじっていた。彼女の態度は素っ気ない。だがそんな態度とは裏腹に、壮馬を助けてくれた彼女の労力は計り知れなかった。
「にしても、お前めちゃくちゃ仕事早いな。お前の立ってる場所だけ2倍速になってるのかと思ったぞ」
「言ったでしょ。うち、実家が店やっててレジ打ちは中学生の頃からやってるって。お客さん多いから、ちんたらしてたら間に合わないの」
スマホをいじる彼女の姿勢は変わらなかった。
「でも何で、そんなに助けてくれるんだ。トイレ掃除の時だって……」
美咲は猫を思わせる釣りあがった大きな目で一、瞬壮馬を見たが、すぐにそらした。
美咲はコーラの蓋を開けた。ぷしゅっ、と炭酸の発散する音が響く。
「何でだろうね」
言いながら彼女はペットボトルをあおった。「何でだろ、本当に」