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「そういえばお金、どうする? やっぱり結構かかるんでしょ?」

 雫も金のことは心配しているようだった。壮馬は満面の笑みを作り、雫の肩に手を置いた。

「大丈夫、事情を話したら光の戦士が何も言わずに快く貸してくれた。何も心配いらないよ」

「光の戦士?」


 とは言え、加藤家の家計が苦しい事に変わりはない。父親が立て替えてくれた30万円以上の金も、血の汗と涙とりりぽよへの失恋と引き換えに手に入れたものだ。

 あの晩以降、良治はテレビを見ている時や、晩御飯を食べている時など、不意にさらさらと涙を流すことがある。中年のおじさんにこんな綺麗な泣き方が出来るんだ、と壮馬は思ったものだ。

 恋心はもう戻らないとしても、絵の展示が終われば、速やかに金だけでも返却する必要があるだろう。



 金の問題は解決したのではなく、先送りされただけだ。当日、人が来なければ光の戦士が灰になってしまう。金を返すためにも、今のままでは圧倒的に客数が足りなかった。

 いや、金の問題が無かったとしても、本来は沢山のお客さんを集め、多くの人々に絵を見てもらうために展示会を開くのだ。客が来なければ意味が無い。


「私にも、何か手伝うこと無いかな?」

 雫は両手で握りこぶしをを作って、ふんふんと鼻息を荒くしている。

「いや」

 壮馬は首を振った。



 壮馬は学校での掃除などに加え、ビラ配りと、美術館近くの商店にポスター張る作業もやってみようと思っていた。店舗への許可も、これから取って回らないといけない。

 どれくらい効果が見込めるのかは未知数だが、現状、客数が全く足りていない状況で手をこまねいているわけにはいかなかった。

 雫がやってくれたのは、そのビラとポスターのデザインだった。


 ビラとポスターの背景に今までに自分たちが描いた絵を使ったが、文字の配置などは雫が決めて作ってくれた。雫が作ったからそう見えるだけかもしれないが、壮馬には中々見栄えの良いデザインに見えた。2つとも今日の帰りにコンビニで印刷して、明日から配ろうと考えていた。



「大丈夫、雫はもう十分に手伝ってくれているよ」

 壮馬は再び優しい声で言った。

 当たり前だがビラ配りなどを雫に手伝ってもらうわけにはいかない。雫は壮馬にだけ行動を強いている現状を快く思っていないようだが、壮馬は全く気にしていなかった。彼女は自分に出来る最大限のことをやってくれている。


 雫は頷いたが口は引き結ばれていて、納得はしていないようだった。




 *****




「もう無理! 一歩も歩けない!」

 壮馬は次の日入院棟の休憩室に入るなり、机の上に上半身を投げ出すように這いつくばった。肩で息をしている。汗を沢山かいたためか、髪の毛が湿っぽかった。

「壮馬くん、大丈夫?」

 雫がタオルで壮馬の頭を拭いてやるが、ピクリともしない。

「何があったの?」


 この日、壮馬はチラシ配りとポスター張りの作業を開始した。土曜日だったこともあり、壮馬は張り切って午前中から美術館の最寄り駅である、立石駅に向かった。壮馬はポスター張りやビラ配りなどやったことなどなかったが、どうにかなるだろうと楽観的に考えていた。

 しかし見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 壮馬は先ずスーパーなどの商店に、ポスターを張っても良いか聞いて回った。ところが基本的にどの店も対応は冷たかった。特に学校からの許可を得ているわけでもない一高校生からの要求を一人ひとり聞いていたら、営業に支障をきたすという。

 一人のわがままを聞いたら、他の客も「じゃあ自分も」と際限無くやってくる可能性もある。彼らの主張も理解できた。


 それでも壮馬は各店舗で必死に食い下がったのだが、結局ポスターを張ってくれたのは5店舗だけだった。その5店舗を集める頃には既に昼の3時を回っていて、壮馬は急いで昼ご飯をかっこむと、今度はビラ配りを開始した。季節は5月の中旬。この日は30度を超える暑さだった。


 最初は流石の壮馬でも、ビラを渡すのに躊躇があった。それでも勇気を出して

「展示会をやるので来て下さい」

 と渡すのだが当然のように無視される。普段の壮馬であればそれほど気にしないことだったが、午前中から、炎天下の中を断られながら歩き続けた壮馬の気力体力は、もうゼロに近かった。

 それでも何とか配り続け、1時間経って配り終えたのはたったの12枚だった。それからもう1時間ほど粘ってみたが、成果は変わらなかった。

 諦めきれなかった壮馬は一度休憩して続けることも考えたが、立ち上がろうとすると目の前が黒い斑点に覆われるような立ち眩みがあり、まずいと思って中断。その足で何とかここまで来たのだった。



 話し終えた壮馬は500mlのスポーツドリンクを一気に飲み干した。黙って話を聞いていた雫は眉尻を落とし、目を潤ませていた。

「そんな顔するなよ。俺はこの通りピンピンだよピンピン」

 壮馬の顔はしなしなだった。

「ごめんね」

「なんで謝るんだよ。大丈夫大丈夫、何とかなるって」


 しかし雫は口を真一文字に結んで壮馬の顔を見返した。その目には何かの決意が浮かんでいるようだった。

「雫、まさか自分でもビラ配ろうとか思ってないだろうな」

「そ、そんなこと無いよ」

 雫は両手を振って否定したが、何だか挙動が怪しかった。壮馬は後で看護師さんに、雫の行動をよく見ておいてもらうように頼もうと思った。もしかすると、壮馬にだけ集客を任せてしまっている事を気に病んだ雫が、何かを企んでいるかも知れないと察したからだ。

 しかし、それがどんな行動なのか、壮馬にはそ分からなかった。




 ***




「ぬあああああ! もう無理! 一歩も歩けない!」

 壮馬は次の日、雫の元に来て開口一番に言った。ほぼ昨日、一昨日と同じ時間に同じ台詞を言いながら来た壮馬は昨日、一昨日と同じく机の上に突っ伏した。雫も昨日と同じように壮馬の髪を拭いてやる。

「スポーツドリンク買っておいたよ。飲んで」

「マジか。ありがてえ」

 かろうじて雫の方を向いた壮馬の顔は黒く日焼けしていて、頬は昨日より明らかにけていた。

「壮馬くん、見てもらいたいものがあるの」

 雫が真剣な顔をしていることに、ペットボトルを一気飲みしていた壮馬は気付いた。

「どうした? まさか、打率2割8分、年間フル出場、30本塁打期待できるショートでも見つけた?」

「違う」


 雫はタブレットの画面を見せてきた。そこに表示されているのは動画投稿サイトのページだった。犬か猫の動画でも見せるつもりなのかと考えていると、雫は一つのチャンネルページに飛び、縦画面の動画の再生ボタンを押した。

「えっ、これって」

 壮馬は驚いて、再生されている動画と雫の顔を交互に見た。

 そこに表示されている動画には、明らかに雫が映っていたからだ。


 画面の中の雫はぎこちない笑顔でこちらに手を振った後、たどたどしく話し始めた。

『始めまして。私はイラストレーターを目指している水瀬雫と言います。今度の7月11日の日曜日に、私と友達の作品展を開きます』

 ここで画面が絵のスライドショーに切り替わり、雫が会場と入場料について伝える声が流れた。

『是非来て下さい』

 雫がお辞儀をして、その動画は終わった。


 再生数を見ると12回で、いいねは一つも付いていなかった。

 壮馬は改めて雫の顔を見た。

 赤い。明らかに見られて恥ずかしがっている。壮馬にしても、雫が何かやろうとしているのでは、と思ってはいたが、ネット上に顔を出して、こんな大胆な行動を取るとは思っていなかった。


 彼女は少なくとも人前に出て目立ちたがるようなタイプの少女ではないことは、一年近く一緒にいる壮馬もよく知っていた。

 それでも彼女が自らの顔と名前を出して展示会の告知をしたということは、それだけ彼女も腹をくくっているということに他ならない。


「雫、これ良くないんじゃないか。顔もそうだし本名も出して。幸い再生数も回ってないし、今すぐ削除した方が良いよ」

「駄目」

 雫の声は低かった。雫の顔には決意の眼差しがあった。昨日、帰るときに見た彼女の顔よりも一層の強い意志を感じて、壮馬は背筋を正した。


「これって、私達の画展だよ。私の描いた絵も展示されるんだよ。それなのに私、全部壮馬くんに丸投げして、自分ではほとんど何も出来なくて、それがすごく悔しかった」

 雫の両目のはしからは涙が流れていた。壮馬は慌ててハンカチをポケットから出し、涙を拭いてやった。


「雫、落ち着いてくれ。俺は雫がポスターとか作ってくれてすごく助かってるし、本当に感謝してる。それに雫が毎日ここで慰めたり励ましたりしてくれなかったら、俺はとっくに諦めてるよ。だから何もしてないなんて言わないで」


 壮馬はなだめすかすように、ゆっくりと喋った。しかし雫の表情は緩まない。


「壮馬くんは優しいからそう言ってくれる。でも私が納得できない。もしこのまま展示会が成功しても、このままじゃ胸を張って絵を飾れないよ」

 壮馬は腕を組んで俯いた。

 雫の目は本気だった。自分のために、壮馬が疲弊していくことに心を痛めてる。壮馬にだけ負担を強いることに負い目を感じている。そして何より、彼女は一人の絵描きとして、壮馬と対等でありたいと思っている。だからこそ、自分の個人情報を危険に晒すような方法を使ってでも、展示会の情報を拡散しようと思ったのだろう。


「よし分かった」

 壮馬は膝を叩いた。

「雫、お前の覚悟は伝わった。でもどっちにしろその動画は削除するべきだ」

「でも……!」

「大丈夫、その覚悟があるんなら、ちょっと俺に付き合ってくれ」

 壮馬の口元が歪む。

 何か邪悪な気配を感じ、雫は息を呑んだ。

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