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帰りのホームルームの最中、壮馬は教卓の上で勢いよく土下座していた。
「お願いです! 俺と俺の友達が画展を開くのでみんな来て下さい!」
喋る度に教卓がガタガタと揺れて音を立てたが、クラス中はしんと静まり返っていた。白けきった空気が流れている。黒板の隅で担任の角田は苦笑いをしていた。
少し前、いつも通り情報の伝達だけのホームルームが行われていたところ、壮馬が勢いよく勢いを手を上げた。
「どうした加藤」
「先生、一つだけ俺に話をさせて下さい」
そうして前に出て来た壮馬がいきなり土下座を敢行したのだった。
「何でもしますから! 何でもしますから!」
壮馬は頭を上げては下げ頭を上げては下げを繰り返している。クラスの反応はまた始まったかという冷笑か、自分には関係ないとスマホをいじる無関心か、帰る時間が遅くなって迷惑だと顔をしかめているかのどれかで、誰も壮馬の話を真剣になど聞いていなかった。
「おい、いい加減にしろよ。何で俺達がお前の都合に合わせないといけないんだよ」
一人の男子が言った。
「そうだ。行った所で俺達にどんなメリットがあるんだよ」
「えっと……素晴らしい絵を見ることで感動や喜び、癒やしを……」
クラス中から笑いが起こった。
「何が素晴らしい絵だよ。お前らって素人なんだろ? 何でわざわざ休みの日に素人の絵を見に行かないといけないんだ?」
言われてみればその通りだった。壮馬にとって、雫はかけがえのない存在だが、クラスメイトにとっては何の関わりもない他人だ。そもそも彼らには絵を見に来るメリットが無さすぎる。
「じゃあこうしよう」と言葉を発しながら、壮馬は彼らのメリットになる行為を逡巡した。
「俺は画展を開く予定のニヶ月後まで、放課後の全ての掃除と、始業前の水やりを全部代行する。それが全部出来たら、みんな来てくれないか」
まず放課後の掃除とは、下校時のホームルーム後にある掃除作業のことで、この1年3組の持ち場は教室、隣の多目的教室、そして一階のトイレだった。
それを一人でやるだけでもかなり大変だが、それ以上に大変なのは担任のOKを貰う事だった。担任の角田は掃除にかなりうるさい教師で、中途半端にゴミが残っていたり、手を抜いたりすると即座にやり直しさせられる。
また、始業前の水やりというのは校庭の一角にある花壇の水やりだ。これは本来事務員さんの役割だった。しかし学校の方針として一年生が分担してやることになっていた。毎日一人づつが順番に行うのだが、始業の30分から40分前に来てやらないといけないため、面倒な当番として生徒からは認識されていた。
壮馬が取引を持ち掛けると再び笑いが起こった。壮馬は顔をしかめる。
「何で笑うんだよ」
壮馬の言葉をきっかけに、クラス中から一斉に反論の声が飛んだ。最早ブーイングと言って良かった。
「いやいや、お前が約束守れるわけないだろ」
「お前『一緒にバイトの面接受けよう』とか言っといて自分だけバックレやがって」
「お前北海道に行った時『木彫りのクマ買ってきてやる』って言ってたけど持って来たのドリアンのチョコレートだったじゃん」
「この前のテストで『俺は全教科90点以上取る』って豪語しといて全教科赤点だったよな?」
「貴様、ワシに『Hな漫画貸してやるよ』って言ったからワクワクして待ってたら、次の日持って来たの北斗の拳だったではないか!」
ほぼクラス中の全員が各々の文句を並べ立てる。中高一貫校だけあって、3年以上蓄積された壮馬の無責任ムーブは評価を覆しがたいものになっていた。
「先生! 良いですよね?」
最早クラスメイトに話しても無理だと思った壮馬は横に居る担任の角田に話を振った。
「お前ら静かにしろ」
角田が手を叩くと次第に教室は静かになった。
「まあ俺もな、加藤が提出物の期限を一度たりとも守った事がないからみんなが言いたいことはよく分かる」
「先生……、僕のフォローをしてくれているんですね?」
「違うぞ」
角田は咳ばらいをして続ける。
「だけどな、加藤がこんな風に誰かにお願いするのは初めてじゃないか。みんなの前で土下座するなんて、よっぽどのことが無い限り無理だろう」
クラスメイト達は黙って聞いている。
「だからこうしないか? 一日でも加藤がサボったらみんなの勝ち。全員にアイスを奢る。でも本当にニか月加藤が掃除も水やりもやり遂げたら、その展示会に行ってあげても良いんじゃないか」
クラス中がまたざわつき始めた。
「でも、女子トイレはどうするんですか。流石に壮馬が掃除するわけにはいかないですよね」
そうだそうだ、と声が上がる。
その時、一人のクラスメイトが手を上げた。
壮馬はその女子を見て思わず「あっ」と口に出してしまった。
彼女はいつも壮馬と一緒に、バスが来るまでコンビニでたむろしている高橋美咲だったからだ。
「高橋、どうした」
角田が話を振ると美咲は無表情のまま
「私が女子トイレ掃除します」
と言った。
***
「なあ、何で手伝ってくれたんだ」
女子トイレから掃除を終えて出てきた高橋美咲に聞いた。高橋は立ち止まり、何も言わずに壮馬の顔を見つめた後、玄関の方へ歩いて行ってしまった。
「高橋」
壮馬が後ろ姿に声を掛けたが反応は無い。
「ありがとな」
やはり反応は無かった。