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22・

 忙しく準備やら集客やらに動き回っていると、あっという間に展示会の前日になっていた。

 やれることはやった。考えうる策は全て講じた。

 壮馬が二か月間、掃除と水やりを欠かさなかったことで、約束通りクラスの全員が会場に来てくれることになった。

 そして、男子たちが集めた見込み客の数は、合計で300人を超えていた。

 クラスの女子や、壮馬が個人的に声を掛けて集めた人数を合わせれば350人は集まる。そうなれば、ほぼほぼ父親が肩代わりしてくれていた代金も返済することが出来るし、素人が初めて開く個展としては、かなりの客数だと言えた。


 会場の設営も終わった。

 ちなみに会場の設営はクラスの男子たちに手伝ってもらった。

「このまま設営が出来ないと明日展示会が開けないよ! と水瀬雫さんが泣いて困っています。手伝ってくれたら水瀬さんがあなたの顔を永遠に忘れないでしょう」と、グループラインで流すと、だいたい皆手伝ってくれた。

 人数は多いので割とすぐに終わったが、一人でやっていたら途方にくれていた作業量だ。    





 *****





「雫、これ持って来たぞ」

 壮馬は雫に紙袋を渡した。

「ありがとう」

 雫は大事そうにその袋を抱えた。

「あー、いよいよだな」

 壮馬は伸びをした。日も暮れかかった窓の外の景色は、紫色からゆっくり夜の闇に変わろうとしていた。

「うん」

 雫はいつもの優しい笑顔で壮馬を見ている。壮馬も笑い返した。

「泣いても笑ってもな」

 二人の表情が明るいのには理由があった。

 展示会当日、つまり明日、雫が外出しても良いという許可が下りたのだ。しかも美術館まで、病院の車両で送迎してもらえることになった。


 ちなみに送迎の代金は雫の母親が出してくれたらしい。壮馬が直接お願いしたわけではないので、どういう話の流れでそうなったか分からなかったが、雫の母親から申し出があったそうだ。

 壮馬はあの怖そうな母親の顔を思い出しながらも、次に会ったらお礼を言っておこうと思った。


 勿論、美術館に居られるのは少しの時間だけだ。それでも雫は来た人たちが自分の絵を観覧しているところを見ることが出来る。

 直接絵を見られるというのは、画家として非常に嬉しいのではないか、と壮馬は同じく絵を描く身として思っていた。

 そして何より、外出出来る。

 雫は当初、外に出ることを躊躇していた。理由は壮馬が買ってきた服を拒否した時と概ね同じだった。今の自分の姿を人に見られるのが恥ずかしいという。


 壮馬は根気強く「肌を見せないよう、体型の分からなくなるような、長い服を着て行こう。そうしなくても、普通の痩せ型の女の子に見えるよ。それに、雫が思っているほど雫はおかしくない。おかしいどころか、みんなが振り向くくらい綺麗だよ」といった論法で説得を試みた。

 雫はそれでも迷っていたようだが、「俺、どうしても雫と一緒に行きたい。雫と一緒にお客さんが俺達の絵を見てるところを見たいよ」という言葉に行く決心をしたようだった。






「うまくいくかな」

 そうこぼしたのは壮馬だった。両手を組んでいた。瞳には黒く、不安の色が濃く漂っていた。やれることはやったにしても、結果は誰にも分からない。

 当然、絵の批評は付いて回る。素人の絵だとバカにされるかもしれない。そして雫が傷つくかもしれない。


 壮馬はここまで、やることが多すぎて忙殺されていた。気を張って来た分、やることが無くなった今になって、一気に不安が押し寄せてきたのだった。

 そんな壮馬を見る雫が目をぱちぱちさせてる。いつも楽天的で「何とかなる」と笑っている壮馬の、そんな姿は珍しかった。

「大丈夫だよ」

 雫が壮馬の手の上に、自分の手を置いた。

「でも、お客さんが納得してくれるか……」

「大丈夫。だって、壮馬くんの絵には力があるから」

「力?」

 壮馬は顔を上げた。雫はそれに合わせて頷く。

「壮馬くんの絵って、見ててすごく心地が良いんだ。ほら、壮馬くんは私のキャラクターを旅させるために色んな絵を描いてくれてるじゃない? 君の絵をじっと見てると、何だか私も、その場所に居られるような気がするんだよ」

 壮馬は目を見開いた。雫に旅をさせる絵を描きたいということは、壮馬が最初に掲げた目標だった。

「お客さんも、きっと分かってくれる。壮馬君の絵は、人を引き込む力があるよ。絵の中を旅させる力が」

 壮馬の手の上に置かれた、雫の手に力がこもった。


 その時、突然休憩室の扉が勢いよく開いた。


「はい、面会時間は終わりですよ」

 婦長の玉井さんが休憩室に顔を覗かせた。

「早く帰って下さい」

 玉井さんは壮馬の顔をじとっと睨んだ後、再び勢いよく扉を閉め、去って行った。壮馬は目を付けられているらしかった。


「そろそろ帰らないとな……雫、励ましてくれてありがとう。めっちゃ元気出たよ」

 壮馬は帰り支度を始めようとした。しかし、動けなかった。雫の手が離れなかった。

「雫……?」

 勿論離してくれとは言えなかった。言いたくもなかった。

 雫の手は、震えていた。


 そこで壮馬は思い至った。

 そうだ、怖いに決まっている。ここまで二人で絵を揃えるのにどれだけの時間を費やしただろう。どれだけの精神を消費しただろう。本気で取り組んできただろう。それを直接他人に見られ、否定されるかもしれないということが、怖くないわけがない。

 それでも雫は、目の前で不安がっている壮馬を励ましてくれた。

 どこまでも優しい女の子だからだ。不意に目頭が熱くなって、壮馬は目をしばたたかせた。


 壮馬が幾ら言葉で励ましても、不安は拭えないだろう。

 今壮馬に出来ることは……。

 じっと雫の手を握り返すことだけだった。

 そして二人は、5分後再び婦長が訪れるまで、ずっと向かい合い、手をつないでいた。



 そして帰りの電車の中。壮馬の頭はずっと雫に言われた言葉を繰り返していた。

『壮馬君の絵は、人を引き込む力があるよ』

 一番近くで、一番多く壮馬の絵を見ていてくれた雫の言葉。それは壮馬にとって、どんな根拠やデータよりも信頼に足るものだった。

 頭が雫の言葉を繰り返すように、壮馬の手は雫の手の感触をまだ感じていた。

 自分だって不安なのに、俺が辛気臭い顔してたから、雫が無理して励ましてくれた。

 壮馬は両手で自分の頬を叩いた。

 高い、乾いた音が車両内に響き、まばらに座っていた人たちの視線が一斉に集まった。

「よし」

 壮馬は赤い頬を撫でながら頷く。

 必ず明日は成功させる。

 もう二度と雫との約束を破らないと誓ったのだから。

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